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ハリエットが十八歳、ユリアが十六歳になったときのことである。
領地へ帰る父と王立学園へ登校するハリエットを見送り、家庭教師が来るまでの時間、趣味の編みぐるみを作ろうとしていたときのことだった。
「ユリアが妃になるべきよ」
ノックもせずに入ってきた母が唐突に切り出した。
母は、初めて見る顔をしていた。
何かに取り憑かれたような、正気とは思えない顔色だった。
「お姉さまほど妃に向いている方はいないと思いますが?」
「まさか。わたくし譲りのその美貌。ユリアこそ妃に相応しいわ。今から王立学園に通いなさい。そしてアントニー殿下に近づき、誘惑するのです」
「誘惑!? 何を仰っているんですか? 殿下に近付いたところでどうにもなりませんよ?」
嘘だ。ユリアは知っている。
本来であれば学園へ入学し、三年生のアントニーに近づいている時期だ。
入学したばかりのハリエットの妹を、アントニーは無下にできない。
アントニーは何度も訪ねてくるユリアに最初こそ戸惑いを見せるが、そのうちユリアが訪ねてくるのを楽しみに待つようになる。
それを知っているユリアは、アントニーとの接触を避けるために父に頼み込み、入学を一年遅らせてもらっていた。一年間は家庭教師をつけてもらい、編入試験を受けて二年生から入学する予定だ。
「入学の手続きは済ませてあります。すぐに準備なさい」
「編入試験を受けていないので入れません」
「そんなものはお金でどうとでもなります」
母は背筋が凍るような薄ら笑いを浮かべていた。
母の侍女が学園の制服をユリアに着せようとしてくる。
「やめて!! お父さまにも来年からでいいと言われてるのよ!?」
母の侍女は顔色一つ変えず、ユリアのドレスを脱がそうとしてくる。
「必ずアントニー殿下を誘惑して妃となるのですよ?」
「嫌!! 絶対に嫌!! そんなことに何の意味があるの!?」
「意味? ユリアまでそんなことを。わたくしの尊き血を王家に繋いでこそ、わたくしが生きている意味があるというもの」
「お父さまがこんなこと許すはずない!!」
「あんな腑抜けた男のことなど、語る価値もない」
「なんでそんな酷い言い方を。昨日だって楽しそうに笑ってたのに!! お母さまはお父さまのことが好きじゃないんですか?」
「好き? ハッ、くだらない。ヨルン王国の王女として生まれたわたくしが、なぜあんな男のことなど。婚姻ですら腹立たしかったというのに。終戦の証としてこの国に嫁いだわたくしの恨みなど、お前にわかるものですか。せめて王妃であれば怒りも収まるものを。この国はわたくしの尊厳を踏みにじったのです。妻を亡くした男がいるから嫁げと。公爵位ぐらいが丁度いいと。小国のくせに舐めたことを!! わたくしは、こんな辱めを受けるために生きてきたわけではなくってよ!!」
母の怒りはユリアの想像を超えていた。
ずっと母の顔色は窺ってきたはずなのに、何一つ見えていなかった。
ヨルン王国と我がマルメ王国が国境で長らく争っていたことは知識としては知っている。辺境領は甚大な被害があり、終戦となった日は国中が喜んだ。しかし、どれもユリアの生まれる前の話で、それを身近に感じることはできなかった。
(お母さまがヨルン王国の第二王女だったのは知ってたけど……)
我が家では戦争の話はタブーだ。
元敵国同士の結婚。
光の届かない深淵へ沈めた感情は、家族を守るためだったはず。
(私は絶対にアントニー殿下を誘惑なんてしない)
母は終戦の証と言ったが、それは友好の証でもある。
第二王子の婚約者の座に無理やり収まった原作のユリアは両国の顔に泥を塗ったことになる。
もはや我が家の不仲の問題ではない。
ユリアは腕を掴んでいた侍女の腕を引っかき、彼女が怯んだ瞬間、部屋を飛び出した。
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