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エピローグ 青木と嘉月京の物語
トリトマは泣く
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青木と嘉月が同居を始めたのは、あれから一ヶ月も経たないうちだった。元々、御神が嘉月の家へと押し寄せてくる危険性は拭えないという問題も抱えていたからだ。嘉月は頑として青木との同居を認めなかったが、「俺のことやっぱり苦手ですか?」と少し強引に青木が迫り、晴れて同居できることになった。
それからは、これまでのことが嘘のように日々はゆったりと過ぎて行き、季節は一月になっていた。それまでの期間に、自身のことにはこれっぽっちも頓着しない嘉月に、青木は朝の淹れたてのコーヒーの香ばしい香りを堪能させたり、時間が合えば本格的な寒さが押し寄せて来た冬の朝、近場に散歩へと繰り出して、コンビニで買った肉まんを家路へ帰る間に一緒に食べたりした。
「肉まんって初めて食べたけど、こんなに美味しいんだね。」
嘉月が僅かに顔を伏せて呟いた言葉は、彼の過去がいかに残酷で、こんな些細な幸せを享受できるほど余裕がなかったことを仄かに滲ませていた。
「これからは、大丈夫ですよ。」と彼にとっては見当違いな返答を青木がすれば、やはり怪訝な顔をされた。
今は、それでいい。
彼の心がいつか穏やかな日常で埋まるくらい愛を注ぐのだから。
◇◇◇
二年後
「京さーん!明日って休みですか?」
「休みだよ。一日空いてる。」
「じゃあ、デートしません?」
いつもと変わらないリビングで、京がソファに深く腰掛けながら、ぼんやりとテレビを眺めていると、突然成界に背後から抱きつかれた。実は京は、年下の彼がこうして自分に甘えてくるのが好きだったりする。
「俺はいいけど、成界ここ数日ずっと根詰めていたでしょう?疲れてない?」
「全然!一日寝てる方が疲れるくらいです!」
全くこの男は、疲れというものを知らないのか・・・・。
ようやく、佐伯の新作が発表されて一息つけるのだから休んで欲しい、というのが京の本音だ。
「ほんと、仕事人間なんだから。体調悪くなったら早めに言ってね。」
「わかりました。多分、元気だと思うけれど言いますね。」
成界は機嫌よく笑っていた。
「よろしい。それで、明日はどこに行くの?」
「ちょっとドライブしたいなって。長野とかどうです?」
「長野?行ったことないから行きたい。」
「じゃあ、決まりですね!」
「どこ?軽井沢?」
実のところ、京は旅行すらしたことがないので、長野と言ったら軽井沢くらいしか思い当たらなかった。けれども成界の表情を見たところ、どうやら違うようだった。
「ううん。」
「どんなところ?」
「着いてからのお楽しみです!でも、きっと気に入りますよ!」
そう言って、成界は「さ!明日は少し早いのでもう寝ましょう!」と上機嫌に京の腰に腕を回して、寝室へと促したのだった。
◇◇◇
「ねえ、クマ出てこないかな?大丈夫?」
「京さん、さっきクマ出没注意の看板見てから怯えすぎですよ。」
朝一で成界の運転する車に乗せられて連れて来られた場所は、森林に囲まれた山道だった。最初は、彼の車が車高の高いマニュアル式のジープであることに驚いてばかりでいた京も、ある一点で思考が停止した。それは、車窓から見えた黄色い看板に『クマ出没注意』と書かれていたからだ。
「だってクマだよ?逃げられる自信ないよ。」
「大丈夫ですよ。ほら、車から降りてください。」
しかも降ろされた場所は木々に囲まれた山道だ。今この瞬間にクマが出てきたらどうするつもりなの?と震える足を叱咤して、やっとの事で京は車から降りた。
それから成界に手を引かれながら、急斜のある山道をゆっくりと登っていく。変わらず周りは木々に囲まれていて、遠くの方から水が激しく流れ落ちてゆく音が聞こえてきた。さらに脇道には、上から下ってきた水が苔むした水路を緩やかに流れ落ち、その水面がきらきらと光っていた。
「わぁ・・・・すごい、すごい綺麗。」
思わずその様に感動して、京は水路の方へと駆け寄ってしまった。底にある砂利が透き通って見える程、その水は透明で美したかった。それからふと、高い空を見上げて京は思った。
ああ。俺にもこうやって、成界のような情緒があったんだな。
「ここをずっと歩いていくと水源ですよ。」
更に歩いて辿り着いた水源は、想像以上に荒々しかった。けれどもそれは、恐ろしさよりも、何か生命に対しての力強さを感じるものであった。
「へえ。やっぱりちゃんとあるものなんだな。」
「そうでなければ俺たち、水飲めませんからね。」
「実際見ないと実感できないよね。どうやってこの場所を知ったの?」
「実は、佐伯先生に教えてもらったんです。」
「佐伯先生?取材とか?」
「ええ。先週出版された新作、水が主題になっているんです。」
京は既に成界から献本を渡されているので何時でも読めるのだが、やはり日々の業務に追われてタイミングを逃し続けていた。
「水か。どんなものか想像できないから楽しみだな。」
「まあ、九割惚気ですけれど。そこをどのくらいの塩梅まで抑えていくのか、正直大変でしたね。それに佐伯先生は筆が速いので、予定より二ヶ月も完成が早まってリスケするのも大変でした。」
成界はやれやれといった風に首をすくめた。
「あはは。だからずっと忙しかったんだ。」
「もう!他人事だからって!笑い事じゃないんですからね!」
そんな事を言いながらも、彼はどこか楽しそうに見えた。
「そこにやり甲斐を感じている人に何を言っても変わらないのだろうけれど、無理は禁物だからね。」
「セーブはしているつもりです。」
「どうだか。」
「だって、京さんともっと色んな場所へ行きたいから。」
突然の爆弾発言に京の思考が停止した。
「なっ・・・・」
「京さんは、俺とデートしたくない?」
京は、このわんちゃんのような彼の甘えん坊な態度に弱い。むしろ、既に絆されている感じはしていた。自分でも、正直になれない事を知り尽くしているが、勇気を振り絞って彼のように甘えてみるのもいいかもしれない。
「・・・・色んな所に、連れて行ってくれる?」
少しだけ意識して、上目遣いで言ってみる。
「もちろんです。」
固い声で応えた成界を見れば、僅かに頬を染めていた。
「俺も、成界とデートしたい・・・・」
調子に乗って、追い打ちをかけるように甘えてみる。それでも、あまりにも恥ずかしくて俯いてしまったし、語尾は正直モニョモニョしてしまった。すると、頭上から朗らかな笑い声が聞こえた。
「な、何かおかしい?!」
「いいえ。ただあんまりにも貴方が可愛すぎて・・・・」
途端にぐっと引き寄せられて「どうにかなりそうなだけです。」と耳元で囁かれる。
「可愛いとか言われても嬉しく・・・・ンッ」
自分の顔がみるみる赤くなっていることが分かり、悔し紛れに反論したらキスまでされてしまう。誰かに見られたら色んな意味で終わると思い、ドンドンと彼の逞しい胸板を叩いた。
「大丈夫。ここ、滅多に人は来ないですから。」
「そういう意味じゃなくて・・・・!!!」
「どういう意味?」
綺麗な漆黒の瞳に間近で覗き込まれて、心臓が跳ね上がり後ずさったが、腰をホールドされているため無駄な足掻きとなった。
「二年前までは、成界のことはよく知らなかったけれど、それでも会いたいと思っていた。・・・・けれども今は、こうやって少しでも肌が触れ合っただけで、気持ちがスッと入ってきて、何でも分かる気がするんだ。」
「うん。俺もです。」
「この繋がりが番のようにならなくても・・・・それでも、俺たちは強固な、俺たちだけの繋がりで、確かに共に在り続けていける、と俺は思ってる。・・・・せかい?」
「はい。」
京は、成界の存在を確かめるように彼の頬に手を添えた。成界はそんな京に応えるように柔らかな返事をした。
「愛しているよ。」
「はい。俺も京さんの千倍は、貴方のことを愛しています。」
ぎゅっと京を強く抱き締めて、彼は子どもみたいなことを言った。
「ふふっ。何それ。・・・・あっ!」
「どうしました?」
京は彼の腕の中で、その心地よさを暫し堪能してから、彼にずっとずっと聞きたかったことを、さっきの仕返しも含めて耳元で囁いた。
「成界って名前、ずっと由来を聞きたかったんだ。」
それからは、これまでのことが嘘のように日々はゆったりと過ぎて行き、季節は一月になっていた。それまでの期間に、自身のことにはこれっぽっちも頓着しない嘉月に、青木は朝の淹れたてのコーヒーの香ばしい香りを堪能させたり、時間が合えば本格的な寒さが押し寄せて来た冬の朝、近場に散歩へと繰り出して、コンビニで買った肉まんを家路へ帰る間に一緒に食べたりした。
「肉まんって初めて食べたけど、こんなに美味しいんだね。」
嘉月が僅かに顔を伏せて呟いた言葉は、彼の過去がいかに残酷で、こんな些細な幸せを享受できるほど余裕がなかったことを仄かに滲ませていた。
「これからは、大丈夫ですよ。」と彼にとっては見当違いな返答を青木がすれば、やはり怪訝な顔をされた。
今は、それでいい。
彼の心がいつか穏やかな日常で埋まるくらい愛を注ぐのだから。
◇◇◇
二年後
「京さーん!明日って休みですか?」
「休みだよ。一日空いてる。」
「じゃあ、デートしません?」
いつもと変わらないリビングで、京がソファに深く腰掛けながら、ぼんやりとテレビを眺めていると、突然成界に背後から抱きつかれた。実は京は、年下の彼がこうして自分に甘えてくるのが好きだったりする。
「俺はいいけど、成界ここ数日ずっと根詰めていたでしょう?疲れてない?」
「全然!一日寝てる方が疲れるくらいです!」
全くこの男は、疲れというものを知らないのか・・・・。
ようやく、佐伯の新作が発表されて一息つけるのだから休んで欲しい、というのが京の本音だ。
「ほんと、仕事人間なんだから。体調悪くなったら早めに言ってね。」
「わかりました。多分、元気だと思うけれど言いますね。」
成界は機嫌よく笑っていた。
「よろしい。それで、明日はどこに行くの?」
「ちょっとドライブしたいなって。長野とかどうです?」
「長野?行ったことないから行きたい。」
「じゃあ、決まりですね!」
「どこ?軽井沢?」
実のところ、京は旅行すらしたことがないので、長野と言ったら軽井沢くらいしか思い当たらなかった。けれども成界の表情を見たところ、どうやら違うようだった。
「ううん。」
「どんなところ?」
「着いてからのお楽しみです!でも、きっと気に入りますよ!」
そう言って、成界は「さ!明日は少し早いのでもう寝ましょう!」と上機嫌に京の腰に腕を回して、寝室へと促したのだった。
◇◇◇
「ねえ、クマ出てこないかな?大丈夫?」
「京さん、さっきクマ出没注意の看板見てから怯えすぎですよ。」
朝一で成界の運転する車に乗せられて連れて来られた場所は、森林に囲まれた山道だった。最初は、彼の車が車高の高いマニュアル式のジープであることに驚いてばかりでいた京も、ある一点で思考が停止した。それは、車窓から見えた黄色い看板に『クマ出没注意』と書かれていたからだ。
「だってクマだよ?逃げられる自信ないよ。」
「大丈夫ですよ。ほら、車から降りてください。」
しかも降ろされた場所は木々に囲まれた山道だ。今この瞬間にクマが出てきたらどうするつもりなの?と震える足を叱咤して、やっとの事で京は車から降りた。
それから成界に手を引かれながら、急斜のある山道をゆっくりと登っていく。変わらず周りは木々に囲まれていて、遠くの方から水が激しく流れ落ちてゆく音が聞こえてきた。さらに脇道には、上から下ってきた水が苔むした水路を緩やかに流れ落ち、その水面がきらきらと光っていた。
「わぁ・・・・すごい、すごい綺麗。」
思わずその様に感動して、京は水路の方へと駆け寄ってしまった。底にある砂利が透き通って見える程、その水は透明で美したかった。それからふと、高い空を見上げて京は思った。
ああ。俺にもこうやって、成界のような情緒があったんだな。
「ここをずっと歩いていくと水源ですよ。」
更に歩いて辿り着いた水源は、想像以上に荒々しかった。けれどもそれは、恐ろしさよりも、何か生命に対しての力強さを感じるものであった。
「へえ。やっぱりちゃんとあるものなんだな。」
「そうでなければ俺たち、水飲めませんからね。」
「実際見ないと実感できないよね。どうやってこの場所を知ったの?」
「実は、佐伯先生に教えてもらったんです。」
「佐伯先生?取材とか?」
「ええ。先週出版された新作、水が主題になっているんです。」
京は既に成界から献本を渡されているので何時でも読めるのだが、やはり日々の業務に追われてタイミングを逃し続けていた。
「水か。どんなものか想像できないから楽しみだな。」
「まあ、九割惚気ですけれど。そこをどのくらいの塩梅まで抑えていくのか、正直大変でしたね。それに佐伯先生は筆が速いので、予定より二ヶ月も完成が早まってリスケするのも大変でした。」
成界はやれやれといった風に首をすくめた。
「あはは。だからずっと忙しかったんだ。」
「もう!他人事だからって!笑い事じゃないんですからね!」
そんな事を言いながらも、彼はどこか楽しそうに見えた。
「そこにやり甲斐を感じている人に何を言っても変わらないのだろうけれど、無理は禁物だからね。」
「セーブはしているつもりです。」
「どうだか。」
「だって、京さんともっと色んな場所へ行きたいから。」
突然の爆弾発言に京の思考が停止した。
「なっ・・・・」
「京さんは、俺とデートしたくない?」
京は、このわんちゃんのような彼の甘えん坊な態度に弱い。むしろ、既に絆されている感じはしていた。自分でも、正直になれない事を知り尽くしているが、勇気を振り絞って彼のように甘えてみるのもいいかもしれない。
「・・・・色んな所に、連れて行ってくれる?」
少しだけ意識して、上目遣いで言ってみる。
「もちろんです。」
固い声で応えた成界を見れば、僅かに頬を染めていた。
「俺も、成界とデートしたい・・・・」
調子に乗って、追い打ちをかけるように甘えてみる。それでも、あまりにも恥ずかしくて俯いてしまったし、語尾は正直モニョモニョしてしまった。すると、頭上から朗らかな笑い声が聞こえた。
「な、何かおかしい?!」
「いいえ。ただあんまりにも貴方が可愛すぎて・・・・」
途端にぐっと引き寄せられて「どうにかなりそうなだけです。」と耳元で囁かれる。
「可愛いとか言われても嬉しく・・・・ンッ」
自分の顔がみるみる赤くなっていることが分かり、悔し紛れに反論したらキスまでされてしまう。誰かに見られたら色んな意味で終わると思い、ドンドンと彼の逞しい胸板を叩いた。
「大丈夫。ここ、滅多に人は来ないですから。」
「そういう意味じゃなくて・・・・!!!」
「どういう意味?」
綺麗な漆黒の瞳に間近で覗き込まれて、心臓が跳ね上がり後ずさったが、腰をホールドされているため無駄な足掻きとなった。
「二年前までは、成界のことはよく知らなかったけれど、それでも会いたいと思っていた。・・・・けれども今は、こうやって少しでも肌が触れ合っただけで、気持ちがスッと入ってきて、何でも分かる気がするんだ。」
「うん。俺もです。」
「この繋がりが番のようにならなくても・・・・それでも、俺たちは強固な、俺たちだけの繋がりで、確かに共に在り続けていける、と俺は思ってる。・・・・せかい?」
「はい。」
京は、成界の存在を確かめるように彼の頬に手を添えた。成界はそんな京に応えるように柔らかな返事をした。
「愛しているよ。」
「はい。俺も京さんの千倍は、貴方のことを愛しています。」
ぎゅっと京を強く抱き締めて、彼は子どもみたいなことを言った。
「ふふっ。何それ。・・・・あっ!」
「どうしました?」
京は彼の腕の中で、その心地よさを暫し堪能してから、彼にずっとずっと聞きたかったことを、さっきの仕返しも含めて耳元で囁いた。
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