マリオネットの悲劇

文月みつか

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幕間劇 君の名は

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 私の名前は熊田。木彫りのクマだ。目下の悩みは自己紹介をするとダジャレのようになってしまうことだ。少々散らかったリビングの、壁際のキャビネットの上が私の定位置となっている。

 この家に来てもう13年ほどになる。この家のボンが洟垂はなたれ小僧だったころからいるから、かなりの古株と言っていいだろう。やつも今では立派なダメ書生となり、年の離れた女の子も生まれた。毎日賑やかでけっこうなことだ。

 この家の夫婦、つまり彼らの両親は月日が経っても相も変わらず仲むつまじく、記念日には贈り物をし合う。花、ケーキ、時計、バッグ……これまでまあいろいろなプレゼントがあったものだが、今回は私の隣に新しい仲間が増えることとなった。

「ようこそ、マドモアゼル。君の名は?」

「初めまして。わたくし、オデットと申します」

 彼女は片足を高く上げたまま、優雅にお辞儀した。

「ほほう、これは見事だ!」

 正直に言うと、私は少し舞い上がっていた。このような華やかな貴婦人が隣人になろうとは、思ってもみなかったのだ。

「私は熊田。木彫りのクマだ」

 言ってからすぐに後悔したがもう遅かった。

「まあ、ダジャレみたい」

 彼女はくすりと上品に笑った。清楚な見た目に反して、率直にものを言う性格らしい。

「そのとおり。これが唯一の悩みでね」

「あら、そうでしたの」

 彼女はしまったというように口をつぐんだ。しかし私はこの件でからかわれるのは慣れていたので、あまり落ち込んではいなかった。

「何か解決策はないかと考えているのだが、君はどう思う?」

 私が気にせず話しかけると、彼女はほっとした様子で、「そうですわね」と考えた。

「名前を変えるというのはいかがかしら?」

「……ほう!」

 その発想はなかった。

「しかしもうずっと熊田でやってきたんだ。この名前には愛着がある」

 私は思い出す。空港の土産物として売られていた私を、洟垂れ小僧が指さして「クマダ! クマダ!」と連呼したのだ。それがきっかけで私はこの家に来ることになった。

「たしかに、そうですわよね。わたくしも、今さらオデットという名を捨てろと言われたら抵抗を覚えますもの。ならば……そうですわ! 新しく名前を付け足すというのはどうでしょう?」

「付け足す! それはいいかもしれん。よし、何かいい名はないか、考えてみよう」

 熊田鮭次郎、熊田マサシ、熊田ヨーコ……うーむ。

「どうかしら、素敵な名前が浮かびまして?」

「いや、いまいちピンとくるものがないな。そうだ、オデット、君がつけてくれないか?」

「えっ、わたくしが? そうですわねぇ……ジークフリートなんてどうかしら?」

爺苦じいく……なんだって?」

「ジークフリート。今日からあなたは、熊田ジークフリート様ですわ!」

「しかしこの風体でその名前は、ハイカラすぎやしないか?」

「そんなことありませんわ。とても立派な体で強そうですもの。改めてよろしくお願いいたします、ジークフリート様!」

「おお、それならまあ、いいか」

 少々派手だが、これなら自己紹介からのダジャレというルートから抜け出せる。別の突っこみが待ち受けていようことは想像に難くないが、私は彼女の好意を受け取ろうと思った。

 これを機に、私たちの仲は急速に深まっていった。(と言っても、四六時中同じ空間にいるのだからそれは必然の流れともいえる。)私たちのあいだには何かが……きっと絆のようなものが生まれていたと信じたい。私は若くて美しい彼女に、いつしか恋心を抱くようになっていた。こんないかついクマでは彼女と不釣り合いなのはわかっていたが、心の中で想うだけなら自由だろうさ。私はいつまでもこの時が続くように祈った。



 そうして数か月が経った頃のことだ。この家の台風の目こと長女アンナが、私たちのところへやってきた。アンナは少し背伸びをしてオデットに手を伸ばし、細い胴体をつかんだ。そして、にこにこるんるんと彼女を連れ去ってしまったのだ。

 急に静かになったことに私は動揺した。ここ数か月のあいだに、彼女が傍らにいることが当たり前になっていたのだ。

 そして、アンナのあの楽しげな表情。なんだか胸騒ぎがする。

「熊田の旦那、あ、今はジークフリートだっけ?」

 ななめ後ろの二ポポ人形が声をかけてきた。

「愛しのバレリーナがいなくなったからってそんなに落ちこむなよ。きっと噂のメアリのティーパーティーに招待されたんだろうさ。ほんのちょびっとの辛抱だよ」

「そうだといいんだがな」



 夕方になり、アンナがひっそりとリビングに現れた。いつもは歩くだけでピコピコと効果音が鳴りそうだが、今回は抜き足差し足、家族の誰も見ていないことを確認し、こちらへ近づいてきた。そして私のとなりにそっと陶器のバレリーナを戻して、「よろしくね」とささやいた。

 何が「よろしくね」なのだろうか?
 とにもかくにも無事に彼女が戻ってきたことに私は安堵した。まあ、気になることは本人に聞くのがよかろう。

「やっと戻ったかオデット。アンナ嬢と遊んできたのだろう? さっきのよろしくねというのは、なんのことだ?」

 するとオデットはあの伏し目で私のことを見つめ、くすりと笑って言ったのだ。

「ひ・み・つ!」

「はあ?」と私は目をしばたたかせた。なんだか、雰囲気が変わったような……

「ねえ、オジサマはどうしてずっと鮭をくわえているの?」

「こ、これは……あると落ち着くんだ」

「ふうん。あごが疲れそう。大変ね」

「お前さんこそ、ずっと片足を上げたままで大変そうだが……」

 私は戸惑いを隠せない。オデットははっきりものを言うたちだが、こんなふうに相手を探るような目つきやからかうような物言いはしない印象だった。ななめ後ろの二ポポ人形も驚いてひっくり返りそうになっている。

「もしかして例のお茶会で何かあったのか? メアリという人形が取り仕切っていると噂の」

「さあて、どうかしらねぇ」

 彼女はのらりくらりと私の質問をかわす。

「あたし、ちょっと疲れちゃったわ。おやすみー」

「……旦那、熊田の旦那!」

 オデットが眠りにつくなり、興奮した様子の二ポポ人形が話しかけてきた。

「どうしちゃったんだろうね彼女は。えらく雰囲気が変わったようだ」

「ああ。まるで別人のようだな」

 以前のオデットはもっと清楚でしとやかなイメージだったが、なんだか今のオデットは……そう、小悪魔的で妖艶だ。しかし、

「これはこれで、いい。」

「わかる。」

 私と二ポポ人形の意見は一致した。
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