美辞麗句な少女たち

青木ナナオ

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一章

親友なのよ、私達。 2

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詩子が教室に戻って来ると、佐々木吉乃が不貞腐れた顔で詩子の席に座っていた。
第二体育館で行われる朝礼まで後五分ほど。ほとんどの生徒が既に荷物を置いて、体育館へ向かっているはずの時間である。吉乃はすぐに椅子から立ち上がり、つかつかと歩み寄って詩子の右腕を半ば乱暴に掴んだ。

「行くよ。話したいことあるから。」

「え、朝礼は?」

「校長の話よりこっちの方が大事。」

第一グラウンドを突っ切り、到着したのは先程まで詩子がいた第一体育館の前。ハナ達の姿は見えず、辺りは雑草の生い茂る閑散とした光景が広がるのみだった。
周りに人がいないのを確認すると、吉乃はようやく詩子の腕から手を離す。

「何なのよ、さっきの態度は。」

吉乃の言っている意味がわからず、詩子は首をかしげた。

「あいつ何様なの?信じられないんだけど。」

「あいつ?…ああ、ハナのことか。」

吉乃の顔がさらに険しくなった。

「よくそんな涼しい顔していられるね。」

「まあ、気分が良いものではないのは確かだよ。」

勢いあまってぐいっと顔を近づける吉乃。

「私が聞きたいのはただ一つ!昨日の体育の時間に詩子の悪口を言っていたハナが、何で今日は何事もなかったように詩子に話しかけているのさ!」

眉間にしわも寄り、本当に腹を立てているようだった。詩子は吉乃にだけ事情を話していた。ただそれは、詩子が自ら進んで話したというより、吉乃が知りたがったからだ。

「吉乃、そんなに怒らないで。」

まだ文句が言い足りない吉乃を落ち着かせるため、詩子は吉乃の手を取って体育館入り口の階段に一緒に座った。
雨で少し湿っていて、お尻にじんわりと冷たさがしみる。詩子は口を開いた。

「まず質問その一。何で吉乃がさっきのことを知っているの?私とハナ、後は一花かな。そこに吉乃もいたとは気付かなかった。」

「それは…第一体育館前の花壇なら、私達の教室からはっきり見える。詩子が花壇の前でハナと話すのを、私、教室から偶然見ちゃったの。」

「なるほど。じゃあ質問その二。前に吉乃が村崎先生に言われたことは覚えてる?吉乃が部活の朝練を朝礼の時間までずっとやっていて、先生に注意された時のこと。」

「部活の、朝練…あっ。」

少し興奮して赤くなっていた吉乃の表情が一瞬で青くなる。

「次朝礼さぼったら反省文書かせるって、先生に言われた。」

「前に吉乃が朝礼遅れたのも、わざと朝練を長引かせたからでしょう?先生かんかんだったよ。その日は吉乃の表彰式だったのに、肝心の受賞者がいないんだから。」

佐々木吉乃はスポーツ万能である。それも、大抵のスポーツや運動を一度見ただけで難なくこなしてしまう、凡人を一切寄せ付けることのない天才型の類いである。
一年生にして既にバスケ部のエースである吉乃が大会で表彰されるのは、決して珍しいことではない。

「だって興味ないもん、そんなの。」

「もったいないよ。」

「関係ないね。私は大会で結果を残した、その事実だけで十分。何でわざわざ皆の前で表彰するの?試合に勝ったことを自慢したいなら自分で友達に言やあいいのよ。」

口を尖らせる吉乃に、詩子は笑みがこぼれた。
吉乃は常に自分のためにスポーツをしている。スポーツが、バスケが本当に好きだから。吉乃にとってスポーツをするのは当たり前。大好きなバスケの試合で勝つことも当たり前。少しかじっただけで何でもできてしまう自分が、吐くほどきつい練習メニューをこなして臨んだ試合で優勝するのは当たり前。
そんな当たり前のことを改めて表彰される理由が、吉乃には理解できないのだ。

「でも、やっぱりもったいないよ。」

以前から、詩子はそんな吉乃の考えに感心していた。
自分の好きなことに真っ直ぐに、貪欲に突き進む姿勢には羨ましいとさえ思った。

「学校の皆が吉乃のことを評価しているってことだもん。吉乃の当たり前に、皆感動してる。それって、素敵なことでしょう?」

「だ、だから私はそんなのどうでも…」

「それに私は嬉しいなあ。親友が皆に見てもらえるんだよ。皆が私の親友を、すごいねって、褒めてくれるんだよ。私、自分が褒められたみたいに嬉しくなっちゃう。」

かあっ!と音が聞こえてきそうなほど、吉乃は顔を赤くした。
ただし、今度の赤は怒りの色ではない。照れ、の色である。

「天然か、あんたは。」

「私は事実を述べたまで。」

だから朝礼に行こう、と詩子は立ち上がって手を差し伸べた。渋々といった感じで吉乃もその手を取って立ち上がる。お尻の汚れをはらおうとすると、二人の制服のスカートは始めに座った時よりも水がしみ込んでいた。

「ちょっと気持ち悪いね。」

詩子はそのまま第二体育館に向けて歩き出す。慌てて吉乃もその後ろをついていく。

「ま、待ってよ詩子。そんなことよりも私はあんたに話があって…」

「後にしよう。早く朝礼に行かないと吉乃が怒られる。」

「…………。」

吉乃は不安だった。それはいつも感じていることだった。
詩子は近いような、それでいて急に遠くなるような、そんな存在だった。

「私はあんたの親友。じゃあ、ハナはあんたの何?」

吉乃は心の中で、詩子の背中に向かって叫んだ。






◇◇◇◇◇






朝礼が終わり生徒達は教室へと戻っていく。一時間目を前にして、各々が思い思いに話す中の教室は賑やかだった。その1―Bの教室に、詩子と吉乃の姿はない。
白川ハナは、朝礼の時点で詩子がいないことに気付いていた。眠気を誘う校長の長い話の終盤に差し掛かったところで、詩子が吉乃と一緒に体育館に入って来た。村崎が口パクで何かを言い、それに吉乃が苦笑しながら頭をぺこぺこと下げる。ハナはその時初めて吉乃もいなかったことに気が付いたのだ。
教室の一番後ろ側、窓際の空っぽの席をハナはじっと見つめる。後ろ側を気にする必要がない、加えて先生から一番遠い位置にあって日当たりも良い。教室で一番人気のその特等席を、くじ引きの際に引き当てた詩子は本当に嬉しそうな顔をしていた。ハナは、それをよく覚えていた。

「詩子ちゃんなら、職員室だと思うよ。」

野原一花はハナの視線の先に気付き、にっこりと笑ってそう言った。

「朝礼さぼっちゃったからね。村崎先生に連れられて行ったのを見たよ。詩子ちゃんって、意外と不真面目なところもあるんだねー。」

クッキーの次はチョコレート。
事前に家から持ってきていたようで、一花は小粒で入っているミルク味のチョコレートをつまんでいた。

「詩子ちゃん、佐々木吉乃と一緒に遅れて来たよね。二人で何をしてたのかな。」

ハナの顔が歪んだ一瞬を、一花は見逃さなかった。

「ねえハナちゃん、どうし…」

「てか、超どうでもいい。」

一花の言葉を遮り、木戸真理香は不満げにそう言った。

「小黒詩子を誰も気になんてしないよ。朝から面倒くさいな。」
ハナの正面の席に座る真理香は、二人を挟んだ机の横に立つ一花を冷めた目で見つめる。
真理香の貧乏ゆすりが始まると、それは機嫌が悪いときの合図である。真理香のかかとは床を踏みつけ、軽快にリズムを刻んでいた。

「本当に真理香は詩子ちゃんのこと嫌いだよね。」

「大嫌い。」

「あはは、真理香こわーい。」

へらへらと笑う一花に、真理香はさらに苛立ちが募る。

「そういう一花だって人のこと言えないでしょ。昨日の体育の時間に散々悪口言ってたじゃない。」

「えー、だって真理香が言うんだもの。私はつられちゃっただけだよ?」

「よく言うよ。あんなに楽しんでたくせに。」

「真理香と一花は、詩子のことが嫌いなのね。」

ハナはもう詩子の席を見てはいなかった。代わりにゆっくり、確かめるようにそう言った。

「ハナも嫌いでしょ?」
真理香の期待溢れる眼差しに、ハナは柔らかな物腰で答える。

「そうね、私も嫌いだわ。」

期待通りのハナの言葉に満足げな表情の真理香。
そんな真理香の態度に思わず顔が引きつったが、一花はすぐにいつもの笑顔に戻る。

「幼なじみに仲良いふりしているなんて、ハナちゃん、真理香よりこわーい。」







「詩子はね、私のことが好きなのよ。」

「まあ、そうだろうね。陰口叩かれているのを知っても許しているくらいだし。」

いつのまにか、貧乏ゆすりはやめていた。真理香はハナの机に身を乗り出す。
そうそう、良い感じ、もっともっと。
まるで真理香の心の声が聞こえてくるようだ。詩子に対しての悪口は、真理香にとって何よりの楽しみ。
さらにそれがハナの口から言われようものなら、それは何にも代え難い至福の時間へと真理香を誘う。

「でも本当は嫌いだったりして。」

「はあ?」

そしてそれを壊すのが、一花の何よりの楽しみ。

「だって長い付き合いの幼馴染でしょう?嫌でもお互いの欠点が見えてくるじゃない。」

真理香の笑顔を崩したい半分、自分の率直な気持ち半分の言葉だ。

「本当は嫌いだけど敢えて言っていないだけで、詩子ちゃんもハナちゃんのことが嫌いかもしれない。ただ、それを表立って態度に表すのは億劫でしょう?」

「一花、あんたさ。」

「はは、真理香どうしたの?そんな怖い顔して。」

「いや、別に。けどここにハナがいるんだよ。何でそんな話するわけ?」

「そんな話?ああ、もしかして真里香、ハナちゃんが気を悪くすると思っているの?」

真里香の表情が引きつる番だった。

「大丈夫だよ。ハナちゃんは詩子ちゃんのことが嫌いだもの。詩子ちゃんがハナちゃんのことを好きでも嫌いでも、ハナちゃんには全く関係ないから。」







「ふふっ。」

二人の心情を知ってか知らずか、ハナは愛らしく微笑んだ。
ハナの笑顔に反応して、すぐ斜めに座って騒いでいた3~4人の男子達が思わずうっとりと見惚れる。
ハナと目が合うと、慌てて視線を逸らした。

「詩子が私のことを好きだって言ったのは、意味が少し違うのよ。」

「ねえ、ハナ。言っている意味がよくわかんない。」

「私と詩子は特別なの。それ以外に、何て言ったらいいのかしら。」

ハナは目を細める。まるで、大切に育てた我が子を愛でるような、そんな表情だった。








ガラリと教室の扉が開き、詩子と吉乃が戻ってきた。少し疲れた様子の吉乃に、詩子は優しく声をかけている。







「親友なのよ、私達。」







真理香はその言葉が本心ではないと思った。一花は考えを巡らしていた。

ハナのささやくようなその言葉は、詩子の耳にも届いていた。







詩子は、聞こえなかったことにした。






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