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第九話『Age.11をもういちど』

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「ねぇ、ダスラ。ここなんだけど」
「どれです?」
 ここは公爵家の書斎、お嬢様が公務に使う机は旦那様に負けず劣らず立派な調度品だ。まだ身長の低いお嬢様だけど、特注オーダーメイドの椅子を使っているので取り立てて不便なく使えている。
 これからお嬢様の成長に合わせて、椅子を低くしていく……その過程を見ることができるのは、お嬢様付きメイドである私にとっては至高の喜びだ。
 で、先日十一歳の誕生日を迎えたばかりのお嬢様。十一歳といえば、貴族平民の別なく遊びたい盛り。
 もちろんそれ相応には遊んでらっしゃるが、今日は公務に務めると決めている三の日。日曜日なので学園もお休みなのは幸いだった。
 お嬢様は毎月三日・十三日・二十三日は学園をお休みになって自宅で公務にあたられている。広範な領地をたまわっている公爵家の令嬢といえど、若干十一歳にしてなんの公務と思うなかれ。
「ここの合計とここの合計が合わないの。これって、横領されてるのかな?」
「お借りします」
 領地の孤児院の、帳簿の定期監査。昨年にお嬢様が領内にある孤児院の不正を暴いたことがあった。
 旦那様が貸してくれた公爵家の精鋭たちを引き連れて、孤児院に強制調査のメスを入れたのだ。前世の私が同じようにダスラと二人きりでやったそれより、四年も早く。
 そして孤児院の院長による恒常的な孤児への虐待、そして運営のために公爵家から支給されていた支援金の横領。私もお嬢様の右腕として、その逮捕劇に尽力させていただいた。
 後始末は公爵家に丸投げとなったのは当然だけど、後日に旦那様からの提案で領内孤児院の一元管理をお嬢様がされてはと打診されたんだよね。
 それまで領内各地の孤児院は、民営だった。運営元は資金が潤沢な商家だったり、寄付でまかなう教会だったりとさまざまで。
 当然、運営母体によって孤児院にかけられる運営費用はピンキリだ。また孤児院で働く職員も教員経験がありながら出産の経験がない者がいる反面で、経産婦ながら自身も文字が読めなかったりと歪だった。
 貧しい孤児院に支援金を渡して公平さを保つというのがそれまでのやり方だったのを、
「すべて公爵家うちが収支を管理して、教職員の教育や派遣も一つの機関に統括しようと思う」
 と旦那様がお決めになり、ひいてはその顔となる代表者をお嬢様にやらせようとお考えになったのだ。要は公営になるってこと。
 とても素敵なことだと思う。というか前世の私は十四歳のときから、ダスラと二人でそれをやってたんだ。
 だけどね、こっちのお嬢様はまだ当時十歳ですよ? さすがに時期尚早だと反対したのだけど、父である公爵様から頼られたという事実がお嬢様の中で大きな意味を持った。
 絶対に期待に応えたい、そして褒めてもらいたい。そのいじらしい気持ちはとてもよくわかったから、私が手伝うという条件で折れることにした。
 幸いにして、私には経験があった。そして記憶の中のダスラにはその経験がなかったように思うから、これも私の代から始まったのだろう。
 だってね、前世ではこの業務に関してはダスラはお茶を淹れたりするぐらいしか手伝えなかったから。あと、何度計算しても数字が合わなくてイライラしてるときの八つ当たり要員というかその……鞭でね?
(それはそれで、楽しかったんだよなぁ)
 でも今世は、私はこれに関してはお嬢様の教師を務めることができる。
 手伝いつつも、おかしなところはお嬢様の目で見つけてほしい、手で直してほしい。そんな感じで日々、お嬢様の道しるべとしての役割をこなしていた。
「ふむ……確かに帳尻が合いませんが、横領するほどの金額でしょうか」
「でも、ちりも積もれば山となるというわ」
「ではほかに、合わない部分はありますか?」
「えっと……」
 おかしいと思って、すぐに私のところに持ってきたのだろう。ならばチェックはそこで中断しているわけだ。
「ナーシャ様のおっしゃるとおり氷山の一角かもしれません、最後までチェックしてみましょうか」
「わかった」
 そう言って、帳簿を小脇に抱えて自分の席に戻っていく。しばらくして、お嬢様がまた帳簿を片手にやってきた。
「ダスラ、終わったわ。もう一個みつけたから、合計で二回よ!」
「お借りしますね」
 私はお嬢様がフンス!とドヤ顔で渡してくる帳簿を受け取り、お嬢様が赤丸でチェックしている箇所に目を落とす。
(なるほど……)
 お嬢様をチラと見やると、すっかり褒め待ちの状態。ううっ、どうしよ?
「ダスラ? これは横領じゃないの?」
 私がなかなかリアクションを起こさないものだから、お嬢様が怪訝そうに顔を覗き込んできた。ここは素直に指摘するべき……なんだろうな。
(面白くないだろうから、あとで鞭をもらおう)
 私は覚悟を決めて、帳簿を広げてお嬢様の前へ。 
「まずこの差額を二で割ってみましょう」
「二で割るの?」
「はい」
 もし入出金を誤って足すべきところを引いたり、逆もしかり。この場合、差額を二で割った金額をチェックすればいい。
「うーん、ないわよ?」
「そうですか。では今度は、九で割ってみてください」
「九で? わかった。これも同じ金額の項目を探すのね」
「はい、お願いします」
 幸いにしてお嬢様は学園をお休みしたときの授業は、家庭教師に補講を受けている。なので、算術の計算は同級生に遅れをとることはなかった。
「あったわ! ……でも、これが?」
「同じ項目で、金額が十倍になっているところはございませんか?」
「‼」
 私の言うところを汲んだのだろう、お嬢様がなにかを閃いたように慌てて帳簿に指を置いて再チェックを始まる。
「わかったわ、ダスラ! ここで桁を一つ書き間違えてるのよ‼」
「ご明察です、ナーシャ様」
 二で割る、九で割るというのは差額チェックのときに使える簡単な方法だ。
「さすがね、ダスラ。でも自分で見つけたかったな……」
 でしょうね。ちょっとしょんぼりなさってるお嬢様、よーしここは――。
「私を鞭打ちますか?」
「なぜ⁉」
「いや、八つ当たりしたいかなぁと」
 私は前世で散々やったからね、それ。当時のダスラにとっては、理不尽きわまりなかっただろうけど。
「ダスラは私をなんだと思ってるの‼」
「え?」
 ところがお嬢様は、私の想定しない方向でキレてらっしゃる。
「私がなんか面白くないことがあったら、すぐにダスラを鞭打つと思ってるでしょ⁉」
「違うんですか?」
 いや、私は本当にそう思っているんだけども。
「違わないわよっ‼」
 お望みどおりやってやろうかとばかりに、お嬢様のつま先キックが私の脛に飛んできた。
「いぎぃっ⁉」
 いわゆる弁慶の泣き所だ、私は涙目で脛を抑えてうずくまる。
「お仕事終わったら鞭だから、覚悟なさいダスラ!」
「え、今の蹴りは罰では……」
「あぁん?」
 いえすいません、なんでもないです……。
 あとでよくよく考えて、悪いのは挑発した私だと気づいて汗顔の至り。寝台ベッドで一人、ジタバタと身もだえたのはお嬢様には内緒にしとこう。


 その機会――『それ』は、意外と早く訪れた。私がナーシャだったとき、確か?
(あれは十五歳のときだ……)
 お嬢様が十一歳の今、私が『分岐点ターニングポイント』と考える出来事イベントが発生する。それは資料を借りに、旦那様の書斎にお嬢様と二人で訪れたときのこと。
「ナーサティヤ」
「はい?」
 孤児院運営に係る、それこそ大人が読むような経済の書物を書棚から漁っていたお嬢様にデスクで庶務中の旦那様が不意に声をかけた。
「私も、その……ダスラのように、ナーシャと呼んでいいだろうか?」
 はっきり言って、私にも不意打ちだったのだ。まさかこんなに早く、その機会が訪れようとは。
(おそらく……お嬢様が孤児院改革に乗り出したことによって、私のときより四年も早く父娘の距離が縮まりつつある?)
 これは父娘としてより、為政者としての公務仲間としてのそれかもしれない。今のところ、奥様ママを含めた『両親』とはまだ距離があるから。
 私にとっては願ってもない打診だったが、かつてお嬢様だった私は旦那様パパにこう吐き捨てた。
『私のことをナーシャって呼んでいいのは、この家ではダスラだけだから』
 それは嘘偽らぬ感情だったし、本当にダスラ以外にはそう呼ばれたくなかった。小さいころはそう呼ばれてた気もするが、それは確かな記憶ではない。
 そして私がそう言ったのを、ダスラは複雑そうながらもちょっと嬉しそうだったのを覚えている。
 その後もパパは少し喰い下がってきたのだが、私は頑として首を縦に振らなかった。これまでさんざ私を『いない者』扱いしといて、それはないんじゃないかと。
(もしあのとき、もっとパパとの距離を縮められていれば……)
 これは何度も考えた。私のダスラは孤軍奮闘だったけれども、私を命をかけて守ってくれた。
 だけど結果がアレだ。そりゃ結果論かもしれないけども、もっと周囲との関係を密にして味方を増やしておくべきだったんじゃないかと。
 だから、もしそのときが訪れたら快諾するようにお嬢様に進言しておくつもりだったのだ。
(だけどまさか、今なの⁉)
 完全に誤算だ。お嬢様にそう伝えておくには、まだ年数あるなぁと油断していたかもしれない。
 私の気のせいかもしれないけれども、その後のパパはダスラに対してモヤモヤした含みがあるというかそんな態度だった気がする。
(お嬢様、ここで間違えちゃダメだ‼)
 だが自分からは今ここで、お嬢様よりも早く口にはできない。一介の平民メイドが、公爵家の父娘の会話に割り込むことは――。
「私のことを、ナーシャと?」
 キョトンとして、お嬢様が振り向いた。片手に数冊の書物を、もう片手で高い棚の本を取ろうと手を伸ばしたままで固まっている。
「それは……」
(やっぱダメか‼)
 しかたない、無粋というか不敬だけどここは強引に進言しよう……そう思ったときだった。
「ダスラがいいっていうなら、いいわよ?」
 へ? なんで私?
「そうか。ダスラ、私からもナーサティヤをナーシャって呼んでいいだろうか?」
 ちょっと複雑そうながらも、微笑みながら私に打診してくる旦那様。いやいや、これってどういう流れ?
「ナーシャ様。なんで私に、許可の是非を?」
 普通に『いい』って言えばいいじゃんと思ったが、どうしても不思議でしょうがなくて。
「んー……わかんない。だけど私のことを、ナーシャって呼びたいって一番最初に言ってくれたのはダスラよ?」
「そうかもしれませんけど、セレス……ヴァティー様やガネーシャ様、カーリー様とかは普通に呼んでますよね?」
 私だけが特別ってわけでもないはずだ。
「セレスやカーリーはそうだけど…ガネーシャ? ディヤウス侯爵家の?」
 あ、しまった‼ まだこの時間軸、年齢ではガネーシャは友人じゃないのか。
(十二歳のときに出会ったんだったかな)
 これから一年後だ。
「失礼しました。ともかく、私だけが特別というわけでもないですので私の許可なぞ不要に願います」
「そう? ダスラがいいなら、まぁいいけど」
 なんかちょっと面白くなさそうな表情を一瞬だけ見せたけど、あっけらかんとお嬢様がおっしゃる。そして再び何事もなかったのかように、資料の物色を再開する。
「そうかありがとう、ナーシャ。ダスラも」
「あ、いいえ!」
 うーん、気を揉んで損したかな? あっさりとお嬢様から許可が出た、というかなんで私の許可が必要なのか……って考えて、私もかつてのナーシャだったからこそそれは理解してしまう。
「でも旦那様、お忘れないように念を押しておきたいのですが」
「なんだい、ダスラ」
「……えっと」
 さすがに前世は娘でも今世は平民メイドだ、自分の雇用主に公爵様に言っていいことと悪いことがある。私はチラとお嬢様を見るが、お嬢様も私がなにを言うのかが気になったのか振り向いてらっしゃって。
「この家で、お嬢様をナーシャ様と呼んだ一番初めの特別は私ですよね?」
 なに言ってんだ。なに言ってんだ、私。
「あぁ、そ、そうだね?」
 私の真意がわからなくて、旦那様はポカーンとしてらっしゃる。そしてそれは、お嬢様も。なんか子どもみたいに嫉妬したみたいな言い方になってしまったが、一拍おいてお嬢様が盛大に吹き出した。
「あははははは、ダスラおもしろい! 大丈夫よダスラ、あなたが一番最初に私をナーシャって呼んでくれたの。それは確かよ?」
「あ、はい」
 笑いが止まらないのか、お嬢様は涙をポロポロとこぼしてらっしゃる。
「ダスラでも嫉妬はするのね?」
 そう言って、自分で自分にウケてさらに笑い死ぬお嬢様。くっそう……旦那様も、『ああそういうことか!』みたいな顔しないでください!
「それはすまなかったね、クックック!」
「もうしわけありません、旦那様。私ごときが差し出がましい口を……」
 あぁ、穴を掘って入りたい!


 公務が夜遅くまでかかったのもあり、お嬢様はお一人で遅めの食事。っていつもお一人ですけどね、両親がアレなもんで。
 でも旦那様は近いうちに同席してくれそう、なんて淡い願いも抱いてる。というか、十一歳の娘に一人で食事させるって虐待じゃなかろうか。
 今日の献立メニューは、ローストチキンに野菜と香草を添えたものだ。
(あ、また……)
 お嬢様は決して野菜嫌いじゃないが、ピーマンと人参だけはどうも苦手……というか私がそうだったんだけど。ちなみに今では普通に食せますけどね。
「ナーシャ様、ちゃんと食べないと大きくなれませんよ?」
「うるさいわねダスラ、食事中なんだから黙っててちょうだい」
 かっちーん! その器用によけてらっしゃるピーマンと人参、どうあってもお口には入れたくないようで。
 私はお嬢様の背後に立って食事を見守ってたんだけど、おもむろに後ろから左手をお嬢様の顔面に回してあごをガッとつかむ。
「あがっ⁉」
 そして無理やり絞めて口を開けさせると、右手でカトラリーからフォークを拝借して人参にブスリ。そしてお嬢様の口に放り込んだ。
 さらにはフォークを置いた右手で頭頂部を固定ホールドすると、左手で強制的にあごを動かして無理やり咀嚼させる。
「どーですか? 美味しいでしょう⁉」
「がっ、がふら……っ⁉」
「いけませんねぇ? 食べながらしゃべっちゃダメです!」
 メッ!と横目で厭らしくお嬢様をけん制すると、お嬢様が涙目で人参を飲み込んだのを確認して今度はピーマンさん。
「ひっ⁉ ダスラ、ピーマンだけは勘弁して!」
「やだなぁ、ナーシャ様ってば」
「そ、そうよね?」
 ニッコリ笑ってそう相対する私に、なんかお嬢様は誤解して安堵されてるんだけど。
「もちろん食べていただきますよ?」
「ちょっ⁉」
 そしてお嬢様の頭頂部を以下同文。もう涙目どころか目を真っ赤にして、なんとかお嬢様はお野菜をたいらげてくれた。
 はっきり言って虐待、いや傷害である。もちろん、普通のメイドならば厳罰&解雇&逮捕のトリプル役満だろう。
「さすがです、ナーシャ様!」
「ダスラァッ‼ 覚えときなさいよ!」
「鞭打ちですよね? 心得てます」
 私がシレッとそう言ってのけるものだから、なんか面白くなさそうなお嬢様。顎に手をやってしばし逡巡してなさるんだけど。
「いつも鞭じゃおもしろくないわね」
「いつであっても鞭はおもしろくないですが」
 私の嫌味もなんのその、ちょっと間があってお嬢様の顔に花が咲いた。
「そうだわ、いいこと考えた!」
 わかる、わかるぞ。それは私にとって絶対よくないことだ。
(だけど懐かしいな……)
 これは私がナーシャだったころに、よくダスラにやられたもんだ。おかげで今、ダスラとしての私は食材の好き嫌いがない。
 でも仮にもていうか仮じゃなくて本物だけど、お嬢様は公爵令嬢だ。一介の平民メイドがこんなことをやっていいわけがない。
 だから私もダスラにお仕置きの鞭を食らわせてたし、ダスラもまたそれは当然と甘受してた。教育と必罰を交換しあう主従の強烈バイオレンスな関係は、私の心の成長にともない年を経るごとにまろやかマイルドになっていったけど。
(でもまだ十一歳モンスターなんだよなぁ)
 どんな『いいこと』とやらを思いついたのか、背筋が凍える思いだ。私のときは確か、ダスラを朝から昼過ぎまで寝室で正座させた記憶がある。
「で、いいこととは?」
「いいことよ」
「……ナーシャ様にとってですよね?」
「それはもちろんそうよ?」
 お嬢様がなんの悪びれもなく言うもんだから、つい吹き出してしまいそう。で、お嬢様の食事が終わってやっぱりというか寝室に招かれて。
「ねぇ、ダスラ。この中から好きなのを十個選んでちょうだい」
「?」
 お嬢様がそう言って差し出したのは、宝石箱レカン。自分で欲しくて買ったのもあるけど、公爵家にコネを作りたくてお嬢様の誕生日に宝石を送ってくる貴族連中もいるから結構な数のコレクションだ。
(くれる……わけじゃないし、どういうことだろう?)
 とりあえず、私が気に入ったのを十個選んだら……お嬢様、ポカーンとしてるな?
「すごいわね、ダスラ……」
「なにがですか?」
「私のお気に入りベストテンを全部選んじゃった」
 あぁ、なるほど。そりゃあなたは私ですから、好みも被りますわな。
「じゃあこの十個で間違いないわね?」
「はい」
 そしてお嬢様はその十個を、だいたい三十センチ平方のスペースに乱雑にばらまいた。
「ナーシャ様?」
「ダスラには罰を与えるわ」
「あ、はい」
 そしてこの血も涙もない悪魔は、とんでもないことを口にする。
「ここに正座してちょうだい」
 そう言って十個の宝石がばらまかれたスペースを指さして、フンスと鼻息も荒い。
「……」
 えっと? ここに正座しちゃうと、膝から下の下腿と呼ばれる部分に十個の宝石が食い込んでしまうことになるのですが⁉
「いや、ちょっと待って! 私がナーシャ様のときはそんなひどいこと命じなかった‼」
 ダスラに生爪を自分で剥ぐように命じたことがあるが、あれは冗談で本当にやるとは思わなかったのでノーカンだ。
「なんの話よ? さ、ほら」
「あぅ……」
 狼狽のあまりちょっとやばいことを口走ってしまったけど、幸いにして聞き流してくれた模様。いやそうじゃなくて、これって拷問なのでは⁉
「では、失礼します……」
 私はおそるおそる、その宝石がばらまかれたスペースに正座をする。私の膝に脛に足甲に、小さい宝石たちがメリッと埋まる。
「痛たたたたっ‼」
「私がいいというまで、そうしててね?」
「か、かしこm」
 それ以上は、もう苦悶のあまり声にならなかった。
 ――それから、どのくらい時間が経っただろうか。やがて時刻は、大きな振り子時計の長針と短針がともに真上で重なるころ合い。
「ナーシャ様、そろそろご就寝なさいませんと明日にひびきますよ」
 いやこれは本当にその心配もあるのだけど、本題はそこではなく。
「私は寝てもいいけど、ダスラは朝まで正座続行するの?」
「悪魔か、あんたは」
 もう、敬語を使う余裕もない。長時間の正座だけでも苦痛なのに、十個の宝石が下腿の血流をめちゃくちゃにしてやがります。
「うぅ、もう許してくださいよぅ……」
 さすがの私もマジ泣きである。本当に痛い……というか痛覚が麻痺しちゃって、もう痛みすらもないのだけど。
「ちょっとかわいそうになってきたわね」
 ちょっとかよ。
「わかったわ。私はもう寝るから、ダスラはもう居室に帰っていいわよ」
「あ、ありがとうございます!」
 なんだろね? 私をここまで追い詰めたのはこの怪獣なのに、なぜか感謝すらしている。
 そして私はそろそろと足を崩して、十個の宝石を広い集める。いや拾ったのは五個で、残りの五個は私の下腿にめり込んで埋まってるんだ。
 足のしびれがとんでもないことになってるので、お嬢様が見ている前とはいえお尻をペタンと付けて座るのは許してくださいな。そして一個一個、足の肉に埋まった宝石を涙目で外していく。
(ん?)
 目の前に仁王立ちしていたはずのお嬢様が私の前にしゃがみこんで、五つの穴ボコが空いた私の脛をみつめてらっしゃる。というか両足を投げだして股を御開帳してるので、お嬢様に両足の裏をババーンとお見せしているというはしたない状態なんだけど。
 宝石を外すためにスカートもめくっているので、パンツも見えているかもしれない……って。
「ヒュワゲッ⁉」
 ヘンな声出た。じんじんと痺れている私の足裏を、お嬢様が指でツンと突いたのだ。
「ちょっ……⁉」
 思わず抗議しようとする私に、お嬢様は無言で私の唇の前にご自分の人差し指を立てあてる。
(黙っててって意味だろうか?)
 そう思ってバカ正直に黙った私は、本当に愚か者だ。私がちゃんと口をつぐんだのを確認すると、今度は反対側の足裏にお嬢様の指ツンがきた。
「フギャラッ‼」
 いやいや待って、ちょっと待って。今この状態の私の足裏を触らないででください!
「ワリョーッ‼」
 今度は両足同時攻撃。いや死ぬ、死ぬわ。
 両手を後ろについて尻もちついている状態で足裏を投げ出してるわけなんだけど、そのジンジンする足裏からの衝撃で私は思わずのけぞってしまう。顎どころか、咽頭が天井を向いてしまうぐらいには。
(はぁ、はぁ、はぁ……あれ?)
 不意に足裏攻撃がやんだので、もうお許しいただけたのかなと思い荒い息で視線を前に戻す。そして私が目にしたのは、床に転げて笑い死んでいるお嬢様だった。
「あっはははははは! ダスラ、なんて声だすのよ⁉ だ、だめっ、お腹痛い……」
 笑い涙をぽろぽろこぼしながらお嬢様、バカウケしてらっしゃいます。
「おっ、お願い! もうやめてダスラ、あっははははは!」
 いや、お前がやめろよ。
(なんだ、この既視感デジャ・ヴュ
 あぁ、そうか。そういや私もダスラに長時間の正座をさせたあと、足裏を攻撃して遊んだことあったわ。
(因果応報てやつだろうか)
 私もまた、涙目で嫌がるダスラをしり目に笑い転げてたっけな。
「楽しんでいただけでなによりです」
 くっそう、本当に殴りたい!


「ん?」
 お嬢様が旦那様の書斎にて公務中、親子水入らず?を邪魔したくないので今はお嬢様の居室の掃除をしている。そして寝室でベッドメイキングをしているときにベッド脇にあるサイドテーブルの上、『ダスラしばき用の鞭』に目が留まったんだけど。
(グリップテープって、最初から巻かれてたっけか)
 確かお嬢様は、購入時のままでとくに装飾とかはされてなかったと記憶してるんだけど。
「私のときは確か……」
 うーん、グリップ部分に『ナーシャ&ダスラ』ってお店に彫ってもらったんだっけ。ダスラには隠してたつもりだったんだけど、ばれたときにすげー嬉しそうな顔してたな、アイツ。
 鞭を買った帰りの馬車の中、うとうとしてて思わず鞭を落としてしまった。先にダスラに拾われてしまい、慌てて寝たふりをしたんだよね。
(ばれたかな?)
 そう思って薄目を開けて確認したら、なんか鞭をギュっと握りしめて涙ぐんでやんの。こっ恥ずかしい刻印を見られて照れくさいのもあって寝たふりを続行してたら、
『しょうがないお嬢様ですこと』
 って言って、毛布かけてくれたっけ。
『寝てるときは、天使なんだけどなぁ?』
 とも言ってたか。寝てないときも天使でしたけどね? ……いや悪魔だったわ、そういや。
 改めて鞭のグリップに視線を落とす。
(まさかね?)
 って思うじゃん。
 私は丁寧にテープを剥がす。その際になにかゴミみたいな物が落ちた気がするんだけど、それは見落としてしまった……のがあとで仇になる。
 それはそうと、グリップ部分に浮かび上がったのは――。
『ナーシャ&ダスラ』
「……」
 え、いつ? ……よく見ると、その彫刻文字はどこか拙い。一部が少し赤身がかってるのは、血の痕?
(まるで、子どもが彫ったみたいな)
 そして思い出す。先週だったか、お嬢様が左手の人差し指に包帯を巻いてらっしゃった。
「ナーシャ様、お怪我ですか⁉」
 包帯に血も滲んでたし、私の知らないところで怪我をさせてしまった?と慌ててお嬢様の手を取ったんだけど。
「触らないでっ‼」
 そう言ってお嬢様に怪我してないほうの右手指で目潰しをくらい、床に七転八倒して悶絶したことがあった。ムカついたので、それに関しては徹底的にスルーしてやったんだけど。
(あの怪我って、これ彫ろうとして?)
 あかん、にやける。っていうかムカつくぐらい、同じ歴史が繰り返されてるな⁉
「とはいえ、自分で彫ったのは『今代のナーシャ』発か……」
 前世でしなかったことが、あとから形を変えて再現されちゃうこれっていったいなんなのか。お嬢様はまた、冤罪で処刑されちゃうんだろうか。
(させない……っ‼)
 絶対に、絶対だ。
 まぁなにはともあれ、これ見ちゃったことお嬢様にばれないようにしないと。ってわけで再び元のようにテープを巻き直す。
 そしてちょうどサイドテーブルに戻したところで、お嬢様が居室にお帰りになられた。間一髪のタイミングだったな。
「お疲れ様です、ナーシャ様」
「ダスラもご苦労様」
 やっぱ十一歳だもんね、机に座って公務だなんてその小さな両肩にのしかかるものは重い。少しグッタリとしているというか、お疲れの表情だ。
「眠い……」
 そう言って目をこすりながら、お嬢様がベッドに腰かける。
「本当にお疲れ様です。私を鞭打ちますか?」
 そんぐらいのストレス解消には付き合ってあげますとも、えぇ。
「……ダスラの中で私、どういう扱いなの?」
 さすがに少しムッとされて、お嬢様がジロリを一瞥をくれる。私は馬耳東風とばかりにそれを流して。
「それにしても、もうちょっと大きな文字で書かないものかしらね?」
 目をしょぼしょぼさせながら、お嬢様が愚痴る。
 あぁ、それは私も『現役時代』に思いましたね。ここは書式テンプレートの変更に着手してみようかな?
「とりあえずもう寝……あれ?」
「はい?」
 お嬢様がベッドわきの床に目をやって、なにかに気づいたご様子。
「ナーシャ様、どうしました?」
「これなんだけど」
 そう言ってお嬢様が手に取ったのは、五ミリほどの正方形の紙片。
「あ、すいません。ゴミが落ちておりましたね! お預かりいたします」
 おかしいな、さっき掃除したときにはなかったんだけど……?
「いや、そうじゃなくてねダスラ」
「なんでしょうか」
 お嬢様はおもむろにジッと私を見つめる。
「この紙片、ダスラ用の鞭のグリップテープをほどいたら落ちるようにしてあったの」
「……」
 いやその。へ?
「見たわね?」
「えっとぉ……」
 不意打ちすぎて、とっさの嘘がつけない。つーかどこの組織の間諜スパイなんだよ、あんた。
「背中、出して?」
 鞭をペシペシともてあそびながら、お嬢様がこめかみに青筋を浮かべたいい笑顔でおっしゃいます。はい、鞭打ちですね。
「私は、鞭の保守管理メンテナンスをですね?」
「私が怒ってるのはそこじゃないの」
 ですよねー!
「うぅ、あまり痛くしないでください……」
 いそいそと、私はメイド服の上を脱ぐ。鞭打つために、私の制服だけ上下別セパレートになってるのは、当の私がリクエストしたのもあって今世も一緒だ。
 背を向けて両ひざをついて、ギュっと目をつぶる。
(ん?)
 なかなか鞭が来ないので、そーっと目を開けて横目で視認できる程度に振り替えると、お嬢様が自分の胸を揉んでた。
 大事なことなのでもう一回言うが、お嬢様がご自身の胸を服の上から揉んでた。
「ナーシャ様?」
「私もダスラみたいに、大きくなるかな?」
「もちろんですよ。これから成長していきます」
 これは残酷な嘘だ。私が処刑された十六歳のとき、今のお嬢様とかわらぬツルペタだった。
(私もダスラの胸がうらやましかったな)
 大きすぎず、でも標準よりは大きくて張りがあって。今やそのダスラが私だというのだから、本当に神様ってやつはよくわからない。
「ふむ……その胸に鞭打とうかしら?」
「いや、待て」
 待て待て。背筋にくらうなら筋肉を締めればいいのだけど、脂肪の塊である乳房にくらったら脂肪だけに死亡するわっ‼
 ブラのホックを外して手で押さえてるだけの状態なんだけど、そうはさせまないとさらに腕に力がこもる私。本気か冗談かわからなくて怖い!
「あのぅ……冗談ですよね?」
「……」
「ナーシャ様?」
 私がよほど情けない顔をしてたのだろう、お嬢様がプーッと吹きだした。
「しかたないわね、冗談ってことにしとくわ」
 本気だったんかーい!
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