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37.どら焼き
しおりを挟むすごいことに気付いてしまった。
「わたくし、レイさまのことが好きみたい……いえ、前から好きだったけど。なんていうか、違うのよ、違うの。わかる?」
べイエレン公爵家の図書室の窓から眺める景色は今日も澄み渡る青空だ。
明るい南向きの窓の前には机と椅子がある。
実家にいたときは、ここがマイナの居場所だった。
机の上に両肘を置いて顎をのせてぼんやりしていると、窓から風が吹いてきて気持ちがよかった。
中央部分には丸いテーブルがあり、そちらはお茶を飲むときに使用している。
広くて居心地のいい図書室である。
「んー。あんまり変わんないっすねー」
図書室の入り口に立っているカールは、錆色の癖毛をいじっており暇そうだ。
「はー。お前に言ったのが間違いだったわ」
「舐めてもらっちゃ困ります! これでもお嬢より場数こなしてるんで!」
「何よ、場数って!?」
「職務中に何言わせるんですか! コレですよ、コレ」
「どこのオジサンよ! やめなさいよ、その小指!!」
パタンと音を立てて本を閉じた。
全く文字が頭に入らない。
カールはそばかすの散った頬をキュッと持ち上げて「まぁでも、お嬢にしては上出来っすね」なんて生意気なことを言って胸をそらせた。
「やっぱりカールを連れて行くのやめるわ。お父さまのところへ行って訂正してこよう」
立ち上がって扉まで走って扉を開けた。
「待ってくださいー!! ごめんなさいー!! 連れてってくださいー!!」
齧り付いてくるカールを押し退けていたら、ニコが疲れた顔をして戻ってきた。
とりあえず一緒にお茶を飲もうと説得して丸テーブルに着いた。
ニコは就業中なのでものすごく抵抗されたけれど、最後は強制である。
今日は、ニコとヨアンの補佐をするメイドと護衛を実家で面接しているのだ。
遊園地から帰って来て疲れているのに、早い方がいいとニコとヨアンが叫ぶので渋々了承して今に至る。
確かにもう一人ずつぐらいマイナ陣営がいないと休暇が取れなくて困るだろう。
ニコの疲労がそれを物語っている。
そして人選は、ニコとヨアンにまるっとお任せしたのだが。
「申し訳ありません。希望者が多すぎて時間がかかってしまいまして」
「ニコが納得するまで待つわよ。今日はちゃんとレイさまに伝えてから来てるから大丈夫よ。それより、ヨアンに護衛を選び直すように言ってきてくれない?」
「カール、あなたまたマイナさまを揶揄ったわね?」
「違います、お嬢があんまりにも可愛いことを言うから!!」
「なんですか、可愛いことって」
ニコの目が怖い。
カールの胸ぐらを掴む勢いで聞いているのは何故だ。
「レイさまのことがちゅきって」
「そんな言い方してない!! してないからね? ニコ、しっかりして!! 寝不足であなたちょっと表情とか色々おかしいわよ!?」
まあ! みたいな顔をして頬を染めてマイナを見ている。
まあ! じゃないんだよー!!
「学園の女子でさえ、いまどきもっと擦れてますよー。かーわいー」
「うるさい!! お前ではタルコット公爵家では無理よ!!」
「僕はやればできる子なんで大丈夫です。ヨアン先輩も僕の耳は頼りになるって言ってましたから」
ふふん、と胸をそらすのでマイナは叫んだ。
「ヨアーン!!」
ひと呼吸おいてから、ヨアンが音もなく現れた。
さすがである。
「カールは失格よ、他の子にして」
「えー!? 何したの!?」
図書室の扉から中をのぞくヨアンは困り果てた顔をしていた。
カールは「何もしてませーん。お嬢が可愛かっただけでーす」としれっと答えた。
「マイナさまが可愛いのはみんな知ってるよ、何したの?」
「お嬢がレイさまちゅきって言ってたんでー、ニコ先輩と可愛いねって話を」
「だからそんな言い方してない!!」
「ちょっと、あなた私を巻き込まないでよ!!」
ニコも憤慨している。
(いや、二コも結構アレな表情してたけどな?)
「ニコと何を話したって?」
「えええええ、ヨアン先輩怖い。お嬢助けて!!」
「お嬢なんて呼んでるうちは来させないわよ!? わかった!?」
「わかりました!! 絶対行きたいんで頑張ります!! 二度とマイナさまのことをからかったりしません」
「やっぱり、からかったんじゃない!!」
ぷりぷりしながら厨房へ行き、どら焼きを作ることにした。
それはもうたくさん皮を焼いたので、べイエレン公爵家のシェフたちは餡子作りに追われた。
(甘さ控えめ目でありながら、そこそこの日持ちを目指すという長い闘いを経て、べイエレン公爵家のシェフは和菓子職人みたいになったわね!)
お妙さんは料理が上手すぎた。
再現がえげつないほどの労力になることがある。
餡に加える砂糖の量は同じなはずなのに、なかなか同じにならなかった。
(餡子は職人技なんだよねぇ)
マイナは昔から生地担当である。
小麦粉と重曹と卵とはちみつとみりんで作り、せっせと焼いていく。
粗熱が取れた生地に餡子を挟む瞬間が一番楽しい。
(デベソ国でどら焼き屋さん開こうかな……でも職人を育てて商売が成り立つレベルに仕上げるのは大変そうだなぁ。その間に私が懐妊でもしようものなら……って、何を考えてるの私ってば!! 懐妊って!!)
脳内は忙しない。
もしかするともしかして両想いかもしれないなどと浮足だったことを考えたりもする。
(煩悩って怖いわ)
気付けば大量のどら焼きが出来上がっていた。
* * *
「という訳で、出来上がったのは大量のどら焼きだけで、まだメイドは決定してないの」
大量のどら焼きを持って帰宅をし、レイと一緒に緑茶を飲みながらどら焼きを食べている。
生地に餡子が馴染んで美味しい。
しっとりしていて、ほんのり甘く香ばしい。
「メイドのことは急がなくていいよ。ニコと相性がいいメイドが来るといいね。護衛はカール?」
レイはあっという間にどら焼きを食べ終えて涼しい顔をして緑茶を飲んでいた。
マイナの部屋でどら焼きを食べているシチュエーションが何だか面白い。
「不本意だけどカールですね。ヨアンがどうしてもって言うから……レイさま、せっかくのお休みだったのに一人にしちゃってごめんね」
どうせ決まらないのであれば、一緒にいたかった。
せめて一緒に行こうと誘ったけれど、やりたいことが何かあったようで断られたのだ。
(一人になって空を見ていたら、お陰でレイさまのことを好きだって気付いてしまったのだけれど……)
どこの詩人だ、と言われそうだが事実である。
「いや、この屋敷内も人員に動きがあったからね。昼は執務室で仕事をしていたから付き合えなくてごめんね? でもやっぱりマイナがいなくて寂しかったよ」
自然に腰を抱くレイにドキドキしているのに、ドキドキしていないかのような顔をしなければならなかった。
ややこしい。
(なんで隠さなきゃいけないんだっけ?)
レイのことを好きだと自覚した今、それを隠す必要があるのだろうか?
(うーん、わからない。時々自分でもわからない感情が吹き上がるんだけど、この胸のつかえは本当に何なの?)
「どうしたの?」
食べ終え、緑茶で喉をすっきりさせたマイナはレイの言葉に首を傾げる。
「なんでもないよ」
「なんでもないなら……いい?」
(あぁ、そうか。どら焼きからの流れでもそういうことができるのか……レイさまってすごいな)
流れるような動作でごく自然に交わされるキスに、マイナはうっとりと目を閉じるのであった。
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