私を保護した第二王子が嘘ばかり吐いてくる

うづき

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37 この世界で生きていく

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 波に揺られるようなまどろみの中から、奏は目を覚ます。いつのまにか眠ってしまっていたらしい。
 昨日は婚約披露の式典もあったし、その後は長い間フェリクスと体を重ねていたのもあって、疲労が限界に達したのだろう。体力を付ける必要があるのかも、なんて目元を指先で擦った――瞬間、自分を見つめるフェリクスと目が合った。

 起きていたのか、なんてぼんやりとした思考の中で考えながら、奏はフェリクスに寄り添って軽く欠伸を零す。どうして起こしてくれなかったのだろう。考えて、多分、フェリクスのことだから寝顔を見て居たかったとか言うんだろうな、なんて笑う。もしくは、起こすのが忍びなかった、とかだろうか。
 奏が肩を揺らして笑っていると、フェリクスが奏、と甘い声で囁いた。昨日何度も耳元で、そして口づけの合間に縋るように呼ばれた名前を口にされて、瞬間ぞく、と背筋が震える。鼓動が少し早くなるのが自分でもわかった。まだ、昨日の夜から意識が抜け出せていない。
 だって、――あまりにも、幸せだったから。

 そわ、と体を震わせると同時に、フェリクスが欠伸を零す。
 フェリクスは吐息と共に、「うつったのかも」なんて笑いながら、「おはよう」と囁いた。

「奏、体は? 大丈夫?」
「……大丈夫です」

 体は――問題は無い、と思う。フェリクスは出来る限り奏に負担の無い体勢をずっと取ってくれていた。それもあって、節々が痛んだり、変な場所を捻って痛めている、というようなことはない。ただ、その分、声は掠れてしまっている。あれほど長い間、愛されたのだから当然とも言える。
 奏の変化に、フェリクスも気付いたのだろう。フェリクスが軽く指を振ると、少し遠い場所にある水差しが浮遊しながらベッドサイドの近くまで動いてきた。浮遊する水差しを手に取り、同じく浮遊しながらやってきたコップに水を入れ、フェリクスは奏の体を優しく抱き起こし、口元にコップを寄せる。

「声、ちょっと掠れてるよ。無理をさせてしまったかな。ごめんね」
「ん……」

 コップの縁に唇をつけて、水を一口、二口と頂く。喉がゆっくりと潤っていくような感覚がして、奏はそっと息を零した。

「美味しい……」
「良かった。朝食の用意はまだ頼んでいないから、奏が食べられそうな時に頼もうか。食べやすいものが良いよね」

 フェリクスは囁くと、奏の体に手を回す。抱きしめるようにされて、奏は慌てた。コップをベッドサイドに置きながら「危ないですよ」と注意すると、フェリクスがくすくすと笑った。

「はあ、すごく幸せ……。こんなに幸せなこと、多分、生きて来て初めてかもしれない」

 感極まったような声だった。奏は瞬く。嘘や冗談で言っていることではない、というのは、その表情や口調から察することが出来た。
 心底幸せそうな声音を聞くと、奏もじんわりと嬉しくなってくる。フェリクスの背に手を回してゆっくりと撫でると、フェリクスは奏の肩口に額を押し当ててくすくすと喉を鳴らすようにして笑った。

「ねえ、今日は休みだから、ずっと一緒に過ごそうよ。キミのことを今日だけ、僕に独占させて」
「今日だけでいいの?」
「……本当は明日も明後日も、キミがこれから過ごす時間を全て、僕に独占させてほしいけれど」

 良いの、と念押しするように問いかけられて、奏は笑う。こんな風に言われて、断れるわけもないだろう。良いよ、と言葉を返すと、フェリクスが息を詰まらせた。間を置いて、ぎゅう、と強く体を抱きしめられる。ちょっとだけ痛い、が、我慢出来ないほどではない。奏はフェリクスへ視線を寄せて、笑いながら同じような勢いで抱きしめる。
 フェリクスは一瞬驚いたように体をびくりとさせたが、直ぐに奏の意図を察したのか目元を赤らめたままぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。お互いの体温を交換するような間を置いてから、フェリクスが奏、と奏の名前を口にした。

「……僕を選んでくれて、ありがとう」
「――フェリクス?」
「キミが寂しい時は必ず傍に居る。キミが楽しいときも、幸せな時も、どうか僕を傍に置いて。もしキミが元の世界を思い出して苦しくなったら、その時は僕がキミを受けとめる」

 フェリクスは滔々と言葉を続ける。静かな声だった。だからこそ、染みるように、鼓膜を優しく揺らす。

「キミが悲しい時、怒った時、その時の感情を全部僕にぶつけて。キミが――大事な世界を、大事な家族を、友人を、話す相手に、僕を選んで。僕は忘れない。キミが、そう約束してくれたように」

 約束。紡がれた言葉を、ゆっくりと奏は飲み下す。
 それはきっと、元の世界に戻っても忘れない、と、奏が口にしていたことを言っているのだろう。こういう第二王子が居たのだと、帰った後も忘れず、きっと覚えている、と約束をした日のことを思い出す。
 あの時とは立場が逆だ。奏はここに残ることを決め、フェリクスを選び、そして――フェリクスと結ばれて、夫婦になることが決まっている。

「キミがこの世界で――不利益を得ないように、僕がキミを守る。キミがここで、幸せに生きていられるように、何でもする。……僕は、キミとずっと一緒に居たい」
「……それは、私も。私もです」

 奏は囁く。これからもきっと、奏は大変な状況に出くわすことがあるだろうし、もしかしたらフェリクスを厄介な状況に連れ込んでしまう可能性だってある。
 聖女としてルーデンヴァールで生きるということは、きっと、聖女を取り巻く多くの状況から、逃げられないということでもあるのだ。
 でも、だからこそ、奏はフェリクスの傍に居て、フェリクスを守りたい。フェリクスが奏の傍に居て良かったと、――夫婦になれて良かったと思えるような行動をしていきたい。

 前の聖女達は、どのような思いで戻るか、残るかの決断をしていたのだろう。
 大切な人と、それでも別れずには居られなかった聖女だって居ると知った。多くの人を助けて、命を枯らした聖女も居ると知った。
 彼女達の選択はきっと、どれも優劣が付くことは無い。その時の『聖女』の願いが、その選択に詰まっているのだから。

「……ずっと一緒に居たいです、フェリクス」
「ふ。うん。ありがとう。離すつもりも、離れるつもりも、なんなら逃がすつもりだって、無いけれど」
「急に執着を見せてきましたね……」
「執着っていうか、好きな人で、大切で――お嫁さん、なんだから、当然でしょ」

 確かに。尤もな言葉かもしれない。
 奏は笑う。フェリクスも同じように笑った。

 元の世界のことは、忘れないだろう。
 家族や友人のことも、折りに触れ思い出すかもしれない。
 でも、寂しい時も、苦しい時も、フェリクスが傍に居てくれると言っている。なら――奏は大丈夫だ。
 もし今後、帰る兆候が現れても、奏はここに居たい、と思うことが出来る。

 窓の外へ視線を向ける。丘陵から登ってくる朝日が見えた。
 ルーデンヴァールの、新たな一日が、始まりを告げる。

「ただ、その、奏が……もし嫌、なら、気をつけるようにはするよ」
「え?」
「え? って。だから、……執着というか。そういうの。普通だと思うんだけど、キミが嫌がることはしたくない」

 フェリクスの言葉に、奏は瞬く。そうしてから小さく笑った。フェリクスが少し拗ねたような様子を見せる。どうして笑うのか、と、その瞳が問いかけて来ていた。

「愛されてるなあ、私」
「……愛してるよ。誰よりも、何よりも、この世界にある全てのものよりもね。キミに代えられるものなんてない」

 滔々と紡がれた言葉だった。なんだか気恥ずかしくて、くすぐったくて、奏は肩をすぼめるようにして笑う。
 運命というものがあるなら、きっとそれは、あの日、奏がここへ来た時のことを言うのだろう。
 あの時、ベッドの上でもうろうとしていたフェリクスの手を握った時。あの日、奏の人生は決まった。
 フェリクスに対する愛おしさが、心の中で大きく膨らんでいく。だから、破裂する前に奏はそれをそっと吐き出す。

「……嬉しいです」
「……ずるい」
「何が?」
「そういう風に笑われたら、何を言われても許してしまう」

 フェリクスが奏を見つめる。甘い感情の滲んだ瞳を受け止めて、奏はそっとフェリクスに唇を近づけた。そっと触れるだけのキスをして、奏とフェリクスはお互いにくすくすと笑い合った。
 この選択が正しいかはわからない。だがきっと、今までの聖女も、正しいかわからないまま、『選択』をしてきたはずだ。誰にも正誤なんてわからない。後悔をするかも、帰りたいと思うかどうかも、何もかも未知のままだ。
 だから、奏も、そうやって『選択』をする。沢山の感情も、沢山の過去も、未来も、全てを飲み下して。

 嘘吐きで、不器用で、けれど優しくて、――大好きな、フェリクスと共に。

「ちょっと良いことを聞いたかも知れません」
「……言っておくけれど、流石に奏が無理をする時は、あの笑顔を向けられても僕は頑張って、怒るよ」
「えーっ」
「不満そうにしないで。分かってる? キミは僕と生きていくんだから、無理は絶対にしないで」

 少しだけ早口に紡がれた言葉に奏は瞬く。なんだか考えていることをそのまま口に出されたような気がして、一瞬だけ驚いてしまった。
 フェリクスが「なに、どうして驚いているの?」と首を傾げる。奏はゆっくりと首を振った。

「――うん、そうですね。一緒に生きていくんだから」

 これからの日々、これからの時間。その全てを、大切な人と分かち合う。それはきっと幸福に満ちていて、幸せな時間にしかならないだろう。
 父母に。友人に。心の中で別れを告げる。どうか悲しまないで欲しい。どうか、――きっと、幸せに生きていて欲しい。
 自分もきっと、そうするから。

 そうしていずれ、また――どこかで、何かの奇跡が起こって会えた時には、奏はきっとフェリクスの話しをする。
 水森奏が、フェリクスという人と出会い、どれほど幸せに生きていたのかを、語るだろう。
 だから。

 奏は、この世界で生きていく。
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