燦々と青がいた 〜3人のオメガが幸せな運命と出会うまで〜

鳴き砂

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第三章

金木犀のあの子 2

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 アオを探し始めて4度季節が巡った。

 どうやら龍野はアオを様々な小説家や芸術関係者の家へと転々とさせているらしかった。しかし、いつもぎりぎりのところでその足取りを見失ってしまう。紫音が半ば強引にその家に押し入る頃には、アオの姿は何処にもなく部屋は空っぽなのである。恐らく、龍野も紫音の動向を把握しているのだろう。

 紫音はその間に、ポーランドのコンクールで第一位を取り、大学も首席で卒業した。今は同じ大学の修士課程に在籍している「世界的に有名なピアニスト」になっていた。運命の番とは関係なくスランプを脱せたのであった。しかし、自身で解消しておきながらもアオを失った傷は深く、紫音は常に言いようのない虚無感に襲われるようになっていた。きっと、アオはもっと深く傷つき、自分とは比べられない程の苦しみを受けているのかと想像すると、早く助け出さなければと心が急ぐ。

 龍野が一体アオに何をやらせているのかも4年をかけた調査で大体の検討は付いていた。だからこそ、紫音は急いでいたのだ。このままでは、アオの心が壊れてしまう。早く現場を抑え、かつアオの心を救う方法をひたすら考えていた。

 そんな中、紫音は番を解消されたオメガが再び番関係を結ぶには、運命の番に出会うか、解消したアルファが死ぬか、という噂を耳にした。それを知ってからというもの、紫音はアオと運命の番を引き合わせてから自死するという計画を立て始めた。

 今は、龍野の悪事を暴く証拠とアオの運命の番を探している。そして、ピアニストとしての功績も挙げる。それは、近い未来に紫音が死んでも高槻家に傷が付かないようにするためだけのものだった。「高槻紫音は充分に功績を遺した。」と両親も世間も納得させる。それだけが紫音を生かしていた。

◇◇◇

 梅雨の始め、紫音はある資産家が開催するパーティーにゲストピアニストととして演奏することとなった。正直、気乗りはしなかった。こういうパーティーにはアルファが自身の所有するオメガを見せびらかす習慣が付き物であるからだ。しかし、もしかしたらアオがいるかもしれないという僅かな望みもかけて招待される事とした。

 パーティー会場となる資産家の家は、ギャツビーが一人デイジーを待つ城のように郊外にひっそりと、それでいて艶やかにそびえ立っていた。

 門番に招待状を渡し、入念なボディチェックを受けている時だった。

しっとりと香る空気の中で、微かに香る金木犀。

(梅雨だ。金木犀の時期じゃない。香水か?それともまさか・・・・)

そんな一抹の希望を託して、紫音は眩しすぎるほどぎらついたロビーへと足を進めた。


 鍵盤を叩きながら、匂いの正体を探す。正直、アルファや彼らが連れているオメガのフェロモンで会場の匂いは闇鍋状態だ。と言っても、この酷い匂いを嗅ぎ取れるのもフリーのアルファとオメガだけである。ここにいる大体のアルファが、こうやって連れ回すのは嗜好品としてのオメガであり番関係ではないことが殆どだ。彼らは他に番を抱えている。だから、この匂いに充てられるのは嗜好品のオメガたちと紫音のようなフリーのアルファくらいなのである。

 その中でも、紫音を正しい道に導くかのように香る金木犀。

(どこだ、どこにいる・・・・)

力強く鍵盤を踏んでは、また軽やかに戻っていく自分の指。意識が削がれようと、その指は紫音の支配下にいる。では、目は?自分の目は何を追っている?紫音の意識が制御できないその先に、視界は広がってゆく。

◇◇◇ 

 紫音は、一人の男と目があった。
上等なスリーピースに身を包み、周囲の喧騒から離れた所で、ただじっと立っている男。その目は真っ直ぐに自分を見つめていた。

(俺の音へ逃避する気か?)

 香りの正体は、あの男だ。

 あれは、佐伯雅史。

 いつかアオが、愛おしそうに彼の小説の表紙を撫でていた。紫音は、実はあれに少しばかり嫉妬していたのだ。だからあの日、図書室でアオを抱いた。

 『星降って延々と濃藍』。あの日アオが読んでいた短編小説を紫音も読んだ。正直余りにも空虚に満ちていて、何故アオがこの作品を気に入っていたのかが分からなかった。それでもめげずに、紫音は佐伯雅史の小説を全て読んでみたのだが、やはり理由は分からなかった。最終的には、紫音はまるでアオの痕跡を辿るように彼の書いた本を読んでいた。

 そして紫音は今、本能で感じた。かつて愛した番の運命は、あの男である、と。


 幾つかの演目を終え、パーティーも終焉を迎える。紫音を招待した資産家が柔らかい笑みを浮かべながら近づいてきた。

「素晴らしい演奏だったよ、高槻くん。君はいずれお父様を越えられる。」

「そう言って頂けて光栄です。しかし私が父を越えられることはありませんよ。」

「どうしてそう思うのかね?」

資産家は大袈裟に目をぱちぱちと見開いた。

「俺には、父のようなピアノへの執着はないんです。心が、まるで入らない。今はただ、鍵盤を叩く指先を自身のコントロール下に置いているだけなのです。」

「ほお、それは興味深いですな。わたくしめには、あなたの奏でる音色には心があるように感じられますよ。それも、激しく燃えるような心の様がね。」

 資産家は譜面台の上にそっと手を置いた。その眼差しは、このピアノへの愛着を示していた。

「何故、このようなパーティーを開催されるのですか?」

紫音には何となくこの資産家が、この喧騒を愛しているようには思えなかった。

「きみは鋭い、それ故に繊細ですな。私はね、昔酷い過ちを冒しました。そしてそれで、莫大な財産を手に入れた。この騒ぎの中にいるとね、自分がアルファであるにも関わらず、たった一人取り残された自分がいる、と強く感じるのです。そして、その孤独こそが、私の背負う罰なのです。」

何を返せばいいのか分からなくなった紫音に、資産家は「でもね」と続けた。

「意志もまた、一つの孤独である。きみのピアノには意志がある、それ故に孤独なのです。決して心がないわけではありません。高槻くん。私はきみの4年間を知っています。」

「・・・・え?」

突然、雲行きが怪しくなった話に呆けた声が出た。

「あなたの番だった青年を保護しております。あまり歓迎できない方法でここに辿り着いたのです。私をかつての人間のままであると思い込んでいる者は、未だ多く存在しますから。」

「ア、アオがいるのですか?」

みっともなく掠れた自分の声。
資産家は紫音を見つめて言った。

「彼を救えるのは、高槻くん、きみだけだ。この番号の部屋の鍵を預けます。今晩、龍野という男があの青年を迎えにやってきます。その時に、あなたが最善だと思う道を選ぶのです。」

そう言うと資産家は紫音に鍵を握らせた。

「安心しなさい。あの青年には此処では休養してもらっています。誓って手などは出していません。しかし、今日ここを出た後は、わたしにも分かりかねます。」

 哀しい資産家は紫音に全てを託すように肯いた。紫音は思わぬ協力者へ感謝の言葉もそこそこに、渡された鍵の部屋へと走った。

◇◇◇

 カチャリと音が鳴って鍵が開く。ドアノブに掛けた手は微かに震えていた。

 そっと中に入ると、そこは広いベッドが一つ置かれたゲストルームであった。ベット脇の小さなチェストには封が開いたミネラルウォーターのボトルが一つ佇んでいた。重い遮光カーテンがしっかりと引かれた真っ暗な部屋。白いシーツの海の中にアオがいた。

 紫音はベッドの端に腰掛けて、静かに寝息を立てるアオの額をそっと撫でる。ピクリと瞼が震えると、薄藍と目が合った。4年の歳月が経っていた。涙が出てしまいそうになるのを必死に堪えた。

「・・・・アオ」

小さく問うた。
薄藍は僅かに覚醒して、それから困惑した表情を浮かべた。それもそうだ、アオへの仕打ちを思えば容易に想像できる反応だった。

しかし、それは思わぬアオの発言で砕け散った。

◇◇◇

「おにいちゃん、だあれ?」

「・・・・っ!」

 紫音が驚いた顔に焦ったのか、アオはきゅっとシーツを握って言った。

「ごめんなさい。あのね、僕ね、昔のこと忘れちゃったんだって。ここに来たお医者さんに言われたの。だから、ごめんね。お兄ちゃんに会ったことあるのかなあ?」

紫音は思わずアオを抱きしめた。アオはびくりと身体を震わせたが、ほっと息を吐き紫音の腕の中に収まった。

「・・・・ん。お兄ちゃんの匂い、なんか懐かしい感じがする。」

「そうか。どんな匂いなんだ?」

 アオにとって本当は嫌な香りでしかない。しかし、アオは紫音やミドリのこと、その後4年にも渡って受けた酷い仕打ちに心が耐えられなかったのだろう。紫音の記憶ごと失っていた。

「ぼくね、ずっと昔に、ぼくを愛してくれた人がいたと思うんだ。その人の匂いに似てる、のかな?」

「そうか。」

「あのね、夢を見るの。ぼくはとってもお兄ちゃんになっててね、うーんとね、高校生くらいかな。ふふっ。ぼくオメガだから、高校になんて行けないのにね。だから、きっと夢なの。」

「・・・・そうか」

「そこでね、やっぱりぼくは独りぼっちなの。でも、優しく声をかけてくれるお兄ちゃんが出てくるの。きっとね高校一年生の頃には恋人だったりしたのかな?そうじゃなかったら、ぼくみたいなオメガを相手になんかしないもんね。・・・・あ!なんかお兄ちゃんにそっくりな人かも・・・・!きれいな亜麻色の髪、薄い翡翠色の目、透き通った白い肌。僕よりも筋肉質で逞しい身体。」

 アオの声音が大人びていく。
 
 そして、目があった。

「好きだよ、紫音。」

 たしかに、薄藍と目があった。

(おまえと会った時、俺はおまえに優しくなんて声をかけられなかったよ。付き合ったのも二年生になってからだ。)

「・・・・それでも、俺は、おまえを愛していた。」

 しかし、その言葉は無情にも暗闇に吸い込まれていくだけだった。


「ん、ふわぁ。なんか眠くなってきちゃった。お兄ちゃん、せっかく来てくれたのにごめんね。ぼく、なんだかとっても眠いや。」

 アオが戻ってきたのは束の間で、すぐに子どもに戻ってしまった。

ぽたりとアオの頬に水滴が落ちる。それは紫音の涙だった。

「おにいちゃん、泣いてるの?だいじょうぶだよ、ぼくが・・・・ここに・・・・い、るからね・・・・」

アオは微睡みながら、紫音の背中に腕をまわしてぎゅっと抱きついた。

「だいじょうぶ・・・・しおん、だいじょうぶ、だから・・・・」


 季節はずれの金木犀が香る。

 それは、あまりにも哀しかった。

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