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1 依頼は婚約破棄
1-8 メイディの合格点
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立派な門をくぐり抜けて少し歩くと、花咲き乱れる豪奢な庭が目の前に開ける。
「わあお……」
メイディの喉の奥から、感嘆の声があふれた。
美しい庭園の中央に輝く、立派な建物。「輝く」というのは、比喩ではない。全体が、淡い白に光っているのだ。
近づいて見ると、その白い光は複雑な紋様に沿って流れていることがわかった。
白く光るのは、光の精霊ラミーの力を借りる魔法。肉体に影響するもので、疲労や病を癒すことにも、逆に害することにも使える。
「触れている人の、体の巡りを良くする魔法。この規模で……すごいなあ」
壁に触れると、なんとなく体が楽になった気がする。触れた指先で紋様をなぞりながら、メイディは感嘆のため息をもらした。
光魔法は、正確に使うのが難しい。それが癒しであれ呪いであれ、思った通りの効果を得るためには、かける相手の体型や体質、年齢、体の状態などを適切に把握しなければならないからだ。
魔導具で光魔法を再現するのは、さらに難しい。魔導具は、刻んだ紋様の通りにしか魔法を発動できない。一定の魔法を出力するのは得意だが、柔軟性は低い。相手に合わせた柔軟さを求められる光魔法とは、相性が悪いのだ。
そしてこの建物は、その相性の悪さを気合で解決していた。複雑に刻まれた紋様が、さまざまな人に合わせた条件を規定している。
建物全体を、きちんと光魔法の効果がある魔導具として仕上げる。しかも刻まれた紋様は、芸術的なほどに洗練されている。こんなに巨大で、緻密な魔導具を、メイディは初めて見た。
「すごい、中まで綺麗」
設計者の技量に圧倒され、足元がふわふわと浮いたような感覚に任せて建物の中へ進む。ぐるりと周囲を見回し、メイディはまたため息をついた。
柱から壁、天井や床へと広がる複雑な紋様は、そのまま建物の奥にも続く。張り巡らされた紋様がほんのり光る光景は、なんとも幻想的だ。
廊下だけではなく、個室の中にも。据え付けのテーブルにまで、その紋様は張り巡らされている。
「私も、こんな作品を作りたい……」
テーブルの縁に刻まれた紋様を、メイディはうっとりと指先でなぞる。機能的で、美しい。これは、道具ではなく、作品だった。
メイディが見つめる先の紋様に、琥珀色の円が割り込んだ。ちゃぷ、と細かなさざなみが広がる。
「何度聞いてもお前が何にも言わねえから、勝手に頼ませてもらったぞ」
「あ……ごめんね、アレク」
「ほんとだよ。相手そっちのけで建物に見入る恋人がどこにいるんだ。今のところ0点だぞ」
厳しい評価を下しながら、アレクセイは紅茶のカップを口に運ぶ。
「……頑張る」
でも、仕方がないじゃないか。これほど素晴らしい作品を前にして、感動しない魔導士がいたら呼んでほしい。
何はともあれ、ここからはアレクセイの「恋人」役に集中しよう。メイディは気持ちを切り替え、紅茶を口に運ぶ。
熱さに気をつけながら、紅茶をひと口、舌に乗せる。
メイディは目を見開いた。花束をそのまま紅茶にしたような。あるいは、口の中に花畑があるような。そんな華やかな香りと、ほんの少しの甘みと渋みが、舌の上で一気に開けたのだ。
「えっ、えっ、美味しい。びっくりした。これ、ほんとに紅茶?」
「紅茶じゃなかったら何なんだ。美味いだろ? 『星満亭』は、王家御用達の店だからな。最高級の茶葉の中でも、選び抜かれたものを使ってるそうだ」
「このケーキも、美味しそう」
真っ白なクリームに果物をあしらった、フルーツのケーキ。メイディの目はその魅惑的な輝きに吸い込まれ、気づけばフォークを手に取り、口に運んでいた。
ふわふわのスポンジ。甘いのに、甘ったるくないクリーム。新鮮でみずみずしい果物。口に放り込むとほろりと溶けて、えもいわれぬ甘さがかすかに残る。花香る紅茶で甘さを流すと跡形もなく消えるはかなさに、次から次へと口へ運びたくなってしまう。
「はああ、幸せ……」
皿の上が空になって、深い息を吐く。素晴らしい満足感だ。量があった訳ではないのに、これ以上ないほどにお腹が幸福で満ちている。
「アレク……こんな素敵なところに、連れてきてくれてありがとう」
お礼の言葉は、自然と口をついて出た。メイディひとりでは、きっと一生来られなかった場所。素晴らしい魔導具に、素晴らしい食べ物。最高の経験だった。
アレクセイは一瞬視線を揺らし、こほん、と小さく咳払いした。それから、わざとらしく口角を持ち上げる。
「魔導具と、金と、美味いもの。それを差し出せばお前は素直に喜ぶんだな」
「なにそれ、当たり前でしょ。誰だって喜ぶよ」
「今まで『誰だって』に当てはまらないことばっかりだったんだよ、お前は。嬉しそうなのは非常によろしいが、ここに来た目的は忘れているらしいな」
言いながら、アレクセイの手がメイディに伸びる。桃色の唇の端を、彼の指先が拭った。
「付いてたぞ」
ぺろり。口端に触れた親指を、そのまま舐める。
「あ、ごめん。ありがと」
「違うだろうが」
「あっ。テレルナ」
「ふん。気を抜くなよ」
触れ合ったら、照れる。そんな簡単なことも忘れてしまうくらい、紅茶もケーキも美味しかった。美味しかったの、だけれど。
「あーあ、やっぱり何にもうまくできなかった。実践するなら、先に言ってほしかったよ。そしたらちゃんと、『恋人らしい』を暗記してきたのに」
「おい、こら。勝手に止めるんじゃねえ。最後までしっかり続けろ」
「でも。もう絶対、金貨はもらえないじゃない」
そもそもが、メイディからしてみれば抜き打ちテストだったのだ。諦めをあらわにするメイディの態度に、アレクセイはため息をつく。
「……金貨は、やる。ぎりぎり合格で良い」
「やった! いいの? 私、何にもしてないのに」
「連れて来られた先で、あれだけ嬉しそうにできれば、恋人らしくはあるだろ。次はもっとうまくやれよ」
「うん、任せて。用意しとく」
メイディは胸を張り、片手でぽんと叩く。次会う時までに、リストを覚えておけば良い。暗記は得意分野なのだ。
「わあお……」
メイディの喉の奥から、感嘆の声があふれた。
美しい庭園の中央に輝く、立派な建物。「輝く」というのは、比喩ではない。全体が、淡い白に光っているのだ。
近づいて見ると、その白い光は複雑な紋様に沿って流れていることがわかった。
白く光るのは、光の精霊ラミーの力を借りる魔法。肉体に影響するもので、疲労や病を癒すことにも、逆に害することにも使える。
「触れている人の、体の巡りを良くする魔法。この規模で……すごいなあ」
壁に触れると、なんとなく体が楽になった気がする。触れた指先で紋様をなぞりながら、メイディは感嘆のため息をもらした。
光魔法は、正確に使うのが難しい。それが癒しであれ呪いであれ、思った通りの効果を得るためには、かける相手の体型や体質、年齢、体の状態などを適切に把握しなければならないからだ。
魔導具で光魔法を再現するのは、さらに難しい。魔導具は、刻んだ紋様の通りにしか魔法を発動できない。一定の魔法を出力するのは得意だが、柔軟性は低い。相手に合わせた柔軟さを求められる光魔法とは、相性が悪いのだ。
そしてこの建物は、その相性の悪さを気合で解決していた。複雑に刻まれた紋様が、さまざまな人に合わせた条件を規定している。
建物全体を、きちんと光魔法の効果がある魔導具として仕上げる。しかも刻まれた紋様は、芸術的なほどに洗練されている。こんなに巨大で、緻密な魔導具を、メイディは初めて見た。
「すごい、中まで綺麗」
設計者の技量に圧倒され、足元がふわふわと浮いたような感覚に任せて建物の中へ進む。ぐるりと周囲を見回し、メイディはまたため息をついた。
柱から壁、天井や床へと広がる複雑な紋様は、そのまま建物の奥にも続く。張り巡らされた紋様がほんのり光る光景は、なんとも幻想的だ。
廊下だけではなく、個室の中にも。据え付けのテーブルにまで、その紋様は張り巡らされている。
「私も、こんな作品を作りたい……」
テーブルの縁に刻まれた紋様を、メイディはうっとりと指先でなぞる。機能的で、美しい。これは、道具ではなく、作品だった。
メイディが見つめる先の紋様に、琥珀色の円が割り込んだ。ちゃぷ、と細かなさざなみが広がる。
「何度聞いてもお前が何にも言わねえから、勝手に頼ませてもらったぞ」
「あ……ごめんね、アレク」
「ほんとだよ。相手そっちのけで建物に見入る恋人がどこにいるんだ。今のところ0点だぞ」
厳しい評価を下しながら、アレクセイは紅茶のカップを口に運ぶ。
「……頑張る」
でも、仕方がないじゃないか。これほど素晴らしい作品を前にして、感動しない魔導士がいたら呼んでほしい。
何はともあれ、ここからはアレクセイの「恋人」役に集中しよう。メイディは気持ちを切り替え、紅茶を口に運ぶ。
熱さに気をつけながら、紅茶をひと口、舌に乗せる。
メイディは目を見開いた。花束をそのまま紅茶にしたような。あるいは、口の中に花畑があるような。そんな華やかな香りと、ほんの少しの甘みと渋みが、舌の上で一気に開けたのだ。
「えっ、えっ、美味しい。びっくりした。これ、ほんとに紅茶?」
「紅茶じゃなかったら何なんだ。美味いだろ? 『星満亭』は、王家御用達の店だからな。最高級の茶葉の中でも、選び抜かれたものを使ってるそうだ」
「このケーキも、美味しそう」
真っ白なクリームに果物をあしらった、フルーツのケーキ。メイディの目はその魅惑的な輝きに吸い込まれ、気づけばフォークを手に取り、口に運んでいた。
ふわふわのスポンジ。甘いのに、甘ったるくないクリーム。新鮮でみずみずしい果物。口に放り込むとほろりと溶けて、えもいわれぬ甘さがかすかに残る。花香る紅茶で甘さを流すと跡形もなく消えるはかなさに、次から次へと口へ運びたくなってしまう。
「はああ、幸せ……」
皿の上が空になって、深い息を吐く。素晴らしい満足感だ。量があった訳ではないのに、これ以上ないほどにお腹が幸福で満ちている。
「アレク……こんな素敵なところに、連れてきてくれてありがとう」
お礼の言葉は、自然と口をついて出た。メイディひとりでは、きっと一生来られなかった場所。素晴らしい魔導具に、素晴らしい食べ物。最高の経験だった。
アレクセイは一瞬視線を揺らし、こほん、と小さく咳払いした。それから、わざとらしく口角を持ち上げる。
「魔導具と、金と、美味いもの。それを差し出せばお前は素直に喜ぶんだな」
「なにそれ、当たり前でしょ。誰だって喜ぶよ」
「今まで『誰だって』に当てはまらないことばっかりだったんだよ、お前は。嬉しそうなのは非常によろしいが、ここに来た目的は忘れているらしいな」
言いながら、アレクセイの手がメイディに伸びる。桃色の唇の端を、彼の指先が拭った。
「付いてたぞ」
ぺろり。口端に触れた親指を、そのまま舐める。
「あ、ごめん。ありがと」
「違うだろうが」
「あっ。テレルナ」
「ふん。気を抜くなよ」
触れ合ったら、照れる。そんな簡単なことも忘れてしまうくらい、紅茶もケーキも美味しかった。美味しかったの、だけれど。
「あーあ、やっぱり何にもうまくできなかった。実践するなら、先に言ってほしかったよ。そしたらちゃんと、『恋人らしい』を暗記してきたのに」
「おい、こら。勝手に止めるんじゃねえ。最後までしっかり続けろ」
「でも。もう絶対、金貨はもらえないじゃない」
そもそもが、メイディからしてみれば抜き打ちテストだったのだ。諦めをあらわにするメイディの態度に、アレクセイはため息をつく。
「……金貨は、やる。ぎりぎり合格で良い」
「やった! いいの? 私、何にもしてないのに」
「連れて来られた先で、あれだけ嬉しそうにできれば、恋人らしくはあるだろ。次はもっとうまくやれよ」
「うん、任せて。用意しとく」
メイディは胸を張り、片手でぽんと叩く。次会う時までに、リストを覚えておけば良い。暗記は得意分野なのだ。
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