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3 砂漠化の謎を探る
3-1.おかしな雇い主
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「ニコ、それ何?」
「うん? また手紙だよ」
ニコは紙をぐしゃぐしゃに丸め、くず入れに捨てる。
「雇い主からだよ」
「最近多いわね」
「まあね。王都のこちら側は、明らかに魔力不足だから」
ニコと雇い主の関係は、よくわからない。雇い、雇われという関係の割には、ニコは相手に対して強く出ている。
もう再三、ニコ宛の手紙が来ているのに、返事もせずに捨てているのが良い例だ。
「この家も、貸してくれてるんじゃないの……?」
「そうだけど、貸し賃は払ってるよ。ラルドさんの宿に払う分くらいは、ね」
「そうだったのね」
てっきり住み込み扱いで、住まわせてもらっているのかと思っていた。そう言うと、ニコは「そこまで甘えないよ」と否定した。
「食費も、俺持ち。そこまで頼ってない。幸い、砂出しで稼いだお金は、けっこうあるからね」
「そうなの……」
私が思っていたよりも、ニコは自分の力を欲する相手との関係を、うまくコントロールしていた。
大きい力を持つと、利用する者が寄ってくる。あからさまに操ろうとする者もいれば、密かに思い通りにしようとする者もいる。魂胆が見え隠れする者もいれば、しない者もいる。
下心のある者とのやりとりに慣れていないニコが、上手く利用されてしまっているのではないかと、ずっと心配していた。
どうやらそれは、杞憂だったようだ。
「でも、そろそろ顔を出してあげてもいいかな。行こう、イリス」
「いいの? 外に出て!」
「一緒になら、ね。だいぶ元気になったでしょ」
だいぶ、どころではない。毎日滋養のある食べものを食べ、たっぷり眠った。運動も、徐々に体を慣らしながら、させてもらった。おかげでかなり調子を取り戻した。陽の光を浴びたくて、いい加減うずうずしていたところだ。
「外に出たらイリスは、衝撃を受けると思うんだ。だから、カーテンも閉めてた」
「どういうこと? すごく眩しいとか?」
「見ればわかる。怒らないでね」
外を見て怒るって、どういうことだろう。
ベッドから降り、部屋を出る。玄関まで行き、いよいよ、ニコが扉に手をかけた。隙間から、懐かしい陽の光が差し込む。新鮮な、外の空気を感じる。
扉が、一気に開いた。
「あら……!」
家の前には、草木が豊かに茂っていた。地面は砂ではなく、土。そこに、青々とした葉が揺れている。
立派な木には、白い花が咲いている。濃厚な、それでいて爽やかな、不思議な甘い香りだ。
目の前の光景は、私がかつて見た、王都の風景によく似ていた。若々しい緑。華やかな花。
「すごいわね、ニコ! いつの間に王都は、砂漠化を解決したの?」
あれほど砂だらけだった王都が、こんな短期間で、ここまで緑に覆われるだなんて。現在の王都にも、それだけのことができる魔導士がいたことに、驚きを禁じ得ない。
「解決してないよ」
「え? でも、ここは土の地面よ」
とんとん、と踏みならす地面は、明らかに水を含んだ土である。
「王都の砂漠化は解決されていない。でもこの辺りは、昔からずっと、この光景なんだって。……イリス、俺の言わんとしてること、想像つく?」
私は周囲をぐるりと見た。どこを見ても、美しい自然の風景が広がっている。乾燥した砂漠地帯の面影はない。
ニコはこの王都の奥で、水を撒く役割を持たされている。王都の砂漠化は改善されていない。だけどここの風景は、砂漠化以前から、何も変わらない。
それが意味することは、ひとつしか思い浮かばなかった。
「王都の魔導士は、ここの自然を維持するために、働いているの?」
「そうらしい」
「門の向こうは、砂漠化で苦しんでいるのに? 市民は魔法の知識がほとんどないのに、それを広めることもせずに、自分たちのためだけに使っているの?」
私の頭に、かっと血がのぼる。
魔導士とはかくあるべき、という信念が、私にはある。自分の持ち合わせた知識や技量を、人のために使うのが、魔導士の役目である。困っている人がいれば、助ける。魔法の正しい知識を広め、人々の生活の向上を図る。それが大切だということを、皆で共有し、推し進めていた。
今の魔導士は、それをせずに、私利私欲のためだけに魔法を使っているというのか。
「そんなの……」
「イリス、怒らないで」
「どうして? 魔導士として大切なことを重んじていないのよ、王都の魔導士ともあろう者が。許せるわけがないじゃ、ない……」
ニコが、私の両肩をぽん、と宥めるように叩く。だからニコは、私に外を見せなかったのだ。こう憤ることが、わかっていて。
「……ごめんなさい。怒るな、って言われたわね」
「腹が立つのは、わかるよ。俺も最初に事情がわかったとき、ありえないと思った。イリスは絶対に許さないだろうな、とも」
ニコに手を引かれ、空へ上がる。空中から見た街の姿は、一般市民の住む街とは、大きくかけ離れていた。王城を中心に、美しい緑の地面が広がり、花が咲き乱れている。
低空飛行ではあるが、飛んでいる人の姿もちらほら見える。その様子は、私の見知った、かつての王都のようであった。
事情を知らなければ、懐かしさに心震えたであろう。しかし、この美しさを維持するために一般市民の生活を犠牲にしていると知った私は、懐かしむどころか、呑気に飛んでいる魔導士たちに怒りが募った。
「俺の雇い主の話も、聞いてみてよ。俺はこの現状を不満に思っているんだけど、規模が大きすぎて、どうしていいかわからない。だから、イリスに相談したかったんだ」
「このことだったのね」
「そうだよ。現状を知ったら、イリスはすぐにでも行動を起こしたがるだろう? 体調が悪いうちは無理させたくなかったから、敢えて言わなかったんだ」
ニコは私のことを、よくわかっている。その通りだ。既に私は、なんとかできないものかと、思考が回り始めている。
早く教えて欲しかったと思うが、ニコの配慮もわかる。
「ありがとう。なら、ここから一緒に考えましょう」
「心強いよ。なんたってイリスは、数々の領地を救った大魔導士だからね」
「なんで知ってるの?」
「雇い主の家にあった、歴史書で読んだ」
わざわざ私の生きていた年代を探し出して読んだであろうことは、想像に難くない。
自分の成し遂げたことは偉業だと思っている。恥じるどころか、自慢である。それでも、面と向かって読んだと言われると、気恥ずかしい。
「ニコも一緒に、大魔導士と呼ばれるようになるのよ」
「それは、どうかなぁ」
「できるわ。私がついてるんだから」
信じることは、実現する。
魔法のような出来事は、信じないと起こらない。
私の目標は、二人揃って身を立てること。ニコが彼自身の力を伸ばし、発揮できるように、全力でフォローするのだ。
「あ、あそこだよ。雇い主の家」
「どこ?」
「あのやばい家」
ニコの説明も大概なのに、それでわかってしまうのが残念だった。「やばい家」と示されたのは、壁中に蔦が張っていて、緑の葉に全てが覆われた家だ。窓にも蔦が張っている。あれでは外はほとんど見えないだろう。
「入ろう」
屋敷の前に降り立ち、ニコはドアノブに手をかける。扉の周りだけ雑に蔦が切られ、開けられるようになっていた。
少し開いたと思ったら、内側からばーん! と勢いよく開く。ニコが扉にぶつかりそうになり、一歩引く。白い塊が飛び出してきて、ニコにぶつかった。
「あぁ~! ニコラウスくん、ようやく来てくれた! 待ってたよぉ~!」
妙に甲高い、男性の声。
「わかりましたから、離れてください」
ニコは冷静だ。男性の上を片方ずつ引き剥がす。渋々手を離した男性は、顔を上げた。
こけた頬。くるくるの長い髪。無精髭。瓶底眼鏡。着ているくたびれた白衣も相まって、「だらしない研究者」を絵にしたような印象の男が、私をじっと見つめる。
睨み合いじみた視線の応酬。動物ならば、先に目をそらした方の負けだ。
男はふいと視線をそらすと、「この子だれ?」とニコに聞いた。
「お手紙にも書きました、イリスです」
「ふーん。僕、手紙読んでないからわかんないや。それよりも、ニコラウスくん! 出てきてくれなかったから、困ってたんだよぉ~!」
なよなよとした語尾で、ニコに縋り付く。この人が、雇い主?
「紹介するよ、イリス。この人、俺の雇い主の、ベンジャミンさん」
たしかに、そうであるらしい。
「うん? また手紙だよ」
ニコは紙をぐしゃぐしゃに丸め、くず入れに捨てる。
「雇い主からだよ」
「最近多いわね」
「まあね。王都のこちら側は、明らかに魔力不足だから」
ニコと雇い主の関係は、よくわからない。雇い、雇われという関係の割には、ニコは相手に対して強く出ている。
もう再三、ニコ宛の手紙が来ているのに、返事もせずに捨てているのが良い例だ。
「この家も、貸してくれてるんじゃないの……?」
「そうだけど、貸し賃は払ってるよ。ラルドさんの宿に払う分くらいは、ね」
「そうだったのね」
てっきり住み込み扱いで、住まわせてもらっているのかと思っていた。そう言うと、ニコは「そこまで甘えないよ」と否定した。
「食費も、俺持ち。そこまで頼ってない。幸い、砂出しで稼いだお金は、けっこうあるからね」
「そうなの……」
私が思っていたよりも、ニコは自分の力を欲する相手との関係を、うまくコントロールしていた。
大きい力を持つと、利用する者が寄ってくる。あからさまに操ろうとする者もいれば、密かに思い通りにしようとする者もいる。魂胆が見え隠れする者もいれば、しない者もいる。
下心のある者とのやりとりに慣れていないニコが、上手く利用されてしまっているのではないかと、ずっと心配していた。
どうやらそれは、杞憂だったようだ。
「でも、そろそろ顔を出してあげてもいいかな。行こう、イリス」
「いいの? 外に出て!」
「一緒になら、ね。だいぶ元気になったでしょ」
だいぶ、どころではない。毎日滋養のある食べものを食べ、たっぷり眠った。運動も、徐々に体を慣らしながら、させてもらった。おかげでかなり調子を取り戻した。陽の光を浴びたくて、いい加減うずうずしていたところだ。
「外に出たらイリスは、衝撃を受けると思うんだ。だから、カーテンも閉めてた」
「どういうこと? すごく眩しいとか?」
「見ればわかる。怒らないでね」
外を見て怒るって、どういうことだろう。
ベッドから降り、部屋を出る。玄関まで行き、いよいよ、ニコが扉に手をかけた。隙間から、懐かしい陽の光が差し込む。新鮮な、外の空気を感じる。
扉が、一気に開いた。
「あら……!」
家の前には、草木が豊かに茂っていた。地面は砂ではなく、土。そこに、青々とした葉が揺れている。
立派な木には、白い花が咲いている。濃厚な、それでいて爽やかな、不思議な甘い香りだ。
目の前の光景は、私がかつて見た、王都の風景によく似ていた。若々しい緑。華やかな花。
「すごいわね、ニコ! いつの間に王都は、砂漠化を解決したの?」
あれほど砂だらけだった王都が、こんな短期間で、ここまで緑に覆われるだなんて。現在の王都にも、それだけのことができる魔導士がいたことに、驚きを禁じ得ない。
「解決してないよ」
「え? でも、ここは土の地面よ」
とんとん、と踏みならす地面は、明らかに水を含んだ土である。
「王都の砂漠化は解決されていない。でもこの辺りは、昔からずっと、この光景なんだって。……イリス、俺の言わんとしてること、想像つく?」
私は周囲をぐるりと見た。どこを見ても、美しい自然の風景が広がっている。乾燥した砂漠地帯の面影はない。
ニコはこの王都の奥で、水を撒く役割を持たされている。王都の砂漠化は改善されていない。だけどここの風景は、砂漠化以前から、何も変わらない。
それが意味することは、ひとつしか思い浮かばなかった。
「王都の魔導士は、ここの自然を維持するために、働いているの?」
「そうらしい」
「門の向こうは、砂漠化で苦しんでいるのに? 市民は魔法の知識がほとんどないのに、それを広めることもせずに、自分たちのためだけに使っているの?」
私の頭に、かっと血がのぼる。
魔導士とはかくあるべき、という信念が、私にはある。自分の持ち合わせた知識や技量を、人のために使うのが、魔導士の役目である。困っている人がいれば、助ける。魔法の正しい知識を広め、人々の生活の向上を図る。それが大切だということを、皆で共有し、推し進めていた。
今の魔導士は、それをせずに、私利私欲のためだけに魔法を使っているというのか。
「そんなの……」
「イリス、怒らないで」
「どうして? 魔導士として大切なことを重んじていないのよ、王都の魔導士ともあろう者が。許せるわけがないじゃ、ない……」
ニコが、私の両肩をぽん、と宥めるように叩く。だからニコは、私に外を見せなかったのだ。こう憤ることが、わかっていて。
「……ごめんなさい。怒るな、って言われたわね」
「腹が立つのは、わかるよ。俺も最初に事情がわかったとき、ありえないと思った。イリスは絶対に許さないだろうな、とも」
ニコに手を引かれ、空へ上がる。空中から見た街の姿は、一般市民の住む街とは、大きくかけ離れていた。王城を中心に、美しい緑の地面が広がり、花が咲き乱れている。
低空飛行ではあるが、飛んでいる人の姿もちらほら見える。その様子は、私の見知った、かつての王都のようであった。
事情を知らなければ、懐かしさに心震えたであろう。しかし、この美しさを維持するために一般市民の生活を犠牲にしていると知った私は、懐かしむどころか、呑気に飛んでいる魔導士たちに怒りが募った。
「俺の雇い主の話も、聞いてみてよ。俺はこの現状を不満に思っているんだけど、規模が大きすぎて、どうしていいかわからない。だから、イリスに相談したかったんだ」
「このことだったのね」
「そうだよ。現状を知ったら、イリスはすぐにでも行動を起こしたがるだろう? 体調が悪いうちは無理させたくなかったから、敢えて言わなかったんだ」
ニコは私のことを、よくわかっている。その通りだ。既に私は、なんとかできないものかと、思考が回り始めている。
早く教えて欲しかったと思うが、ニコの配慮もわかる。
「ありがとう。なら、ここから一緒に考えましょう」
「心強いよ。なんたってイリスは、数々の領地を救った大魔導士だからね」
「なんで知ってるの?」
「雇い主の家にあった、歴史書で読んだ」
わざわざ私の生きていた年代を探し出して読んだであろうことは、想像に難くない。
自分の成し遂げたことは偉業だと思っている。恥じるどころか、自慢である。それでも、面と向かって読んだと言われると、気恥ずかしい。
「ニコも一緒に、大魔導士と呼ばれるようになるのよ」
「それは、どうかなぁ」
「できるわ。私がついてるんだから」
信じることは、実現する。
魔法のような出来事は、信じないと起こらない。
私の目標は、二人揃って身を立てること。ニコが彼自身の力を伸ばし、発揮できるように、全力でフォローするのだ。
「あ、あそこだよ。雇い主の家」
「どこ?」
「あのやばい家」
ニコの説明も大概なのに、それでわかってしまうのが残念だった。「やばい家」と示されたのは、壁中に蔦が張っていて、緑の葉に全てが覆われた家だ。窓にも蔦が張っている。あれでは外はほとんど見えないだろう。
「入ろう」
屋敷の前に降り立ち、ニコはドアノブに手をかける。扉の周りだけ雑に蔦が切られ、開けられるようになっていた。
少し開いたと思ったら、内側からばーん! と勢いよく開く。ニコが扉にぶつかりそうになり、一歩引く。白い塊が飛び出してきて、ニコにぶつかった。
「あぁ~! ニコラウスくん、ようやく来てくれた! 待ってたよぉ~!」
妙に甲高い、男性の声。
「わかりましたから、離れてください」
ニコは冷静だ。男性の上を片方ずつ引き剥がす。渋々手を離した男性は、顔を上げた。
こけた頬。くるくるの長い髪。無精髭。瓶底眼鏡。着ているくたびれた白衣も相まって、「だらしない研究者」を絵にしたような印象の男が、私をじっと見つめる。
睨み合いじみた視線の応酬。動物ならば、先に目をそらした方の負けだ。
男はふいと視線をそらすと、「この子だれ?」とニコに聞いた。
「お手紙にも書きました、イリスです」
「ふーん。僕、手紙読んでないからわかんないや。それよりも、ニコラウスくん! 出てきてくれなかったから、困ってたんだよぉ~!」
なよなよとした語尾で、ニコに縋り付く。この人が、雇い主?
「紹介するよ、イリス。この人、俺の雇い主の、ベンジャミンさん」
たしかに、そうであるらしい。
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