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転生先は乙女ゲームの世界でした
4.引っ越し
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父母を一度に亡くした私は、伯爵家の爵位を世襲することになった。
ただ、私があまりにも幼いこともあり、ある程度の時期までは、ミュートス辺境伯家に後ろ盾となってもらい、成人と同時に名実ともに家を継ぐ形となった――とは、タリオンおじさまの言である。
異論はなかった。
父母の葬式を滞りなく終え、私は実家から出ることになった。幼い子どもが一人で暮らすには、屋敷は広すぎる。それに使用人の多くは信頼のおける人達だが、それでも、子どもが相手であれば悪い気が起きてくる可能性もあるだろう。
そうなってしまったら悲惨なものである。成人するまでは、ミュートス辺境伯家で過ごすことになった。仕えていた人たちは、ミュートス辺境伯領に移り住み、私の身の回りの世話をするか、ここで契約を切るか、どちらかを選んで貰うことになった。
数日を置いてそれらの選択を行ってもらい、そうして――今日、実家から、数人の使用人と共に、私の部屋にあった荷物がやってきた。
馬車によって持ち込まれた家財が、少しずつ家の中へ運び込まれていく。ここを好きに使って欲しい、と与えられた部屋にそれらの家財を設置して、ようやく一息をついた。
クローゼットや、本、雑貨の類いは使用人が元あったところにきっちりと収めてくれたので、私のすることなんてほとんど無い。頼んでおいた品物がきちんと持って来てもらえたかを確認するくらいである。
まずクローゼットを開く。中にはいくつかのドレスと、室内着として使用していた衣類が収まっている。ふわふわとしたモスリンの寝間着は、私のお気に入りだ。母が、これはメルに似合う! なんて言って、衝動買いにちかいことをしていたものだ。
柔らかな手触りの布が綺麗に縫い止められて、柔らかな形を描いている。今日から寝る時はこれを着るのも良いかもしれない。
日用品や衣類の他には――魔法書の類いや、魔法道具なんてものも、持って来てもらった。
魔法は、一通りの生活魔法と、それと私の得意なもの――治癒魔法である癒術を、父母に習っていた。
私の父母は、一流の治癒術士だったのだ。元々地方の貴族ではあったのだが、二人して大変な治癒魔法の才能があったから、沢山の人を助けて回っている内に、皇帝から伯爵の爵位を頂くことになった。
地位は高くなっても、することは変わらないから。そう言って笑っていた二人のことを思い出す。
――私の体には、一つも傷がついていないらしい。ケガも無い。あんな、崖から放り出されたにも関わらず、である。
その理由を、なんとなく、私は察することが出来る。
私のケガも、傷も、おそらく父母が全身全霊をかけて、治してくれたのだ。二人で私をぎゅうっと抱きしめて、守りながら。
することは変わらない。助けられる人を、助ける。
父母の言葉を思い出す。私は魔法書の表面を指先で撫でて、それから小さく頷いた。
確認から程なく経つと、様子を見にリュジとカイネがやってきた。私の部屋を見て、「まるで遊びに行ったときと同じだね」とカイネが笑う。
「メルの部屋だ。うん、凄く素敵だと思う」
「なんだか、その、大きな部屋を貰っちゃったみたいで。ごめんなさい」
「メルが使わなかったら、誰にも使われなかった部屋かもしれないし、気にしなくていいだろ。それに――」
リュジは窓の外へ視線を向けてから、ゆっくりと私を見る。
「ここは俺の部屋とも、兄上の部屋とも近いし。何かあった時、いつでも来て良いからな」
「そうだね。寂しいときや、悲しくなったとき。嬉しいときでも良いよ。いつでもおいで」
カイネが薄く微笑む。手を伸ばしてきて、彼は私の頭にそっと触れた。そうして、髪を梳くように指先を動かして、照れたように笑う。
「……妹が出来たら、こうやって、頭を撫でるのとか、してみたかったんだ」
「今までもしていただろ。俺にも、メルにも」
「そうだけれど。少し心構えが違うよ。メルは女性だから、触れて嫌がられたら私は死んでしまうかもしれない。けれど妹だったら、家族という建前があるから、存分に触れても許されるからね」
カイネは軽く胸を張る。挙動にそって、銀色の髪がさらさらと流れるように動くのが見えた。まるで神様みたいに美しい容姿をしている。そう思うのは、私だけでは無いらしく、カイネは私……メルと初めて出会った時から「創世神エトルのご寵愛を受けた子」、通称――星の子、と呼ばれていた。
「……兄上。俺も、撫でたい」
「それは私じゃなくて、メルに聞かないと」
「メル。撫でるからな」
有無を言わさず、リュジの手が伸びてくる。彼は私の頭を優しく二度、三度と手の平で往復すると、小さく笑った。
少しだけくすぐったい。やり返すように手を伸ばして、私はリュジの頭を撫でる。カイネに視線を向けると、意図を悟ったのだろう、彼はすぐに腰を落として、私に頭を向けてきた。
少しだけくせっ毛な、リュジの髪。そして、さらさらとしたカイネの髪。異なる手触りがとても心地良い。
三人でわあわあと楽しく遊んでいると、不意に扉がノックされた。手を離して、どうぞ、と声をかける。
使用人の一人が、失礼いたします、と声をかけてから私を見た。老成した男性だ。何度も見かけたことがあるから、恐らくここに長く務めている人なのだろう。
「メル様。ミュートス辺境伯タリオン様がお呼びです」
「辺境伯が? 何の用でしょうか」
「――ミュートス辺境伯トゥーリッキ様が帰ってきたから、挨拶せよ、とのことです」
トゥーリッキ様は、カイネと、リュジのお母さんの名前だ。普段は不在がちで、時折思い出したように帰ってくる。そういうこともあって、私もあまり顔を合わせたことがない。
私の両親も、仲が良いのはタリオンおじさまと、であり、あまりトゥーリッキ様と話している所を見た覚えが無かった。
「わかりました。すぐ行きます」
流石に、この家に住まわせてもらう手前、何の挨拶もせずに居るというわけにはいかないだろう。頷いて返すと、私の近くに立っていたリュジがびくりと肩を揺らした。見ると、視線を僅かにうろつかせているのが見える。カイネも少しだけ表情を緊張させていた。……いつにない様子だ。
「……どうしたの、二人とも」
使用人が去ると同時に二人に声をかける。リュジは小さく首を振って、「母上は」と囁き、言葉を詰まらせた。それ以上、何を言えば良いのかわからない、というような顔をしている。
不安に思ってカイネにも視線を寄せるが、先ほどと表情に変わりが無い。カイネは少しだけ考えるような間を置いた後、軽く首を振り、「母上は、色々と……その、激しい人だから」と続ける。
「何もされないとは思うけれど、どうか気をつけて」
「……」
「母親に対しての言葉では無いと思うけれど、そうとしか言えないんだ。……ごめんね。ついて行ければ良かったのだけれど、私やリュジが呼ばれても居ないのに行けば、恐らく不興を買うだろうから」
そうなったら、きっと酷い目に遭う。
そう続けてカイネは口を閉ざした。そうして直ぐ、慌てたように表情を緩める。
「不安にさせてしまったね。ごめん。大丈夫だよ、普通に接すれば問題無いはずだ」
「……わ、わかりました」
そう言われると逆に不安になってくるのだが。実の息子二人に大変な言われようだが、一体どんな人なのだろうか。
首を傾げつつ、私はタリオンおじさまの部屋へ向かう。ノックをすると答えがあった。失礼致します、と声をかけてから扉を開けると、中にはタリオンおじさまと、もう一人、女性が立っていた。
黒髪、そして薄い茶色の瞳。濃い彩りのドレスで飾った体は痩躯で、すらりとしていた。大変な美貌の持ち主だった。けれど、そこには親近感の一欠片も存在しない。ただひたすら、氷のような冷たさを讃えている。
身長はタリオンおじさまより、少しだけ、低い。ひやりとした目元は、外界の何もかもを拒絶しきっているようにも見えた。ほとんど温度の無い、同じ人間に向けるには適さないような――そんな視線。
私が恐らく『異物』だから、こういう視線でけん制されているのかもしれない。僅かに躊躇いが心に浮かんで、すぐに握りつぶす。
じっと見つめているわけにもいかないので、私は足をゆっくりと引き、カーテシーを行う。
相手が自己紹介をしたら、こちらからも言葉を返すことが出来る。トゥーリッキ様からの言葉を待つ。
彼女は私のカーテシーの仕草をじっと見つめた後、「――名前は?」とだけ告げた。私は中腰の姿勢を取ったまま、言葉を続ける。
「父に代わり、カタラ伯爵を代表してご挨拶いたします。メル・カタラと申します」
「そう」
返事はそれだけだった。トゥーリッキ様は私を一瞥すると、椅子へ腰をかける。こちらを見つめる瞳は低い温度を保ったままだ。それだけで、私と関わりを持つつもりもないことが、なんとなく察せられる。
「――トゥーリッキ、メルは天涯孤独になってしまった。以前も手紙を飛ばしたが、成人するまでは私たちの家で預かろうと考えている」
タリオンおじさまが、椅子に座ったままのトゥーリッキ様へ声をかけた。トゥーリッキ様は、もう私には興味をなくしたようで「そうですか」とだけ続ける。
「私は別に、問題ありません」
「……そうか。……メル、大変なところを呼びつけて悪かったね。部屋に戻るといい」
「はい。――それでは失礼致します」
ゆっくりと腰を下げ、私はもう一度礼を取ってから、その場を後にする。
扉を閉めて、少し離れてから小さく息を吐いた。
リュジとカイネが色々と言うから不安だったが、見た目はとても普通の人だった。
眼差しが冷たいことと、こちらに一切の興味を持ち合わせていないことをあからさまにしていたこと、以外は。
ちょっと不安と緊張を持ちすぎていたかもしれない――と思うけれど、それと同じくらい、リュジとカイネが心配するくらいの何かを、まだ私が見ていないだけなのかもしれないとも思う。
なんにせよ、ここに住むことをトゥーリッキ婦人にも許可を頂けたわけだし、当分の間はトゥーリッキ婦人との接触は控えめにしつつ、今世、そして前世の記憶を頼りに、過ごしていくことにしよう。
頭の中でこれからのことを整理しつつ、私は小さく息を吐く。廊下に面した窓から、外の風景が見て取れた。稜線に沈む太陽が、ちかちかと目に眩い。
私はここで生きていく。
助けられる人を助ける。父母の教えを胸に、私は足を速めた。
――悪役令息として処刑されるリュジと、謀殺されてしまうカイネが待つ、私の部屋まで。
ただ、私があまりにも幼いこともあり、ある程度の時期までは、ミュートス辺境伯家に後ろ盾となってもらい、成人と同時に名実ともに家を継ぐ形となった――とは、タリオンおじさまの言である。
異論はなかった。
父母の葬式を滞りなく終え、私は実家から出ることになった。幼い子どもが一人で暮らすには、屋敷は広すぎる。それに使用人の多くは信頼のおける人達だが、それでも、子どもが相手であれば悪い気が起きてくる可能性もあるだろう。
そうなってしまったら悲惨なものである。成人するまでは、ミュートス辺境伯家で過ごすことになった。仕えていた人たちは、ミュートス辺境伯領に移り住み、私の身の回りの世話をするか、ここで契約を切るか、どちらかを選んで貰うことになった。
数日を置いてそれらの選択を行ってもらい、そうして――今日、実家から、数人の使用人と共に、私の部屋にあった荷物がやってきた。
馬車によって持ち込まれた家財が、少しずつ家の中へ運び込まれていく。ここを好きに使って欲しい、と与えられた部屋にそれらの家財を設置して、ようやく一息をついた。
クローゼットや、本、雑貨の類いは使用人が元あったところにきっちりと収めてくれたので、私のすることなんてほとんど無い。頼んでおいた品物がきちんと持って来てもらえたかを確認するくらいである。
まずクローゼットを開く。中にはいくつかのドレスと、室内着として使用していた衣類が収まっている。ふわふわとしたモスリンの寝間着は、私のお気に入りだ。母が、これはメルに似合う! なんて言って、衝動買いにちかいことをしていたものだ。
柔らかな手触りの布が綺麗に縫い止められて、柔らかな形を描いている。今日から寝る時はこれを着るのも良いかもしれない。
日用品や衣類の他には――魔法書の類いや、魔法道具なんてものも、持って来てもらった。
魔法は、一通りの生活魔法と、それと私の得意なもの――治癒魔法である癒術を、父母に習っていた。
私の父母は、一流の治癒術士だったのだ。元々地方の貴族ではあったのだが、二人して大変な治癒魔法の才能があったから、沢山の人を助けて回っている内に、皇帝から伯爵の爵位を頂くことになった。
地位は高くなっても、することは変わらないから。そう言って笑っていた二人のことを思い出す。
――私の体には、一つも傷がついていないらしい。ケガも無い。あんな、崖から放り出されたにも関わらず、である。
その理由を、なんとなく、私は察することが出来る。
私のケガも、傷も、おそらく父母が全身全霊をかけて、治してくれたのだ。二人で私をぎゅうっと抱きしめて、守りながら。
することは変わらない。助けられる人を、助ける。
父母の言葉を思い出す。私は魔法書の表面を指先で撫でて、それから小さく頷いた。
確認から程なく経つと、様子を見にリュジとカイネがやってきた。私の部屋を見て、「まるで遊びに行ったときと同じだね」とカイネが笑う。
「メルの部屋だ。うん、凄く素敵だと思う」
「なんだか、その、大きな部屋を貰っちゃったみたいで。ごめんなさい」
「メルが使わなかったら、誰にも使われなかった部屋かもしれないし、気にしなくていいだろ。それに――」
リュジは窓の外へ視線を向けてから、ゆっくりと私を見る。
「ここは俺の部屋とも、兄上の部屋とも近いし。何かあった時、いつでも来て良いからな」
「そうだね。寂しいときや、悲しくなったとき。嬉しいときでも良いよ。いつでもおいで」
カイネが薄く微笑む。手を伸ばしてきて、彼は私の頭にそっと触れた。そうして、髪を梳くように指先を動かして、照れたように笑う。
「……妹が出来たら、こうやって、頭を撫でるのとか、してみたかったんだ」
「今までもしていただろ。俺にも、メルにも」
「そうだけれど。少し心構えが違うよ。メルは女性だから、触れて嫌がられたら私は死んでしまうかもしれない。けれど妹だったら、家族という建前があるから、存分に触れても許されるからね」
カイネは軽く胸を張る。挙動にそって、銀色の髪がさらさらと流れるように動くのが見えた。まるで神様みたいに美しい容姿をしている。そう思うのは、私だけでは無いらしく、カイネは私……メルと初めて出会った時から「創世神エトルのご寵愛を受けた子」、通称――星の子、と呼ばれていた。
「……兄上。俺も、撫でたい」
「それは私じゃなくて、メルに聞かないと」
「メル。撫でるからな」
有無を言わさず、リュジの手が伸びてくる。彼は私の頭を優しく二度、三度と手の平で往復すると、小さく笑った。
少しだけくすぐったい。やり返すように手を伸ばして、私はリュジの頭を撫でる。カイネに視線を向けると、意図を悟ったのだろう、彼はすぐに腰を落として、私に頭を向けてきた。
少しだけくせっ毛な、リュジの髪。そして、さらさらとしたカイネの髪。異なる手触りがとても心地良い。
三人でわあわあと楽しく遊んでいると、不意に扉がノックされた。手を離して、どうぞ、と声をかける。
使用人の一人が、失礼いたします、と声をかけてから私を見た。老成した男性だ。何度も見かけたことがあるから、恐らくここに長く務めている人なのだろう。
「メル様。ミュートス辺境伯タリオン様がお呼びです」
「辺境伯が? 何の用でしょうか」
「――ミュートス辺境伯トゥーリッキ様が帰ってきたから、挨拶せよ、とのことです」
トゥーリッキ様は、カイネと、リュジのお母さんの名前だ。普段は不在がちで、時折思い出したように帰ってくる。そういうこともあって、私もあまり顔を合わせたことがない。
私の両親も、仲が良いのはタリオンおじさまと、であり、あまりトゥーリッキ様と話している所を見た覚えが無かった。
「わかりました。すぐ行きます」
流石に、この家に住まわせてもらう手前、何の挨拶もせずに居るというわけにはいかないだろう。頷いて返すと、私の近くに立っていたリュジがびくりと肩を揺らした。見ると、視線を僅かにうろつかせているのが見える。カイネも少しだけ表情を緊張させていた。……いつにない様子だ。
「……どうしたの、二人とも」
使用人が去ると同時に二人に声をかける。リュジは小さく首を振って、「母上は」と囁き、言葉を詰まらせた。それ以上、何を言えば良いのかわからない、というような顔をしている。
不安に思ってカイネにも視線を寄せるが、先ほどと表情に変わりが無い。カイネは少しだけ考えるような間を置いた後、軽く首を振り、「母上は、色々と……その、激しい人だから」と続ける。
「何もされないとは思うけれど、どうか気をつけて」
「……」
「母親に対しての言葉では無いと思うけれど、そうとしか言えないんだ。……ごめんね。ついて行ければ良かったのだけれど、私やリュジが呼ばれても居ないのに行けば、恐らく不興を買うだろうから」
そうなったら、きっと酷い目に遭う。
そう続けてカイネは口を閉ざした。そうして直ぐ、慌てたように表情を緩める。
「不安にさせてしまったね。ごめん。大丈夫だよ、普通に接すれば問題無いはずだ」
「……わ、わかりました」
そう言われると逆に不安になってくるのだが。実の息子二人に大変な言われようだが、一体どんな人なのだろうか。
首を傾げつつ、私はタリオンおじさまの部屋へ向かう。ノックをすると答えがあった。失礼致します、と声をかけてから扉を開けると、中にはタリオンおじさまと、もう一人、女性が立っていた。
黒髪、そして薄い茶色の瞳。濃い彩りのドレスで飾った体は痩躯で、すらりとしていた。大変な美貌の持ち主だった。けれど、そこには親近感の一欠片も存在しない。ただひたすら、氷のような冷たさを讃えている。
身長はタリオンおじさまより、少しだけ、低い。ひやりとした目元は、外界の何もかもを拒絶しきっているようにも見えた。ほとんど温度の無い、同じ人間に向けるには適さないような――そんな視線。
私が恐らく『異物』だから、こういう視線でけん制されているのかもしれない。僅かに躊躇いが心に浮かんで、すぐに握りつぶす。
じっと見つめているわけにもいかないので、私は足をゆっくりと引き、カーテシーを行う。
相手が自己紹介をしたら、こちらからも言葉を返すことが出来る。トゥーリッキ様からの言葉を待つ。
彼女は私のカーテシーの仕草をじっと見つめた後、「――名前は?」とだけ告げた。私は中腰の姿勢を取ったまま、言葉を続ける。
「父に代わり、カタラ伯爵を代表してご挨拶いたします。メル・カタラと申します」
「そう」
返事はそれだけだった。トゥーリッキ様は私を一瞥すると、椅子へ腰をかける。こちらを見つめる瞳は低い温度を保ったままだ。それだけで、私と関わりを持つつもりもないことが、なんとなく察せられる。
「――トゥーリッキ、メルは天涯孤独になってしまった。以前も手紙を飛ばしたが、成人するまでは私たちの家で預かろうと考えている」
タリオンおじさまが、椅子に座ったままのトゥーリッキ様へ声をかけた。トゥーリッキ様は、もう私には興味をなくしたようで「そうですか」とだけ続ける。
「私は別に、問題ありません」
「……そうか。……メル、大変なところを呼びつけて悪かったね。部屋に戻るといい」
「はい。――それでは失礼致します」
ゆっくりと腰を下げ、私はもう一度礼を取ってから、その場を後にする。
扉を閉めて、少し離れてから小さく息を吐いた。
リュジとカイネが色々と言うから不安だったが、見た目はとても普通の人だった。
眼差しが冷たいことと、こちらに一切の興味を持ち合わせていないことをあからさまにしていたこと、以外は。
ちょっと不安と緊張を持ちすぎていたかもしれない――と思うけれど、それと同じくらい、リュジとカイネが心配するくらいの何かを、まだ私が見ていないだけなのかもしれないとも思う。
なんにせよ、ここに住むことをトゥーリッキ婦人にも許可を頂けたわけだし、当分の間はトゥーリッキ婦人との接触は控えめにしつつ、今世、そして前世の記憶を頼りに、過ごしていくことにしよう。
頭の中でこれからのことを整理しつつ、私は小さく息を吐く。廊下に面した窓から、外の風景が見て取れた。稜線に沈む太陽が、ちかちかと目に眩い。
私はここで生きていく。
助けられる人を助ける。父母の教えを胸に、私は足を速めた。
――悪役令息として処刑されるリュジと、謀殺されてしまうカイネが待つ、私の部屋まで。
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