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第五話 箸休め(1)
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ドン。ドン。ドン。
戸を叩く音が響く。
棒貸屋の裏長屋。その一番奥の角部屋がモモンガの住居である。
長屋奥の余った土地には、店長が耕した畑があり、さらに奥には古利根川が流れている。
宿場町・粕壁は川沿いにつくられた町だ。海のない埼玉郡では、川というのは木材などの物資運びに重要な役割を果たしていた。
「先生!モモンガ先生!」
ドン。ドン。ドン。
「先生!まだ寝てるんですか!失礼します!」
コタロウがガタッと戸を開いた時だった。
「ああっ、ちょっと待て!」
髪を下ろしたモモンガが必死に何かを隠している様子である。
掛け布団の下に何かをしまい、上に寝転がって「がぁー!」とイビキをして見せる。
「今、確かに起きていました」
じとっとした目で、コタロウが言う。
「今、寝てる」
仰向けで大の字になっているモモンガが目を瞑ったまま答える。
「何があるんですか、その下に」
聞かれたモモンガは左目を開けて、頭上にいるコタロウに視線を向けるとニヤリと笑う。
「オトナの読み物」
モモンガの返答に納得がいかないようで、コタロウは眉間にシワを寄せる。
「んー。大人はズルいです。そうやって隠し事をする!」
「大人にも色々あンだよ。で、用があって来たんだろ」
そう言って目を瞑る。面倒な用件だったらこのまま寝てしまおうという魂胆だ。
「あ、そうです!仕事です、先生!」
「仕事だあ?俺に?」
珍しい。そう思ったモモンガが再び目を開ける。
「とにかく、早く着替えて来て下さい!」
そう言って、コタロウは持ち場に戻って行った。
「んー、女だったら良いな……」
上半身を起こして頭を掻く。
起き上がったモモンガの下に敷かれた布団がずれて『江戸死刑法』と書かれた本が姿を現した。
「こんなもんまで持ってるなんてな」
そう言って本を手に取ると、しばらく表紙を眺めたあと、壁に掛けられた橙色の羽織に目を向ける。
──お前を守れて、よかった。
低く渋い声がモモンガの耳に甦る。
その声に答えるように「……おっちゃん」と、小さな声で呟いた。
手にしていた本を布団に戻すと、布団ごと手前に引く。布団の下から現れた畳を剥がし、床板に空いた穴に指を引っかけて持ち上げれば、本の山が姿を現す。所謂、床下収納だ。
本の山の中で、一冊分低くなった山に先程の本を重ねて、元に戻していく。
最後に布団を元の位置に戻すと、寝着の襦袢を脱ぎ捨てて、床に脱ぎ散らかした普段着を纏い、髪を雑に結い上げる。
「よし」
パシッと頬を叩く音が響いた。
街道沿いの正面から、棒貸屋の暖簾をくぐると、まず、八畳ほどの土間。目先には帳場がある。
左手の壁に掛けられた木札は一つ一つに用心棒の名前が書かれており、在室状況がわかるようになっている。また、この木札は、関所を通る際の通行手形としての役割もあるため、管理には十分に気を使わなければならない。
一方の右手側であるが、商談用に設けられた座敷がある。
そこに、男が三人。
「犬の用心棒?」
店長とモモンガは頭にハテナを浮かべて、首を傾けている。
老人が右隣で行儀良くおすわりをしている柴犬の頭を撫でると、艶のある毛が沈み、その柔らかさが強調された。店長は思わず自身のアフロヘアーに触れてみては「違うな」と思った。
「ジョセフというのですよ」
名前を聞いたモモンガは咄嗟に俯いた。
「柴犬に、ジョセフって」
向かいに座る老人に聞こえないように小さく、笑いを堪えながら呟く。その肩は震えている。
「現代的で素敵な名前ですな!」
笑顔でフォローに入った店長の左肘が、モモンガの右脇腹にヒットすると、うっと小さく唸り声がした。
「ええ。気に入っていますよ」
老人の頬が緩まる。
ジョセフから手を離したた老人は、コタロウが淹れた茶を啜り、ゆっくりと話始めた。
「うちは代々呉服屋をやっておりましてね。わたしもこんな歳ですから、今はもう、倅に任して身を引いたものでして。あの場所で一緒に暮らすのも悪くはないのですが……。どうも、江戸っていうのは時間の流れが早くてね。わたしにはとてもついていけたもんじゃあない。それで、どこか良い場所はないかと……まあ、ここに辿り着いたわけです」
言い終えたところで、たった一言「長い」と、モモンガは思ったと同時に、隣から聞こえる、ずびずびと鼻水を啜る音に、一体どこに泣く要素があったのかと呆然とした。
それでも、ただ一つ、モモンガには確認しておきたいことがあった。
「爺さん。その江戸の呉服屋っての、名前は?」
「おいっ、失礼だろ」
店長が咄嗟に止めに入る。
「なに、気になさらずに。若くて活気があっていいじゃないですか」
店長は老人に制されたので、これ以上は控えたが、いたたまれない気持ちになった。
「それでは、自己紹介も兼ねて……」
モモンガの喉がごくりと鳴る。
「江戸では『大越屋』って看板掲げてやらせてもらってます。キクジと申します」
大越屋。その名を聞いた二人は肩をびくりと動かした。
江戸一番の呉服屋として名高い、350年続く老舗である。
「喜んでお引き受けいたしましょう」
モモンガはのキクジの皺深い手ををガシッと両手で包み込んで離さない。
店長はそんなモモンガをやれやれと見つめていた。
戸を叩く音が響く。
棒貸屋の裏長屋。その一番奥の角部屋がモモンガの住居である。
長屋奥の余った土地には、店長が耕した畑があり、さらに奥には古利根川が流れている。
宿場町・粕壁は川沿いにつくられた町だ。海のない埼玉郡では、川というのは木材などの物資運びに重要な役割を果たしていた。
「先生!モモンガ先生!」
ドン。ドン。ドン。
「先生!まだ寝てるんですか!失礼します!」
コタロウがガタッと戸を開いた時だった。
「ああっ、ちょっと待て!」
髪を下ろしたモモンガが必死に何かを隠している様子である。
掛け布団の下に何かをしまい、上に寝転がって「がぁー!」とイビキをして見せる。
「今、確かに起きていました」
じとっとした目で、コタロウが言う。
「今、寝てる」
仰向けで大の字になっているモモンガが目を瞑ったまま答える。
「何があるんですか、その下に」
聞かれたモモンガは左目を開けて、頭上にいるコタロウに視線を向けるとニヤリと笑う。
「オトナの読み物」
モモンガの返答に納得がいかないようで、コタロウは眉間にシワを寄せる。
「んー。大人はズルいです。そうやって隠し事をする!」
「大人にも色々あンだよ。で、用があって来たんだろ」
そう言って目を瞑る。面倒な用件だったらこのまま寝てしまおうという魂胆だ。
「あ、そうです!仕事です、先生!」
「仕事だあ?俺に?」
珍しい。そう思ったモモンガが再び目を開ける。
「とにかく、早く着替えて来て下さい!」
そう言って、コタロウは持ち場に戻って行った。
「んー、女だったら良いな……」
上半身を起こして頭を掻く。
起き上がったモモンガの下に敷かれた布団がずれて『江戸死刑法』と書かれた本が姿を現した。
「こんなもんまで持ってるなんてな」
そう言って本を手に取ると、しばらく表紙を眺めたあと、壁に掛けられた橙色の羽織に目を向ける。
──お前を守れて、よかった。
低く渋い声がモモンガの耳に甦る。
その声に答えるように「……おっちゃん」と、小さな声で呟いた。
手にしていた本を布団に戻すと、布団ごと手前に引く。布団の下から現れた畳を剥がし、床板に空いた穴に指を引っかけて持ち上げれば、本の山が姿を現す。所謂、床下収納だ。
本の山の中で、一冊分低くなった山に先程の本を重ねて、元に戻していく。
最後に布団を元の位置に戻すと、寝着の襦袢を脱ぎ捨てて、床に脱ぎ散らかした普段着を纏い、髪を雑に結い上げる。
「よし」
パシッと頬を叩く音が響いた。
街道沿いの正面から、棒貸屋の暖簾をくぐると、まず、八畳ほどの土間。目先には帳場がある。
左手の壁に掛けられた木札は一つ一つに用心棒の名前が書かれており、在室状況がわかるようになっている。また、この木札は、関所を通る際の通行手形としての役割もあるため、管理には十分に気を使わなければならない。
一方の右手側であるが、商談用に設けられた座敷がある。
そこに、男が三人。
「犬の用心棒?」
店長とモモンガは頭にハテナを浮かべて、首を傾けている。
老人が右隣で行儀良くおすわりをしている柴犬の頭を撫でると、艶のある毛が沈み、その柔らかさが強調された。店長は思わず自身のアフロヘアーに触れてみては「違うな」と思った。
「ジョセフというのですよ」
名前を聞いたモモンガは咄嗟に俯いた。
「柴犬に、ジョセフって」
向かいに座る老人に聞こえないように小さく、笑いを堪えながら呟く。その肩は震えている。
「現代的で素敵な名前ですな!」
笑顔でフォローに入った店長の左肘が、モモンガの右脇腹にヒットすると、うっと小さく唸り声がした。
「ええ。気に入っていますよ」
老人の頬が緩まる。
ジョセフから手を離したた老人は、コタロウが淹れた茶を啜り、ゆっくりと話始めた。
「うちは代々呉服屋をやっておりましてね。わたしもこんな歳ですから、今はもう、倅に任して身を引いたものでして。あの場所で一緒に暮らすのも悪くはないのですが……。どうも、江戸っていうのは時間の流れが早くてね。わたしにはとてもついていけたもんじゃあない。それで、どこか良い場所はないかと……まあ、ここに辿り着いたわけです」
言い終えたところで、たった一言「長い」と、モモンガは思ったと同時に、隣から聞こえる、ずびずびと鼻水を啜る音に、一体どこに泣く要素があったのかと呆然とした。
それでも、ただ一つ、モモンガには確認しておきたいことがあった。
「爺さん。その江戸の呉服屋っての、名前は?」
「おいっ、失礼だろ」
店長が咄嗟に止めに入る。
「なに、気になさらずに。若くて活気があっていいじゃないですか」
店長は老人に制されたので、これ以上は控えたが、いたたまれない気持ちになった。
「それでは、自己紹介も兼ねて……」
モモンガの喉がごくりと鳴る。
「江戸では『大越屋』って看板掲げてやらせてもらってます。キクジと申します」
大越屋。その名を聞いた二人は肩をびくりと動かした。
江戸一番の呉服屋として名高い、350年続く老舗である。
「喜んでお引き受けいたしましょう」
モモンガはのキクジの皺深い手ををガシッと両手で包み込んで離さない。
店長はそんなモモンガをやれやれと見つめていた。
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