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第十三話『Age.15をもういちど』

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 世の中というのは、本当にくそったれで。
 お嬢様も十五歳になり、進級して。そこへ始業式と同じタイミングで、ヴリトラ伯爵令嬢のスーリヤが学院に転入した。
 案の定、庶子であることにくわえ娼婦に産ませた妾腹というのもあってスーリヤ嬢は貴族が大部分を占める学院で孤立しているのだとか。じゃあ平民と仲良くしているかというとそうではなく、伯爵令嬢であることを鼻にかけてて平民側からも疎んじられているらしい。
 実際にどんな嫌がらせをされているのかは知らないけれど、そこへ降ってわいた正義のヒーローがアシュヴィン殿下。学院のモットーである、『身分の分け隔てなく平等な学院』を体現なされているんですって。
 具体的には、いつもそばにいて目を光らせていたり……ってそれ、はためから見るとただ女の子を侍らせているだけだ。またそれにともない、お嬢様と一緒にいる時間も減った。
「まぁ、殿下には殿下の考えがあるんでしょうし」
 とはお嬢様の弁。お嬢様とて、自身が代表を務める孤児院支援事業の公務で学院をお休みがちなので、それを非難しちゃうと自身にそれが返ってくるだけあって強く出られないみたい。
 同じだ、同じなんだ。私のときと。
 私のときは一度だけ、殿下には公爵令嬢である私という婚約者がいることと伯爵令嬢が殿下に慣れ慣れしく名前を呼んだり腕を取るのは不敬にあたると注意したことがあった。
『この学院は、平等をモットーにしているんじゃないんですか⁉』
『私が庶子だから、汚らわしいのでしょう?』
 なんて斜め上からの反論が返ってきたもんだから、こりゃ話の通じないお方だと思って完全スルーしたんだよね。ダスラからも、スーリヤ嬢には手を出すなって固く念を押されてたし。
 ただそれを『無視』だと捉えられたときは、もうほんとどうしようかと思ったけどね。
 そして今、ダスラである私も同じくお嬢様に言い含めている。ただ私がそうするまでもなく、お嬢様はスーリヤ嬢にはご興味がないようで。
 お嬢様が休みがちなあいだに情報操作プロパガンダをしかけられたらたまんないなと思っていたけどガネーシャいわく、スーリヤ嬢のほうが評判が悪いらしい。というか学院で一番浮いてるんだとか。
(で、二番目がお嬢様で三番目がカーリーってのが笑える)
 まぁお嬢様はともかくとして、カーリーは『評判』は悪いのに『人気度』ではランキング上位にも入るというから本当に不思議な子だ。多分だけど伯爵以上の上位貴族には疎んじられていて、子爵以下から平民までの層に人気があるのだと推測する。
 票数というか人数でいえば、下位貴族のほうが多いからね。でも評判を左右する『噂』の発信源はいつも上位貴族で取り巻きを介すから、カーリーに関してはそういう逆転現象が生まれているんだ。
 そこらへん、身分の貴賤を問わず嫌われているスーリヤ嬢と一線を画すところ。
 ではお嬢様の場合はどうか。私のときはそういうのを気にしたことはなかったけど、そんなに評判がよかったとは自分でも思っていない。
(というか私も、ほとんど学院に通えてなかったし)
 一度お嬢様が恒例のお茶会でお花摘みのために席を外したときに、ほかの三人に訊いてみたことがあった。いわく、
「他領にも『お手本』とまで言われてるナーシャの孤児院支援事業だからね。しかも陛下の信望も厚く、アシュヴィン殿下の婚約者にして公爵家令嬢。みな話しかけづらいんだよね」
 とはカーリーの弁。要は高嶺の花だからということらしい。
「まぁナーシャは言い方はきついけど、間違ったことは言わないのよ。ただ言い方がきついの」
 と教えてくれたのはセレスだったか。大事なことだから二回言いました⁉
「それでも私が前世のガネーシャだったときのナーシャよりは、はるかにマシではあるのよ」
 って二人きりのときにガネーシャが。いやそれ、私です……。
(とはいえ、なんとかしなきゃなぁ)
 とか思ってたら、同僚メイドさんの一人が妊娠して産休をとることになった。産休といっても形だけで、出産したら退職するのが一般的だから女性の立場はまだまだ低い。
 で、問題はそこじゃなくて……補充人員として入ってきたのが、あのナムチだ。前世で、私の部屋にアシュヴィン殿下毒殺未遂で使われた毒薬を仕込んだヴリトラ伯の間諜。
「どうしてくれようか?」
 パッと見、あいさつはちゃんとするし旦那様いわく出自はちゃんとしっかりしているとのこと。そんなん、ヴリトラ伯がいろいろといろいろしてますがな。
『トト、ト、トン』
 窓横の壁際に背をつけて、あちらの『暗部』さんに繋ぎの暗号。『トト、トッ』って返事が来たので、小さく折りたたんだメモを窓の隙間からポイ。
(『ナムチ』とだけしか書いてないからメモが第三者の手にわたってもばれないと思うけど、あなたは察してよね?)
 名前も顔も知らないトトトッさん(仮名)に、あとを託す。要監視対象ってことでね。
 後ろを振り返らず踵を返したんだけど、たまたま廊下の壁際に置いてあった大きな置き時計の硝子部分に、窓の外の風景が映ってて。
(へぇ?)
 歳のほどは十代半ばか後半ぐらい、身長は低くてスレンダーなショートヘアーの女の子が私が放ったメモを窓外で読んでるのが見えた。隠密稼業らしく、身体のラインにピタッとフィットした独特の黒い衣服を着用している。
「可愛い子だな」
 ちょっと意外でびっくりした。窓に背を向けてるはずの私が硝子越しに見ているのを知ってか知らずか、メモを読み終えるとこちらに向けて親指をビッと立てて。
 そしてまばたきをした瞬間、もうそこにトトトッさん改めトトトッちゃんの姿はなく。
「え⁉」
 びっくりして振り向いちゃったけど、窓の外に人の気配すらしない。
(さすがは若くても海千山千……)
 私はお嬢様を守るために訓練を受けているだけであって、ラーセン公爵家の正式な『暗部』ではない(勧誘スカウトはされてるけどね)。道を究めるとこうも違うのかと、思わず感服してしまう次第だ。
 まぁナムチが毒瓶を仕込むのは少なくともお嬢様が十六歳になってからだ。それまでに『始末』できるにこしたことはない。
(そしてそれは、ラーセンうちの『暗部』の仕事だ……)
 ナムチに関しては、まずは証拠固め……最悪、証拠は必要としないかもしれないけれどね。ただ泳がせておかないと、ナムチを処分したところで第二第三の間諜が送り込まれてくるだろう。
 まぁ調査結果は気長に待とう。そんでもって昼過ぎに、
「そういやナーシャ様に、街で評判のプリン頼まれているんだった!」
 すんでのところで思い出すことができて、胸をなでおろす。時計を見ると、お嬢様が学院から帰ってくるまでまだ余裕があった。
 お財布を片手に門の外、待たせておいた公爵家の馬車に乗り込む。
 敷地内で馬車に乗ってから出ればいいじゃんと思うなかれ、そこは様式美だ。平民メイドですからね、それが許されるのは来客を除けば公爵家の人たちだけなの。
「街までお願いします」
 御者にそう言って馬車を走らせてもらおうとしたら、
「お花はいかがですか?」
 赤いスカートの花売りの少女が、かごいっぱいの花を携えて窓越しに話しかけてきた。まだ十代半ばくらいかな、白いエプロンが眩しい。
「ごめんなさい、急ぐの。また今度ね?」
「このアイリス、お安くしときますよ!」
 ふーん。ていうか、花びらが黒い! キモい!
(普通アイリスって、青紫か赤紫よね⁉)
 ブラックアイリスなんて初めて見たな。物珍しさもあるので、
「じゃあそうね、一本だけもらおうかしら?」
「ありがとうございます、銅貨一枚になります」
 花なんて普段買いするような乙女じゃないから、高いのかどうかは知らなけれどまぁ納得して銅貨を支払う。普段お嬢様の部屋に飾るお花は、公爵家御用達の花屋から納品されるので値段は知らないのだ。
「まいどありー!」
 馬車が走り出して、ふとアイリスの花の匂いを嗅いで……あ、いい匂い。
(いやいや、仕事が早すぎる!)
 アイリスの花言葉は、『伝言』。そしてこのアイリスの花びらは黒色だ。
「やっぱナムチはクロか……」
 それにしてもトトトッちゃんの顔、間近で見たけど可愛かったな。もし私が、彼女をディヤウス侯爵家の『暗部』だと見抜けなかったらどうしてたんだろ。
「あ、そろそろかな」
 本当は馬車を使うまでもないというか、街の栄えているエリアは近い。徒歩でも十分ぐらいで行ける距離だけあって、市街地まであっという間だ。
「ありがとう、ここで降ろしてください」
 馬車内から御者さんにそうお願いして、停めてもらう。そして歩くことしばし、目的のスイーツ屋さんに到着。
「やっぱすごい列だなぁ!」
 公爵家の名前を使えば、行列のショートカットはさせてくれるだろう。でもこんなことで御威光を顕示して、領民に嫌悪されてもたまらない。
(おとなしく並ぶか……)
 そして並ぶことしばし、
「ダスラじゃない!」
 なんか前にもこんなことあったな⁉
「うえぇ、アグニ……」
「いや、なんでいつもそういう反応なの⁉」
 ヴリトラ伯爵家のメイド、アグニ。私は打算で近づいてるけど、向こうは私のことを友人だと思っている。
 スーリヤ嬢の情報目当てじゃなかったら、とてもじゃないが知り合いになりたくないタイプの性悪だ。
「アグニはお使い?」
「ううん、今日はお休み。ダスラは……お使いみたいね」
 確かにアグニは私服で、私はメイド服だ。行列に並んでいたのは私だけでアグニは通りかかっただけなんだけど、女二人だけでもそれなりに姦しくなる。
「ナーシャ様のプリンを買いにね」
「そっちも大変ね」
 はい、『そっちも』の言質いただきました。とりあえずは少しばかり、お話を聞かせてもらいましょうか。
「アグニのところも相変わらず?」
「えぇ。もうほんとにやんなっちゃう。妾腹の平民あがりがさ、何様って感じ」
 人となりを語るのに妾腹は関係ないじゃないと思ったが、ここで論戦してもしょうがないのでグッと堪える。
「やれ自分は伯爵令嬢だのなんだのとさ、不始末を犯したメイドに平気で平手打ちするのよ⁉」
 私は不始末を犯してなくても鞭打ちされることがあります。
「うちの怪獣ナーシャに比べりゃマシでしょ?」
「でもねぇ。ナーサティヤ様ってほら、評判いいじゃない?」
 どの層に? どんな内容で? これはちょっと気になるな。
「うちの領でね、遅まきながらそっちと同じように孤児院支援事業に着手することになったんだけど」
「うん」
「ナーサティヤ様が作成なさったマニュアルの書写本がたいそう役に立ったそうよ」
「そうなんだ、ふーん」
 視線をそらして素っ気なく応じた私の顔を、アグニがニヤニヤしながら覗き込む。
「ダスラ、すっげー嬉しそう! ウケる!」
 そう言って、しゃがみこんで泣き笑いしてやがる。死ね。
(っていま私、どんな顔してんだ⁉)
 とりあえず、自分で唇がプルプルと揺れてるのはわかる。いやこれに関しては初耳だったので、自然と頬がだらしなく下がっちゃう。
(そっか、お嬢様が作成されたマニュアルが!)
 感無量とはこういう感情なのだろう。自然と鼻息もフンスと荒くなる。
「それでね、うちのワガママお嬢様も真似しようとしてるんだけど」
「うん?」
 スーリヤ嬢が?
「お金さえ出せばいいと思ってるんでしょうね。次々と食事や服を差し入れるのはいいんだけど、伯爵家の財産をなんだと思ってるんだか……湯水のように使ってるんだわ」
「へぇ」
 バカかな? そりゃうちのお嬢様も公爵家からの予算をお使いになってるけど、と同時に孤児たちへの識字教育にも力を入れているんだ。
 字を覚えれば、できる仕事が増える。できる仕事が増えれば、収入も増える。
 私がお嬢様ナーシャだったときにそうしたようにね。そして働ける齢の年長さんには働きに出てもらって、その給金の一部を還元してもらってるってわけ。
 まだ完全に独立採算できているわけじゃないけど、中長期的な計画ではあと五年ほどでそれが可能になる見込み。
「そっちのお嬢様の悪口は言いたくないけど……それだと将来、破綻しちゃわない?」
 いろいろな意味でさ。ただただ貢ぐだけじゃダメなんだ。
「誰のせいだと思ってるのよ?」
「は?」
 誰のせいなのよ。
「ナーサティヤ様がそうやって知名度と好感度を上げていくから、スーリヤ様が焦ってるわけ」
「なるほど」
「で、旦那様もスーリヤ様の成果を後押ししようと躍起になってるもんだからさ?」
公爵家うちが恨まれている、と?」
「そこまでは? でも、妬まれてるのは確かね」
 なんて勝手な人たちなんだろう。お嬢様はこの事業で、銅貨一枚たりとも収入を得ていない。
(それどころか、満足に学院にも通えてないのに!)
 なるほどなぁ、こうやってラーセンの家は恨まれていったのか。逆恨みもいいところじゃない?
 私がめっちゃ不機嫌になったのもあって、アグニは早々に切り上げてくれた。私は一人、噴飯やるかたなくてイライラが止まらない。
(今晩は、ヤケ酒だ)
 行列で私の番が来たので、ちょっと強めの赤ワインを購入。お酒のあてに、普段は高くて給料日にしか手が出せないチーズ『パルミジャーノ・レッジャーノ』を奮発だ。
 そして足早にその場をあとにして、待たせておいた馬車に乗り込む。行きしなに買ったブラックアイリスの香りを鼻にやり、気を静めて。
 ラーセン邸に私が戻ると同時に、お嬢様の馬車も後ろから続いてご帰還だ。私は買い物かごを持って、馬車を降りる。
「お帰りなさいませ、ナーシャ様」
「ただいま、ダスラ。頼んでたプリンを買いに行ってたの?」
 そう言いながらご自分も降りてくるお嬢様だったんだけど、私が抱きかかえている買い物かごに無言で視線をくれて。
(あ……)
 私の抱える買い物かごには、今晩のヤケ酒用に買い込んだワインとチーズ。頼まれていたプリンなんて、影も形もどこにもなくて。
「……プリンは?」
 やばい、怖い! お嬢様がこれまでに見たことない顔をなさってる‼
 空耳だろうか、ゴゴゴッと地響きなんかも聴こえてきて⁉
 こうして私ことダスラの生涯は、多分だけど予定(?)より一年早く終わりそうなのでした……。


 お嬢様に鞭でしこたましばかれたその日の深夜、怪獣ナーシャをなんとか寝かしつけて気づけば日付も変わった夜半過ぎ。私は公爵家の使用人専用大浴場で遅めの入浴タイム。
 時間が時間だけに私しかいなくて、貸し切りみたいになってるのはいつものことだ。お嬢様が結構遅くまで公務をされる日は、こっちが先に寝るわけにはいかなくて。
(背中が沁みて痛いでござる……)
 風呂に入るのが最後の仕舞湯になってしまったのは、結果的にありがたい。軟膏塗ってるから、お湯が汚れちゃうのでね。
(ん?)
 もう屋敷は静まり返っていて、私しか起きていないはずなのだけど。ホーホーと窓外から遠くの鳥の鳴き声しか聴こえない。
「誰かいる……⁉」
 浴室入り口に視線をやるが、姿は見えねど人の気配だ。出歯亀のぞきさんか刺客か。
 私みたいな年増を覗こうなんて物好きはこのお屋敷にいないし、お嬢様絡みだとしても私個人の命を狙うタイミングでもないだろう。まさかと思って『トト、ト、トン』と浴室のへりを弾いてみる。
『トト、トッ』
 おや、トトトッちゃんでしたか。彼女の指打ち音が浴場中で反響するので、どこにいるやらだけど。
「私しかいないので、姿を見せてもいいですよ」
 なんとなく、天井に向けて声をかけてみる。この浴場の構造上は天井に人が入る隙間はないのだけど、どこに声をかけていいのかわからなかったから。
『いいんですか?』
「どうぞ」
 どこからともなく返事が来たので、快諾する。
(あ、そうか。私は全裸なんだった)
 でもおんなじ女の子同士だからいいよね。二十八歳が『女の子』かどうかは別として。
 天井から視線を下ろしたら、件の隠密用黒装束を身に纏ったトトトッちゃんが浴槽のすぐ外にいた。音も立てずに、すごいね!
 実際には一度つなぎで会ってはいるけど、改めてご挨拶をば。
「はじめまして、トトトッちゃん。ダスラです」
「トト⁉ え?」
 あ、そうか。これって私が勝手に命名したんだった。
「ごめんなさい、名前を存じないから勝手にそう呼んでました」
 なんか恥ずかしくて気まずくて、ペコリと頭を下げる。
「いえ、構いません。職務上、名前を名乗るわけにもいかないので」
 そういうものか、隠密稼業も大変だ。
「業務連絡ですか?」
 私は浴槽からあがり、へりに腰をかける。そして片ひざを立てたりなんかして、私の貝が開くのです(意味深)。
 かなりはしたない恰好だけど、女の子同士だから気にしない。トトトッちゃんもチラと私のあそこに視線をくれたけど、興味なさそう。
「ダスラさん、アグニという方をご存じですか?」
「‼ ヴリトラ伯のメイドの?」
「はい。どうやらヴリトラ伯爵がアグニを使い、ダスラさんに接近するように指示をくだしたようです」
「なるほどね。私からなにを聞き出そうとしているんだろう」
「それはわからないのですが……あの、このままで大丈夫ですか? 風邪などひかれては」
 優しいなぁ、トトトッちゃん。でも大丈夫、さすが公爵家だけあってこの浴室は二十四時間ずっと空調が効いてるの。
「心配にはおよばないわ、ありがとう。ほかには?」
「ナーサティヤ様が十六歳になられたら、すぐに結婚式が行われますよね?」
「えぇ。それでラーセンの家はそれの準備でいまからてんてこまいね。それは王家もそうじゃないかしら」
 そう、決戦のときまでもう半年切ってる。
「はい。そしてヴリトラ伯邸もすこぶるバタバタしてきていますね」
「ヴリトラ伯邸が?」
 なんでお嬢様の結婚に関係のないヴリトラ伯が、って今さらか。そりゃ貴族なんだし殿下の結婚だからスケジュールを調整したりタキシードを新調したりはするだろうけど、来賓の屋敷中が忙しくなるにはまだ日がある。
 つまり、『始まった』んだろうな。
「それで、ヴリトラ伯邸に怪しげな商人が出入りするのも確認しました」
「怪しげな商人?」
 商人、ね。十中八九、多分だけど――。
「毒物、とか?」
「可能性が高いです」
 となると、やはりナムチが動くかな。諜報はディヤウス家の暗部の役目だが、その情報をもらって動くのはうちの暗部。
(そのバトン、引き継いだよ!)
 前世ではナムチを泳がせて失敗した。同じ轍は、踏まない。
「私からは以上です。それではこれで失礼いたします」
 忙しいな⁉ そう言って消えようとするものだから、
「ちょっと待って、トトトッちゃん。ついでにお風呂入ってく?」
 なんてお誘いしてみたりして。私としては同士というか、なんか勝手に親しみを感じてるのもあって背中ぐらい流してあげようかなって思ったんだけどね。
「お気持ちはありがたいのですが、これでも男子ですので遠慮しておきます」
「そう? お疲れ様、ありがとうね」
「恐縮です」
 ちょっと濃い目の湯気が一瞬だけ視界を遮り、それはすぐに晴れたのだけどトトトッちゃんの姿はもう影も形もなく。
 浴室扉の開く音はしなかったし、いったいどこから入ってどこへ消えたのか。謎ばかりが積もるよ。
(ん? ちょっと待って⁉)
 さっきトトトッちゃん、なんて言った?
『これでも男子ですので遠慮しておきます』
 え……えぇっ……えーっ⁉
「わひゃーっ‼」
 もう誰もいないのだけど、すっげー恥ずかしくなって浴槽に飛び込んだ。もう鼻穴が沈んじゃうくらい深く沈みこんで。
(お、お……男の『』⁉)
 私、私さっきトトトッちゃんの前でどんな格好してたっけ? それを思い出すと、顔も身体も真っ赤に染まってしまう。
 ババーンとダスラのダスラ(!)を見せつけていたような気がする。
「ごっ、ごめんねぇ~!」
 行き遅れで年増のきったねーアレを、青少年に見せつけてごめんなさい。そう口に出したつもりだけど浴槽に口が沈んでるものだから、泡の音だけがブクブクッと浴場内にこだまする。
 いやいや、あの可愛さで男の子ってのはインチキだ‼
 とりあえず長湯でのぼせてしまいそうなので、浴槽から出る。そしてふと目に入った私の手、というか人さし指……の爪。
(そういえば……)
 スーリヤ嬢殺害未遂の嫌疑がかかって、王宮に招聘されたのは前世で十六歳になってすぐだった。だけど物的証拠はなくて証人のみ。
(じゃあ証人は誰よ、呼びなさいよっていったら会わせられない教えることはできない……そんな対応だったな)
 翻って私は犯行時刻にお屋敷で公務中だったからそれを伝えて、
「私のお付きメイドのダスラに訊いてみてください。その日は一歩もお屋敷を出てはおりません!」
 と突っぱねて押し通した。こちらはこちらで身内の証言なんてあてにならないってことで、取り調べはグダグダのままに終了して。
「で、家に帰ってきたらダスラが私の部屋を家探ししてたんだっけ」
 私の部屋の、暗証番号がわからないと開けられない庶務机の引き出し。それを勝手に開けて、こちらに背中を向けてもぞもぞしてたダスラ。
 私が屋敷に帰ってきたこと部屋に入ってきたことに、まだ気づかないでいる。そのダスラの右手に、見慣れぬ薬瓶が握られていて。
「ダスラ、なにをやっているの? その薬瓶はなに?」
「ナ、ナーシャ様⁉ もうお帰りで……」
 あのときの慌てふためいていたダスラの顔を、ふと思い出して吹き出してしまう。だけど当時の私は、それどころじゃなかったんだよね。
「ダスラはなにを探しているの?」
 なんて怖い顔でにらんだりして。ダスラが狼狽したまま全然要領を得ないから、
「ねぇ、ダスラが私の物を泥棒するなんて思ってない。だから教えて」
 なんて言った記憶がある。
 私の不在時を狙って、ダスラが私の部屋から盗みを? いやいやそんなわけない、ダスラがそんなことをするはずがない……心が揺れてグチャグチャだった。
 そしてダスラが覚悟を決めて話してくれたのが、アシュヴィン殿下暗殺未遂の顛末だ。その手にある毒薬は私に冤罪を着せるために仕込まれていて、それを探していたのだと。
 でもまだ起こってない先の話をまるで見てきたことのように言うもんだから、
「それ、私に信じてもらえると思ってるんだ?」
 って言ったら。
「ただ、信じてください。言えないことも多いですが、決してナーシャ様を裏切ってはいません‼」
 ダスラは理由は一切言わず、信じてくれの一点張り。それでも私が頑なに詰問してたら、ダスラがぼろぼろと涙をこぼして。
「お願いだから、ナーシャ……」
 そう言って泣き崩れたんだよね。
(そっか。あのとき私、ダスラに呼び捨てされてたんだ?)
 今さら気づいたよ、それ。当時すぐに気づいてたら罰として鞭を一発くれてやってたのに、もったいないことをしたな。
 ――自室に帰り、寝間着を着て就寝準備。といっても眠れないので、ワインを寝酒にとグラスに注ぐ。
 二十九年前のあの日、泣いちゃったダスラに対して私も引き下がることができなくて。っていうか振り上げた拳を下ろすタイミングがわからなくてね。
「どうしたら信用してもらえるんだろう……」
 なんてダスラが困り果ててるもんだから、もっと困らせてやろうと思って。
「そうねぇ? あ、そうだ!」
 ナーシャは引き出しからピンセットを取り出して、ダスラに渡したんだ。
「ダスラのねぇ、右手人差し指の爪をちょうだい?」
 あまりにも突拍子もない私のお願いに、ダスラは意味不明って感じで戸惑ってたなぁ。
「さすがに爪を剥ぐなんて残酷なことはできないから、自分で剥いで?」
 もちろん、冗談ですよ? これでダスラを困らせるのはおしまいにして、とりあえず信じてあげよう……そう思ったんだ。だから、
『ビッ‼』
 ってイヤな音がして、ダスラが苦悶の表情を浮かべて脂汗をだらだら流しながら突っ伏してた。その左手にはピンセット、ダスラが自分で剥いだ右手人さし指の爪をつかんでた。
(まさか本当にやるとは思わなかったんだよね!)
 びっくりした。バカかなこいつ、とか思った。
 でも冗談だったとはいえ、ダスラを精神的に追い詰めての冗談それだったから……もうしわけないことをしたかもしれない。だから今、私の手になぜかピンセットが握られているのは――。
「ダスラへのお詫び……ううん違う、決意表明だ」
 今度こそ間違えないぞ失敗しないぞっていう、歴代のダスラたちに向けた決意表明。
 こんなバカなことを自分でやっちゃうのは、お酒で酔ってるせいかもしれない。だけども、だけど!
『ビッ‼』
 あまりの激痛に、ゴンッとおでこが机上に落ちる。深夜なので悲鳴をあげるわけにもいかず、指先から血をぼとぼと落としながらプルプル震える右手で自分の口をふさいで。
 左手にはあの日のダスラと同じように、私が自分で剥いだ爪をつかんだピンセット。
(これは痛すぎる……)
 なにやってるんだろうなぁ、私?
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