虚構前夜

けものさん

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虚構前夜

前編:彼女はまだ知らず

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 何も知らずにいるということは、すごく悲しいことです。
それが嘘でも、本当でも、私はちゃんと知りたかった。

 私が生まてきた理由を、私の身の回りの誰もが時折見せる寂しげな微笑みの理由を、
私がどうして親元を離れることになったのかも、何もかもを、知らずにいました。
私は本当に、沢山のことを知らずに生きてきました。

 けれど今は、ほんの少しの事を知って、尤もそれが嘘か本当かはわかりませんでしたが。
どうやら、やっと知ることの出来たほんの少しの事も、忘れてしまうようなのでした。

 人には、忘れてはいけないことがあります。
私は何も知らずに生きてきましたが、それでも忘れてはいけないことがあったのです。

 知らなければいけない。
絶対にこの気持ちを忘れてはいけない。
そう心に誓いながら、私はほんの十数分前にあった記憶を反芻した。

 私が二十歳になった日の夜、体を包む感覚に目を覚ますと見知らぬ部屋が視界に飛び込んでくる。
二十歳になった記念だと、祝いの席で初めてお酒というものを飲んだからか、うまく頭が働かない。
「えっ……? ここは……?」
 いつもの柔らかいベッドの感触ではなく、手には冷たい金属の感触。
耳元では機械の駆動音が小さく聞こえていて、恐怖を助長する。
どうやら身動きも取れず、全身を金属製の機械で覆われているようだった。

「まさかこんな日にこの部屋を使うことになるとはね…」
 機械の外からくぐもった伯父の声が聞こえ、少しホッとする。
さっきまで私の為に誕生パーティーを開いてくれていた張本人だ。
しかしその声は決して明るくなく、すぐに恐怖感が脳を支配していく。
 顔の前にのみ薄いガラスが張られていて、そこから見える風景と伯父の悲しげな表情とがグルグルと移り変わる。
自分でも目が泳いでいるのが分かる程、未体験の出来事だった。これが恐怖なのだと、初めて知った。
「どういうことですか!? この部屋って…」
 私が両親から預けられた伯父の家は広い家だったが、こんな部屋は知らなかった。

「キミに知られちゃいけなかったことの1つだよ、今まで何も知らせずに本当に悪かったね」
「それって、どういう…」
 言いかけたところで、機械越しでも耳を塞ぎたくなる程の轟音が聞こえ、私は小さく悲鳴をあげる。
「とにかく、ここももう長くは持たない。君は、今からこの装置で長い眠りにつくんだ」
「眠る? どうしてですか? 私、また何か失敗を…」
 また、私は捨てられるのかと思った。とうとうこの人も私を捨てるのだと。
きっと両親がまだ子供だった私を捨てたようにこの人も私を捨てるのだ。それでもそれを覚悟してずっと生きてきたから、今この未知の機械に拘束され、何かが破裂するような音が絶えず響く現状の恐怖よりかはマシだった。

「私はまた捨てられるのですか?」
 いつも怯えて暮らしていたのだ。
何をしても失敗続きで何処か抜けている私に、伯父は優しく接してくれた。
それでも、いつ捨てられるのかと怯えていた。ただ優しくされることに耐えられず、給仕の真似事をしたことさえある。 結局、ドジだった私は皿を割ってしまい、謝り泣きじゃくった。
そんな私すら伯父は許した。
 
 それからは静かに生きてきた。迷惑をかけぬように、捨てられぬように生きてきた。
けれどどうやらそれも今日で終わりらしかった。
「違う、違うんだ。鷹華、君は誰にも捨てられてなんかいないんだ」
 それは嘘だ、私は六歳の頃に両親に捨てられ、母の兄を名乗るこの伯父に引き取られた。
それから両親とは二度と会っていないし、両親のことを聞いてもはぐらかされるばかりだった。
「嘘です、そんなの、嘘です。ならどうして、こんな」
「本当だ、君の両親は君を愛していた。だから今この場所に君がいるんだ。この世界は、もうすぐダメになる、だからお別れなんだよ、鷹華」
 
 伯父は頭を掻きむしって何かを考えているようだった、こんな伯父は今までで一度も見たことがない。
「ああ、僕は君に何も教えてあげなかったことを謝らないといけない」
 意を決した表情で伯父は私の顔を見つめ何かを言おうとした瞬間、轟音にその声がかき消される。
「この世……は……、本当は…」
 部屋の壁が崩れ、火の手が部屋に入り込んでくる。
「君の……は………」
 一生懸命何かを話していたが、もうほとんど何も聞き取れない。
伯父の体に炎が巻き付く、苦悶の表情を浮かべた伯父が私を拘束している機械の近くにあった端末を操作すると目の前のガラス窓の前に金属の扉が降り、真っ暗な世界に包まれた。
「伯父さん! ねえ! どういうことなんですか!」
 私の声も同じくもう伯父には届かず、あとは大きな揺れと響く轟音だけが続いた。

 そのうちに周りが静かになると、急に目の前のガラスだと思っていた部分に青白い光が映る。
どうやらそれは映像を映す機械だったようで、そのうちに見覚えのある女性の姿が映った。
一瞬、息が止まった。なんなら心臓は、その瞬間止まっていたかもしれない。

 その姿を、私は覚えている。

「少し遅れちゃったけれど誕生日おめでとう、鷹華。久しぶりね」

 その声を私は忘れない。

 私を捨てたはずの母が、あの頃の姿のまま、そこに映っていた。
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