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3 恋の行く末
3-4 メイディの選択
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「ちゃんと、話すから」
そう告げるアレクセイの青い瞳は、今までに見た中で一番、真摯なものだった。それで、ぐちゃぐちゃになっていたメイディの気持ちは、少し落ち着く。
ああ、全部喋ってしまった。心の中から噴き出てくる感情が、呑気なことを話すアレクセイを前にして、抑えられなかったのだ。
でも、全て話して、彼がそれを受け止めてくれたことで、胸の中がすっとした。
感情を一方的にぶつけておきながら、わかってくれないと突き放しておきながら、まだ彼に受け止めてほしいと甘えている自分が情けなく思えてくる。多少の後悔を覚えたメイディは、これ以上、感情任せに言葉を重ねるのを控えることにした。口を閉じ、彼の話を聞く態勢を取る。
「俺には、弟がいるって言ったろ? 俺の父親はあいつを溺愛しててさ……弟を次の国王にしたがってる。だけどこの国では、長子が家を継ぐんだよ。王家だって同じだ。弟を王にしたいからって『はい、そうですか』ってわけにはいかねえ。真っ当な理由がいる。……なあ、メイディ。弟を王太子にするのに、一番真っ当な理由って、何だと思う」
メイディは首を傾げる。貴族の社会のことは、さっぱりわからない。
「俺が死ぬこと」
さらりと答えたアレクセイの顔を、メイディははっとして見上げた。
「俺が死んだら、弟が王太子になるしかない。だから俺の父親は、俺を殺そうとしてる。もちろん、俺が王になった方が都合が良い奴もいる。俺の周りにいるのは、俺を利用したい奴か、殺したい奴だけだ」
寂しいはずのそれを、アレクセイが淡々と語る。事実として受け入れていることの証左であった。
「カテール伯爵令嬢が、俺のことを『魔獣に心を食われた』って言ったのを聞いたろ? ……俺はさ、殺されるのが怖くって、昔城から逃げたんだよ。魔獣の森へ行った。結局、死にかけて、おっさんに助けられて、城から使者が来て連れ戻されたんだけどな。逃げられねえってわかったから、俺は卒業までめちゃくちゃやって、『あいつは王太子に相応しくない』って誰もが口を揃えて言う奴になることにしたんだよ。それで勉強もやめたし、貴族らしい振る舞いは全部捨てた。あんまり変わったから、『魔獣に心を食われた』なんて言われるようになっちまった。……政争に関わらない奴にとっては、俺は得体の知れねえ、気味悪い奴なんだ」
アレクセイは、メイディの肩に己の顎を乗せる。それは、甘えるような仕草だった。
「わかるか? 俺を俺として見てくれるのは、お前だけなんだよ、メイディ。お前は俺を利用する気もねえし、殺す気もねえし、気味が悪いとも思ってねえ。お前の言う『失ってから後悔するもの』があるとしたら、それはお前なんだよ。他には、惜しいものなんて、何もない」
ぐし、と額が押し当てられる。アレクセイの頭の重みと、柔らかな温かさ。
それを肩口に感じながら、メイディは遠くを眺め、今聞いた話を咀嚼していた。日は沈み、空は藍色に染まっている。ちらつく一番星が、空の片隅に現れた。
「確かに、死んだら幸せにもなれないよね。国を出たい理由は、なんとなくわかった」
反論すべき理由もない。たとえアレクセイが王族としての特権を持っていても、死の危険があるのなら、逃げる選択も悪くはないと感じた。
「……でも」
でも、なのだった。
「ラグシル公爵令嬢は、惜しいでしょう? あんなに素敵な人が自分を好きで居てくれるなら、それだけで、幸せになれるよ」
「は? ミアが俺を好き? そんなんじゃねえよ。あいつは本当は、俺の尻拭いなんてうんざりだと思ってるはずだぜ」
「違うよ。アレクと私が恋人だと思って、気に病んで学院を休むくらいだもん」
「何言ってんだ、あいつはそんな女じゃねえぞ」
「だって、そう聞いたよ。あんなに素敵な人が、アレクのことを好きなのに、どうしてそれを自分から捨てようとするの?」
ひと目見ただけでメイディの心を撃ち抜いたほど、魅力的な人だった。あの麗しい橙色の瞳を思い出すほどに、アレクセイの態度には納得がいかない。
「あんなに素敵な人が自分を思ってくれるのに、離れたら後悔するよ。今は傍にいるから、そのありがたさに気づいてないだけで」
「……なら、どうしろってんだ」
「ちゃんと、聞いた方がいいよ。一緒にランドルンへ行きたいって言われたら、彼女も連れて行ったほうがいい」
「はあ? お前……お前さ、俺のこと好きなんじゃなかったのかよ」
「好きだよ?」
「……っ」
自分で言っておきながら、アレクセイは息を飲み、メイディを抱く力を強める。肩の辺りから、深呼吸が何度か聞こえた。
「……好きなら、嫌じゃねえのかよ。俺が、俺を好きな他の女と一緒になるなんて」
「うーん……だって、相手があの人でしょう」
ミアの姿が、メイディの頭の中に浮かぶ。ひと目で誰もが憧れるような、有無を言わせぬ美貌と威厳。それに相応しいだけの能力があり、全てにおいてメイディを上回っている人。
「あの人と私じゃ、勝負にならないよ。私といるより、彼女といたほうが幸せになれると思う」
メイディにとって、それは他ならぬ事実だった。アレクセイには、幸せになってほしい。その幸せを確実なものにする力が、彼女にはあると思えた。
「勝負って……ああもう、何なんだよ。大体何で、俺がお前とミアを比べる話になってんだ? 俺はお前が好きなのに、ミアのことは関係ねえだろ」
「あ……やっぱり、そうなの?」
のんきな相槌を打つメイディに、肩から顔上げたアレクセイが、信じられないと言わんばかりの眼差しを向けた。
「そう言ってるだろ」
「言われてないよ。きっとそうだろうな、とは思ってたけど」
「さっきの俺の台詞を、何だと思ってんだ……」
がっくり、項垂れるアレクセイを見て、メイディは首を傾げる。
「さっき?」
「もういい。お前にこの手のことを期待しちゃいけねえって、わかってんだけどな」
自分で自分を戒めた彼は、再度顔を上げる。
「……俺は話したぞ、メイディ。それで、お前の話ってのは?」
「あー……今、ほとんど聞けたから、大丈夫」
「そうか。……なら、ランドルンには、来てくれるのか?」
「え?」
とぼけた反応をするメイディに、アレクセイは唖然とする。
「そもそもの始まりは、俺がお前をランドルンへ誘ったことだろうが」
「……そうだ、そうだった。新しい話がいろいろありすぎて、よくわからなくなってた。ランドルンね……興味はあるし、アレクと一緒に行ってもいいかな、とは思うけど。その先の想像ができなくて、勇気がわかないというか……」
「その先の、想像?」
「そう。どんな風に暮らすのか、どんな仕事をするのか、とか……想像できないと、心配で決められないと思って」
「ふうん……なら今度、おっさんと話すか? 昔住んでたから、いろいろ教えてくれるかもしれねえ」
「そうしたい。ありがとう」
素直に頷くメイディに、アレクセイは何とも言えない微妙な表情を浮かべる。「……わかってないよなあ」と呟く声は、メイディの耳に入らないほどに、かすかなものだった。
そう告げるアレクセイの青い瞳は、今までに見た中で一番、真摯なものだった。それで、ぐちゃぐちゃになっていたメイディの気持ちは、少し落ち着く。
ああ、全部喋ってしまった。心の中から噴き出てくる感情が、呑気なことを話すアレクセイを前にして、抑えられなかったのだ。
でも、全て話して、彼がそれを受け止めてくれたことで、胸の中がすっとした。
感情を一方的にぶつけておきながら、わかってくれないと突き放しておきながら、まだ彼に受け止めてほしいと甘えている自分が情けなく思えてくる。多少の後悔を覚えたメイディは、これ以上、感情任せに言葉を重ねるのを控えることにした。口を閉じ、彼の話を聞く態勢を取る。
「俺には、弟がいるって言ったろ? 俺の父親はあいつを溺愛しててさ……弟を次の国王にしたがってる。だけどこの国では、長子が家を継ぐんだよ。王家だって同じだ。弟を王にしたいからって『はい、そうですか』ってわけにはいかねえ。真っ当な理由がいる。……なあ、メイディ。弟を王太子にするのに、一番真っ当な理由って、何だと思う」
メイディは首を傾げる。貴族の社会のことは、さっぱりわからない。
「俺が死ぬこと」
さらりと答えたアレクセイの顔を、メイディははっとして見上げた。
「俺が死んだら、弟が王太子になるしかない。だから俺の父親は、俺を殺そうとしてる。もちろん、俺が王になった方が都合が良い奴もいる。俺の周りにいるのは、俺を利用したい奴か、殺したい奴だけだ」
寂しいはずのそれを、アレクセイが淡々と語る。事実として受け入れていることの証左であった。
「カテール伯爵令嬢が、俺のことを『魔獣に心を食われた』って言ったのを聞いたろ? ……俺はさ、殺されるのが怖くって、昔城から逃げたんだよ。魔獣の森へ行った。結局、死にかけて、おっさんに助けられて、城から使者が来て連れ戻されたんだけどな。逃げられねえってわかったから、俺は卒業までめちゃくちゃやって、『あいつは王太子に相応しくない』って誰もが口を揃えて言う奴になることにしたんだよ。それで勉強もやめたし、貴族らしい振る舞いは全部捨てた。あんまり変わったから、『魔獣に心を食われた』なんて言われるようになっちまった。……政争に関わらない奴にとっては、俺は得体の知れねえ、気味悪い奴なんだ」
アレクセイは、メイディの肩に己の顎を乗せる。それは、甘えるような仕草だった。
「わかるか? 俺を俺として見てくれるのは、お前だけなんだよ、メイディ。お前は俺を利用する気もねえし、殺す気もねえし、気味が悪いとも思ってねえ。お前の言う『失ってから後悔するもの』があるとしたら、それはお前なんだよ。他には、惜しいものなんて、何もない」
ぐし、と額が押し当てられる。アレクセイの頭の重みと、柔らかな温かさ。
それを肩口に感じながら、メイディは遠くを眺め、今聞いた話を咀嚼していた。日は沈み、空は藍色に染まっている。ちらつく一番星が、空の片隅に現れた。
「確かに、死んだら幸せにもなれないよね。国を出たい理由は、なんとなくわかった」
反論すべき理由もない。たとえアレクセイが王族としての特権を持っていても、死の危険があるのなら、逃げる選択も悪くはないと感じた。
「……でも」
でも、なのだった。
「ラグシル公爵令嬢は、惜しいでしょう? あんなに素敵な人が自分を好きで居てくれるなら、それだけで、幸せになれるよ」
「は? ミアが俺を好き? そんなんじゃねえよ。あいつは本当は、俺の尻拭いなんてうんざりだと思ってるはずだぜ」
「違うよ。アレクと私が恋人だと思って、気に病んで学院を休むくらいだもん」
「何言ってんだ、あいつはそんな女じゃねえぞ」
「だって、そう聞いたよ。あんなに素敵な人が、アレクのことを好きなのに、どうしてそれを自分から捨てようとするの?」
ひと目見ただけでメイディの心を撃ち抜いたほど、魅力的な人だった。あの麗しい橙色の瞳を思い出すほどに、アレクセイの態度には納得がいかない。
「あんなに素敵な人が自分を思ってくれるのに、離れたら後悔するよ。今は傍にいるから、そのありがたさに気づいてないだけで」
「……なら、どうしろってんだ」
「ちゃんと、聞いた方がいいよ。一緒にランドルンへ行きたいって言われたら、彼女も連れて行ったほうがいい」
「はあ? お前……お前さ、俺のこと好きなんじゃなかったのかよ」
「好きだよ?」
「……っ」
自分で言っておきながら、アレクセイは息を飲み、メイディを抱く力を強める。肩の辺りから、深呼吸が何度か聞こえた。
「……好きなら、嫌じゃねえのかよ。俺が、俺を好きな他の女と一緒になるなんて」
「うーん……だって、相手があの人でしょう」
ミアの姿が、メイディの頭の中に浮かぶ。ひと目で誰もが憧れるような、有無を言わせぬ美貌と威厳。それに相応しいだけの能力があり、全てにおいてメイディを上回っている人。
「あの人と私じゃ、勝負にならないよ。私といるより、彼女といたほうが幸せになれると思う」
メイディにとって、それは他ならぬ事実だった。アレクセイには、幸せになってほしい。その幸せを確実なものにする力が、彼女にはあると思えた。
「勝負って……ああもう、何なんだよ。大体何で、俺がお前とミアを比べる話になってんだ? 俺はお前が好きなのに、ミアのことは関係ねえだろ」
「あ……やっぱり、そうなの?」
のんきな相槌を打つメイディに、肩から顔上げたアレクセイが、信じられないと言わんばかりの眼差しを向けた。
「そう言ってるだろ」
「言われてないよ。きっとそうだろうな、とは思ってたけど」
「さっきの俺の台詞を、何だと思ってんだ……」
がっくり、項垂れるアレクセイを見て、メイディは首を傾げる。
「さっき?」
「もういい。お前にこの手のことを期待しちゃいけねえって、わかってんだけどな」
自分で自分を戒めた彼は、再度顔を上げる。
「……俺は話したぞ、メイディ。それで、お前の話ってのは?」
「あー……今、ほとんど聞けたから、大丈夫」
「そうか。……なら、ランドルンには、来てくれるのか?」
「え?」
とぼけた反応をするメイディに、アレクセイは唖然とする。
「そもそもの始まりは、俺がお前をランドルンへ誘ったことだろうが」
「……そうだ、そうだった。新しい話がいろいろありすぎて、よくわからなくなってた。ランドルンね……興味はあるし、アレクと一緒に行ってもいいかな、とは思うけど。その先の想像ができなくて、勇気がわかないというか……」
「その先の、想像?」
「そう。どんな風に暮らすのか、どんな仕事をするのか、とか……想像できないと、心配で決められないと思って」
「ふうん……なら今度、おっさんと話すか? 昔住んでたから、いろいろ教えてくれるかもしれねえ」
「そうしたい。ありがとう」
素直に頷くメイディに、アレクセイは何とも言えない微妙な表情を浮かべる。「……わかってないよなあ」と呟く声は、メイディの耳に入らないほどに、かすかなものだった。
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