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魔女、騎士に出会う
騎士の探し物
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花開く季節から、緑盛る季節に変わろうとするこの時期。夜が短くなると、どうしても寝不足になりがちだ。欠伸をし、滲んだ涙を手の甲で拭った。その手で白い花を摘み取る。
ここは先日、騎士を見た広場だ。白い花は生命力が強いので、同じ場所で採っても差し障りはない。緑が深まるにつれ、さらに夜は短くなる。今のうちから、眠りを深くするこの薬草を多目に確保しておきたいのだ。
掻き分けた草の中に、まだ生えたばかりの小さな若緑色の葉を見つける。この間摘み取った花の跡からもう芽吹いたらしい。そっと指で突くと、まだ柔らかな葉がふわりと押し返してくる。
その時、向こうからむっとする花の強い匂いが漂ってくる。この匂いには覚えがあった。
顔を上げて確かめると、やはり黒衣の騎士がいた。堂々たる佇まい。先日と同様にフードの向こうは暗く、顔つきは確認できない。
騎士は魔獣を狩り、人々の命を守る英雄。彼を繰り返し見かけるということは、このカプンの森にも魔獣がいるのだろうか。恐ろしいと噂に聞く魔獣を、私はまだ人生で一度も見たことがない。
彼の放つ花の匂いは、今朝も私の背後に向かって流れている。振り向いてはみたが、匂いの流れる先は森の奥。鬱蒼と茂る木々の向こうに、何があるのかはわからない。
もしくは、何かいる、か。この間は思い至らなかったが、騎士が熱を入れる探し物とは魔獣かもしれない。
私は騎士から目を離し、視線を地面に落とした。ぷち。根だけ残して、茎ごと白い花を摘む。
求められたら、応えなさい。言い換えると、求められていないなら余計なことはしないということ。彼の探し物は私の背後にあるが、尋ねられていないのに伝える必要はない。実際、この間は無視されてしまった。余計なことをしても、自分が傷つくだけ。
「ねえ、君」
凛とした声が、矢のように飛んできた。背筋がすっと伸びる。
「ちょっと教えてもらえないかな」
柔らかな口ぶりなのに、なぜか私の肩は強張っている。ざく、ざくと草を踏み分ける音。濃くなる花の匂い。騎士は私の前で立ち止まる。マントの下から手が伸び、フードを外した。
光を弾く金糸のような髪が、さらりと風に靡く。思いの外白いその肌に、焦げ茶の瞳が輝いている。
綺麗な顔。
目が合うと、焦げ茶の目がすっと細められる。優しげな表情だ。
「この間、俺の探し物は向こうにあるって言ってたよね。君、どうしてわかるの?」
「……私はちょっと勘が良いんです」
自分の能力を説明する常套句だ。私は、鼻が良いと明かす代わりに、勘が良いと言っていつも誤魔化している。言いながら私は、ネックレスに付いた石を握った。
このネックレスは、母に貰ったもの。悪意のある人が近くにいるときに震える、不思議な石がモチーフとして付けられている。今、握った手のひらに伝わってくるよは、石の固さとひんやりとした触感だけ。少なくとも騎士には、悪意はない。
「俺、まさかと思って君に言われた方向へ行ってみたんだ。そうしたら確かに、魔獣の痕跡があったんだよ」
彼を見上げていると眩しくて、瞬きを何度かした。朝の日が、向こうの空から昇っている。光を背負った漆黒の騎士は、神々しくさえあった。
「俺と一緒に来てくれる? 魔獣がどこにいるか、君にはわかるんでしょう?」
私は騎士の問いに頷き、立ち上がった。長いこと屈んでいたせいで痺れの残る膝の辺りを軽く叩き、草を払い落とす。数歩歩くと、痺れも消えた。
案内するのは容易い。彼の匂いは最初からずっと、強く強く森の中へ流れている。
求められたら、応えなさい。母の言葉が頭の中をこだまする。案内した先に何がいるのかわからないが、求められるのなら、そちらに向かうべきだ。
歩き始めた騎士はまた、フードを深くかぶっている。美しい金色の髪が覆われ、端正な顔も隠れた。お陰で私は、その容姿にどぎまぎしなくて済む。
ちょっと、卑怯なくらいに整った顔だった。騎士という身分に加えて容姿も良いなんて、持つ者はたくさんのものを持っている。
踏み込んだ足の下で、細い枝がばきりと折れる。顔にかかった蜘蛛の巣を手で払った。土と草の香りが濃くなる。
「君は、あそこで何をしてたの?」
「薬草を採っていました」
「へえ。この辺りには詳しいんだ」
騎士とはこんなに馴れ馴れしいものなのか。それとも、探りを入れられているのか。肩書と口調の違和感が落ち着かなくて、またネックレスの石を握る。
「詳しくありません。この辺りに来たのは初めてで……」
びり、と石が震えた。
背筋がぞくりとする。
町中を歩いていると、石が震えることがある。その後には必ずスリが起きたり、食い逃げが起きたり、喧嘩が起きたりする。母から貰ったこの石は、周囲の人間の悪意を感じて震える。
今は騎士とふたり。なら、悪意を持っているのは。
「どうしたの?」
「いえ……」
石の震えがどんどん大きくなる。私は石を握ったまま、逃げ道を求めて辺りを見回した。こういう経験は初めてではない。探し物と称して人気のないところに連れ込まれ、襲われたことは過去にもある。
その瞬間、ずっと森の奥に向かっていた匂いの流れがぐらりと右に傾いだ。匂いを追って、私は視線を右に向ける。
騎士の花の匂いの中に獣臭さが混ざる。枝の向こうに、黒い影が動いた。
「キッ!」
森の静けさをつんざく、甲高い声。
「いた! 退がれ!」
騎士の黒い影が、咄嗟のことで動けない私の前に躍り出る。
枝から、黒く丸い塊が、騎士に向かって飛んでいく。黒い毛の生えた腕、鋭く尖った爪、剥き出した歯。それは猿だった。
ただしその目は、異常に赤く燃えている。猿の身の丈は、騎士の身長の半分ほど。普通の猿の倍はある。
あの爪に引っかかれたら、皮膚は容易く裂ける。恐れを込めて見ていた猿の手が、その瞬間、飛んだ。
「ギギギィッ!」
喧しく喚き、弾け飛ぶようにして、猿の体が木の幹に移動する。片手で幹に捕まる猿の、反対の腕からは黒い霧状の煙が噴き出ている。血の臭いはしない。代わりに、剥き出しにした猿の歯から涎がだらだらと垂れ、悪臭を発した。
いつの間にか剣を構えた騎士が、じり、と摺り足で前に進む。その鋭い眼差しが、真っ直ぐに猿を捉えている。猿は目を燃やしながら、筋肉を硬直させる。
飛んだ。猿が幹から弾け飛ぶように跳ねる。残った爪と、剥き出しの牙がぎらりと光る。一閃。
次の瞬間、騎士の足元で、黒い霧がもうとうと噴き上がっていた。
騎士が霧に近寄り、屈んで地面に触れる。また立ち上がったとき、手には何か黒い石のようなものが握られていた。騎士はその石を、腰に提げた革袋にしまう。
焦げ茶の瞳が、今度は私を捉えた。射抜くような目。自然と、首筋が強張る。
「魔獣は、初めて見たのかな」
今のが、魔獣。
目の奥に、まだあの、凶暴に燃える赤い光が、残っている気がする。
魔獣は、血も流れていない、凶暴な生き物だった。そして騎士は、その命を一太刀で奪った。
「……はい」
ようやく発した声は、自分でもわかるほどに弱々しく、震えていた。
黒い霧が宙に散ってなくなった。私は、騎士の足元に目をやる。黒いブーツが踏みつける地面には、何もない。先ほどの、猿の死体の一片も。
「魔獣を動かしているのは、瘴気なんだ。詳しくは知らないけど、死んだ魔獣は、こうして霧になって消える。残るのは心臓だけ。霧がなくなったから、あの魔獣はもう死んでるよ」
騎士は、内容に見合わない軽薄な言い方で教えてくれた。
森は、既にそこに猿など存在しなかったかのような振る舞いをしている。草は揺れ、土と草の香りだけがする。騎士の放つ花の匂いは、さらに森の奥に流れている。
探し物を手に入れたら、その匂いは消える。匂いが消えないことから、探している魔獣は他にもいるとわかる。
彼が私に求めているのは、魔獣のいるところまで案内すること。求められたら、応えなければ。
「次はあっちです」
自分の声が、人ごとのように遠く聞こえる。怖さが抜けずに震える指で、匂いの流れてくる方向を指した。薄暗い森のさらに奥。
騎士はそちらに顔を向け、それから私を見た。
「他の魔獣の居場所もわかるんだな。俺が聞いてもいないのに」
驚いた表情に、また余計なことをしたと自分を責めたくなる。彼が「すごいなあ」と呟いてくれたおかげで、落ち込まずに済んだ。
「今日はもういい、1匹で十分だ。ありがとう」
手を下ろすと、先ほどから続いていた震えがようやく収まる。ほっとして肩が緩み、息を長く吐き出した。
「その、君が手にずっと持ってるのは何?」
指摘され、ネックレスについた石をずっと片手で握っていたと気づく。石は、今はもう震えていない。私の手の温度にぬるくなった石を離すと、手のひらには握りしめた痕がしっかり残っていた。
「これは……」
私は石を見つめ、口ごもる。
この石は、悪意のある人に近づくと震える石。母から受け取った貴重な品。
先ほどの一瞬、たしかにこの石は震えた。私の近くにいる人は、この騎士だけだった。疑念が言葉を喉奥に留める。
「俺のと似てるね」
騎士がポケットを探り、石の埋め込まれた金属製の卵のようなものを取り出す。卵の中央部に光る石は、深い青。私のネックレスの石と同じ色だ。色だけでなく、表面の質感も似ている。
「俺たちはこれで、魔獣との接近を知るんだよ。魔獣に近づくと石が震えるんだ」
ということはさっき私の石が震えたのは、魔獣が近付いたからか。
「私のもそうなんでしょうか」
「多分ね。何で君がそんな物を持ってるか知らないけど、大事にしなよ」
騎士はもう興味を失ったのか、石から視線を外した。私たちは小枝を踏みしめながら、来た道を戻る。
悪意に反応すると思っていた石が、魔獣に反応するとはどういうことだろうか。悪意のある人とは、先ほどの猿のように瘴気に支配されているのだろうか。
腕が飛んだ瞬間に吹き上がった、黒い霧を思い出す。同じことが人間にも起こるの? 想像すると、背筋に震えが走った。そんなおぞましいことは考えたくない。きっと何かの間違いだ。
「人間にも、瘴気に動かされる人はいるんでしょうか」
「恐ろしいこと言うね、君。瘴気に操られるのは動物だけだよ」
なら、悪意に反応するこの石は、やはり騎士の持つ物とは違うのかもしれない。胸元で揺れる石を意識しながら歩いていると、見覚えのある白い花が見えてきた。
騎士が纏う花の匂いとは違う、純粋な花の香り。鼻からゆったりと息を吸い、空気を胸に含ませる。頭の奥に残る赤い光が、青い空に紛れた。
騎士が、空を見上げる。腰に手を当て、首を大きく回した。
「ありがとう。君のおかげで良い休日になったよ」
「休日、ですか」
騎士は、魔獣を倒して人々を守るのが仕事。てっきりこれは彼の仕事なのだと思っていた。
「そうだよ。仕事だったら、ひとりで魔獣狩りなんかしない。変わった趣味だろう?」
フードの奥に、白い歯が見える。その後、彼はフッと浅く息を吐いた。笑ったらしい。
「次も案内頼むよ」
マントを翻し去っていく背中を、ただ見送る。むっとする花の匂いが余韻ごと消え去るまで、その広場にいた。
……あれ、彼、「次も」って言った?
ここは先日、騎士を見た広場だ。白い花は生命力が強いので、同じ場所で採っても差し障りはない。緑が深まるにつれ、さらに夜は短くなる。今のうちから、眠りを深くするこの薬草を多目に確保しておきたいのだ。
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彼の放つ花の匂いは、今朝も私の背後に向かって流れている。振り向いてはみたが、匂いの流れる先は森の奥。鬱蒼と茂る木々の向こうに、何があるのかはわからない。
もしくは、何かいる、か。この間は思い至らなかったが、騎士が熱を入れる探し物とは魔獣かもしれない。
私は騎士から目を離し、視線を地面に落とした。ぷち。根だけ残して、茎ごと白い花を摘む。
求められたら、応えなさい。言い換えると、求められていないなら余計なことはしないということ。彼の探し物は私の背後にあるが、尋ねられていないのに伝える必要はない。実際、この間は無視されてしまった。余計なことをしても、自分が傷つくだけ。
「ねえ、君」
凛とした声が、矢のように飛んできた。背筋がすっと伸びる。
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柔らかな口ぶりなのに、なぜか私の肩は強張っている。ざく、ざくと草を踏み分ける音。濃くなる花の匂い。騎士は私の前で立ち止まる。マントの下から手が伸び、フードを外した。
光を弾く金糸のような髪が、さらりと風に靡く。思いの外白いその肌に、焦げ茶の瞳が輝いている。
綺麗な顔。
目が合うと、焦げ茶の目がすっと細められる。優しげな表情だ。
「この間、俺の探し物は向こうにあるって言ってたよね。君、どうしてわかるの?」
「……私はちょっと勘が良いんです」
自分の能力を説明する常套句だ。私は、鼻が良いと明かす代わりに、勘が良いと言っていつも誤魔化している。言いながら私は、ネックレスに付いた石を握った。
このネックレスは、母に貰ったもの。悪意のある人が近くにいるときに震える、不思議な石がモチーフとして付けられている。今、握った手のひらに伝わってくるよは、石の固さとひんやりとした触感だけ。少なくとも騎士には、悪意はない。
「俺、まさかと思って君に言われた方向へ行ってみたんだ。そうしたら確かに、魔獣の痕跡があったんだよ」
彼を見上げていると眩しくて、瞬きを何度かした。朝の日が、向こうの空から昇っている。光を背負った漆黒の騎士は、神々しくさえあった。
「俺と一緒に来てくれる? 魔獣がどこにいるか、君にはわかるんでしょう?」
私は騎士の問いに頷き、立ち上がった。長いこと屈んでいたせいで痺れの残る膝の辺りを軽く叩き、草を払い落とす。数歩歩くと、痺れも消えた。
案内するのは容易い。彼の匂いは最初からずっと、強く強く森の中へ流れている。
求められたら、応えなさい。母の言葉が頭の中をこだまする。案内した先に何がいるのかわからないが、求められるのなら、そちらに向かうべきだ。
歩き始めた騎士はまた、フードを深くかぶっている。美しい金色の髪が覆われ、端正な顔も隠れた。お陰で私は、その容姿にどぎまぎしなくて済む。
ちょっと、卑怯なくらいに整った顔だった。騎士という身分に加えて容姿も良いなんて、持つ者はたくさんのものを持っている。
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「君は、あそこで何をしてたの?」
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「へえ。この辺りには詳しいんだ」
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「どうしたの?」
「いえ……」
石の震えがどんどん大きくなる。私は石を握ったまま、逃げ道を求めて辺りを見回した。こういう経験は初めてではない。探し物と称して人気のないところに連れ込まれ、襲われたことは過去にもある。
その瞬間、ずっと森の奥に向かっていた匂いの流れがぐらりと右に傾いだ。匂いを追って、私は視線を右に向ける。
騎士の花の匂いの中に獣臭さが混ざる。枝の向こうに、黒い影が動いた。
「キッ!」
森の静けさをつんざく、甲高い声。
「いた! 退がれ!」
騎士の黒い影が、咄嗟のことで動けない私の前に躍り出る。
枝から、黒く丸い塊が、騎士に向かって飛んでいく。黒い毛の生えた腕、鋭く尖った爪、剥き出した歯。それは猿だった。
ただしその目は、異常に赤く燃えている。猿の身の丈は、騎士の身長の半分ほど。普通の猿の倍はある。
あの爪に引っかかれたら、皮膚は容易く裂ける。恐れを込めて見ていた猿の手が、その瞬間、飛んだ。
「ギギギィッ!」
喧しく喚き、弾け飛ぶようにして、猿の体が木の幹に移動する。片手で幹に捕まる猿の、反対の腕からは黒い霧状の煙が噴き出ている。血の臭いはしない。代わりに、剥き出しにした猿の歯から涎がだらだらと垂れ、悪臭を発した。
いつの間にか剣を構えた騎士が、じり、と摺り足で前に進む。その鋭い眼差しが、真っ直ぐに猿を捉えている。猿は目を燃やしながら、筋肉を硬直させる。
飛んだ。猿が幹から弾け飛ぶように跳ねる。残った爪と、剥き出しの牙がぎらりと光る。一閃。
次の瞬間、騎士の足元で、黒い霧がもうとうと噴き上がっていた。
騎士が霧に近寄り、屈んで地面に触れる。また立ち上がったとき、手には何か黒い石のようなものが握られていた。騎士はその石を、腰に提げた革袋にしまう。
焦げ茶の瞳が、今度は私を捉えた。射抜くような目。自然と、首筋が強張る。
「魔獣は、初めて見たのかな」
今のが、魔獣。
目の奥に、まだあの、凶暴に燃える赤い光が、残っている気がする。
魔獣は、血も流れていない、凶暴な生き物だった。そして騎士は、その命を一太刀で奪った。
「……はい」
ようやく発した声は、自分でもわかるほどに弱々しく、震えていた。
黒い霧が宙に散ってなくなった。私は、騎士の足元に目をやる。黒いブーツが踏みつける地面には、何もない。先ほどの、猿の死体の一片も。
「魔獣を動かしているのは、瘴気なんだ。詳しくは知らないけど、死んだ魔獣は、こうして霧になって消える。残るのは心臓だけ。霧がなくなったから、あの魔獣はもう死んでるよ」
騎士は、内容に見合わない軽薄な言い方で教えてくれた。
森は、既にそこに猿など存在しなかったかのような振る舞いをしている。草は揺れ、土と草の香りだけがする。騎士の放つ花の匂いは、さらに森の奥に流れている。
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彼が私に求めているのは、魔獣のいるところまで案内すること。求められたら、応えなければ。
「次はあっちです」
自分の声が、人ごとのように遠く聞こえる。怖さが抜けずに震える指で、匂いの流れてくる方向を指した。薄暗い森のさらに奥。
騎士はそちらに顔を向け、それから私を見た。
「他の魔獣の居場所もわかるんだな。俺が聞いてもいないのに」
驚いた表情に、また余計なことをしたと自分を責めたくなる。彼が「すごいなあ」と呟いてくれたおかげで、落ち込まずに済んだ。
「今日はもういい、1匹で十分だ。ありがとう」
手を下ろすと、先ほどから続いていた震えがようやく収まる。ほっとして肩が緩み、息を長く吐き出した。
「その、君が手にずっと持ってるのは何?」
指摘され、ネックレスについた石をずっと片手で握っていたと気づく。石は、今はもう震えていない。私の手の温度にぬるくなった石を離すと、手のひらには握りしめた痕がしっかり残っていた。
「これは……」
私は石を見つめ、口ごもる。
この石は、悪意のある人に近づくと震える石。母から受け取った貴重な品。
先ほどの一瞬、たしかにこの石は震えた。私の近くにいる人は、この騎士だけだった。疑念が言葉を喉奥に留める。
「俺のと似てるね」
騎士がポケットを探り、石の埋め込まれた金属製の卵のようなものを取り出す。卵の中央部に光る石は、深い青。私のネックレスの石と同じ色だ。色だけでなく、表面の質感も似ている。
「俺たちはこれで、魔獣との接近を知るんだよ。魔獣に近づくと石が震えるんだ」
ということはさっき私の石が震えたのは、魔獣が近付いたからか。
「私のもそうなんでしょうか」
「多分ね。何で君がそんな物を持ってるか知らないけど、大事にしなよ」
騎士はもう興味を失ったのか、石から視線を外した。私たちは小枝を踏みしめながら、来た道を戻る。
悪意に反応すると思っていた石が、魔獣に反応するとはどういうことだろうか。悪意のある人とは、先ほどの猿のように瘴気に支配されているのだろうか。
腕が飛んだ瞬間に吹き上がった、黒い霧を思い出す。同じことが人間にも起こるの? 想像すると、背筋に震えが走った。そんなおぞましいことは考えたくない。きっと何かの間違いだ。
「人間にも、瘴気に動かされる人はいるんでしょうか」
「恐ろしいこと言うね、君。瘴気に操られるのは動物だけだよ」
なら、悪意に反応するこの石は、やはり騎士の持つ物とは違うのかもしれない。胸元で揺れる石を意識しながら歩いていると、見覚えのある白い花が見えてきた。
騎士が纏う花の匂いとは違う、純粋な花の香り。鼻からゆったりと息を吸い、空気を胸に含ませる。頭の奥に残る赤い光が、青い空に紛れた。
騎士が、空を見上げる。腰に手を当て、首を大きく回した。
「ありがとう。君のおかげで良い休日になったよ」
「休日、ですか」
騎士は、魔獣を倒して人々を守るのが仕事。てっきりこれは彼の仕事なのだと思っていた。
「そうだよ。仕事だったら、ひとりで魔獣狩りなんかしない。変わった趣味だろう?」
フードの奥に、白い歯が見える。その後、彼はフッと浅く息を吐いた。笑ったらしい。
「次も案内頼むよ」
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