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3 砂漠化の謎を探る
3-8.水中で息をする方法
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石造りの浴槽いっぱいに、縁まで水位が上がる。私は水に指先をつけてみた。冷たい。
「やっぱり、水って透明よね」
「青い水って、特別そうだね」
私の言いたいことを、ニコは汲んでくれる。水は本来、透明なものだ。青い水があったのだとしたら、場所は違くても、関係があると考えても良い。
王城に入り込みたいと思うのに、あの広場の池から向かっていくのは、大外れではないだろう。
「王城に入れた後のことも考えると、やるべきことは二つあるわ。まずは、長時間、ふたりぶんの呼吸を維持できるようにすること」
「どのくらいかかるかわからないもんね」
「ええ。普通に歩いてかかる時間の、四倍は見ておきたいわ。もし行き止まりだったら、同じ道を戻らないといけないから」
私は、二本目の指を立てる。
「次に、王城に入ってから。人に見つからずに城内を歩き回るには、声を遮断しなければならないと思うの」
「ああ、話し声でばれるから」
「そうなの。空気の膜を二重に作ったら声はもれないから、その練習をすること」
そこでニコが、「あのさ」と口を挟んだ。
「俺だったら、大事な場所には空気の膜を張っておいて、誰か来たらすぐわかるようにするけど。城の真下にそんなものがあるなら、警備もすごいと思わない?」
「人による警備だったら、どうにでもなると思うけど……そうね、空気の膜は、張れないと踏んでたわ。今の王都の知識では」
ニコの懸念も、理解できる。私はその可能性を除外していたが、城内の人間がどの程度の段階かは、わからないのだ。
「自分より技能の低い魔導士相手だったら、その膜に気づかれないように穴を開けて、進んでいくこともできるけど……私は魔法を出せないから、誰かに作ってもらわないといけないわ」
「誰か、練習相手になってくれるかな」
私は、知り合いの顔を頭に思い浮かべる。空気の膜は、有用になる場面が限られる。厳重な警備が必要な場面で用いられることが多いものだ。そして、目に見えないから、練習しても成功するまで実感はわきにくい。
砂出しの皆は、その点では強烈に必要とはしないだろう。サラは魔法が使えない。
「パトロールの隊の人は?」
「どうかしら……私たちの企てたことを、また上に伝えられたら困るわ」
彼らは個人としては悪い人ではない。ただ、職務上の立場を重んじている。ニコが連れていかれたのだって、魔法を使って壁を越えたことを、伝えられたからだ。
ニコもああ、と同意の相槌を打つ。
「……ベンジャミンかしら」
「そうだね。近くに住んでいるし、純粋な興味で協力してくれそう」
失われたものを復元することに憧れをもっている、ベンジャミン。空気の膜だって、今となっては失われた魔法のひとつ。理解したら、間違いなく喜んで協力するだろう。
副魔導士長の父のことも、敬愛はしているが盲従する気はないらしい。そんなところも、今回はちょうどいい。
「それに彼は、魔法はできるから」
手間が省けていい。ニコも同意した。
「水中で息をする最も簡単な方法は、体の周りに空気の膜を張って、全身を空気で覆うことよ」
さまざまなやり方があるが、それが一番イメージしやすい。既に空気の膜を作れているニコの現状を考えると、やりやすいはずだ。
「この深さだと、全身じゃ練習できないよ。頭だけ、って方法はある?」
「あるけど、調整が難しいんじゃないかしら」
この浴槽は、私が入って立つと、太腿くらいの高さがある。浴槽としては立派だが、潜って練習するには足りない。
「俺、頭だけでやってみるよ」
ニコのその判断が、正しいと思った。練習と実際が同じ条件の方が、完成する可能性は高い。
ニコは、おもむろに上衣に手をかける。
「えっ、ニコ」
持ち上がった裾から引き締まった腹部が覗き、私は思わず声をかけた。
「あ、ごめん。頭だけだと、全身濡れるわけでしょ。下着は脱がないから」
「……そうよね、いいわ。ごめんなさい」
ニコはするりと服を脱ぐ。私はどうしても、その体つきに目が行く。見た目より筋肉質なニコは、こうして服を脱ぐと、鍛えられていることがよくわかる体つきをしている。
ニコが腕を動かすと、肩の筋肉が反応して動く。脚を動かすと、太腿やふくらはぎに筋肉が浮き出る。その辺りを、じっと見つめてしまった。
「……冷たいなあ」
「大丈夫? 温めてお湯にしても」
「いや、川で泳ぐときもこのくらいだから。慣れるよ」
ざば、と勢いよくニコは水に入る。浴槽から溢れた水は、私の足元まで来た。私は目のやり場に困って、足元にかかる水を眺める。
「ねえ、イリス」
盛り上がった胸筋とか、しゅっとした背筋とか、そんなものは見てはいけない。私は、自分に言い聞かせる。
「イリス」
「あぁっ! なに?」
いきなり声が聞こえて、肩が跳ねた。ニコの声のトーンから、何度も呼ばれていたらしいと察する。
ぱっと顔を上げると、水に濡れたニコの肌が目に入り、視線をそのまま天井に上げた。
「……どこ見てるの?」
「いえっ、ちょっと上を見たかったの。なに、ニコ」
怪しむような声に、慌てて視線を下げる。私は胸に手を当て、ひと呼吸置いてから、ニコに焦点を合わせた。髪から滴った水が、ぽたりと肩に垂れ落ちる様なんて、目の毒だ。
あれ、髪から水が滴っている?
「失敗したのね」
髪が濡れているということは、失敗したということ。空気の膜が張れていれば、頭は濡れないはずなのだ。
「そう。ちょっと見てて」
ニコはまた、水に潜る。頭の周りに、大きな空気の玉ができる。ニコが、空気の玉からこちらを見る。揺らめく水面越しに、目が合う。
ニコは反対を向いて、浴槽の壁を蹴る。すう、と体は前に進んだが、空気の膜はその場に残る。
「……っていう、わけ」
髪をしとどに濡らしたニコが水から顔を上げ、頭を振って水滴を飛ばす。
「空気の玉を移動するのを、忘れているからよ。自分が移動したら、その分、空気も移動させなきゃ」
「そうなの?」
「そうよ。意図的に動かさないと。そんな、気の利いた動きはしないわ」
ニコはまた潜り、泳ぎながら空気の玉の移動を試す。自分だけ先に行ったり、空気の玉だけ先に行ったりして、何度も水面から顔を上げた。
水の中は目がきかないので、どうなっているか自覚しにくい。私は上から様子を見て、空気の玉が遅かったとか速かったとか、調整の参考になる情報を伝える。
ふと、ニコの体を見ても何も動じていない自分に気づいた。私はやはり、魔法が絡むと、こうなるのだ。何も気にせず泳ぎ回っている、ニコも同じだろう。
「……皮膚がふやけてきたよ」
何度も浴槽を往復し、水から顔を上げる回数よりも、空気の玉を維持したままでいられることの方が増えた頃。
ざば、と顔を上げたニコは、自分の手のひらを見て、切なそうに呟いた。
「寒くない?」
唇がいつもより白っぽいのを見て、そう案じると、ニコは「それは大丈夫」と応える。
「むしろ、途中からぽかぽかしてきた。運動してるからね。……今日は、ここまでにしようか。集中力がもたなくなってきた」
「そうね。……私ちょっと、ベンジャミンのところへ行って、魔法の仕込みをしたいわ。ニコ、行ける?」
「うーん、ちょっと休めば」
水を垂らしながら地上に上がるニコの足取りは、重そうだ。水を含んでずり下がる下着を、腰のあたりを掴んで止める。
「……いえ、やっぱり明日でいいわ」
「いいの?」
「それより、温かいお風呂に入ってゆっくりしたくない?」
水の中で活動することは、陸の上でやるよりも、ずっと疲れる。彼は優しいから、私がベンジャミンの屋敷へ行くと言い張ったら、疲れた体をおして連れて行ってくれるだろう。だからこそ、ニコの体調を考慮して、私は休息を提案した。
「それでいいなら、その方がありがたいよ」
ニコは浴槽の方を向いて、大きな火の玉を出す。これを水に突っ込ませることで、温度を上げるのだ。ジュウ……と音がして小さくなっていく火の玉が消えた頃には、水は湯に代わり、もくもくと湯気が立ち込めている。
「俺、このまま体あっためるね」
「そうよね。私、出てるわ」
ニコに背を向けると、後ろからべちゃ、と濡れた布を投げるような音がした。ついで水の音、ふぅ……と長く深く吐き出す息。
私も湯に浸かってゆっくりしたいわ、と浴槽を恋しく思いつつ、脱衣所を通り抜け、廊下から居間まで戻った。
「やっぱり、水って透明よね」
「青い水って、特別そうだね」
私の言いたいことを、ニコは汲んでくれる。水は本来、透明なものだ。青い水があったのだとしたら、場所は違くても、関係があると考えても良い。
王城に入り込みたいと思うのに、あの広場の池から向かっていくのは、大外れではないだろう。
「王城に入れた後のことも考えると、やるべきことは二つあるわ。まずは、長時間、ふたりぶんの呼吸を維持できるようにすること」
「どのくらいかかるかわからないもんね」
「ええ。普通に歩いてかかる時間の、四倍は見ておきたいわ。もし行き止まりだったら、同じ道を戻らないといけないから」
私は、二本目の指を立てる。
「次に、王城に入ってから。人に見つからずに城内を歩き回るには、声を遮断しなければならないと思うの」
「ああ、話し声でばれるから」
「そうなの。空気の膜を二重に作ったら声はもれないから、その練習をすること」
そこでニコが、「あのさ」と口を挟んだ。
「俺だったら、大事な場所には空気の膜を張っておいて、誰か来たらすぐわかるようにするけど。城の真下にそんなものがあるなら、警備もすごいと思わない?」
「人による警備だったら、どうにでもなると思うけど……そうね、空気の膜は、張れないと踏んでたわ。今の王都の知識では」
ニコの懸念も、理解できる。私はその可能性を除外していたが、城内の人間がどの程度の段階かは、わからないのだ。
「自分より技能の低い魔導士相手だったら、その膜に気づかれないように穴を開けて、進んでいくこともできるけど……私は魔法を出せないから、誰かに作ってもらわないといけないわ」
「誰か、練習相手になってくれるかな」
私は、知り合いの顔を頭に思い浮かべる。空気の膜は、有用になる場面が限られる。厳重な警備が必要な場面で用いられることが多いものだ。そして、目に見えないから、練習しても成功するまで実感はわきにくい。
砂出しの皆は、その点では強烈に必要とはしないだろう。サラは魔法が使えない。
「パトロールの隊の人は?」
「どうかしら……私たちの企てたことを、また上に伝えられたら困るわ」
彼らは個人としては悪い人ではない。ただ、職務上の立場を重んじている。ニコが連れていかれたのだって、魔法を使って壁を越えたことを、伝えられたからだ。
ニコもああ、と同意の相槌を打つ。
「……ベンジャミンかしら」
「そうだね。近くに住んでいるし、純粋な興味で協力してくれそう」
失われたものを復元することに憧れをもっている、ベンジャミン。空気の膜だって、今となっては失われた魔法のひとつ。理解したら、間違いなく喜んで協力するだろう。
副魔導士長の父のことも、敬愛はしているが盲従する気はないらしい。そんなところも、今回はちょうどいい。
「それに彼は、魔法はできるから」
手間が省けていい。ニコも同意した。
「水中で息をする最も簡単な方法は、体の周りに空気の膜を張って、全身を空気で覆うことよ」
さまざまなやり方があるが、それが一番イメージしやすい。既に空気の膜を作れているニコの現状を考えると、やりやすいはずだ。
「この深さだと、全身じゃ練習できないよ。頭だけ、って方法はある?」
「あるけど、調整が難しいんじゃないかしら」
この浴槽は、私が入って立つと、太腿くらいの高さがある。浴槽としては立派だが、潜って練習するには足りない。
「俺、頭だけでやってみるよ」
ニコのその判断が、正しいと思った。練習と実際が同じ条件の方が、完成する可能性は高い。
ニコは、おもむろに上衣に手をかける。
「えっ、ニコ」
持ち上がった裾から引き締まった腹部が覗き、私は思わず声をかけた。
「あ、ごめん。頭だけだと、全身濡れるわけでしょ。下着は脱がないから」
「……そうよね、いいわ。ごめんなさい」
ニコはするりと服を脱ぐ。私はどうしても、その体つきに目が行く。見た目より筋肉質なニコは、こうして服を脱ぐと、鍛えられていることがよくわかる体つきをしている。
ニコが腕を動かすと、肩の筋肉が反応して動く。脚を動かすと、太腿やふくらはぎに筋肉が浮き出る。その辺りを、じっと見つめてしまった。
「……冷たいなあ」
「大丈夫? 温めてお湯にしても」
「いや、川で泳ぐときもこのくらいだから。慣れるよ」
ざば、と勢いよくニコは水に入る。浴槽から溢れた水は、私の足元まで来た。私は目のやり場に困って、足元にかかる水を眺める。
「ねえ、イリス」
盛り上がった胸筋とか、しゅっとした背筋とか、そんなものは見てはいけない。私は、自分に言い聞かせる。
「イリス」
「あぁっ! なに?」
いきなり声が聞こえて、肩が跳ねた。ニコの声のトーンから、何度も呼ばれていたらしいと察する。
ぱっと顔を上げると、水に濡れたニコの肌が目に入り、視線をそのまま天井に上げた。
「……どこ見てるの?」
「いえっ、ちょっと上を見たかったの。なに、ニコ」
怪しむような声に、慌てて視線を下げる。私は胸に手を当て、ひと呼吸置いてから、ニコに焦点を合わせた。髪から滴った水が、ぽたりと肩に垂れ落ちる様なんて、目の毒だ。
あれ、髪から水が滴っている?
「失敗したのね」
髪が濡れているということは、失敗したということ。空気の膜が張れていれば、頭は濡れないはずなのだ。
「そう。ちょっと見てて」
ニコはまた、水に潜る。頭の周りに、大きな空気の玉ができる。ニコが、空気の玉からこちらを見る。揺らめく水面越しに、目が合う。
ニコは反対を向いて、浴槽の壁を蹴る。すう、と体は前に進んだが、空気の膜はその場に残る。
「……っていう、わけ」
髪をしとどに濡らしたニコが水から顔を上げ、頭を振って水滴を飛ばす。
「空気の玉を移動するのを、忘れているからよ。自分が移動したら、その分、空気も移動させなきゃ」
「そうなの?」
「そうよ。意図的に動かさないと。そんな、気の利いた動きはしないわ」
ニコはまた潜り、泳ぎながら空気の玉の移動を試す。自分だけ先に行ったり、空気の玉だけ先に行ったりして、何度も水面から顔を上げた。
水の中は目がきかないので、どうなっているか自覚しにくい。私は上から様子を見て、空気の玉が遅かったとか速かったとか、調整の参考になる情報を伝える。
ふと、ニコの体を見ても何も動じていない自分に気づいた。私はやはり、魔法が絡むと、こうなるのだ。何も気にせず泳ぎ回っている、ニコも同じだろう。
「……皮膚がふやけてきたよ」
何度も浴槽を往復し、水から顔を上げる回数よりも、空気の玉を維持したままでいられることの方が増えた頃。
ざば、と顔を上げたニコは、自分の手のひらを見て、切なそうに呟いた。
「寒くない?」
唇がいつもより白っぽいのを見て、そう案じると、ニコは「それは大丈夫」と応える。
「むしろ、途中からぽかぽかしてきた。運動してるからね。……今日は、ここまでにしようか。集中力がもたなくなってきた」
「そうね。……私ちょっと、ベンジャミンのところへ行って、魔法の仕込みをしたいわ。ニコ、行ける?」
「うーん、ちょっと休めば」
水を垂らしながら地上に上がるニコの足取りは、重そうだ。水を含んでずり下がる下着を、腰のあたりを掴んで止める。
「……いえ、やっぱり明日でいいわ」
「いいの?」
「それより、温かいお風呂に入ってゆっくりしたくない?」
水の中で活動することは、陸の上でやるよりも、ずっと疲れる。彼は優しいから、私がベンジャミンの屋敷へ行くと言い張ったら、疲れた体をおして連れて行ってくれるだろう。だからこそ、ニコの体調を考慮して、私は休息を提案した。
「それでいいなら、その方がありがたいよ」
ニコは浴槽の方を向いて、大きな火の玉を出す。これを水に突っ込ませることで、温度を上げるのだ。ジュウ……と音がして小さくなっていく火の玉が消えた頃には、水は湯に代わり、もくもくと湯気が立ち込めている。
「俺、このまま体あっためるね」
「そうよね。私、出てるわ」
ニコに背を向けると、後ろからべちゃ、と濡れた布を投げるような音がした。ついで水の音、ふぅ……と長く深く吐き出す息。
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