王国の彼是

紗華

文字の大きさ
94 / 206
アズール遠征

93:兄弟 ラヴェル&ジーク

しおりを挟む
「ネイト?」

「兄上、何も聞かずに泊めて下さい」

騎士団詰所の仮眠室にやって来たのは、悲壮感を漂わせた愚弟。
エルデが王城に残る事が決まり、営舎で共に暮らしているが、初夜は結婚式までお預けと言われ、理性と闘う日々を送っている。

可哀想に……などとは全く、微塵も、思わない。

イアンとジークから聞いた時は笑い過ぎて呼吸困難に陥った。これまでも何度か命の危機はあったが、今回は走馬灯までよぎり覚悟をした程。
今では、近衛の制服を見るだけで笑いの発作が起きるまでになってしまったが、ラヴェル・ファン・ソアデン31歳。俺の人生はまだこれから。

レイン殿とアズールを盛り上げると約束したんだ、志半ばで死ぬわけにはいかない。

「ここは満床だ。お前が寝る所はない、帰れ」

明日からのアズール遠征に向け、心も身体も整えておかなければならないのに、お前は一体何しに来た!俺の道を阻むと言うなら容赦はしないぞ。

「満床って…そこの荷物を床に下ろせばいいじゃないですか」

「荷物ではない、だ」

レイン殿の計画を聞いて、ソアデンからも蜜蜂を提供しようと申し出た。
今回の遠征でアズールの地に蔓延る魔物を駆逐し、大地を浄め、オレンジ畑を拡大し、蜜蜂を解放する。

集めたオレンジの花の蜜で作るのは、その名も

この蜜蜂達は、アズールの地で蜜を採集するという重要な任務に着く大事な身、そして仮眠室のベッドは2つ。愚弟なんぞに譲る寝床はない。

「お前は営舎に部屋があるだろう。こんな時間に何しに来た?エルデと喧嘩でもしたのか?」

「脳筋が…何も聞くなと言いましたよね」

「押しかけて来た身で、随分と尊大だな」

「兄上が人の話を理解しないからでしょう」

「何をイライラしてるんだ?腹でも減ってるのか?」

遠征の準備に忙しくて夕食を食べ損ねたか?よもや、エルデの隣りで腹の虫を鳴かせながら眠るのが恥ずかしいなんて…全く、可愛いところもあるじゃないか。

「…だから、人の話をーー」

「ほら、これでも食え」

「?!それはっ……っく……ぅ…」

「?!お、お前……何故?」

「~~っなんっで、を出した!」

「いや……のはお前だろ…」

「まだっ!!出して!!ないっ!!!」

目の前で下の己のを押さえて蹲る愚弟に何が起こったのか…いや、起きたは分かるが、何が起因で?いや、本人がバナナと言っているからにはバナナが起因なのだろう。では、バナナが起因となった原因は?

「溜まっているんだな……バナナを食べているところでも想像したか?」

「それも……やめろ…っく…」

愚弟よ…お前は、本当に、一体、何を、しに来たんだ…?
…それにしても面白過ぎる…だが、このままでは発作が…抑え切れない…

「…ブフゥッ…ヒッ…グッ…」

「笑うな!そして息をしろ!」

「し…死ぬ…ッグ… 」

「脳筋がっ、普通に笑えないのか!」

「…い…いかん…ッブ…バ、バナナを…グッ…握り潰して…ッヒグ…ーー」

って言うなっ…ゔっ…く…勘弁してくれ…」

何故、俺達兄弟は床に転がっている…こんなところ、誰かに見られなどしたら、それこそソアデンの名にーー

「………何を…しているんだ?」

「「?!ジーク(副団長)!?!!」」

今回のアズール遠征は魔物の調査、討伐だけに留まらず、ネイトは伯爵に結婚の挨拶を、エルデは帰省を、レインは畑の拡大と養蜂の実地検証を、ラヴェルに至っては遠征の指揮官だけでなく、ソアデン伯爵の名代と、レインの協力者にまで手を挙げて、かく言う俺もセシルの見舞いを兼ねており、私情を大いに挟んだ遠征となっている。

明日の日の出と共に出発する遠征に向け、景気付けに一杯と…ラヴェルが泊まる騎士団詰所を訪れたが、この馬鹿兄弟は、一体、何をしているんだ?

「た、助った…ジーク副団長っ…今直ぐ脳筋をどこか遠くへーー」

「遠くへ行くのはお前だろうがっ!夜討とは卑怯な真似を…」

「今の時点でお前達が阿保だという事は再確認出来ているが…で?何をしているんだ?」

「…この話せと?」

「聞く分には問題ない」

「「………」」

武の家門として名高いソアデン伯爵家の兄弟。
兄は王宮騎士団長、弟は王太子専属護衛と、家名に恥じぬ役に就いているが、涙と鼻水で顔を汚して床に転がる兄と、下の己の押さえて涙目で蹲る弟は、ソアデン伯爵家の恥部と化している。

「この愚弟が腹を空かせてやって来たから、施しをやろうと、おやつに用意しておいたバナナをーー」

「黙れっ!!その単語を言うなっ…くっ…それに、俺は泊まらせろと言ったんだ、腹が減っているとは一言も言っていない。なのに…この脳筋が、あろう事か禁手を…」

か?」

「?!…ジークッ副団長……ううっ…くっ…」

チョロいな…

バナナに反応して呻くネイトに笑いが込み上げる。だが、そこにエルデが関わるのであれば見逃す事は出来ない。

「どうにもいるらしくてな、物を出したら、しまったんだ」

先に持ち直したラヴェルが、水差しで濡らした手巾で汚れた顔と手を拭いながら話す内容は、ネイトが苦行に耐え忍んでいる事を示している。

ネイトとエルデが一緒に暮らすと聞いた時は、フランとデュバル公爵を営舎諸共焼き払ってやろうかと考えた。

ネイトを隊舎に戻すと乗り込もうとした俺を、ラヴェルとイアンが止めに入った時に、何故そこまで怒るのかと聞かれ、セシルの事を話した。
8年もの間、何故黙っていたのかと追及されたが、俺は婚約を破棄したなどと言った覚えはない。
周りが勝手に噂を立てて、それを信じた2人がセシルの話を避けていただけの事。

未来の義妹を守る為、日々の訓練で立ち上がれない程に扱いているが、よもや兄に屈辱を与えられるまでに耐えていたのか…俺も大人気なかったか…?

「だからっ、出してないと言っているだろ!脳筋なんぞにイカされるなどと、そんな屈辱…」

「しぶといな…出した方が楽だろうに」

「…既に2度暴発してますよ」

「それで俺の所に逃げ込んで来たのか?お前の想像力も逞しいな…」

「想像なんて、そんな生優しいもんじゃない…エルデ本人に言われたんですよ」

「「…何を?」」

「…っく…私の手で…発作を鎮めると……っ…その為に、バナナで…れ、練習してきたと……っゔゔっ、くっ…………失礼します…」

よろよろと立ち上がって浴室の扉の向こうに消えたネイトを、ラヴェルが苦笑いで見送るが、ネイトの言葉は聞き捨てならない。

「出たんだな、愚弟よ……って、ジーク?!」

「バナナで…練習だと…?」

「柄から手を離せ、そして落ち着け。ネイトはここに逃げ込んで来たんだ。エルデは無事な筈」

柄に手をかけた俺を見たラヴェルが、浴室の扉の前に立ちはだかって説得するが、このまま捨て置きはしない。

「当たり前だっ!ネイトは今日は帰さん、そして俺もここに泊まる」

「ええ~…」

















しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

処理中です...