11 / 25
11. マルガリータの恋
しおりを挟む「姫様、旦那様が……、いえ、オリヴェル様が門の前にいらしてるそうです!!」
「絶対に入れないで、わたくしはイグナート様に連絡をするから」
侍女のカーラが頷いて部屋を出ていく。外でオリヴェルが門番と言い争うような声が聞こえる。窓を開ければ何を言っているのかはっきりするのだろうけれど、そんな気にはなれない。
通信用の魔石を取り出し、イグナートに連絡を入れた。
『どうしました?』
『門の前にオリヴェルが来てるの』
『すぐ向かいます』
通信の切れた魔石を握り締めてベッドに潜り込んだ。嫌でも身体が震える。
世間ではじゃじゃ馬姫なんて呼ばれているけれど、本当は怖がりで気が小さい。マルガリータの本性を知っているのは侍女と護衛、父と兄。それからイグナートと――今は亡き、リズだけ。
父がオリヴェルとの婚約を継続させた一番の理由は、マルガリータでは他国の妃が務まらないからだった。
アティーム国で美しいとされる下膨れは、他国では醜いと言われているから。
他国を知る者なら誰でも知っていることだ。口に出さないだけ。
マルガリータが他国へ嫁げば、間違いなくお飾りの妃になるだろう。
本来気の小さいマルガリータが、味方のいない他国で醜女であることを突き付けられ、冷遇されればどうなるか。父はさすがによくわかっていた。
それでも、国内でもっとマシな男はいなかったのかと思うだろうが、いなかった。つり合いの取れる年齢と家格の男が。
王侯貴族の女性が結婚しないなど有り得ないお国柄だ。抵抗はしてみたけれど、オリヴェルと結婚するしかなかったのは自分でもわかっていた。
一度でも結婚すれば寡婦ということで人の目は変わるが、それも死別のみという厳しさ。これでは離縁する貴族女性など出てこないのも無理はない。家の体面を保つために周りから反対されてしまうからだ。
婚姻し、下膨れの子どもを生み育てよ、という理念が、この国の根底にある。
長らく未婚だったアドラは、貴族から軽蔑されていた。しかし、男爵家の庶子であるがゆえに貴族としての責務から遠かったのが幸いだったのだろう。オリヴィアが茶髪に黒目の下膨れだったことから逆に称讃されるようになった。どんなに矛盾しているように思えても、それがこの国の現実だ。
そして、マルガリータの夫であるオリヴェルの見目は、貴族や民から絶大な人気があった。中身は驚くほど屑なのに、ひとたび微笑めば女性からは称讃の声しか上がらない。
オリヴェルは、他に嫁ぎ先の無いマルガリータの事情を十分理解した上で自由を謳歌していた。手当たり次第女に手を付け、孕ませ、放置した。
気まぐれに手を付けられ、行き先を無くした女性や子供を保護し、然るべき場所へ送り届けていたのはマルガリータだった。必要な物を買い、いくらかお金を持たせ、暮らせる場所を探した。多くは修道院に頼ったが、中には働きながら子供を手放さずに育てる女性もいた。
公爵としての仕事をこなしながら、日々蓄積していく疲労とストレスに、このまま死ぬのかもしれないと、心の奥底で考えた。なんとか踏ん張っていられたのはイグナートとリズが支えてくれたから。
結婚して八年経った頃、ようやくオリヴェルが実家のデュナン侯爵家の説得により、避妊用の魔石を持つようになった。
遅すぎるのだが、それでも望まれない子どもの行く先を心配しなくてよくなったことに安堵した。
こんな有様でも、オリヴェルにいいようにされてしまう女性が後を絶たなかったのは、やはり彼が黒髪黒目の下膨れだからだろう。
茶髪が至高と言われながらも、黒髪の希少さもまた神聖視されているから。
オリヴェル似の黒髪黒目の子どもを授かった女性は、貴族や商家などに子どもを養子に出したりして、裕福になった人もいる。
そこからあぶれてしまった子供たちの行き先だからこそ悩ましく、時には国外の修道院へ送ることもあった。
「ようやく、離縁できたのに」
毛布をかぶっても震えが止まらなかった。
結婚生活は、気まぐれにマルガリータと寝所を共にしようとするオリヴェルとの闘いでもあった。
もちろん初夜からである。
あれだけの女性と寝ていて、病気を持っていないとは思えず、儀礼的に必要な初夜も吐き気がして無理だった。
あの頃は護身用の魔石が無く、護衛が交代で扉を守ってくれた。よって、マルガリータは夫婦の寝室など一度も使ったことがない。左右に扉が付いている部屋では怖くて眠れない。
あの男にいいようにされるぐらいなら死んでやろう。
そう思い、短剣を抱いて寝ていた。
鞘に入っていると直ぐに刺せないと思い、抜き身で抱いて寝ようとしたらカーラに怒られたのでやめたけれど。
いつ死んでもいいと思っていた。
政略結婚に必要な信頼さえ築けない。もちろんそれは、オリヴェルを受け入れない自分のせいでもある。
だからせめて、傷ついた子どもや女性を助けたかった。助けることで罪を償っているような気持ちにもなっていた。
そんな日々を過ごして十数年、エルメルトに出会い、事情を知った彼に魔石を贈られた。
愚かなことに、魔石を得たことですっかり安心してしまっていた。
三十を超えたマルガリータにオリヴェルが興味を無くしたように思えたから。
けれども。
離縁書にサインという、その日。
最後だから人払いしてくれと言われ、梃子でも動かない様子だったので仕方なく護衛と侍女を退出させた。
オリヴェルは魔石の効果を無効にする、魔道具のブレスレットをつけていた。
押さえ込まれ、動けず、突然の暴挙に声も出なかった。
擦れるような音に不安を覚えたカーラが扉を少し開け、肌を暴かれているマルガリータを見て悲鳴を上げた。すぐに護衛がオリヴェルを取り押さえ、事なきを得たけれど。
震える手でイグナートを呼び、そのまま意識が遠のいていった。
後日、オリヴェルの実家を通して離縁書が届けられ、私たちはようやく別れることができたのだ。
「マルガリータ様! 姫!! ご無事ですか!!」
「イグナート様、中へ」
イグナートとカーラの焦ったような声が聞こえた。
いつの間にか少し眠っていたらしい。嫌な汗をかいてはいたけれど、手の震えは止まっていた。
「失礼」
そう言ってイグナートは扉を開けて室内に入ると、ベッド脇で跪いた。
「マルガリータ様、ご無事ですか?」
「大丈夫よ。ありがとう、来てくれて」
手を伸ばせば、その手を両手で包み込んで口元に持っていってくれる。祈りにも似たその姿を見ると心の底から安堵した。
イグナートも安堵の息を漏らしている。彼はマルガリータが自害するのではないかという懸念をいつも抱いているから、きっとまた心配させてしまったのだろう。
「オリヴェル様はブレスレットの件で裏が取れましたので、騎士団へ連行しました」
「やはりあれは」
「騎士団の物で間違いないです。彼も連行されることがわかっていて、最後のあがきでここに来たのでしょう」
マルガリータへの暴挙だけでも重罪なのだからと、イグナートは事件後すぐに騎士団へ連行しようとした。けれども、実家のデュナン侯爵家にまだ婚姻中での出来事なのだから罪にはならないと反論されたらしい。イグナートの憤りは凄まじく、その様子を直接見たカーラは震えていた。
「レナさんの事件の物もやはり?」
「……はい」
「そう、――レナさんには、本当に申し訳ないことをしてしまったわ」
オリヴェルは甥のセザール・デュナンにもブレスレットを渡していたらしい。
二つのブレスレットは、騎士団の事務方に努める女性にオリヴェルが盗ませた物だった。魔道具のブレスレットは一般には出回っておらず、出所は直ぐに判明する。
「マルガリータ様が責任を感じることではありません」
「でも、あの人がわたくしに、ああいったことをしようとしなければ、レナさんの事件は起きなかったのでしょう?」
「いえ、レナを狙っていたのは甥のセザールです。あの事件が起きてしまったのは私の判断ミスですよ」
学園内で起きたことに、どこまで介入できるというのか。
何か起こることを気にしてレナを邸内に閉じ込めない限りは無理だろう。学園へ通っていた身なのでわかるが、学園内を護衛付きで歩くのは王族でも目立つ。
慰める様に手の平を強く握り返せば、切なそうにイグナートが目を細めた。
「……あの日も……私が立ち会えばよかったと、あれから何度後悔したか」
「そんなことをすれば、やはり情夫だったのだろうと難癖をつけられ、口汚い言葉でイグナート様を貶め、酷い噂を流されてしまいますわ」
オリヴェルはイグナートに強い劣等感を持っていた。
子爵家の次男、しかも小顔。オリヴェルにしてみれば取るに足らない相手であるはずなのに、マルガリータが信頼し、王家からも信頼され、最速で副団長まで上り詰めてしまった実力派。
見目と血筋だけで生きてきたオリヴェルには目障りだったのだろう。
セザールをけしかけたのも、レナがイグナートの姪だから。
なんて卑怯な男だろう。
「そんな噂ぐらい、あなたの身の安全のためなら」
「それは嫌です! あなたに要らぬ噂が立つなんて、それがわたくしのせいだなんて……! だって、わたくし、わたくしは、イグナート様が、」
イグナートの指先が、その先の言葉を止めるようにマルガリータの唇をふさいだ。
ちらりとカーラたちに目くばせしていたので人払いをしたのだと思う。
マルガリータがイグナートに想いを寄せているのは、周知の事実。カーラどころか兄のチェストミールまでもが『もうイグナートと……』と、危うい言葉を漏らしたほど。
けれども彼は、そんな中途半端な状態で関係を持つようなひとではないから。
何度も口にしようとして、呑み込んできた言葉を伝える。
「イグナート様をお慕いしております」
元々護衛を務めて下さることが多く、見知った仲ではあった。親しくなったのはリズとやり取りしているうちにマルガリータとリズだけでは対処できない事柄が増えてからだった。行き場のない女性や子どもの手助けを一緒にしてくれる中で、的確な判断や行動力、穏やかでありながらも、強く頼れる姿に惹かれた。
ようやく伝えることができた達成感で涙を零せば、剣を持つ人のかたい手で拭われた。ゆるりと親指で頬を撫でられれば、それだけで背中が震える。
「あなたが私に身をゆだねてしまえば、もう嫌だと言っても離してはあげられませんよ? 私の執着を見くびらないほうがいい」
薄茶色の瞳に射抜かれ、もう一度身体を震わせれば、それに気付いたイグナートが少し笑う。少し掠れた声に、この強い男でも緊張するのかと不思議な気持ちになった。
「わたくしのほうも十年越しの想いですの。重たいですわよ?」
ふっと息を漏らすように笑ったイグナートは、艶めいた顔を隠さずにマルガリータを見つめた。
11
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界転移したら騎士団長と相思相愛になりました〜私の恋を父と兄が邪魔してくる〜
伽羅
恋愛
愛莉鈴(アリス)は幼馴染の健斗に片想いをしている。
ある朝、通学中の事故で道が塞がれた。
健斗はサボる口実が出来たと言って愛莉鈴を先に行かせる。
事故車で塞がれた道を電柱と塀の隙間から抜けようとすると妙な違和感が…。
気付いたら、まったく別の世界に佇んでいた。
そんな愛莉鈴を救ってくれた騎士団長を徐々に好きになっていくが、彼には想い人がいた。
やがて愛莉鈴には重大な秘密が判明して…。
黒騎士団の娼婦
星森
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
【完結】異世界転移した私、なぜか全員に溺愛されています!?
きゅちゃん
恋愛
残業続きのOL・佐藤美月(22歳)が突然異世界アルカディア王国に転移。彼女が持つ稀少な「癒しの魔力」により「聖女」として迎えられる。優しく知的な宮廷魔術師アルト、粗野だが誠実な護衛騎士カイル、クールな王子レオン、最初は敵視する女騎士エリアらが、美月の純粋さと癒しの力に次々と心を奪われていく。王国の危機を救いながら、美月は想像を絶する溺愛を受けることに。果たして美月は元の世界に帰るのか、それとも新たな愛を見つけるのか――。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?
はくら(仮名)
恋愛
ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。
※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。
天使は女神を恋願う
紅子
恋愛
美醜が逆転した世界に召喚された私は、この不憫な傾国級の美青年を幸せにしてみせる!この世界でどれだけ醜いと言われていても、私にとっては麗しき天使様。手放してなるものか!
女神様の導きにより、心に深い傷を持つ男女が出会い、イチャイチャしながらお互いに心を暖めていく、という、どう頑張っても砂糖が量産されるお話し。
R15は、念のため。設定ゆるゆる、ご都合主義の自己満足な世界のため、合わない方は、読むのをお止めくださいm(__)m
20話完結済み
毎日00:00に更新予定
美醜逆転の世界で騎士団長の娘はウサギ公爵様に恋をする
ゆな
恋愛
糸のような目、小さな鼻と口をした、なんとも地味な顔が美しいとされる美醜逆転の世界。ベルリナ・クラレンスはこの世界では絶世の美少女だが、美の感覚が他の人とズレていた。
結婚適齢期にも関わらず、どの令嬢からも忌避される容姿の公爵様が美形にしか見えず、歳の差を乗り越え、二人が幸せになるまでのお話。
🔳男女両視点でかいています。
場面が重複する場合があります。
🔳"美醜逆転の世界で純情騎士団長を愛でる"のスピンオフとなります。本作を読んでいなくてもお楽しみいただける内容となっています。
🔳R18は後半 ※を付けますので、苦手な方はご注意ください
【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる