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しおりを挟むそろそろアイスを食べ終えている頃合いだろう。ずっと冬里の家に居るわけにもいかないし、近くのお婆さんであれば、加賀の家もわかるのではないだろうか。そうしたら、三人で一緒に家まで送り届けることが出来る。
冬里はすぐ、台所の方へ向かう。そうして、加賀くん、と名前を呼びかけた。
だが、先ほどまで椅子に座り、アイスを食べていた姿が、忽然と消えている。机の上には汗をかいたアイスが二つ残されていて、そのうちの一つ、いちご味の方は完全に中身が無くなっていた。
食べ終えたから帰ったのだろうか。どこから? 勝手口の方を覗いてみるが、鍵は閉まったままだ。庭園に面する窓から出て帰った可能性もあるが、だとすれば靴は。
首を傾げつつ室内を見回り、それから冬里は玄関に戻る。
「……居た、はず、なんですけど、居なくなっていて……」
何と言えば良いのか分からない。もそもそと言葉を口にすると、老婆は微かに瞬いて、それから小さく笑った。
「まあ、この辺りの子は、元気いっぱいやでね。そういうこともある」
冬里の疑問を吹き飛ばすように呵々と笑い、老婆はそれから「いつまでおるんかね?」と言葉を口にした。
「一応、夏一杯は居ようかなと思ってます」
「ははあ。なら、祭があるで、良かったら参加しなさいな」
「祭? ですか?」
「そう。聞いたこと、無い?」
無いような気がする。冬里は小さく首を振った。老婆は一つ頷くと、「お盆の時期にね、子どもが家を訪ねるんよ」と言葉を続け、「だから、お菓子を沢山用意しとかなあかんのよ」と言った。
脈絡が繋がっていないが、つまりは子どもが来るから菓子を用意しておけ、ということなのだろう。冬里は頷く。
「ありがとうございます」
「いいえ、いいえ、ああ、本当に懐かしいね。また困ったことがあったら、いつでも言いにおいで」
老婆が笑う。それに笑みを返しながら、冬里は去りゆく背中を見送った。そうしてから、ゆっくりと扉を閉める。
玄関には、靴が二足。冬里のものと、加賀のものだ。さて、居なくなってしまった少年に、どのようにして靴を届けるべきか――とぼんやり考えた瞬間、「冬里」と声がかかった。
冬里は思わず体を固くする。振り返ると、加賀が立っていた。黒い瞳を細め、冬里と視線を合わせると、口元をほころばせる。
「アイス。溶けちゃうよ」
「え……? あれ?」
いつのまに。と言うより、先ほど見た時はどこにも居なかったのに。思わず疑問がそのまま顔に出ていたのだろう、加賀は唇の端を持ち上げるようにして笑うと、「かくれんぼ、得意なんだ」と囁くように言う。
「ね。それより。アイス。食べよう。掃除も、まだだよね」
「え、えっと、その、大丈夫? 本当に。ご家族とか」
「大丈夫。夜まで、好きに過ごして良いって言われているから」
けれど、と冬里が言葉を続けようとした時、黒い瞳と目が合った。全てを侵していくような、漆黒とも言える瞳を見ていると、冬里の中に浮かんでいた疑問が、水泡のようにぱちりと弾けて消えていくような心地がする。
「――大丈夫。夜まで、好きに過ごして良いって言われているから」
「夜まで……」
「そう。夜まで。だから、それまでは、一緒だよ」
加賀は滔々と言葉を続け、そうして冬里の手を取った。ひやりとした感触に、僅かに背筋が粟立つ。少年にしては、体温が低い。低体温なのだろうか。
夜まで、一緒。紡がれた言葉を繰り返す。加賀が小さく頷いた。そうして、ふ、と唇の端を持ち上げるようにして笑う。少年が浮かべるのにふさわしくない、蠱惑的な魅力をたたえた笑みだった。
「冬里。ほら、一緒に」
歌うような、独特の節回しをつけた言葉だった。冬里はそのまま、誘われるように、加賀と共に台所まで向かった。
少しばかり溶けかけているアイスを食べ終え、それからまた、室内の掃除に取りかかる。人手が二つあることもあってか、冬里が思うよりも早く、室内は綺麗になった。
その頃になると、陽も落ちかけて、そろそろ夕暮れが近くなってきた。
「ごめんね、沢山手伝ってもらって。お礼……といってはなんだけど、差し出せるものがこれくらいしかなくて」
本来なら謝礼金を支払うべきだろうが、今は手持ちが少ない。そもそも、子どもに金銭を渡していいのかどうかすらもわからない。なので、冬里は持ち込んでいたペットボトルを差し出す。
加賀はぱちくりと瞬いた後、「ううん、大丈夫」と囁くように続ける。中性的な声音は、なんだか聞いていると少しばかり頭がくらくらする。
「でも、その代わりに、お願いがあるんだ。――良い?」
「お願い? 良いよ、なんでも。言って」
「明日も、来て良い?」
冬里は思わず瞬く。そうして、それから小さく頷いた。全く問題は無い。
「もちろん。良いよ。何か用意しておくね。ケーキとか、好き?」
「ケーキ。うん。好き」
少しばかりたどたどしく言葉を口にして、加賀は笑う。そうしてから、「明日も、いれてね」とだけ続けると、靴を履いた。冬里が扉を開くと、するりと隙間を縫うようにして外へ出て行く。
「送ろうか」
「大丈夫。それに、ううん、今は、来ちゃ駄目だから」
「今は……?」
「うん。今は――駄目」
加賀は囁くように言葉を続ける。そうして、冬里をじっと見つめて、そのままそっと手を伸ばしてきた。頬に触れ、喉に触れ、指先が離れていく。触れられた箇所がじんわりと冷えていくような、そんな心地がした。
「冬里。また、明日」
「うん。気をつけて帰ってね」
加賀が頷く。そうしてから、じっと冬里を見つめ、そっと唇の端を持ち上げて笑った。踵を返し、夕闇の中に去って行く背中を見つめる。曲がり角までせめて見つめていようとしたものの、瞬きの間にふ、とかき消えるようにして、加賀は消えてしまった。
まるで最初から、そこに居なかったかのように。そんな風に考えて、冬里は小さく笑う。子どもである。足も早ければ、足取りだって軽快だ。瞬きの間に居なくなってしまうことがあるから、迷子は生まれるのだ。
冬里は小さく頷いて、それからゆっくりと扉を閉めた。
明日も来る、と言っていた。なんだか、祖母の家の掃除に来て、幼い子どもと知り合うようになるなんて、と考えながら、笑う。
とりあえず、後で自分の家族に無事祖母の家に着いたことを連絡しよう、なんて考えながら、冬里はぐっと伸びをした。固まった背中が解れる音が耳朶を打った。
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