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3 砂漠化の謎を探る
3-15.夜の水中散歩
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昼間は賑わう広場も、この時間になると、人っ子ひとりいない。カラフルな日除けは、暗がりの中では、色をなくしたように見える。陽光を美しく反射している池の水も、その美しさを控えている。池の中央に立つ初代国王の像だけが、変わらぬ威厳を保っていた。
私とニコは、池の縁に立ち、中を見下ろす。どこまでも透明な水の向こうには、精緻な木の彫刻が、枝を広げている。
「不思議よね、この彫刻。初代国王の足が、木の上に立ってるんだもの」
「そのくらい、この木は、大切なものなんだろうね」
地下には、王都の、すべてがある。
絵本の一節が、頭をよぎった。
そこに何があるのか知りたいというのは、もはや使命感を離れた、好奇心かもしれない。
「ニコ」
私は、両手を広げた。
「もう、行っていいの?」
「いいわ」
ニコは私の後ろに立ち、お腹の周りに腕を回す。両手を下ろして、ニコの邪魔にならないよう、力を抜いた。
「靴は……脱いで行こうか。水が入ったら、結局脱げそうだから」
この姿勢だと、話をするニコの息が、私の耳にかかる。囁く声は、鼓膜までくすぐってくる。
靴を脱いで、池の縁に再度立つ。ひんやりと冷たく、砂の感触がする。ニコが何も言わずに、私の後ろから手を回した。
「ニコ、もう準備できた?」
「うん。膜は張ってある。途中で切れないように、祈ってて」
「途中で空気がなくなったら、死ぬしかないわね」
比喩ではなく、物理的に。魔力が切れて、リカバーできなかったら、息ができなくて死んでしまう。
「ニコなら、大丈夫だと思うけど」
「そうかな、買いかぶりかもよ」
「私が教えたんだから、買いかぶりじゃないわ」
くすくす。
こんな暗い街中で、今から水に入っていこうというのに、全く緊張感のない会話だ。
静かな笑い声が暫く続き、やがて、どちらからともなく、止んだ。
ちゃぷ、と爪先を水に差し込む。もう、かけ声もいらなかった。ニコと息を合わせ、水面に、足を踏み出す。水の上なんて歩けないので、そのまま体が水に落ちる。
「……っ!」
落ちた。
予想以上に、普通に落ちた。
私は咄嗟に、息を詰める。ぶくぶくと、鼻から吐き出した泡が頭上に向かっていく。対して体は、沈む。暗くてよく見えない、池の底へ。
「……ごめん、イリス。大丈夫?」
咳き込む私の顔を、背後からニコが覗き込む。ぽた、と滴る水滴。ひとしきり咳をして、なんとか、呼吸が落ち着いた。
「大丈夫。ごめんなさい、水中での動きの制御を、教えてなかったわね」
「俺こそ、池が縦に深いってこと、忘れてたよ。風呂場では、こんなに深くなかったものね」
そう。私たちは、浴槽の感覚で、何の準備もなく水に入ったのだ。どこかに足をかけて、ふわっと浮きながら降りていければいい。そんな感覚で。
実際は池は深く、体が予想以上の勢いで沈んだ。最初に空気が来なかったのは、ニコが膜を張り忘れたのではなく、沈む勢いに間に合わなかったから。
「いやあ、いきなり死ぬかと思ったよ」
「これで、次に同じことがあっても、動揺しないで済むわね」
今私たちは、かろうじて、下方の枝に足をかけていた。見上げると、遥か上に、ゆらめく水面。そこから漏れ入る夜の光が、ぼんやりと私とニコを照らしている。
「大丈夫。もう、勝手はわかったよ」
「なら、行きましょう」
私とニコは、改めて、枝から足を離す。
落下の勢いがないので、ふわっと降りることができた。底に足をつき、ニコが壁に手を這わせながら、穴を探す。
その間私は、体に回されている側のニコの腕をちゃんと掴み、離れないようにしていた。
「あ、ここだ」
ニコが示す先には、深くて暗い穴がつながっていた。
「……思っていたより、暗いわ」
「外からの光が届かないからね。こんなもんじゃないかな。イリス、怖い?」
怖い? と聞かれて、怖いなんて答えられない。そもそもこの手段を取ろうと言ったのは、私なのだから。
「怖くは、ないわ。怖くは……」
「緊張してるでしょ。こんなに近づいてたら、強張ってるのも、わかっちゃうみたいだ」
ニコの手が、水中を動き、私の肩を柔く揉みほぐす。それで、肩に入っていた力が、自然と抜けた。
「……怖いけど、ニコといれば、なんとかなるもの」
「俺も、イリスがいれば、魔力は足りるから。なんとかするよ」
一歩。その暗い穴へ、踏み出す。
「イリス、支えるの、片手でもいい?」
「いいけど……どうして?」
「こういう風に見えないところでは、片手を壁につけて、歩いた方がいいんだ。仮に行き止まりでも、そのまま壁を伝って歩いてくれば、ここに戻れるからさ」
ニコの言葉を聞いて、私は、彼の腕をしっかり掴んだ。
「よくそんなこと、知ってるわね。どこで聞いたの?」
「俺の、じいちゃんだったかな。役に立たないことをいろいろ教えてくれると思ってたけど、今役に立ったよ」
そんな世間話が、心をほぐす。私は、ゆっくりと息を吐いて、暗がりを見据えた。
「なら、それはニコに任せるわ。私は、絶対に離さないようにするから、心配しないで」
「頼んだ。……よし、進もう」
振り向けば、ぼんやりと見えていたニコの顔は、進むたびに見えなくなる。やがてそこは、真っ暗闇になった。文字通り、一筋の光もない。
「……イリス、俺から、顔を離しちゃだめだよ。俺、何にも見えてないから」
「わかってる。もし顔が水に入ったら、腕を叩くわ。そうしたら、空気の膜を広げて」
「了解」
進んでいるということは、体の受ける緩やかな水圧で、辛うじて理解できる。右も左も、前も後ろも、上も下もわからない世界。浮き上がってしまったら、本当にわからなくなるだろう。
「……ニコ、腕はつらくない?」
私の体を、ニコは実質、ひとりで支えている。一応こちらも掴んではいるが、私の重みは、彼の腕にかかってしまっている。
「大丈夫だよ、水の中だから」
「でも」
「この方がいい。いざというとき、すぐに魔孔を触れるでしょ」
そう言われたら、その通りだ。
この暗闇の中で、ニコの魔力が切れたら、絶望である。この体勢なら、ニコは少し手をずらすだけで、私の魔孔に触れられる。
「それなら……無理しないでとは、言えないけど」
「全然、無理じゃないよ。イリス、君は小柄だし、本当に軽いから」
穏やかな声。それに、ニコの体温が、全身を包んでいる。この真っ暗闇の中でも、それなりに落ち着いていられるのは、ニコがそばにいるからだ。
「空気の玉をもうひとつ出して、そこに火を入れたら、少しは明るくなるかも」
「なるほどね。良いアイディアだけど……行き止まったときに、とっておこう。同時にふたつやり続けるのは、ちょっと自信がないから」
「ごめんね。もう少し早く思いついていれば、練習できたのに」
道中思いついたところで、安定的にできないのは、当たり前だ。ニコひとりならやったかもしれないが、彼は今、私にも気を配らなくてはならない。
「謝らないでよ。俺だって、思いつきもしなかった。それに、こうして、進めているからね」
責めずに、励ましてくれる、ニコ。
私の至らないところを、こうしてフォローしてくれる。だから私は、彼に安心して背を預けられるのだ。比喩ではなく、今は物理的に、背を預けているわけだけど。
「前に進んでいれば、なんとかなるよ」
「そうね、ニコ」
言葉通りの、暗中模索で。私たちは、一歩一歩、地下の水の中を歩いて行った。
私とニコは、池の縁に立ち、中を見下ろす。どこまでも透明な水の向こうには、精緻な木の彫刻が、枝を広げている。
「不思議よね、この彫刻。初代国王の足が、木の上に立ってるんだもの」
「そのくらい、この木は、大切なものなんだろうね」
地下には、王都の、すべてがある。
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そこに何があるのか知りたいというのは、もはや使命感を離れた、好奇心かもしれない。
「ニコ」
私は、両手を広げた。
「もう、行っていいの?」
「いいわ」
ニコは私の後ろに立ち、お腹の周りに腕を回す。両手を下ろして、ニコの邪魔にならないよう、力を抜いた。
「靴は……脱いで行こうか。水が入ったら、結局脱げそうだから」
この姿勢だと、話をするニコの息が、私の耳にかかる。囁く声は、鼓膜までくすぐってくる。
靴を脱いで、池の縁に再度立つ。ひんやりと冷たく、砂の感触がする。ニコが何も言わずに、私の後ろから手を回した。
「ニコ、もう準備できた?」
「うん。膜は張ってある。途中で切れないように、祈ってて」
「途中で空気がなくなったら、死ぬしかないわね」
比喩ではなく、物理的に。魔力が切れて、リカバーできなかったら、息ができなくて死んでしまう。
「ニコなら、大丈夫だと思うけど」
「そうかな、買いかぶりかもよ」
「私が教えたんだから、買いかぶりじゃないわ」
くすくす。
こんな暗い街中で、今から水に入っていこうというのに、全く緊張感のない会話だ。
静かな笑い声が暫く続き、やがて、どちらからともなく、止んだ。
ちゃぷ、と爪先を水に差し込む。もう、かけ声もいらなかった。ニコと息を合わせ、水面に、足を踏み出す。水の上なんて歩けないので、そのまま体が水に落ちる。
「……っ!」
落ちた。
予想以上に、普通に落ちた。
私は咄嗟に、息を詰める。ぶくぶくと、鼻から吐き出した泡が頭上に向かっていく。対して体は、沈む。暗くてよく見えない、池の底へ。
「……ごめん、イリス。大丈夫?」
咳き込む私の顔を、背後からニコが覗き込む。ぽた、と滴る水滴。ひとしきり咳をして、なんとか、呼吸が落ち着いた。
「大丈夫。ごめんなさい、水中での動きの制御を、教えてなかったわね」
「俺こそ、池が縦に深いってこと、忘れてたよ。風呂場では、こんなに深くなかったものね」
そう。私たちは、浴槽の感覚で、何の準備もなく水に入ったのだ。どこかに足をかけて、ふわっと浮きながら降りていければいい。そんな感覚で。
実際は池は深く、体が予想以上の勢いで沈んだ。最初に空気が来なかったのは、ニコが膜を張り忘れたのではなく、沈む勢いに間に合わなかったから。
「いやあ、いきなり死ぬかと思ったよ」
「これで、次に同じことがあっても、動揺しないで済むわね」
今私たちは、かろうじて、下方の枝に足をかけていた。見上げると、遥か上に、ゆらめく水面。そこから漏れ入る夜の光が、ぼんやりと私とニコを照らしている。
「大丈夫。もう、勝手はわかったよ」
「なら、行きましょう」
私とニコは、改めて、枝から足を離す。
落下の勢いがないので、ふわっと降りることができた。底に足をつき、ニコが壁に手を這わせながら、穴を探す。
その間私は、体に回されている側のニコの腕をちゃんと掴み、離れないようにしていた。
「あ、ここだ」
ニコが示す先には、深くて暗い穴がつながっていた。
「……思っていたより、暗いわ」
「外からの光が届かないからね。こんなもんじゃないかな。イリス、怖い?」
怖い? と聞かれて、怖いなんて答えられない。そもそもこの手段を取ろうと言ったのは、私なのだから。
「怖くは、ないわ。怖くは……」
「緊張してるでしょ。こんなに近づいてたら、強張ってるのも、わかっちゃうみたいだ」
ニコの手が、水中を動き、私の肩を柔く揉みほぐす。それで、肩に入っていた力が、自然と抜けた。
「……怖いけど、ニコといれば、なんとかなるもの」
「俺も、イリスがいれば、魔力は足りるから。なんとかするよ」
一歩。その暗い穴へ、踏み出す。
「イリス、支えるの、片手でもいい?」
「いいけど……どうして?」
「こういう風に見えないところでは、片手を壁につけて、歩いた方がいいんだ。仮に行き止まりでも、そのまま壁を伝って歩いてくれば、ここに戻れるからさ」
ニコの言葉を聞いて、私は、彼の腕をしっかり掴んだ。
「よくそんなこと、知ってるわね。どこで聞いたの?」
「俺の、じいちゃんだったかな。役に立たないことをいろいろ教えてくれると思ってたけど、今役に立ったよ」
そんな世間話が、心をほぐす。私は、ゆっくりと息を吐いて、暗がりを見据えた。
「なら、それはニコに任せるわ。私は、絶対に離さないようにするから、心配しないで」
「頼んだ。……よし、進もう」
振り向けば、ぼんやりと見えていたニコの顔は、進むたびに見えなくなる。やがてそこは、真っ暗闇になった。文字通り、一筋の光もない。
「……イリス、俺から、顔を離しちゃだめだよ。俺、何にも見えてないから」
「わかってる。もし顔が水に入ったら、腕を叩くわ。そうしたら、空気の膜を広げて」
「了解」
進んでいるということは、体の受ける緩やかな水圧で、辛うじて理解できる。右も左も、前も後ろも、上も下もわからない世界。浮き上がってしまったら、本当にわからなくなるだろう。
「……ニコ、腕はつらくない?」
私の体を、ニコは実質、ひとりで支えている。一応こちらも掴んではいるが、私の重みは、彼の腕にかかってしまっている。
「大丈夫だよ、水の中だから」
「でも」
「この方がいい。いざというとき、すぐに魔孔を触れるでしょ」
そう言われたら、その通りだ。
この暗闇の中で、ニコの魔力が切れたら、絶望である。この体勢なら、ニコは少し手をずらすだけで、私の魔孔に触れられる。
「それなら……無理しないでとは、言えないけど」
「全然、無理じゃないよ。イリス、君は小柄だし、本当に軽いから」
穏やかな声。それに、ニコの体温が、全身を包んでいる。この真っ暗闇の中でも、それなりに落ち着いていられるのは、ニコがそばにいるからだ。
「空気の玉をもうひとつ出して、そこに火を入れたら、少しは明るくなるかも」
「なるほどね。良いアイディアだけど……行き止まったときに、とっておこう。同時にふたつやり続けるのは、ちょっと自信がないから」
「ごめんね。もう少し早く思いついていれば、練習できたのに」
道中思いついたところで、安定的にできないのは、当たり前だ。ニコひとりならやったかもしれないが、彼は今、私にも気を配らなくてはならない。
「謝らないでよ。俺だって、思いつきもしなかった。それに、こうして、進めているからね」
責めずに、励ましてくれる、ニコ。
私の至らないところを、こうしてフォローしてくれる。だから私は、彼に安心して背を預けられるのだ。比喩ではなく、今は物理的に、背を預けているわけだけど。
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