ポンコツ妖精さんは、そろそろ転生をやめにしたい

仁川リア(休筆中)

文字の大きさ
15 / 16

第十五話・夢は枯野を駆けめぐる

しおりを挟む


「可愛い? 私が?」
「あぁ、そうだ」
 最寄りの駅へ徒歩で向かう道すがら、話は自然と昨夜のハプニングのことに。
「ごっ、ごめんね! こんなチンチクリンの裸体なんか目に毒だったよね⁉」
 そう言って狼狽うろたえながら謝罪する私に、
「ティア、お前自己評価が低くないか?」
 呆れ顔でアトラスがそう言ったの。そして、
「お前は可愛いんだから、気軽に男と一緒の部屋に寝泊まりしたりはもちろん、全裸でああいうことをだな?」
 と説教が始まったのだけど、『可愛い』とはついぞ言われ慣れないものだから。
(あ、そうか『皮いい』って言ったんだ?)
 でも、皮……皮膚を褒められたのは初めてだ。そんなに良質な皮膚でもしてるのだろうか?
 そう思ってついつい自分の腕の皮膚を引っ張ったりなんかしてみるのだけど、よくわからないや。
「うーん、普通の皮だよねぇ?」
「ティアお前、それはツッコミ待ちなのか?」
 何がでしょうか。
「何か勘違いしているようだからもう一度言うが、ティアは可愛いんだ。そりゃ体型はお前の言うとおりチンチクリンかもしれないが、顔はキュートなんだよ。言わせんな!」
「へ?」
 皮いいじゃなくて、『可愛い』なの?
「そうだよ。だから、俺だからまだ良かったものの……そんな隙だらけだったら、襲おうと考える男がいてもおかしくないんだ」
「いやー、ないわ」
「あるんだよ!」
 うーん、アトラスイラついてんな?(※原因はティアである)
「あーでもね、アトラス」
「あん?」
「私、下半身に何もないんだよ。てか妖精は皆そう。お尻の穴も、おしっこの穴もないんだ」
「へぇ、そうなのか?」
「うん。それにマ……もないよ?」
「なるほどなぁ……ってそういう問題じゃねぇっ‼」」
 どういう問題だと言いたいのだろう?
「じゃあ何か、下に何もないなら俺が『見せてくれ』と言ったら見せてくれるのか?」
 うーん、それは……いや、前世のニンゲンだったときの倫理感に影響を受けちゃってるせいもあるから、心中をフラットにして考えてみよう。
(アトラスになら、まぁ見られても?)
 私が真剣な表情で無言で考えこんじゃったもんだから、
「そこは秒で否定しろ‼」
 怒られちゃいました、タハハ……。
「ま、気をつけるよ。さすがに上は見られたら恥ずかしいからね」
「下もそう思ってろよ、ったく」
 とまぁそんな会話をして歩いてたら、駅に到着。話は通ってるというということなのだけど、どこに行って何をすればいいのやら。
「とりあえずカウンターだな」
「んっ」
 二人でカウンターに向かう。アトラスが、
「おうおう、昨日の件だがよ?」
 とかいきなり因縁をつけてきたチンピラのように話しかけるもんだから、
「ちょっ、代わって‼」
 と無理やりどかせて。
「ベネトナシュは揺光の塔を守護するティアと申す者です、昨夜の件でお話を聞きにやって参りました」
「ティッ⁉ しっ、しばらくお待ちを‼」
「えー、しばらくなんて待ってらんない」
 ってちょっと嫌味っぽく返したら、
「すっ、すぐに戻って参ります!」
 って大慌てでバックに走って行っちゃった。昨日の件でムカついてたのもあるけど、ちょっとやりすぎちゃったかな?
 何やら駅のお偉い方を連れて戻ってきて、私たちは案内されるがままについていく。
(駅長室……てことは、駅長さんかな)
 促されるままに二人、ソファーに。アトラスはドカッと座るや否や足を組んで、ジロリと駅長さんを一瞥。
「ひぃっ⁉」
 そりゃ二メートルの筋骨隆々なダークエルフにそうされちゃね、震え上がるよ。
「ま、まずは切符の代金をお返しします」
 そう言って封筒を二通取り出す駅長さんだけど、
「おい、違わねえか?」
 アトラスが、苛立ちを隠せずにそう言う。やっぱアトラスも、同じことを思ったみたい。
「えっ⁉ いえ、ちゃんとお二方が払った切符の代金を確認しましてですね?」
「そうじゃねえっ‼」
 ドンッと目の前のローテーブルに拳を叩きつけるアトラス。その勢いでお茶の入ったカップが少し浮いてこぼれそうになる。
「まずは、謝罪が先じゃないでしょうか?」
 ここで私までヒートアップしたら、アトラスが影響されちゃう。なので、そこは我慢して冷静にそう諭してみせて。
「あ……は、はい! 確かに! 申し訳有りませんでした‼」
「はい、謝罪は受け入れます」
「お、おいティア⁉」
 何だか納得いかない様子のアトラスだけど、駅長さんだって無能な部下のせいで頭が痛いだろうからここらへんが落としどころだ。
 で、有り難く切符の払い戻しの代金を受け取る。私のほうの封が薄いのは、同じフェクダ領から乗ってきてたからだろうな。
 対してアトラスはミザールから乗ってる。アリオト、メグレズと国を跨いでるから代金に私と差があるのはしょうがない。
「そ、それでですね? かっ、代わりの列車をご案内させていただきたいのですが」
 うん、そうだね? そこは奮発してもらわないと、私の気も済まない。
「おう、それじゃあよ? 『ミルキーウェイ』のお貴族御用達の個室寝台の切符をくれや」
 えー、イヤだよ私。あんな選民意識に凝り固まった奴らと、同じ車両はイヤだ。
 って、アトラス。私をチラ見して意味深にニヤッと笑う。
(あ、そうか。最初に無理難題をひっかけておいて、そこからベストな妥協案を引き出す気だ)
 いやでも、この落とし前は塔の六賢者であり鉄道会社の生命線でもあるソラとターニーが後ろで睨みを利かせている。何より駅長さんの目の前にいる私だって、塔の賢者なのだ。
(アトラス、本当にそれの切符もらえちゃうよ⁉)
 ……って思うじゃない? だけど意外にも、それは断られた。断られたんだけどその理由が。
「いえ、あのクラスにご乗車できるのは爵位のある方と一部の平民のみと決められておりまして……」
 へぇ、意外と強気なのね。安心してよ、私も乗りたくから。
(アトラスも、断られるとは思ってなかったみたいね)
 何か意外そうな表情で、ポカーンとしているな。
 だけどその次に駅長さんが発した言葉で、私は今代のティアとして初めて殺意を覚えたんだ。
「そ、それに会社の内規で『ダークエルフ』と『奴隷民』の立ち入りは禁じておりまして」
 アトラス、一瞬信じられないという表情でポカンと口を開けたのだけど。
「てめぇ、もう一度言ってみろ‼」
 内規ということは、つまりお客さんには内緒だけど自分たちでそう取り決めてるということ。そっか……そっかぁ。
「あ、いえ。でしたらお二人のためだけに一両臨時で……ウッ⁉」
 駅長さん、とたんに胸を押さえて苦しがる。ヨロヨロと立ち上がって、両膝をついて。
「おいおい⁉ どうしたんだよ、大丈夫か?」
 アトラスがさっきまでの怒りはどこへやら、心配そうに駅長さんの顔色を覗き込むのだけど。
「うぐっ、熱い! 熱い‼」
「いったい何が……」
 困惑した様子でアトラスが私に振り返る。そしてアトラスが見たのは、絶対に見せたくなかった私の――。
「ティア⁉ お前なのか? 落ち着け、やめるんだ‼」
 イヤだよ、こんな奴死ねばいいじゃん。どう? 自分の身体に滝のように魔力が流れ込んでくる感触は? 満タンになってもそれは止まらなくて、そして爆発して四散するんだ。
 この一万年、私がそうして死んできたように。
「やめるんだティア‼」
 本来なら治癒魔法であるはずの『神恵グラティア』。だけど薬も過ぎれば毒になる。
 私がデュラが言うところの、『最弱にして最強の妖精』とされる所以がここにある。これに耐えきったことがあるのは、今のところアルテとデュラのバケモノ二人だけ。
「ティア!」
 熱いだろうね? 多分今この駅長さんの体躯は、前世でいう電子レンジに放り込まれた感覚に近い。でも新しくできた友人のアトラスを、その目前で侮辱した罪はなんとしてでも贖ってもらわないと。
 しびれを切らしたアトラス、私に手を振り上げて。
(殴って正気に返そうと?)
 あいにくだけど私は正気なんだ。だから殴られたぐらいじゃやめないよ?
(え?)
 だけどアトラスが私を制するのに使ったのは、手のひらじゃなくて……唇だった。
「ア、アトラス……?」
「落ち着いたか?」
 え、ちょっと待ってちょっと待って。今……キスした⁉
「あ、あの……アトラス?」
「いいから。出るぞ、ティア。もうここには用はねぇ」
 え? いや、アトラス? 駅長さん倒れたままだけど、ほっといていいの?
「倒したのお前だろ……」
「そうなんだけど」
「これ以上ここにいたって、胸クソ悪くなるだけだ」
 うん、そうだね。私はアトラスに促されるまま席を立ち、二人で駅長室をあとにした。
 なんとなくお互い無言のまま、駅構内をぶらつく。
 不本意な途中下車だったため、ここはどちらかというと田舎。ぶらつくほどの広さもなく、すぐに駅玄関にたどり着いちゃって。
「飯、食っていくか?」
「う、うん」
 駅の隣に、やっぱりありました羽猫そば。中に入って私はたぬき蕎麦を、アトラスはバケツ蕎麦の食券を買う。
「ほぇ~。それ注文する人、初めて見た」
 いや、ここまで何度か見たよ? 一緒にお店に入った人が注文したのは、て意味ね。
「普通の蕎麦じゃ足りないんでな」
「大盛りでも?」
「あれのどこが大盛りなんだよ」
 なるほどなぁ。これだけの体躯なんだ、燃費悪そう。
 待っていると、私のほうの蕎麦が先に来た。だけど今日は二人だからね、アトラスのも待つ。
「いや、先に食えよ。伸びるぞ」
「ん、じゃあごめんね。お先にいただきます」
「おうよ」
 無言でお蕎麦をすすっていると、アトラスのも到着。いやはや凄いな、コレ!
「本当にそれ、全部食べきれるの⁉」
 私だったら、胃が破裂しちゃう。
「初めてじゃないからな」
「ふーん、初めて……」
 何気なく漏らした私のその言葉に、先ほどのキスを思い出してしまう私。赤面して俯いてしまう。アトラスも、ちょっと気まずそうだ。
「ねぇ、アトラス?」
「ん?」
「さっきは……助かったよ。あんな奴死んでもいいけど、後がメンドクサイことになるとこだった」
 恥ずかしくて、アトラスのほうを見れない。だから、丼の中のお蕎麦を意味もなくまぜまぜしながらの私。
「怒ってないのか?」
「怒られるべきは私でしょ」
 これは、本心で。
「初めて、だったんだ」
「……おう」
 今代の肉体的には、ですが。精神的には、コレまでの数え切れない転生の中でね? そりゃ経験してますけども。
「責任、取ってくれる?」
 私のその言葉で、アトラスの箸が止まる。
「……どうすりゃいい?」
「巻き寿司、食べたい」
 って券売機を指さす私。アトラスのバケツ蕎麦を見てたら、さすがにコレは無理だけどもう一品て思っちゃったんだ。
「……わかった。ちょっと待ってろ」
 箸を置いて、券売機に向かうアトラス。巻き寿司のチケットを買って、戻ってくる。
「二個は多いかな」
 でも二個セットなのだ。
「一個、引き受けてくれる?」
「構わんよ」
 で、なんとなくまた無言で食べ続ける私たち。
 まさかここで水色ちゃんとバッティングはないだろうなぁとフラグは立ててみるものの、さすがにフラグは不発だった。
「……変なこと、訊いていい?」
「何だ?」
「私とのキス、どうだった?」
「お前……」
 ごまかすように顔を真っ赤にしてお蕎麦をすする私と、こっちを見てるアトラスもちょっと顔が赤いかな?
「まぁ……無我夢中だったからな、ティアを止めるのに。最初は殴ってでも止めるつもりだったんだが、目がな」
「目?」
「てっきりティアは正気を失ってる状態だと思ったんだが、目が言ってたんだ。『殴りたければ殴れ』って。だから、殴るだけじゃ無理だと判断した」
 あらら、看過されてた。
「まぁ元より、その、なんだ。人生の大先輩にコレ言うのすげー抵抗あるんだけど」
「それは気にしなくていいよ、何?」
 うーん、体育会系てこういうとこめんどくさいな?
「ちっちゃい女の子、殴れねーよ」
「キスはできたのに?」
 アトラス、勢いよくお出汁を吹いた。
「ゲホッ、ゴホッ……ティア、お前なぁ⁉」
「ごっ、ごめん!」
 アトラスが吹いた責任は私にあるので、テーブルの上は私が拭き拭き。
「正直、イヤじゃなかったから安心していいよ」
「そ、そうか? というか、誰にでもそういうこと言うんじゃねーぞ!」
「はぁ~い」
 アトラスだからいいんだよ?
 まぁそれはさておき、今後はどうしようかな。帝都行きは、まぁ続行だとして。
「アトラス、どうする?」
「そうさなぁ……」
 私は、お蕎麦を食べ終えて巻き寿司に。残ったお出汁で巻き寿司を流し込む。
(もう食べ終えてる……)
 男の人が凄いのか、アトラスが凄いのか。さすがにアトラスはでっかいので、どこに入ってるんだろう感がまったくないな。
「ま、この駅から乗れる寝台列車があればそれに乗る。無ければ、停車する駅まで行って乗り継ぐ。どうだ?」
「ん、同意! あ、だけど‼」
 私が何を言いたいのか察したアトラス、ニカッと笑って。
「わかってるよ、鉄道会社あいつらの世話にはならねぇ。切符代も自分らで出そうぜ」
「だね!」
 そして私、不意に思い出しちゃったんだ。アトラスという名前のダークエルフ。
「ねぇ、アトラスさ」
「ん?」
「シマノゥ教の聖女で、アンさん。アンドロメダさんて知ってる?」
 驚愕の表情だな、アトラス。やっぱりそうなんだ?
「ティア、お前……⁉」
「あと、ペルさんだっけ? それとリゲルさん」
 アンさんと、パーティを組んでた人たち。マッド・トレントの群れの前で、アンさんは自らを犠牲にしてアトラスたちを先に行かせた。
 そしてなんとか一人で打破して彼らに追いついて、トレントの魔王であるクレイジー・トレントと対峙している三人とともにそれを撃破したんだ。
 だけどアンさんはマッド・トレントに呪われてしまっていた。陽が沈むと、誰もがアンさんを忘れてしまうという忌まわしい呪いに。
 アンさんは、結婚を誓ったペルさんにその存在を忘れられてしまった。ともに戦ったリゲルさんと、そしてアトラスにも。
 結果として、魔王を倒したパーティは三人のみということになって。アンさんは誰からも忘れられてしまったどころか、ミザールの王城に忍び込んだという冤罪をかぶって三年間投獄されちゃったんだ(※第三話~第四話)。
 前日の陽が沈む前、魔王を倒した一人として王城に招き入れられてただけなのにね。
「私ね、アンさんに出会ったことあるんだ」
 そして私は、アルコル諸島への道程での話をした。船内で発生したフレア肺炎の話、アンさんと船内中を治癒して回った話。
 そして私もまた、トレントの呪いで陽が沈んでからはアンさんを忘れてしまったことも。かろうじてアンさんのことを書き留めていた自分のメモを元に、ソラを紹介した話も含めて余すところなく。
「決めてたんだ。アンさんにいつか絶対、謝りに行こうって」
「そうか……」
 何だか立ち食い蕎麦屋で長々と立ち話しちゃったな、店員さんがイラついてるや。
「続きは、車中でしようか」
「あぁ」
 アトラス、気の毒なくらい落ち込んでて。ちょっと泣きそうになってる?
 アンさんのことだから、きっと言うんだろう。あなたたちは悪くないよって。それが想像できて、すごくつらいよ。
 願わくばアンさんの名誉回復が成りますように。ミザールの王室が、公式にそれを公布してくれますように。
 そう願いを込めて、私たちはお蕎麦屋さんを後にした。
 結局、その小さな駅じゃ寝台列車は通過しているとのことなのでフェクダ国境にある最寄りの大きな駅まで普通列車で。車中、二人ともどんよりとしてて会話はなくて。
 あの貴族御用達の列車はイヤだと二人の意見が合致したので、新たに買い求めたのは魔石寝台特急『プレアデス』の切符。普段ならどんな列車なんだろうなぁとワクテカするところだけど、何だかそんな気分になれないや。
 国境の駅に『プレアデス』が到着するのは深夜〇時前だった。今日最後の停車駅で、朝までノンストップ。午前七時ごろに、最初の駅に到着するんだって。
 翌朝にはもう隣国・メラクだけど、目的地はさらに隣の帝都・ドゥーベ市国だから……明け方まで、語り明かそうってことになった。
「アンさんの名誉は晴れたの?」
「あぁ、ミザールの王室ではアンの所在を探すべく諸国にも協力を依頼したらしいんだが、まだ見つけられないでいる」
「見つけたらどうするの?」
「決まってる。陛下も殿下も、直接侘びたいと。俺もリゲルも、ペルもだ」
 ペルさんはどうかなー、アンさんの婚約者。呪いのせいで仕方ないとはいえ、今は可愛い奥さんと子どもさんがいるのだとか。
「俺も、アンが気の済むまで殴ってもらおうと思ってる」
「アンさん、そんなことする人じゃないでしょ」
「……」
 アトラスの気持ちもわかるんだ。アンさんがそれで気が済むのなら、私だってぼっこぼこにしてほしい。
 そしてふときづいちゃったんだけど。
「帝都を目指すことと、何か関係があるの?」
「アンの実家がある」
「なるほど……って」
 アンさんの話では両親からも忘れられてしまい、実家にあったアンさんの思い出の品は全部『知らない間に置いてあった』という扱いで気味悪がられ、捨てられちゃったって。
 そこまではアトラスに話してなかったので、伝えた。
「……ッ⁉」
 絶句してんね。私も初めて聞いたときは、言葉失ったもん。
 アンさん、そんな実家にまた戻るだろうか?
(いや、でもソラに解呪してもらって……こうしてミザールの王室やアトラス、私にも思い出してもらえたんだ)
 だから可能性の一つとしてはあり得るんだろう。いてくれるといいな、帝都に。今はただそれだけを願って……。
(あ、月だ……)
 車窓から見えるは上弦の月、月見草の咲く頃合いだ。
 そういやアンさん言ってたな、月見草は朝方に萎む。そしてその萎むときの花びらの色は、ティアの瞳と似た緋色で……誰も昨夜の白い花を覚えていないんだって。
 私はおもむろに、髪飾り兼用の羽根ペンを取り外す。うーん、書くものないな?
(これでいいか)
 グイッと自分の羽の上端を引き寄せて、自分の身体に落書きじゃないけどそこに記した歌は。

『有明の 月の下にて 萎めども
 胸に咲く花 忘れじの花』

 うん、相変わらずイマイチだな。
「なぁ、それは何だ? 何で自分の羽に落書きしてんだよ」
 訝しげにアトラスが訊いてくる。そりゃそうだよね、自分の羽に落書きしている妖精なんて、ついぞ見る機会ないだろうし。
「あぁうん。歌をね」
「歌?」
「アンさんは、自分を月見草にたとえてた。月見草、知ってる?」
「んー、野営のときに見たことあるな。白い花だろ?」
「うん。でも夜明け方には緋色に変化して、萎んじゃうの。それで、誰も昨夜の白い花は覚えてないんだよねってアンさん言ってた」
「……」
 うーん、お通夜みたいな雰囲気になってしまった。
「だからさ? たとえ月見草がしぼんでも、私の胸に咲いた花はもう忘れませんよっていう……私なりの贖いの歌」
「そうか。いい歌だと、思う」
「ありがとう」
 列車の車輪がレールの継ぎ目を拾うリズミカルな夜想曲ノクターンが、静かな眠りの世界にいざなう。いつのまにやら私たち、静かに寝息を立てているのでした。


 翌朝、『プレアデス』は隣国メラクの首都・ベータ駅に到着。って私もアトラスも、夜遅くまで語り明かしてたからまだ寝てて。
 なので特にデュラやクラリスちゃんとニアミスするなんて展開もなく列車は一路、終点である帝都ことドゥーベ市国の首都・アルファ駅を目指す。
 車窓に映る私の髪、もうこれじゃ白金プラチナブロンドなんて言えないな。赤毛って言っていいかも。
(『終わり』が近づいている気がする……)
 旅の終わり? ティアの終わり? どっちも? まぁいずれにしろ、自分の終わりは旅の終わりでもあるんだけど。
「何だ、沈んでんな?」
「アトラス……」
 車窓に映る自分を見てアンニュイになってる私に、アトラスがいつもの笑顔で話しかけてくる。
「んー……アトラス」
「うん?」
「最期にアトラスに会えて、本当に良かったよ」
「あ?」
 何だか困惑してんな。
「まるで死ぬみたいな言い方すんだな?」
 怪訝そうにアトラスは訊いてくるんだけど、まぁ本当に死期は近づいているんだけど。
「まぁアトラスに話したところで、どうにもならないしね」
「何の話だ?」
 へ? やばい、声に出てた⁉
「何か様子おかしいぞ、ティア。何か悩みあんのか?」
「いや、今のところはとりあえずアンさんに謝らないとっていう」
 嘘じゃないよ。
「それは俺も同じだが……そのあとは?」
「そのあと?」
 私、ドキッとして思わずアトラスのほうへ振り向いちゃった。
「ティアが悩んでるのは、そこなんだろ? 何か知らないが、俺でよければ力になるぜ?」
「ふふ、優しいね」
 でもリリィ云々は、話すと長くなるし秘匿事項だしで言えないけど。私の生々流転のルーティンなんて、聴いて楽しい話じゃないしね。
 絶対アトラス、悲しい顔をすると思うから。友人を悲しませたくは、ないから。
「ティア、本当にどうしたんだ⁉」
「え? 何が?」
 あ……私、泣いてるや。何で?
「本当に何があった⁉ あのクソ駅長のことか?」
「何であんな奴のせいで、泣かないといけないのよ⁉」
 そりゃあ違う意味で、泣きたいできごとだったけど。
「アトラスに話しても、しょうがないことだから」
 あ、言い方……。
「そうかよ」
 うーん、怒らせちゃったかな?
「ま、たとえそうだとしてもよ。話すだけで楽になるなら聴いてやっから、話したくなったら言ってくれや」
 優しいね、アトラス。でも今、優しくしてほしくないんだ。自分の中で整理のつかないこの気持ち、いったい何なのか自分でもよくわかっていないから。
(死ぬのは今さら怖くないし……)
 転生した瞬間から覚悟はしていたし、これまで何度も死んでるし。じゃあ何で私、死にたくないと思っているんだろう?
「あ、そうか」
「ん?」
 わかった。私は……アトラスと別れたくないんだ。気を付けてたつもりだったけど、迂闊だったな。
 これまでティアとしては、他人に対して必要以上に親密になるのを制御セーブしてたように思う。
 いつか来る別れは残酷で、それは私の力じゃどうにもならなくて。どんなに頑張っても、無理で。アルテにイチマル、ソラ、デュラ、ターニー……彼女たちとはまた逢える気がして、そこらへんは希薄だったけど。
 私たち六人、誰が言ったか『悠久の時空ときを生きる賢者』。再び会いに来るのが何十年後でも何百年後でも、彼女たちはいてくれたから。
 だけど普通、命は有限だ。特に人間族なんて、百年以上もこの世にはいない。
 悲しい別れが待っているならば、最初から出会わないほうがいいなんて言ったら後ろ向きなのかな?
「アトラスはさ、四百年以上生きてるって」
「おう。ティアの一万年には及ばないけどよ」
「ダークエルフの寿命はどのくらいなの? アトラスは何歳でお爺さんになって死ぬの?」
「おいおい、何だ藪から棒に」
「ちょっと、ね……」
「……」
 無言のままのアトラス、私が軽口を叩いているわけじゃないと察してくれたみたいで。
「そうだな、親父が八百歳半ば。爺ちゃんは千歳を目前におっ死んじまったな」
「そっか……じゃあ、また逢えるね」
「何の話だ?」
「私が一万歳ていうの、アレ嘘だよ」
「へ?」
 生きてきた年数を全部合計したら、そうなるってだけ。その中の一つ一つは、三日しか生きられなかった命もある。
 今代のティアはまだ今年転生したての〇歳だけど、その寿命が顕著に表れるのは髪の色。もうすでに転生した瞬間から、ちょっと赤かったけどね?
 毛先からどんどん紅く染まっていき、完全にマゼンタに染まるころには私はもうこの世にはいないだろう。そしてこのペースだと、一年持たないかもしれない。
 ――私はその生々流転のルーティン、アトラスに全部話しちゃった。聴いて楽しい話じゃないのはわかってた、聴かせるべき話じゃないと思ってた。
 だけど何だか寂しくて悲しくて、誰かに聴いてほしかったんだ。
「マジかよ……」
 絶句してるな、アトラス。ごめんね、そんな顔してほしくて話したわけじゃないんだ。
「うん、だからね? そういうわけで私は全然年上でも何でもないから、そこらへん遠慮しないでほしいんだ」
 ちょっとしくじったかなと思ったから、体育会系脳のアトラスを揶揄するように言って雰囲気を変えてみたかったんだけど。
「悪いんだけどよ、悪いんだけど」
「うん?」
「ちょっとティアの運命が壮絶すぎて、言葉が出てこねぇ」
「……うん」
 やっぱそうだよね。
「それで、その涙の意味は何だ? 儚い自分を思ってのことか?」
「いや私は死ぬときは完全に消えるから、お墓はいらないんだ」
「その『はかない』じゃねーよっ!」
 そう言いながら、デコピンかましてきたんだけど。二メートルのマッチョマンのデコピン、これ殺傷力あるんじゃないの⁉
「うぅ、痛すぎる……」
 会心のボケだったのに!
「やっぱボケかよ! ったくこいつは……」
「へへ」
 話して楽になれたし、もう軌道修正しないとね。アトラスとは、こうして仲のいい兄妹みたいにじゃれあっていたいから。
(兄妹みたいに……?)
 あれ、何だろ? この言葉、自分の中ですっごくイヤだ。
「まぁ泣いたのはね、ほら……」
 って言いかけて、何言うか決めてなかった私。とっさの嘘がつけない妖精トラップっていうか、私嘘つこうとしてたのかな。
「何だ?」
「えーと……つまりね? アトラスがまだ長生きしてくれそうだから。解決したかもだから」
 そう、また逢えるかもしれないから。次のティアで、だけど。
 でも何だろうな、その再会は今代のティアじゃないんだ。次代のティアは、こうしてアトラスにまた逢いたいって思っている私なのかな?
 そして私、ハッときづいてしまう。憶えがあるんだ……この切ない、胸がとっても痛くなる感情の名前を。
「んん? 俺の顔に何か付いてるか?」
 私が無言で見つめちゃったもんだから、何だか慌ててんのがおかしいや。
「うん、二ヶ所ほど……」
「え、何だ。ゴミか?」
 怪訝そうに両手で顔に手をやるアトラスに、必殺のティア砲をば。
「いや、目が二つ……イダダダダダッ! こめかみグリグリやめてっ‼」
「お前なあっ‼」
 ひー、ガチのマジでリアルで痛いんですけど‼ お願いだから、手加減してください……。
 んでもって車窓の外はすっかり黄昏時、ポラリス山脈の遠景に夕陽が沈む。そういやこの列車、全然堪能できてなかったな。
「ちょっと探検してくる」
 そう言って立ち上がって通路に出ようとする私の手首を後ろからガシッと掴み、
「どこにだ⁉」
 とはアトラス。
「いや、車内を……」
「ガキかよ!」
「ガキだよーだ!」
 そんな軽口を叩きあい、一緒に来るかな?と思ったけど。
(うーん、誘うべき?)
 見るとアトラスは窓のとこで顎に手をやり肘を付けて、何だか黄昏ちゃってんな。私が変な話をしたからなのかな。
(ごめんね?)
 心の中でそう言い残し、まずは前方の車両を探検。私とアトラスは七両目の二等寝台客車なんだ。
 テクテクと、そしてときには軽くパタパタと飛びながら車両を移っていく。そして特に発見も驚きもないまま、先頭車両にたどり着いてしまった。
「前二両が個室寝台、後ろ四両いや五両が二等寝台か」
 比較的、まともな編成? いや、今まで乗ったのか何かキワモノだっただけかもしれない。仕方ないのでそのまま引き返し、七両目の座席まで戻ってきたけどアトラスはまだ窓際で微動だにしてなくて。
(ふむ、後ろも見てきますか)
 八両目、ここから三等寝台客車なんだな。二段ベッドが向かい合ってる解放型。そういやまだ上階の寝台は乗ってないや。
「『なると』では乗ったけど個室だったしね」
 ターニーとの二人旅、楽しかったな。前展望の窓からの見晴らしは最高だった。
(ま、それもかのパンデミックで無念の中断をしちゃったけど)
 でもそれでジャスミンさんと、オズワルドさんと出会えた。人間万事塞翁が馬、一期一会。生きるってやっぱ楽しい。
「ま、すぐに死んじゃうわけですが」
 なんてちょっと自虐的になったりなんかして。
(そういやジャスミンさんたち、メラクに戻ってきてるのかな?)
 オズワルドさんとジャスミンさんが住んでたのは、ここメラクだ……といっても自分は車中の身だけど。夜半過ぎ、列車はメラク国境を抜けて帝都・ドゥーベ市国に入る。
 メラクで降りて会いに行くって考えがすっかり抜けてたのがなんかモヤったけど、そうしたらアトラスとの列車旅との引き換えになっちゃう、うーん? うまくいかないのもまた、『生きる』ってことだね。
「で、すぐに死んじゃうわけですが」
 私もしつこいな⁉
 八~十両目は同じ三等寝台で、十一両目。
「食堂車だ……ぁ?」
 語尾が疑問形の私、だって本当に……。
「羽猫そば⁉」
 食堂車にも進出していたの?と驚いたけど、メニューを見る限りほかの立ち食いチェーン店と違いご飯ものとか豊富のよう。お蕎麦定食とかあるんですけど、これ炭水化物の組み合わせに抵抗ある人は敬遠するんだろうな。
 今日の夕飯は、ここにしよう。ってほかに選択肢もないのだけど……車内販売でお弁当があるくらい。アトラスは誘ったら来るかな? お酒のレパートリーも多いから、来るだろうな。
(あ、まさかと思うけど水色ちゃん……)
 いなかった。なんかホッとした。
 気を取り直して十二両目へ向かう途中。食堂車の最後、ノートとペンが置いてあるだけのテーブルがあって。
『ご自由に旅のご感想をお書きください』
 みたいな貼り紙があるのね。うん、どんなことが書かれてあるのかな?
 そしてページをめくって。メラクのご飯が美味しかっただの、帝都は都会でびっくりしただの、切符代が高すぎるだのとまぁ思いは千差万別。十人十色、みんな違ってみんなめんどくさい。
 だけど私、最後のページを見て何だか複雑な気分になってしまった。
『天ぷらそば定食を注文しました。お味噌汁・お漬物は及第点なれど、小皿ながら天ぷらの盛り合わせがついていたのに納得いきません。天ぷらが重複ダブってしまっているので、胃もたれする方もいらっしゃるのじゃないでしょうか。是非とも改善を求めます』
 とか、くっそ真面目なクレームというか改善依頼というか署名がね。
『by マリィ』
 ……違うよね? 絶対、同じ名前なだけの偶然よね?
(そっか、天ぷらそば定食はやめとこう)
 そして私はノートをソッ閉じして、次の車両に向かう。
「ふむ、これは『ダエグ』と同じやつだ」
 リビングカー。シャワー室と喫煙室、そしてソファーとローテーブル。ソファーが窓側に向かって座る配置になっているのだけど、ほとんどの人がポラリス山脈が見える車窓側に座ってるな。
 と思ったら前から車内販売のワゴンが来たので、邪魔にならないように横に……。
「あ」
「あら? あのときの妖精のお客様!」
 久しぶりだな! 『ダエグ』のときに、本来なら個室の一等寝台客にしか販売されていないシャワー室のチケットを融通してくれた吸血種・鳥獣人のお姉さんだ。
 蝙蝠の羽のお姉さんと、妖精の羽の私。とてもじゃないがすれ違えないので、私のほうが羽を畳んで横に。お姉さん、軽く飛びながらワゴンを押してたからね。
「すいません!」
 そう言って私に頭を下げて通りすぎようとして、
「あ、お客様。この列車は、どの車両のお客様でもシャワー室をご利用できるんです。シャワーカード、ご購入なさいますか?」
 あら、そうなんだ。『ダエグ』よりは比較的庶民寄りなのね、これ。
「教えてくださってありがとうございます、二人分……ええと、三十分で」
 アトラスのも買ってあげようと思ったんだよね。 
「この度は、お一人ですか?」
 二回利用すると思われたのだろうか? ちょっと怪訝そうに訊かれたので、
「いえ、旅の連れがいるんです」
 と説明。
「当列車のシャワー室は『ダエグ』に比べると設備のグレードは落ちますが、シャワー口が二つ付いてるんです。ですのでシャワーカード一枚でお二人一緒にご利用できますけど、どうします?」
「いいいいいえっ、そそっ、そういう仲じゃないので‼」
 何で私、狼狽えてんだ。
 結局二枚買ったのだけど、顔のほてりが治まらない。構造上、妖精は血管はないし血液は流れていないのだけど、どういう理屈でそうなるんだか?
 ま、それはともかくとしてこの十二両目が最後尾だった。
 お腹も空いたので、アトラスを誘うべく私は踵を引き返す。一緒にお蕎麦食べよう!(アトラスは蕎麦じゃなくてもいいけど)
「アトラス、ただいま」
「おう、おかえり。どうだった?」
「食堂車が羽猫そばだったよ」
 アトラス、怪訝そうな表情に。わかるよ。
「蕎麦しか食えないのか?」
「ううん、普段のメニューにくわえて色々あった。お酒のメニューも結構豊富みたいよ」
「それは助かる!」
 そういやアトラスが私との旅の同伴を決断したのって、一緒にお酒が呑めるからだっけ。
「ねぇ、アンさんの実家ってアルファ駅から近いの?」
「駅前つーてたな」
 何ですと!
「じゃあ駅から降りて早々に、覚悟を決めとかないとなのね」
「何の覚悟だよ……いや、わかるけど」
 うん。呪いのせいだって言ってしまえばそうなんだけど……トレントの魔王を倒した勇者の一人なのに、王城に不審者扱いされて三年間も投獄させられちゃったんだ。
 アンさんの言い分も信じず、というか誰もがそれを『忘れて』しまって。つくづく、忘却は罪だと思う。
(そして私も……)
 六賢者だか大層な扱いされていながら、何にもできなかった。ソラを紹介するぐらいが関の山で。
(ソラ曰く、デコピン一発で吹っ飛ばせるほどの簡単な呪いだった……らしいのだけど)
 でもそれはソラのようなバケモノだから可能だったわけで、私がへなちょこなのには変わりない。
「許して……くれるといいね」
 アンさんは、多分許してくれるだろうな。だけど私はともかく、アトラスは許されるほうがつらいかもしれない。
「……まぁな」
 アトラスは口少なだ。
 こんなとき、どんな言葉をかけてあげればいいんだろう。それがわからなくて、無力感に打ちひしがれちゃう。
「アトラスはさ、」
「いや、先に飯にしようぜ。食いながら話そう」
「あ、うん」
 楽しい話になりそうもないけど、とりあえず同意。二人で食堂車に向かう。
「私は何にしようかな」
 いつもなら山菜そばを頼むことが多くて、たまに天ぷらそば。たまに巻き寿司も追加しちゃったりなんかして。
「でもここでしか頼めないメニューにするべきだよね!」
「そうだな?」
 というわけで、水色ちゃんかもしれないマリィさんがクレーム付けてた天ぷらそば定食をば。せっかく人柱になってくれたのに、天邪鬼な私。
「俺はバケツ蕎麦定食と、バーボンにしよう」
 待て待て、バケツ定食?
 バケツに入ったメガ盛り蕎麦にご飯にお味噌汁にお漬物、それと天ぷらの小皿が付くんだっけか? そりゃ駅の羽猫そばでバケツ蕎麦食べてるのは一度見たし、でも定食まで入るんかーい。
 よしんば食えたとして、それをバーボンで流し込むのって。
「アトラスは何でそんなに食べられるの?」
「ティアはそれだけで足りるのか?」
 多分アトラスとは一生わかりあえないね、これについては。うん。
 そして待つこと十分、私のから先に来た。もう遠慮する仲でもない(?)けど、一応アトラスに断って先に箸を付けるのだけど。
(うぅ、天ぷらが胃にもたれる……)
 天ぷらそばを食べて、さらにご飯に天ぷらの小皿。いわばミニ天丼。漬物でなんとかリフレッシュできるけど、ちっちゃな妖精の胃袋にはこの天ぷら尽くしはちょっとキツい。
 せっかくマリィなる人(多分あの人)が警告してくれてたのに私のバカバカ!
「ねぇ、アトラス?」
「何だ?」
「天ぷら、好き?」
 うーん、人に押し付けようとしてる私。最低だな。
「食いきれないのか?」
「……うん、そうなの。お願いできる?」
「おうよ」
 アトラス、そういうが否やひょいパクひょいパクで。あっという間に私の天ぷらの小皿は空に!
「助かった! あ、でもご飯はどうやって消費しよう」
 天ぷらの油でギトギトになった口休めでお漬物を消費したから、もう残り少ない。
「俺の漬物、やるよ」
 そう言ってアトラス、自分のお漬物の小皿を私のトレーに。
「ありがとおぉっ‼」
 異性と仲良くおかずの交換とか、いつ以来だろうか。しかも異性とってのはもう思い出せないな。
(楽しいな……)
 うん、楽しい。そしてこれは多分、アトラスとだから。
 そしてもう、自分の気持ちに蓋をしてもしょうがない。私はアトラスが……『好き』なんだ。


 列車は夜半過ぎに国境を越えた。ポラリス大陸最西端、カリスト帝国の首都も兼ねるドゥーベ市国へ。帝都へ。
 朝が来て昼が過ぎ、魔石寝台特急『プレアデス』は終点・アルファ駅へ二十分遅れで到着。帝国は七ヶ国で構成されているけれど、ほかの六国間は旅券パスポート査証ビザも無しに行き来が自由。
 まぁさすがに身分証明書は掲示しなきゃなんだけど、ここ帝都だけは違う。煩雑な入出国手続きが必要なんだよね。
 仮にも皇帝のいらっしゃる皇城もあるしで、まぁテロ対策としてそれはしょうがない。
 アトラスはもちろんどちらも持っているし、私も六賢者の一人。顔パスとまではいかないけど、簡単な手続きだけで済んだので私のほうが先に終わった。
 駅構内で待っていると、アトラスも手続きを終えて合流。そういやアンさんの実家、駅前つーてたな。
「い、いよいよ、だね」
 そう言って足を踏み出す私に、
「違うティア、そっちじゃない」
「え?」
 駅の南口は、さすが帝都だけあって高い建物がずらりと並ぶ。前世ニホンでのトーキョーほどじゃないとはいえ、さすがは帝国の心臓部。皇帝の住まわれる都市だけあるなぁと感嘆してたんだけど。
「北口だ」
「あ、そうなの」
 二人、駅構内を北口へ向かうのだけど……長いな? 通路も階段もところどころ放射状に延びているし、地下鉄乗り場なんてものもある。高速鉄道は高架を走るらしくて、そちらへの出入り口も。
「迷ってしまいそう」
「あぁ、圧倒されるな」
 田舎者二人、巨大な駅の中にあってその存在はとてもちっぽけだ。それでもやがて北口に到着、その一歩を外に踏み出して。
「全然雰囲気が違うね?」
「だな」
 大都会という言葉が似あう南口前の風景と違い、こちらはところどこに高い建物はあるものの民家が建ち並ぶ。そう遠くないところに田園風景が見え隠れし、あえてなのかどうか知らないけど開発の度合いが南口前と真逆だ。
「あそこだ」
 アトラスが指さすのは、本当に駅のド真ん前。平均的な大きさの民家。
「あそこがアンさんの実家……」
「あ、あぁ」
 二人、意を決して玄関へ。呼び鈴を押して、どっきんどっきんしながらしばし待つと。
「どちら?」
 ガチャリと扉が開いて、年配のおばさん……この人が多分? と思ってたら、あちらがアトラスに気づいたようで。
「アトラスさん⁉」
「おばさん、久しぶりです」
 うーん、敬語のアトラス。ちょっと新鮮かもしれない。
「アンドロメダ……アンは、こちらにいますか?」
 いきなり単刀直入にアトラスが切り出す。まぁそれが来訪の目的なんだしね。
「ごめんなさい、アンはここには住んでいないの」
「え?」
「そんな!」
 まさかの空振り⁉ だけど、その次にアンさんのお母様が漏らした言葉……。
「あなたたちも、アンを『思い出した』のね?」
 ……このときの私の気持ち、どう表現していいかわからない。仲間意識? それとも罪悪感?
「はい……」
 アトラスが、神妙に応える。そして、無言で頷くしかできない私。
「まぁ玄関先は何だから、とりあえずあがってくださいな」
 そう促されるままに、アンさん宅のリビングへ。あいにく、お父様はお仕事でいらっしゃらないとのこと。
 お母様に淹れてもらったお茶をいただきながら、簡単に自己紹介を済ませる。そして、私のほうの事情説明をしたんだけど。
「あぁ、あなたがティア師であらせられるのですか⁉」
「あ、いえ。そう畏まらないでください。ティアとお呼びくださいな」
「えぇ、本当にアンが言ってたとおりの方ですね。気さくで……」
 そう言ってお母様、優しく微笑むんだ。ん? ちょっと待って⁉
「アンさんは解呪が成って、一度こちらに立ち寄られたのですか⁉」
 お母様曰く、アンさんは一度帰ってきたのだそうな。そして地に頭を付けて詫びる両親を快く許し、一週間ほど滞在していったとのこと。
 だけど過去に負った傷は癒えず……また一人で旅立ったのだと。
「親娘としてのとき間をやり直したかったのですが、自分にも考える時間が必要なのだと。そして、何やら変なことも言ってたんです」
「変なこと、ですか?」
 私とアトラス、思わず顔を見合わせる。
「えぇ、『魔皇が復活するかもしれない』って」
 ――そのときの私、ものすごく顔が真っ青だったとあとでアトラスから聞いた。手が小刻みに震えて、止まらない。
 魔王とはアンさんのパーティがかつて戦ったトレントの魔王のように、云わば『一つの魔物の種族の王』だ。対して魔皇というのは、それらを束ねる絶大的な魔界の頂点に立つ存在。
 私は、その魔皇……リリィディアの七つの欠片の一つなんだ。そしてアンさんは、シマノゥ教の聖女職に在籍していたことがある。
 高位の聖女ならば、そういう予兆を感じ取っても不思議じゃない。不思議じゃないけど……じゃあ、リリィはやっぱり復活しようとしている? 聖職者にもそれが気取られてしまうくらい、何らかの前兆シグナルを発しつつ?
「それでアンは、どこへ向かったかご存じですか?」
 言葉が出ず青い顔で震えている私を心配しながら、アトラスが代わりに訊いてくれた。
「それがねぇ……教えてくれなかったの。気ままに足の向くまま、とは言ってたけど」
 そう言うお母様の表情は、少し寂しそうだ。
「あ、あの、アンさんは……魔皇を倒しに?」
 なんとか声を絞り出した私に、
「それは割と、どうでもいいみたいね?」
 ってあっけらかんな返事が返ってきたものだから、私思わず精神的にズコーですよ!
「勇者パーティを追放になって……もう『そういう』のには関わりになりたくないみたいで」
「……ッ‼」
 思わず目を伏せて歯を食いしばるアトラスだ、つらいだろうな。
 結局、それ以上の情報は何も得られなくて。泊まっていけばいいとの申し出は、申し訳ないのといたたまれないのとで遠慮したの。
 アンさんの家を出て、駅前の噴水にアトラスと二人で腰かける。どちらも言葉少なで、ただ茫然と街並み……ではなく地面の石のタイルを見つめてたように思う。
 断片的に少し会話を交わした気もするけど、頭に入ってこない。
「ティアは……これからどうする?」
「アトラスこそ」
 なんとかお互いに絞り出した会話が、コレ。
「俺は、アンを追う。多分だけど、行き違いになったのかもしれない」
「ミザールに帰った、と?」
 話によると、もともとアンさんの一家はミザールに住んでいたと。うん、確かにそう言ってたなアンさんも。
 だけどある日、かの呪いでご両親の記憶から愛娘であるアンさんの記憶が消滅して。でもこれまでにアンさんとともに過ごした形跡、思い出の品は家の中にある。
 だけどそれが誰の物なのか、いつ置かれた物なのかがまったく思い出せない。
「そんな折、投獄を終えたアンは実家に戻り……その存在を拒絶された」
「うん、私は本人から直接聞いたよ」
「……そうか」
 呪いで娘の記憶を失ったご両親は、アンさんに言ったんだ。『誰の物かわからなくて、気持ち悪くて捨てた』と。
 それを話してくれたアンさんは、泣いていた。どんな気持ちで、それを話してくれたのだろうか……って私の『真実の瞳ヴェリタス・アイ』の作用だった。
(凶悪だな、私のスキルは)
 今さらながらに、自分がイヤになるな。
 結局『見知らぬ女性が娘だと言って訪ねてきた』のが気味悪くて、帝都にご両親だけで逃げるように引っ越してきたのだと。だから厳密に言うと、あそこはアンさんにとっては住んだことのない実家なんだ。
「とりあえず、俺はミザールに戻る。ティアはどうする?」
「うーん、そうねぇ」
 別に帝都が旅の目的地じゃない。だからアトラスに付き合うのもやぶさかじゃない……そう、思ってたんだけど。
「アンさんを見つけて、謝って……許してくれたら、アトラスはどうするの? またパーティを組む?」
 いや、それはないかもね。かつての婚約者だったペルさんは、違う人と結婚して所帯を持った。倒すべく魔王はこの先現れるかもしれないけど、勇者パーティはほかにもいる。
 まぁ、魔皇・リリィディアがどうするのか……私は、リリィとなった私はアンさんと戦いたくないな。もちろん、アトラスともだよ。
「許しを乞うのはもちろんだが、もしそれで前のような関係になれるんならさ」
「うん」
 やっぱ、パーティーとしての活動を再開する?
「プロポーズしようと思っている」
 ……え?
「だ、誰に⁉」
 え、もしかしてアトラスも私のこと?とかドキドキした私、今思うと本当に愚物バカで。アンポンタンで、ポンコツで。
「もちろん、アンにだ。ずっと、ずっと好きだったんだ」
「そっ、そう……なの?」
 え、何これ何これ?
「ペルの婚約者だったから、友人として祝福するつもりだった。だがああいうことになって、結果的にペルはほかの人と結婚した。今なら俺も、求婚する資格があると思うんだ」
「……そ、そう……だね」
 やばい、涙が出そう。出るな、出るな。出るな‼
「い、いいんじゃない、かな? お、応援、してる!」
 なんとか、なんとかそれだけを絞り出して。
「私は、私はさ‼ 帝都に来たのは目的、あるから! ここで! お別れだから!」
「あ、あぁ? そういや何の目的で来たのか訊いてなかったな」
 涙、出てないよね? 私、泣いてないよね? 笑顔で、笑顔でお別れしなくちゃ‼
「じゃアトラス、せわしないけど……ここでお別れにしよ?」
「おいおい、いきなりだな! せめて最後に一緒に飯ぐら」
 私が聴いたアトラスの声はここまで、もう涙が出かかってたから羽を高速振動させて急上昇。
 涙が出るのは、風が目に入ったから。痛いんだよね、コレ……だから、悲しくて泣いているんじゃないの。絶対に、違う。
 もう何十年ぶりかの帝都だから、どこに行けばいいのかわからない。知り合いも、いない。
 ただただ私は、アトラスが見えないところまで飛ぶと羽を止めて。妖精だからね、羽を動かさなくても宙にプカプカ浮くぐらいはできるんだ。
 舞い上がった花びらのように、風に任せて右へ左へフーワフワ。私の心もフワフワと、着地点が見いだせないでいる。
 フワフワと舞う度に、目の前の風景が万華鏡カレイドスコープのように変遷していく。海が見えるのは西、山脈が見えるときは東。この街並みは北か南か。
 わからないし、もうどうでもよくて。
「だったら何で……何でキスしたのさ! アトラスのバカ! バカバカ‼」
 もう涙、止まんなかった。


 見慣れない天井。そしてちょっとこれは……薬品の臭いだろうか?
 何つーか、あれ。入院病棟の……って。
「先生! 尾先さんが目を覚ましました‼」
 女性の甲高い声が聴こえたので、そっちを向こうとするんだけど。
(痛っ‼)
 首が痛い。すっげー痛い、何コレ⁉ 強いて言うなら筋肉痛に近い。
 それでも、なんとか『ギギギッ』と音でもしそうな感じで首と視線を真横に向けると、病室を飛び出していく女性の看護師さんの後ろ姿。
(……さっき、尾先さんて言った?)
 尾先ゆら、私の名前だ。正確に言うと前世の。そして享年三十歳……確か、過労死寸前で通り魔に心臓刺されてトラックに轢かれて死んだはず。
(ってすごいな、私の死に方)
 それは、歴代のティアに勝るとも劣らない。
(いや待て)
 待て待て待て。何で今の私は尾先ゆらなの⁉ で、よくよく見ると鼻から腕から、いっぱい管が出てて機械と繋がってる。
 私しかいない個室の入院病棟らしく、入院病棟の臭いがするのも当たり前だ。
「尾先ゆらとしての私は死んだはず……」
 でも、こうして生きている。また死ぬかもしれないけど、とりあえずは。
(整理しよう)
 尾先ゆらとして死に、また性懲りもなく『私の生まれ育った世界』でティアに再転生した。んでもって黒の魔法少女・リリィにこんにちはして(ちょっと違う)、ターニー、イチマル、アルテ、ソラと再会して。
「あ、あのクソ野郎」
 ヤ~なこと思い出した。思わせぶりな態度取っておいて(※ティア目線)、実は好きな人がいましたって……アトラスのバカ!
(で、今は私はゆらに戻ってる。何だか大怪我して入院したみたいだし、死んでなかった?)
 そんなバカな‼ あれは夢じゃない、絶対。……きっと。多分だけど。
 尾先ゆらとしては、両親が早世してるもんだからお見舞いにきてくれるのなんて会社の同僚くらいか。てかあの壮絶ブラックな環境だから、そんな時間も取れないだろう。
(部長とか美香ちゃんとか……心配かけちゃったな)
 いやいやいや、そうじゃない。私、何戻ってきてんの⁉
 でもってその後、お医者さんというかお医者さんのグループ? チーム?がドカドカと入ってきて、てんやわんやで騒がしくなり。
 んでもって色々と検査受けたり再手術なんかもあったりして、やっと心の底から落ち着けたのは私が尾先ゆらとして再覚醒して三か月が経とうとしていた。
 最初は夢オチを疑ったけど、幸か不幸かそうではないみたい。だって……。
(一応、もう一回確認しとこう)
 いや、もう何度も確認してるんだけどね。でも、まだ信じられなくて。
 病室で私は、上半身を自力で起こせるぐらいには体力を取り戻せていた。
 最初は寝たまま尿瓶やら何やらで下の世話は看護師さんに任せっきりだったけど、今はナースコールで呼んで一緒にトイレに行くことができるぐらいには回復してて。
 で、部長やら美香ちゃんやらが頻繁にお見舞いに来てくれてありがたかった。その見舞いの品、定番のフルーツ詰め合わせのバスケットの横。
 私はその果物ナイフを手に取り、ビッと腕に小さな傷を入れる。んでもって、
「『神恵グラティア』!」
 はい、消えました。ティアほどピチピチじゃないけど、それなりにすべすべな私の白い肌に元通りです。
 もうね、笑っちゃう。何で私、中身ティアのままで尾先ゆらに戻ってんの。まぁそれ言ったら、最新バージョンのティアの中身は尾先ゆらだったわけだけど。
 その後、自力で歩けるようにリハビリがあったんだけど私、インチキしちゃったんだよね。つまり、『神恵グラティア』で。
 で、本来なら根気強く長期のリハビリが必要なこの身体を完治させちゃったものだから……『あっちの世界』ならともかく、こっちでそれをやるともうね? 奇跡すぎて医者の学会とかで論文が出ちゃうレベルの。
 さすがにそれはめんどくさいので、まだ身体が上手く動きませんて風でリハビリを頑張るアラサーお姉さんという猿芝居。かったるいなー。
 私が立った歩いたって、涙目で喜んでくれたリハビリ担当の看護師さん。いい人なんだろうけど、どこぞのアルプスの少女のお友達を思い出して吹き出しそうになったのは本当にごめんね?
「さて、どうしようか」
 退院を翌日に控えた病室で私、思案に暮れる。
 何らかの原因でこっちの『異世界』に戻ってしまったようだけど……てか、ゆらとして死んでなかったんだから戻ってきてしまったんだろうけど? 現代医学って凄いな!
 今の自分にはどうにもならないことだけど、選択肢は二つ。
「この異世界で、ゆらの残りの寿命を全うするか」
 それとも、どうにかして『私の世界』に戻って……うーん、リリィとか水色ちゃんとか、クラリスちゃんとかくっそめんどくさいアレにまた関わるのはなぁ。
 まぁ方法がわからないというか、死ねば自動的にあっちに戻る気がする。今回みたいな『寄り道転生』が連続で続いたことないからね。
(って、フラグにならなきゃいいけど)
 リハビリも半ばほどから、八人で一室の一般病棟に移った。なので、とりあえず見られないように仕切りのカーテンで覆い隠して。
 私はおもむろに、上半身裸になる。そして手を胸の刺し傷……ふさがってはいるけど、醜く盛り上がった傷痕に手をあてて。
「『神恵グラティア』!」
 うん、消えた。もう医者の診察はないから、消しちゃって大丈夫だよね。というか私、やっぱりティアのままなのか。
(とはいえこの胸、殿方の誰かに見せる予定も無し……とほほ)
 でもまぁティアのときのような、ちょっと太った男性レベルの胸よりはよっぽど立派なお胸だ。ついつい自分の胸を両手で揉んじゃったりなんかするね(するよね?)。
 ちなみに会社は、入院中に退職届けを出しておいた。多分だけど、私はゆらとしての人生を望んでいない。
 もし目の前にティアの世界に戻れる選択肢があったら、多分迷わないと思うから。
(でも戻る方法なんてあるのかしらん?)
 死ねばいいんだろうけど、『じゃ、行ってきまーす!』と言ってトラックの前に飛び出すわけにはいかない。トラックのドライバーさんに迷惑かけちゃうからね。
(なんとか、人に迷惑をかけずに死ぬ方法はないもんだろうか……)
 まぁ普通に生きてりゃ、いずれ婆さんになって死ぬ。ふむ……改めて考えてみると、すっごい新鮮な感覚だなコレ⁉
「歳を重ねるってことが、こんなにも喜ばしいことだとは思わなかった」
 いや、本当に。『悠久の時空ときを生きる』って、意外と苦痛だったんだなぁと今さらながらに気づく。
 まぁその世界に、身体に戻ろうとしているんだけどね。
 退院して数ヶ月。実は退院後も通院の必要があるとかで、すっかり塞がった胸の傷痕を見せるわけにはいかなくて。
(迂闊だったなぁ……)
 なのでさっさとアパートを引き払い、引っ越しちゃった。携帯も番号を変えて、当然ながら病院はバックレですよ。
 イヤ本当にごめんなさい、こっちの世界で好奇の視線に晒されたくないんだ。でもって、無職三十歳の喪女と化した私です。
 何つーか生きる意味を見出せなくて、でも積極的に死ぬ気になれなくて。どっかの爺さんがアクセルとブレーキを踏み間違えて私に特攻でもしてくれないかなぁと不謹慎なことを思いつつ、今日も日課の徘徊もといお散歩をば。
 ちなみに趣味の俳諧のほうは日課として続けております、ハイ。
(あ、潮の香り……)
 一応料理の腕前は『普通の女性』並みにはあるものの、かったるいので海辺のお蕎麦屋で軽く済ませた私。さすがに水色ちゃんはいなかった、当たり前か。
(もうちょっと歩いたら、『あの牛丼屋』なんだよなぁ)
 ジャスミンちゃんの前世、小津有人君が轢かれて死んだ現場の。なんとなくそっちに向かって歩いていたら、鼻腔をくすぐる潮風。
「潮風の香りは、こっちもあっちも同じだな」
 とかなんとか思いつつ歩いていたら、車の流れがいきなり途絶えた。一応ここ国道なんですけど?
 で、遠くに見えるは人だかりとパトカー、救急車。
(事故?)
 うーん。尾先ゆらである現在いま、人前で『神恵グラティア』使うわけにはいかないし。
「つか、人間なんてどうでもいいし」
 うん、やっぱ私ティアだな。生前のゆら(実は死んでなかったけど)と、ちょっと思考回路が違う気がする。
 で、テクテクと歩いていたら救急車に運び入れられるストレッチャ―に横たわっている血まみれの少女が目に入ったんだけど。
「女子高生か、気の毒だな」
 もうすでに、息絶えていた。いくらティアでも、あれは助けられない。
(即死なんだろうな)
 フロントが少々破損しているトラックが停まっていて、ドライバーらしき男性が警官から事情聴取?されてる。
(あ、あの顔は……そっか、そうなんだ)
 私はもの言わぬ躯となったその見覚えのある少女の顔をチラと一瞥すると、そのまま現場を後にした。
「行ってらっしゃい、茉莉花ちゃん」
 そっか、ここで死んだのか茉莉花ちゃん……オズワルドさん。
 もし私の治癒魔法が間に合ったとしても、助けるわけにはいかなかったろうな。いや助けてもいいんだけど、そうしたらあっちの世界でのジャスミンさんとの再会は叶わなかっただろう。
 それ以前に、私は転生した茉莉花ちゃん――オズワルドさんと出会っているのだ。時間軸的にそれは私の過去の話になるので、もしここで彼女……彼を助けていたらどんなタイムパラドックスが生じるのか予想もつかない。
「それはそれとして、やっぱ私は死ぬべき?」
 どっか人目につかない山奥で、首でも吊ろうかしらん。とまぁそんなことを考えたりなんかする無味乾燥な日々を過ごしてたら。
 白い、白い、真っ白な世界。右も左も、上も下も前も後ろも真っ白だ。
 ただただひたすら続く虚無な空間。その空間に浮かぶは、『本当の私』。
 肩にちょうど付くぐらいの長さの、ゆるくウェーブのかかったプラチナブロンド。シンプルな白い一枚羽の髪飾り。
 十代半ばにも達していなさそうな童顔に、宝石のロードナイトを彷彿とさせる緋色ピンクの瞳。背中には、蝶々のような形の赤味がかかった半透明の羽。んでもって何故か全裸だ。
 前世のニホン人のときは一七〇センチを余裕で超えてた高身長とは対照的に、一五〇センチあるかないか。スレンダーながらモデル体型だったそれも、もうしわけ程度に胸があるとはいえどう見ても幼児体型です、本当にありがとうございました(ひーん!)。
 で、幼児体型の全裸を晒してぷかぷかと白い世界に浮かんでいる『事案』の私。見慣れた、始まりの妖精イニティウム・フェアリー・ティアとしての容姿。
 妖精だから出産や排泄の概念がなく、股間は物理でツルペタだ。
「ってコピペやめぇっ‼」
 ビシッ!と白い空間にセルフツッコミのティア
「いやいや待て待て、ゆら死んでない!」
 私は夜になったから、普通に寝てただけだ。尾先ゆら、寝ながら死んだ⁉
(……来たね)
 目の前に人の気配がしたかと思うと、十代半ばくらいの少女つーかリリィさんお久しぶり!
「また私を呼んだの?」
「いや、今回私何もしてない……」
 すっげー困惑した表情でリリィ。いやいやいや、あなたとまともに会話したの初めてだし、今回は何もしてないってああもうっどこからツッコめば⁉
「ゆらとしての私、また死んだ?」
「言いたくないかも」
 そう。
「で、どうする?」
 何がですかね。
「戻りたいなら、戻れる」
「え……」
 どっちに? あっちの世界に?
「いや、いきなり言われても……そもそもティアとしての私、何でここにいるの?」
 そういやこれまで何度も来てるけど、改めてここってどこなんだろう。生死のはざま的な? リリィの意識の中なんだろうか。
「……憶えてないの?」
 うん。
「ティアは……失恋のショックでヤケ酒してた」
 うっわ、何か凄い聴きたくない話な予感がしてきた。
「で、ふらふらと歩いてたら濡れた地面に足を滑らせてコケちゃって」
「いや知らんがな」
 全然憶えてません! 本当に?
「で、倒れた拍子に頭を打って気を失ったの」
 ……何それ。
「そしたら、意識がこっちに飛んで戻ってきたというか……まだ前世の身体は仮死状態のままだったから、その姿のままで目覚めたみたい」
「……聞くんじゃなかった」
 でもそれじゃ、今こうしてティアに戻ってるのは何故?
「知りたいの?」
「まぁ、一応は」
 リリィ、ちょっと泣きそう? 唇がプルプル震えてるや。
「ゆらとしてのあなた、お酒を呑みすぎて」
 あ、イヤな予感。
「ふらふらと歩いて自宅になんとか帰れたはいいんだけど」
「……うん」
 よかった、コケて頭を打ったわけじゃないんだ。
「ベッドに思いっきり飛び込んだのね」
「うん」
「でも酔ってるせいか距離感が掴めなかったみたいで、ベッドのヘッドボードの角に頭を思いっきりぶつけて……ププーッ‼」
 我慢できなかったて感じで吹き出すリリィ。いやいや、待って?
「そして今度こそ本当に死んだの」
 いや、キリッとした表情に戻ってるけどまだ口角震えてるよ⁉
「そんな情けない死に方したのか、ゆら……」
 命大事に! そりゃ生きる気力みたいなもんは、枯渇してたけれども‼
 思わず四つん這いですよ、ガックリと項垂れてホロホロと落涙の私。つーか、コケて頭を打ったのとどう違うんだ。
「まぁいいや、またティアとして再開するんだよね私。もう行っていい?」
 今回は返事は待つ。
「いいけど……いいの?」
「何が?」
「私は……リリィとして目覚めたいと思ってる」
「……うん」
 やっぱそうなのか。そりゃそうだろうな。
「ティアとしての、ううんほかの六人も。その自我は消えるかもしれないの」
 ほかの『六』人……そうか、疑ってたわけじゃないけど七人目はやっぱり。
「リリィでもわからないの?」
「……ごめんなさい、魂が七つに分割されちゃったのは初めての経験だったから」
 まぁね。二度も三度もあっちゃたまらない。
「リリィに、最後に一つだけ訊いておきたいのだけど」
「何?」
 これだけは、絶対に確認しておきたい。
「目覚めるのは、魔法少女としてのリリィなの? それとも魔皇・リリィディアなの?」
「……」
 しばらくの間、無言が続く。これはやっぱ聞きたくない答えなんだろうか。
「私は」
「うん」
「もう、誰も殺したくない。滅ぼしたくない」
 リリィはそう言って……ねぇ、お願いだから泣かないでよ。
「だけど魔皇としては、もう覚醒しているの。だからリリィとして目覚めたとしても、その『力』は脆弱な魔法少女だったころの私じゃない」
「うん……」
 だけど意識はリリィなんだよね? つまり、『過ぎた力を背負った少女』として覚醒するんだろう。
 過分な魔力を抱えて何度も死んでいった、妖精としてのティアのように。
「それを聞いて安心したよ、リリィ」
「え?」
「じゃ、私はそろそろ行くね?」
「止めないの?」
 リリィ、不思議そうな表情でポカーンとしてるな。そもそも真の創生神さんを、どうやって止めればいいというのか。
 ロード様やクロス様ならなんとかなる? ならない?
「……私は私、ティアであってリリィ。リリィであってティアなんだ。だから」
 うん、だから。私はティアに歩みよって、その形のいいお胸に指をあてて。
(ちょっとエッチなことしちゃうけど、ごめんね)
 そして、リリィの胸に指で紡ぐその調べは。

  君がため
  欠片かけらが紡ぐ はなむけは
  とこしえに咲く 笑顔はなまにま

 これが私からの、もう一人の私であるリリィへの手向けの歌。リリィからは裏文字になってしまっちゃうけど、読み取ってくれたかな?
「ありがとう……ありがとう……」
 そう言って、大粒の涙を流すリリィ。良かった、通じた。
 リリィは、もう魔皇としてその力を持て余すことはしないって信じてる。きっと、大丈夫。
 そして私は歩き出す。再び、ティアとしての生を再開するために。だから、ここは笑顔でお別れだ。
「『また』ね、リリィ!」
 多分、今目の前にいるリリィと会うのはこれが最後になるんだろう。次に会うときはきっと、私はもうリリィだと思うから。
 かの松尾芭蕉は、こんな辞世の句を遺した。
『旅に病んで 夢は枯野を駆けめぐる』
 旅の空の下でその身を病んでも、芭蕉が病床で見た夢は。それはずっとずっと、終わらない旅を続ける自分の姿だったんだ。
 私のティアとしての残りの寿命がどのくらいかはわからないけれど、同じように最後まで楽しく旅をやっていたいな。それがたとえ、夢の中でしか叶わなくなったとしても。
「ティアとしては、酔ってコケたところからやり直しかな?」
 うーん、カッコ悪いね⁉
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します

namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。 マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。 その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。 「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。 しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。 「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」 公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。 前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。 これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。

処理中です...