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マッチョ引っ越しセンター
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段ボールのふたを押さえ、紙テープできっちりと閉じる。この箱で最後だ。長時間の梱包作業により、手が乾燥している。綾は時計を見た。午後4時を回っている。引っ越し業者はまだだろうか。
ちょうどそのとき、インターホンが鳴った。
『こんにちは。町代引っ越しセンターです』
さわやかで快活な男性の声だった。
「はい、今開けます」
玄関まで小走りして戸を開けると、
「こんにち……」
挨拶が尻すぼみになった。筋骨隆々のたくましい青年がにこやかにすっくと立っている。作業着、ぱつんぱつん。
「遅くなりまして申し訳ございません。町代引っ越しセンターの太田と申します」
「あ、はい、どうも……」
マッチョ青年はこちらの動揺などものともせず、丁寧な物腰で挨拶を済ませ、もう一人の担当者は少し遅れて来ることを告げた。そして手際よく養生マットを敷き、荷運びを開始する。山のように積んであった箱が、みるみるトラックの中へと消えていく。
本を詰めた重たい箱を3段重ねにして軽々と持ち上げる様を、綾は呆気にとられて見ていた。作業着の上からでもわかる腕の筋肉の盛り上がり。どっしりと揺るがない下半身。太い首を伝う汗……
綾はハッと我に返り、このままではいかんと首を振った。
「あの、何か手伝いましょうか」
「いえいえ、もうすぐ相方も来ますから」
額に汗を光らせながら笑顔で答える太田に、初めは引き気味だった綾も好感を持ち始めていた。
と、急に太田が荷物を下ろし、ウェストポーチからボトルを取り出した。
「すみません、運動したときはプロテインを補給しないと」
「あ、ですよね」
何が「ですよね」なのかわからぬまま綾は同意した。
ほどなくしてもう一人の業者が到着した。引き締まった体の、四十前後の女性だった。彼女は吉原と名乗った。
「ごめんなさいね、繁忙期だから忙しくて。女性宅にあんな大男を一人で行かせるのはどうかと思ったんだけど」
あけっぴろげな物言いに綾は噴き出した。
「初めはびっくりしました。けど、いい仕事ぶりです」
「でしょ。わが社のエースよ。バイトにしとくのはもったいないんだけどねぇ」
「えっ、アルバイトの方なんですか?」
「そうよ。普段はフィットネスクラブで働いてるの。いつか自分のジムを持つためにお金を貯めているんですって」
「へえ」
「下の名前は力斗っていってね。みんなからリッキーって呼ばれてる」
「リッキーですか……」
個人情報をこんなに駄々洩れにしていいのかと心配になりながらも、綾は吉原の話を聞くのをやめられない。
「何を楽しそうに話してるんですか?」
太田力斗がテレビを梱包する手を止めてこちらを見る。
「なんでもないよ。さあ、急いでリッキー。日が暮れるわ」
「お客様の前ではその呼び方、やめてくださいよ」
「見た目がこんなんだから、怖がられないようにする工夫よ」
「こんなんって、なんですか」
「いいから手を動かしなさい」
二人のやりとりにくすくす笑いながら、綾は心の中でまた、リッキーかぁ……とつぶやいた。
それから作業はさらにスピードアップし、あっという間にトラックに積み込まれた荷物は、新居への移動を経て、またあっという間に荷下ろしされた。綾の指示で大きな家具の位置を決め、カーテンの取り付けを手伝ってもらい、3時間後には引っ越し業務のすべてが完了していた。思ったよりも早く終わったことを、綾は内心残念に思っていた。
「終わったー! でも綾ちゃんはこれから荷ほどきね」
「はい。夕飯食べてから頑張ります」
この数時間のあいだに、綾は吉原とすっかり打ち解けていた。
「リッキー、渡してあげて」
「はい」
力斗がスーパーのビニール袋を差し出す。
「引っ越し祝いです。大したものではないですが、よろしければ召し上がってください」
中には、おにぎりと箸と総菜が入っていた。あと、プロテインバー。
「ありがとうございます。運動後に食べるといいんですよね?」
「そうなんです!」
力斗が胸を張る。それを見て吉原がため息を吐く。
「あのね、どうせならサラダとかデザート買ってきなさいよ」
「あ、すみません。気がつきませんでした」
まったくもう、と吉原が苦笑する。
「それでは、以上で作業完了とさせていただきます。本日はどうもありがとうございました」
吉原が頭を下げると、太田もそれにならった。
「こちらこそ、ありがとうございました」
綾も感謝をこめてお辞儀する。新生活が始まる前で不安を抱えていたが、彼らのおかげでいいスタートが切れそうだ。
「そうそう、リッキーのいるジムはここから歩いて15分くらいのところにあるから、遊びに行ってみるといいわよ」
「ちょっと吉原さん、勝手に俺のとこの営業しちゃまずいでしょ」
「営業じゃないわ。友だち誘ってるだけ。私もたまに通ってるの。会えるといいわね」
吉原さんが片目をつむる。綾は頬が熱くなるのを感じながら、「ぜひ」と答えた。
「えっ、本当に来てくれるんですか!?」
「最近、お腹周りが気になってるので……ダイエットにいいかなって。あ、でもあんまりきついのはちょっと」
今日会ったばかりの人に何をカミングアウトしているのだろうと焦る綾。しかし力斗は、真剣なまなざしで「なるほど」とうなずいた。
「わかりました。綾さんのためのメニューを考えておきます」
綾さんと呼ばれた。綾さん。と、綾は心の中で繰り返した。
新生活の予定が早くも組みこまれたことに、綾の心は奮い立つ。
吉原と力斗が去ると、綾は段ボールに囲まれたまま夕飯を食べた。しかしプロテインバーだけは食べずにとっておくことにした。
それから腕まくりをして「よし!」とつぶやき、荷解きの作業に取りかかった。
ちょうどそのとき、インターホンが鳴った。
『こんにちは。町代引っ越しセンターです』
さわやかで快活な男性の声だった。
「はい、今開けます」
玄関まで小走りして戸を開けると、
「こんにち……」
挨拶が尻すぼみになった。筋骨隆々のたくましい青年がにこやかにすっくと立っている。作業着、ぱつんぱつん。
「遅くなりまして申し訳ございません。町代引っ越しセンターの太田と申します」
「あ、はい、どうも……」
マッチョ青年はこちらの動揺などものともせず、丁寧な物腰で挨拶を済ませ、もう一人の担当者は少し遅れて来ることを告げた。そして手際よく養生マットを敷き、荷運びを開始する。山のように積んであった箱が、みるみるトラックの中へと消えていく。
本を詰めた重たい箱を3段重ねにして軽々と持ち上げる様を、綾は呆気にとられて見ていた。作業着の上からでもわかる腕の筋肉の盛り上がり。どっしりと揺るがない下半身。太い首を伝う汗……
綾はハッと我に返り、このままではいかんと首を振った。
「あの、何か手伝いましょうか」
「いえいえ、もうすぐ相方も来ますから」
額に汗を光らせながら笑顔で答える太田に、初めは引き気味だった綾も好感を持ち始めていた。
と、急に太田が荷物を下ろし、ウェストポーチからボトルを取り出した。
「すみません、運動したときはプロテインを補給しないと」
「あ、ですよね」
何が「ですよね」なのかわからぬまま綾は同意した。
ほどなくしてもう一人の業者が到着した。引き締まった体の、四十前後の女性だった。彼女は吉原と名乗った。
「ごめんなさいね、繁忙期だから忙しくて。女性宅にあんな大男を一人で行かせるのはどうかと思ったんだけど」
あけっぴろげな物言いに綾は噴き出した。
「初めはびっくりしました。けど、いい仕事ぶりです」
「でしょ。わが社のエースよ。バイトにしとくのはもったいないんだけどねぇ」
「えっ、アルバイトの方なんですか?」
「そうよ。普段はフィットネスクラブで働いてるの。いつか自分のジムを持つためにお金を貯めているんですって」
「へえ」
「下の名前は力斗っていってね。みんなからリッキーって呼ばれてる」
「リッキーですか……」
個人情報をこんなに駄々洩れにしていいのかと心配になりながらも、綾は吉原の話を聞くのをやめられない。
「何を楽しそうに話してるんですか?」
太田力斗がテレビを梱包する手を止めてこちらを見る。
「なんでもないよ。さあ、急いでリッキー。日が暮れるわ」
「お客様の前ではその呼び方、やめてくださいよ」
「見た目がこんなんだから、怖がられないようにする工夫よ」
「こんなんって、なんですか」
「いいから手を動かしなさい」
二人のやりとりにくすくす笑いながら、綾は心の中でまた、リッキーかぁ……とつぶやいた。
それから作業はさらにスピードアップし、あっという間にトラックに積み込まれた荷物は、新居への移動を経て、またあっという間に荷下ろしされた。綾の指示で大きな家具の位置を決め、カーテンの取り付けを手伝ってもらい、3時間後には引っ越し業務のすべてが完了していた。思ったよりも早く終わったことを、綾は内心残念に思っていた。
「終わったー! でも綾ちゃんはこれから荷ほどきね」
「はい。夕飯食べてから頑張ります」
この数時間のあいだに、綾は吉原とすっかり打ち解けていた。
「リッキー、渡してあげて」
「はい」
力斗がスーパーのビニール袋を差し出す。
「引っ越し祝いです。大したものではないですが、よろしければ召し上がってください」
中には、おにぎりと箸と総菜が入っていた。あと、プロテインバー。
「ありがとうございます。運動後に食べるといいんですよね?」
「そうなんです!」
力斗が胸を張る。それを見て吉原がため息を吐く。
「あのね、どうせならサラダとかデザート買ってきなさいよ」
「あ、すみません。気がつきませんでした」
まったくもう、と吉原が苦笑する。
「それでは、以上で作業完了とさせていただきます。本日はどうもありがとうございました」
吉原が頭を下げると、太田もそれにならった。
「こちらこそ、ありがとうございました」
綾も感謝をこめてお辞儀する。新生活が始まる前で不安を抱えていたが、彼らのおかげでいいスタートが切れそうだ。
「そうそう、リッキーのいるジムはここから歩いて15分くらいのところにあるから、遊びに行ってみるといいわよ」
「ちょっと吉原さん、勝手に俺のとこの営業しちゃまずいでしょ」
「営業じゃないわ。友だち誘ってるだけ。私もたまに通ってるの。会えるといいわね」
吉原さんが片目をつむる。綾は頬が熱くなるのを感じながら、「ぜひ」と答えた。
「えっ、本当に来てくれるんですか!?」
「最近、お腹周りが気になってるので……ダイエットにいいかなって。あ、でもあんまりきついのはちょっと」
今日会ったばかりの人に何をカミングアウトしているのだろうと焦る綾。しかし力斗は、真剣なまなざしで「なるほど」とうなずいた。
「わかりました。綾さんのためのメニューを考えておきます」
綾さんと呼ばれた。綾さん。と、綾は心の中で繰り返した。
新生活の予定が早くも組みこまれたことに、綾の心は奮い立つ。
吉原と力斗が去ると、綾は段ボールに囲まれたまま夕飯を食べた。しかしプロテインバーだけは食べずにとっておくことにした。
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