こんにちは、いれてください

うづき

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1-2.

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 冬里は首を傾げる。もしかしたら、この子は助けを求めて、この家にやってきたのかもしれない。そうすると、この場で追い返してしまうのは早計に過ぎるというものだろう。
 夏である。外の気温はじりじりと熱く、アスファルトの上を熱気が立ち上っているような季節だ。もし冬里がここでこの少年を追い返し、この子が当て所なくさまようことになったら。行き着く先は熱中症だろう。

 見たところ、鞄も何も持っていない。自販機で飲み物を買うことも出来ないであろう少年を、見過ごすかどうか。考えて、冬里は扉を開いて、軽く半歩、室内へ体を傾ける。

「良いよ、中に入って。その、全然、綺麗じゃないけど……」

 声をかけると、少年は軽く瞬いた後、それから嬉しそうに笑みを零した。喉を鳴らすように笑い、「ありがとう」と囁く。そうしてから、一歩、室内に足を踏み入れた。
 ゆっくりと、水の中に体をなじませるように少年は呼吸を零し、そうしてから冬里を見つめる。

「何か飲む? 外、暑かったでしょう。親御さんは?」

 立て続けに質問を口にして、それからすぐ、詰問めいていると冬里は首を振った。とりあえず綺麗な玄関に腰を下ろし、持って来ていた鞄から飲み物を取り出す。
 その内の一本を少年に渡すと、少年はたどたどしい手つきでそれを受け取った。冬里も同じようにペットボトルを取りだし、キャップをひねる。少年も同じようにそうして、それから口元に飲み口を近づけた。

「ええと……、ごめんね。埃ばっかりで。今から掃除するところで……君も、休んで、それから体調とか……、大丈夫になったら、勝手に出て行ってくれていいから」
「加賀治」
「え?」
「加賀治。かが、なお」

 冬里は思わず瞬く。そうしてから、「加賀……くん?」と声をかける。少年は唇の端を持ち上げて、嬉しそうに笑った。

「うん。……ありがとう、お茶。それに、いれてくれて」

 静かな声だった。先ほどまで、少しばかり拙い口調だったのが、急に大人びたものになったような錯覚を覚える。

「掃除しているの? なら、お礼に手伝うよ」
「え! 良いよ良いよ、大丈夫だよ。加賀くんは休んでいて」
「ううん。だって、入れてくれたから。だから……。掃除、上手だよ」

 少年――加賀は、僅かに笑みを零して、そうしてからペットボトルのキャップを閉める。そうして、埃だらけの廊下にゆっくりと上がるものだから、冬里の方が慌ててしまった。
 このままでは、加賀の靴下が大変なことになってしまうだろう。慌てて自分が履いていた使い捨てのスリッパを差し出すと、加賀は軽く首を傾げた後、それを受け取った。

「いや、待って、スリッパ渡しちゃったけど! 大丈夫なの? 親御さんは?」
「親は、居ないから。大丈夫」

 さらりと、まるで何でも無いことのように紡がれた言葉に、冬里は息を飲む。そうしてから、直ぐに首を振った。

「――あ、ご、ごめんね。嫌なこと……」
「嫌なこと?」
「そう。……その、辛い思い出を……」

 加賀は僅かに瞬く。そうしてから、ゆっくりと首を振った。薄い唇を柔らかく持ち上げて、黒い瞳を細めて笑う。

「大丈夫。冬里は優しいね。変わらない」
「え?」

 いつ、名前を教えただろうか。思わず冬里が呆けると同時に、少年の白魚のような指先が、放置された鞄に付けられた定期を指す。そこには実家近くの駅と、大学近くの駅名が記載されており、その下に小さく『モチヅキ トウリ』という表記があった。なるほど、これを見たらしい。

 めざといというべきか、賢いというべきか。どちらにせよ、自己紹介すらまだだったことを思いだし、冬里は小さく笑う。そうしてから、加賀を見た。

「ええと、そう。ごめんね、紹介が遅くなっちゃったんだけど……私、望月冬里って言うの。加賀くんは……、この辺りの子なの?」
「うん。ずっと昔から、ここに居るよ」

 加賀はそう言って頷く。そうしてから、「時々、こうやって、人の家に入れてもらうことがあるんだ」とだけ続けた。
 恐らく、加賀にとって、他人の家に招き入れられることは日常的なものなのだろう。田舎だからこその風習とも言える。

 だが、加賀の言う通りならば、未成年誘拐の罪で冬里が捕まる可能性も低い――だろう。多分。わからないが、多分、そのはずだ。
 どうやら加賀は掃除を手伝ってくれるようだし、冬里が何を言っても出て行きそうにない。というより、灼熱の炎天下に子どもを放り出すのも危ない気がする。

 冬里は少しだけ考えて、それから「じゃあ、少しだけ手伝ってもらえる?」と言葉を続けた。

「もちろん、いつでも休んでね。それに、帰りたくなったら、帰って良いから」
「うん。ありがとう、冬里」

 加賀は嬉しそうに言葉を続ける。それに続くようにして、冬里は自身の靴下を見つめ、今日捨てることになるであろうことに苦しみを覚えつつ、掃除用具を手に室内へ上がった。


 祖母が晩年、一人で暮らしていた家。一人で暮らすには少し大きい、と、何度か連絡が来ていたことを思い出す。あれはきっと、会いに来て欲しい、という言葉だったのだろう。
 会いに行こうと思えば会いに行けたのに、冬里は忙しさを理由に会いにいくことが出来ずに居た。そうして去年の冬、祖母が倒れ――そうして、春に、この世界を去った。

 埃の積もった室内、水場などは僅かに汚い。エアコンのフィルターを軽く先んじて掃除して、内部を涼しくしながら掃除を行う。といっても、換気をする必要もあるので、窓も開けたままだ。贅沢な使い方だなあ、なんて思いながら、冬里は小さく息を零す。

 汗の滲む額を拭い、そうしてから、加賀を見つめた。加賀は室内で掃除機を動かしながら、冬里の視線に気付いて直ぐにスイッチを消す。

「どうかした?」
「ううん、暑くない? ――そうだ、アイスがあるよ! 食べる?」
「アイス」

 加賀は微かに瞬いて、それからゆっくりと頷く。
 掃除機を隅に置いて、そうしてから、小走りに冬里に近づいてくる姿は、なんだか小動物を彷彿とさせる。
 それに少しだけ笑いながら、冬里は台所へ向かった。冷凍庫の中には、ここへ来て直ぐ、室内を見回りながら入れておいたアイスを取り出す。かき氷タイプのものだ。

「いちご味と、ソーダ味と、レモン味! どれが好き?」
「……冬里は?」
「私はソーダ味が好きだよ」
「なら、いちご味にする」

 ソーダ味ではないのか。思わず冬里が瞬くと、加賀はいちご味のアイスを受け取りながら、「これで冬里はソーダ味が食べられるでしょ?」と笑った。
 つまりは遠慮してくれたらしい。そういったつもりで言ったのでは無い――のだが、既に加賀は蓋を開け、付属の木製スプーンでアイスを口元に運び始めている。そうしてから、小さく息を零すようにして笑った。

「冷たい。……甘くて」
「美味しいよね。ソーダ味も食べる?」

 声をかけて、冬里はソーダ味の蓋を開く。見せると、加賀は小さく頷いて、それから木製のスプーンを差し込んだ。そうして、また口元に寄せて食べ、そっと息を零す。

「こっちは……違う味がする」

 まるで初めて食べるような反応をする、と思いながら冬里は笑う。そうして二人でアイスを食べていると、不意に呼び鈴が鳴った。
 また誰だろうか。アイスをそっとテーブルの上に置き、冬里は「ごめんね」と謝罪を零してから、玄関口へ向かう。

「誰ですか?」

 扉を開くと、老年の女性が立っていた。見たことのある、と思って、近くに住む人だ、ということを直ぐに思い出す。女性は冬里を見ると「冬里ちゃん?」と声を僅かに震わせ、それからしわがれた指先で、冬里の肩を撫でた。それがなんだかくすぐったくて、冬里は肩をすぼませる。

「大きくなったねえ。覚えてる? 隣の……」
「もちろんです! ご無沙汰していて……すみません」
「いいや、さっきね、音がしたから。何かあったのかと思って来たんだよ」

 老婆は頬を持ち上げて笑う。窓を開けていることもあり、掃除機の音が恐らくは響いていたのだろう。

「掃除をしていて……すみません。あ、そうだ、今、小学生くらいの子が家に居て」
「小学生くらいの子? 迷子かね」
「多分……、掃除を手伝ってもらいがてら、家に居てもらっていて。ちょっと呼んできますね」
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