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「加山雄三氏」について(前編)
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私の郷里 九州には数多くの温泉がある。
今でも時折ふらりと出かけては、風情ある温泉に身を浸し、心の疲れやくたびれた体を癒している。
東京の人たちと話をする中で、時々「九州は温泉が多いですよね」と言われる。それは、湯量日本一の別府や、人気の湯布院や黒川温泉、さらに南国鹿児島の霧島温泉や砂湯で有名な指宿温泉が九州観光の目玉として紹介されているからだろう。
私は東京に赴任している間も、よく関東甲信越の温泉を楽しんで回った。それは、福岡から両親が出かけてきたときのみならず、スキーが終わった後のホッコリするお湯だったりした。
練馬から関越道を北に走り、赤城インターを過ぎたところで国道十七号線に入り、新潟方面に向かうと三国峠にたどり着く。
この峠は、上州(北関東)と越後の国境にあり、冬場はその先は雪国へと続く。スキーのメッカ苗場はもうすぐこの先にある。
この峠の手前に法師温泉(ほうしおんせん)と言うところがある。それは三国峠のおひざ元、群馬県側にあり、山間を流れる川の上流にひっそりとたたずんでいる。よって、そこにたどり着くには、十七号線からさらにそれて、細い川沿いの道を車でひたすら登って行かなければならない。
温泉と言っても一軒宿があるだけ。旅館の名前は「長寿館」。歴史を刻んだ、大正期から昭和期を彷彿させる木造建築の趣のある温泉宿である。
旅行会社のパンフレットにもあまり登場しない奥まった温泉宿であるから、今でも案外知らない人が多いのではないだろうか。
しかし、この温泉が、昭和五十二年ころだっただろうか、国鉄(現JR)の旅行キャンペーン「フルムーン」のポスターで、かの上原 健と高峰三枝子が仲良く写っていたあのお風呂と言えば案外「あー、あれね」と言う人もいると思う。
ある秋の日、一家でその温泉を目指した。
住んでいた西東京市から、練馬で関越道にすぐに乗れることもあり、その時は日帰りの立ちより湯で行くことに決めた。
法師温泉・長寿館の「法師乃湯」の湯屋のたたずまいは、訪れる人を皆間違いなく驚かす。
古い木造である。天井はかなり高い。湯船は十メートル四方はあっただろうか、結構広かった。そこが大相撲の升席のように太い木で仕切ってあった。よって湯疲れの時はその上に腰掛けるようにして体を冷やすことができた。
湯船の底には玉砂利が引かれ、それが足の裏に心地よい刺激を与えた。その湯船の底から、玉砂利を通して湯がふつふつとわいて出ていた。行燈の薄ら明かりが漂う湯屋の中には、上半分がアール形状のレトロなデザインの窓から、日の光がうっすらと差し込んでいた。まさに幻想的という言葉がぴったりだ。
この法師乃湯は混浴である。しかし、女性専用の時間帯も夜の一定時間だけ用意してあるので、混浴に抵抗のある人はそちらが利用できた。また、小さい湯船だが常時女性専用の「長寿乃湯」もここにはあるので一応安心だ。
私と倅が入ったのは混浴の時間帯であるお昼過ぎ(家内と娘は長寿乃湯へ)。混浴の時間帯であることを重々承知のうえだろうが、名物のこの広いレトロの湯を楽しむ二~三人の女性客がいた。勇気があるものだ。
ここにはその昔、与謝野晶子も訪れている。ひょっとして彼女のことだから、
「鉄幹と二人でしっぽりと浸っていたのかもなぁ」などと思いを巡らせた。
先の上原 謙は、言わずと知れた加山雄三氏の父親である。
若大将 加山雄三も、その人生においては厳しい時期をいくつか通り抜けている。しかし、今はそんなこともすぎた事として、ステージで相変わらず歌いギターをかき鳴らしている。私からすれば、実に元気で前向きな先輩である。
小学校低学年の頃、親父に連れられて見に行った彼の映画は、そのシリーズもすでに回数を重ね、いちだい「若大将」ブームが続いていた。小さな子供のころではあったが、彼の「お嫁においで」や「君といつまでも」は気に入っていて、うろ覚えの歌詞だが口ずさんでいたような記憶がある。
ところで、しばらく前になるが、大学の制度が改正され「国立大学法人」なるものが登場した。
この改革を機に、各国立大学には、研究費の調達には各大学の自助努力が求められるようになった。同時に、国からの運営費交付金は毎年、前年比1%づつ低減されることとなった。
そのためか、各大学はこれまであまり力を入れてこなかった「OB会」組織の拡充に動き始めた。目的は寄付金等いろいろ。かの東京大学も『ホームカミングデー』と称し、秋に一度、卒業生を本学に招く行事を活発化し始めた。
慶応義塾について、巷では「OB達が良く群れる大学ですなあ」と言われたりする。
慶大には古くからのOB会組織「連合三田会」がある。そして、その下部組織として、卒業年度や、職域、各都市で自発的に運営されている〇〇三田会なるものが数多くある。
それの上部団体、連合三田会は、昔から年に一度、「連合三田会大会」と称する大きな行事を十月に催す。その内容とは、老若男女が一堂に会した学園祭のようなものだ。
場所はきまって教養課程がある横浜の日吉キャンパス。お酒もいろんなテントで売られている。もちろんOBの会社で作っている日本酒やワインとなる。
講堂の大ステージには、毎回一流の音楽家が招かれる。但し入場料は無い。時に彼らは慶応の学生楽団とのジョイントコンサートもやる。
この会の目玉の一つに、後半に催される「福引」がある。券は一枚当たり五百円で買わなければならない。私がよく行っていた平成十年当時は、バブル期もとうに過ぎているにもかかわらず、一等と二等が外車だった。誠に恐れ入るお祭りだ。
お金持ちはそれなりに、私のような貧乏サラリーマンもそれなりに「気持ち」を提供すればよく、一切の束縛がないところが、このようなシステムが長く続く所以だと思う。
今でも時折ふらりと出かけては、風情ある温泉に身を浸し、心の疲れやくたびれた体を癒している。
東京の人たちと話をする中で、時々「九州は温泉が多いですよね」と言われる。それは、湯量日本一の別府や、人気の湯布院や黒川温泉、さらに南国鹿児島の霧島温泉や砂湯で有名な指宿温泉が九州観光の目玉として紹介されているからだろう。
私は東京に赴任している間も、よく関東甲信越の温泉を楽しんで回った。それは、福岡から両親が出かけてきたときのみならず、スキーが終わった後のホッコリするお湯だったりした。
練馬から関越道を北に走り、赤城インターを過ぎたところで国道十七号線に入り、新潟方面に向かうと三国峠にたどり着く。
この峠は、上州(北関東)と越後の国境にあり、冬場はその先は雪国へと続く。スキーのメッカ苗場はもうすぐこの先にある。
この峠の手前に法師温泉(ほうしおんせん)と言うところがある。それは三国峠のおひざ元、群馬県側にあり、山間を流れる川の上流にひっそりとたたずんでいる。よって、そこにたどり着くには、十七号線からさらにそれて、細い川沿いの道を車でひたすら登って行かなければならない。
温泉と言っても一軒宿があるだけ。旅館の名前は「長寿館」。歴史を刻んだ、大正期から昭和期を彷彿させる木造建築の趣のある温泉宿である。
旅行会社のパンフレットにもあまり登場しない奥まった温泉宿であるから、今でも案外知らない人が多いのではないだろうか。
しかし、この温泉が、昭和五十二年ころだっただろうか、国鉄(現JR)の旅行キャンペーン「フルムーン」のポスターで、かの上原 健と高峰三枝子が仲良く写っていたあのお風呂と言えば案外「あー、あれね」と言う人もいると思う。
ある秋の日、一家でその温泉を目指した。
住んでいた西東京市から、練馬で関越道にすぐに乗れることもあり、その時は日帰りの立ちより湯で行くことに決めた。
法師温泉・長寿館の「法師乃湯」の湯屋のたたずまいは、訪れる人を皆間違いなく驚かす。
古い木造である。天井はかなり高い。湯船は十メートル四方はあっただろうか、結構広かった。そこが大相撲の升席のように太い木で仕切ってあった。よって湯疲れの時はその上に腰掛けるようにして体を冷やすことができた。
湯船の底には玉砂利が引かれ、それが足の裏に心地よい刺激を与えた。その湯船の底から、玉砂利を通して湯がふつふつとわいて出ていた。行燈の薄ら明かりが漂う湯屋の中には、上半分がアール形状のレトロなデザインの窓から、日の光がうっすらと差し込んでいた。まさに幻想的という言葉がぴったりだ。
この法師乃湯は混浴である。しかし、女性専用の時間帯も夜の一定時間だけ用意してあるので、混浴に抵抗のある人はそちらが利用できた。また、小さい湯船だが常時女性専用の「長寿乃湯」もここにはあるので一応安心だ。
私と倅が入ったのは混浴の時間帯であるお昼過ぎ(家内と娘は長寿乃湯へ)。混浴の時間帯であることを重々承知のうえだろうが、名物のこの広いレトロの湯を楽しむ二~三人の女性客がいた。勇気があるものだ。
ここにはその昔、与謝野晶子も訪れている。ひょっとして彼女のことだから、
「鉄幹と二人でしっぽりと浸っていたのかもなぁ」などと思いを巡らせた。
先の上原 謙は、言わずと知れた加山雄三氏の父親である。
若大将 加山雄三も、その人生においては厳しい時期をいくつか通り抜けている。しかし、今はそんなこともすぎた事として、ステージで相変わらず歌いギターをかき鳴らしている。私からすれば、実に元気で前向きな先輩である。
小学校低学年の頃、親父に連れられて見に行った彼の映画は、そのシリーズもすでに回数を重ね、いちだい「若大将」ブームが続いていた。小さな子供のころではあったが、彼の「お嫁においで」や「君といつまでも」は気に入っていて、うろ覚えの歌詞だが口ずさんでいたような記憶がある。
ところで、しばらく前になるが、大学の制度が改正され「国立大学法人」なるものが登場した。
この改革を機に、各国立大学には、研究費の調達には各大学の自助努力が求められるようになった。同時に、国からの運営費交付金は毎年、前年比1%づつ低減されることとなった。
そのためか、各大学はこれまであまり力を入れてこなかった「OB会」組織の拡充に動き始めた。目的は寄付金等いろいろ。かの東京大学も『ホームカミングデー』と称し、秋に一度、卒業生を本学に招く行事を活発化し始めた。
慶応義塾について、巷では「OB達が良く群れる大学ですなあ」と言われたりする。
慶大には古くからのOB会組織「連合三田会」がある。そして、その下部組織として、卒業年度や、職域、各都市で自発的に運営されている〇〇三田会なるものが数多くある。
それの上部団体、連合三田会は、昔から年に一度、「連合三田会大会」と称する大きな行事を十月に催す。その内容とは、老若男女が一堂に会した学園祭のようなものだ。
場所はきまって教養課程がある横浜の日吉キャンパス。お酒もいろんなテントで売られている。もちろんOBの会社で作っている日本酒やワインとなる。
講堂の大ステージには、毎回一流の音楽家が招かれる。但し入場料は無い。時に彼らは慶応の学生楽団とのジョイントコンサートもやる。
この会の目玉の一つに、後半に催される「福引」がある。券は一枚当たり五百円で買わなければならない。私がよく行っていた平成十年当時は、バブル期もとうに過ぎているにもかかわらず、一等と二等が外車だった。誠に恐れ入るお祭りだ。
お金持ちはそれなりに、私のような貧乏サラリーマンもそれなりに「気持ち」を提供すればよく、一切の束縛がないところが、このようなシステムが長く続く所以だと思う。
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