忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

五十二話 不死鳥 (源十郎)

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 闇夜を照らし出すように燃え盛る不死鳥が、咆哮を繰り返しながら翼を羽ばたいた。夜空を優雅に舞う不死鳥の姿に目を奪われた。不死鳥が森の上空を通り過ぎると、周辺の木々が一瞬で灰になった。凄まじい熱量だった。

 ガードレールの向こう側に聳え立つ木々は熱風に煽られ、火の手が上がった。炎は着実に燃え広がり、瞬く間に森を侵蝕していった。源十郎はデジャヴを見ているような感覚に陥り、頭を悩ませた。今日は炎に囲まれることが多い。

 厄日だと思わずにはいられなかった。あまりの火力に不死鳥に近付くことでさえも困難だった。アスファルトは熱に耐え切れずに溶け始め、溶岩のようになっていた。ガードレールですらも形を維持できなくなり、真っ赤に変色していた。

 道路の真ん中に停めてある車はタイヤが溶け始め、鉄のボディーでさえも融かし始めた。次第にエンジンの内部にまで熱が伝わり、車が豪快に爆ぜた。まるで打ち上げ花火を見ているように轟音を立てて、鉄の部品が周囲に飛び散った。
 
 衝撃の余波は凄まじく、道路にいくつものクレーターが生じた。次第に辺り一帯が煙に包まれ、ゴムの溶けた臭いとガソリンの臭いが充満していた。ここまでくると、災害としか思えなかった。源十郎は思考を働かせ、打開策を模索する。

 「このままではいけませんね。しかし、どうしたものか……」

 敵の様子を観察していた源十郎だったが、手の打ちようがなかった。いくら思考を巡らせても打開策は思い浮かばなかった。しかし、このまま放置する訳にもいかない。気付けば周囲の土地は荒れ果てた戦場の跡地のように様変わりしていた。

 災害級の魔術に源十郎は困惑を隠せなかった。このまま敵の氣が尽きるまで待つべきか……。いや、敵の氣が尽きるまで持ち堪えることができるのか、疑問を覚えた。時間は刻一刻と過ぎ去っていき、源十郎の胸中は焦燥感が滲み出ていた。

 「仕方ありません。色々と試してみましょう」

 源十郎は空中にいくつもの結界を展開させると、結界の上に飛び乗った。正方形の結界は階段のように空中に留まり、源十郎の足場となった。源十郎は結界の上を素早く移動しながら不死鳥に近付くと、大胆にも不死鳥の真上に跳躍した。

 右腕の結界を刀のような形に変形させると、豪快に振り抜いた。予想通り手応えはなく、炎を斬り裂いたような感触だった。やはり物理的な攻撃は効果がない。不死鳥は空に向かって咆哮すると、急降下しながら源十郎に襲い掛かった。

 源十郎は自身の身体を覆う結界をニ重に重ね合わせると、不死鳥の攻撃に備えた。不死鳥の嘴が容赦なく襲い掛かり、源十郎の身体に衝撃が襲い掛かった。豪快に地面に叩き付けられ、地面に大きなクレーターが生じた。

 結界をニ重に重ねても衝撃を完全に吸収することはできなかった。状況は劣勢だった。不死鳥は嘴から炎を吐き出し、源十郎に圧倒的な熱量が襲い掛かった。源十郎は素早く立ち上がると、後転しながら跳躍し、空中に展開する結界の上に着地した。

 間一髪。冷や汗が止まらなかった。一瞬で道路が溶けたのだ。溶岩のように熱を帯び、液状化していた。源十郎は更に空中に結界を展開させ、足場を創った。もはや、地面に降り立つことはできない。空中戦をするしかなかった。

 「凄まじい魔術です……ですが、これはいかがでしょうか……?」

 源十郎は不死鳥の周囲に結界を展開させると、不死鳥を結界の中に閉じ込めた。更に攻撃されても良いように結界を二重、三重に重ね合わせた。不死鳥は結界の中にいるにも拘らず、炎を豪快に吐き出した。だが、それも想定内の行動だった。

 源十郎は内側の結界を溶かされると、また新たに結界を重ね合わせた。結界が途切れることなく、不死鳥の周囲の空間を覆い尽くした。不死鳥を完全に結界内に閉じ込めておくには外側から結界を重ね合わせるしかなかった。気の遠くなるような作業だが、選択肢は限られていた。このまま負ける訳にはいかない。

 「結界内は完全に外の空間から遮断されました。いつまで結界内に留まることができるのか観察させて貰いましょう。結界内の酸素がいつまで持つのか、炎を使わないことをお勧め致します」

 それでも不死鳥は燃え盛る炎を豪快に吐き出した。内側の一層目の結界が溶け始めると、源十郎は新たに結界を展開させ、外側から結界を重ね合わせた。三重、四重、五重と結界を重ね合わせ、不死鳥が結界の中に完全に閉じ込められた。

 結界内に空気が入らないように細心の注意を払った。不死鳥が内側の結界を破壊する度に、源十郎は新たな結界を構築させた。同じ作業を繰り返し、数秒、数分は経過した。神経をすり減らすような作業だったが、文句を言ってられる状況ではない。

 不死鳥が炎を吐き出す度に源十郎は新たな結界を構築させた。源十郎の氣と敵の氣のどちらが先に尽きるのが先か考えるまでもなかった。敵が行使する魔術はあまりにも人間離れしている。これだけの大規模な魔術を長時間も行使するのは不可能な筈なのだ。如何に敵の魔術が強力であっても、必ず制約と制限に縛られる。

 それは絶対の法則であり、誰一人として無視することはできない。思い付きで始めた作戦だったが、思いの外、上手くいっていた。だが、同時に源十郎の氣の消耗も激しかった。身体から力が抜けていくような脱力感に襲われていた。

 「はぁ……はぁ……そろそろでしょうか?結界内の酸素もなくなり、真空状態になりました。炎を維持するどころか、呼吸すらできません。勝負はつきました。これ以上は貴方の負担になる筈です。大人しく降参して頂けませんか?」
 
 徐々にだが敵の炎が弱まり始めた。結界の中は完全な真空状態となり、敵は不死鳥の姿を維持できなくなりつつあった。それでも敵は攻撃の手を緩めることはなかった。炎の翼を豪快に羽ばたき、幾千もの羽毛が銃弾のように飛び散った。

 凄まじい威力だった。内側の結界が溶け始めると、二層目の結界までもが衝撃を受けた。源十郎は素早く新たな結界を構築させるが、不死鳥の繰り出す攻撃は次々と結界を貫いた。あまりの威力に二層目の結界が破壊される。

 三層目、四層目の結界が瓦解するのも時間の問題だった。源十郎が新たに結界を構築しても、敵は怯むことなく攻撃を繰り返した。次第に三層目、四層目の結界に亀裂が入り始めた。そして次の瞬間、結界が弾けるように破裂した。不死鳥は咆哮を繰り返しながら空を羽ばたいた。もはや、手の打ちようがなかった。

 「……まさかここまでとは……仕方がありません。奥の手を使わざるを得ないです」

 源十郎は自身の身体の周囲を覆う結界を解除すると、新たな結界を構築させる。源十郎の身体の周囲を円を描くように覆う結界は黒い輝きを纏い、禍禍しい雰囲気を醸し出していた。結界の周囲の空間が歪んでいるのが伝わってきた。

 通常の結界とは異なり、厳しい制約に縛られているため、そう何度も使える魔術ではない。源十郎の命を対価として扱うことで可能とする禁忌の魔術である。その名も絶界。絶界に触れた者は問答無用で消滅させることができる。

 しかし、デメリットが大きいため、源十郎は使用を躊躇っていた。だが、状況が状況なだけにやむを得なかった。源十郎が不死鳥に素早く接近すると、不死鳥は翼を羽ばたいた。幾千もの羽毛が源十郎に襲い掛かるが、源十郎は臆することなく不死鳥に突っ込んだ。不死鳥の嘴に絶界が触れた瞬間、不死鳥の顔が強制的に消滅した。

 その時だった。突如として北西の方角から轟音が響き渡った。そして次の瞬間、眩い光が空高く舞い上がると、雲を貫いた。源十郎は嫌な予感を感じ、咄嗟の判断で不死鳥から離れた。北西の方角を振り向くと、煙が空高く舞い上がっているのが視界に入った。煙が上がっているのは風祭家の屋敷がある方角だった。

 まるで何かの合図のように感じた源十郎は訝しんだが、何の合図なのかは分からなかった。気のせいだと良いのだが、嫌な予感が一向に消えない。

 「どうやらここまでのようだな。先程の光は儂を呼び出すための合図だ。悪いが貴様の相手をしている時間はないようだ。最後に貴様の名を聞かせてくれ」

 「私の名は立花源十郎と申します。貴方のお名前を伺っても宜しいですか?」

 「儂の名は本田松衛という。源十郎と言ったな?必ず貴様を儂の部下にしてみせる。今日は急用ができた。故にここまでとする。中々、面白い戦いだった。特に最後に繰り出した結界は異質だ。益々、貴様を欲しくなった」

 「残念ですが、このまま貴方を逃がす訳にはいきません」

 「そう強がるでない。またいつでも会える。それに貴様にも急ぎの用があるのであろう?このまま儂の相手をしていても良いのか?」

 「……一つだけ質問をしても宜しいですか?」

 「何だ?」

 「あなた達は何が目的なのです?」

 「我々の目的か……敢えて言うならば正義だ」

 「もっと具体的なことが知りたいたいのすが……」

 「そのうちに嫌でも理解する時が来る。では、また会おう。さらばだ」

 松衛は不死鳥の姿のまま、煙が上がっている方角に向かって飛んで行った。松衛を追うべきか悩んだ源十郎だったが、当主である信護の指示に従うことにした。今は啓二の自宅を家宅捜査することが、源十郎の中で優先順位が高かった。
 
 結局、松衛から情報を得ることはできなかった。松衛はまだ余力を残していたようにも見えた。次に会った時、勝つことができるのか、疑問を覚えた。久しぶりに本気で戦った源十郎の呼吸は荒かった。だが、休んでいる時間はない。


 

 
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