王国の彼是

紗華

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アズール遠征

110:本と栞 レイン&ゼクトル兄弟

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夜も更けてきた陛下の執務室。
兄から受けた報せを報告に来たが…気が重い。

「ユーリか…」

「夜分に申し訳ありません。兄から連絡がありました」

「レインの正体がバレたか?」 

「?!何故、それを…?」

「フランと共に、洞窟で一晩明かしたのだろう?夜中に薬が切れてそのまま…ナシェルは寝汚いところがあるからな、朝は弱いんだ。まあ、遅かれ早かれとは思っておった」

「想定されてたのですね…」

「そういう事だ…そして後、1

「え?!…まだ?」

「そちらも問題ないだろう」

「問題ないって…一体誰なんですか?」

「これだ」

…ですか?…」

「いや、本ではなくーー」

陛下が手にしたこの本は、俺も学園時代から何かと世話になっている。
それで…?陛下の好みは?

「【白薔薇と共に散った】…?…陛下は、直向きひたむきなのが好みなのですね」

「?!こっ、これは、余の本ではないぞっ?誰だろう、フーガか?全く…けしからんな…」

「私は【灼熱の楔に溶かされた】が好みでしたね。それでは私はこれで…」

ーーシュッ…

「………ユーリは放蕩系か…けしからんな…」

叢書シリーズ…隊舎の休憩室にも置いてあるが、陛下は一途いっと系か…フランの次にナシェル殿の正体を見破る者は…何系が好みだろうか…


ーーー


「レイン様、包帯を変えますね」

「ありがとうございます。エルデ殿」

「熱も下がってよかったです。ですが、ベッドの上で一日過ごすのは退屈でしょう?」

「…そう、ですね…」

「なので、小説、お持ちしました」

やはり…救急箱と共にカートに乗せられた、色鮮やかな表紙が目に入った時から、嫌な予感がしていた。

凛とした美人だが、思考は重度の乙女。

恋愛小説をこよなく愛するエルデは、あの話し合いの日以降、ありとあらゆる小説を俺に読ませ、感想を聞いてくる。

俺としては、オレンジの話でもしたいところなのだが、嬉しそうな顔を見ると、何も言えなくなる。

「お、お気遣いなさらず…そうだ、お借りしていた小説は読み終えました。ありがとうございました」

「このお話も素敵でしょう?家族の愛に恵まれなかった公子が、婚約者の献身的な愛で心を開く…公子が初めて婚約者に愛を告げる場面は…もう…涙が溢れて…」

俺は頭がむず痒くなった…『俺の元に舞い降りた愛の奇跡』などと口が裂けても言えない。

エルデはネイトにあんな言葉を求めているのだろうか…

「え、ええ…とても感動しました…」

「今度の小説は、敵同士の家の息子と娘が恋人になって苦難を乗り越えるお話です。オレンジ畑が舞台のお話なので、様もきっと気に入りますよ」

「はい……?!えっ?」

「私がお貸しした本に挟んでいるその、オレリア様から贈られた物ですよね?」

「……嘘だろ…栞で…?」

「お色味も違うし、お声も違う。ですが、その栞はオレリア様がナシェル様に贈られた物…ナシェル様に、ずっとお聞きしたかったんです…オレリア様と婚約している間も、そして今も…その栞を使い続けているのは…何故ですか?」

「……初めて貰った手作りの贈り物だったんだ…形は歪だが、俺の好きなオレンジの花で作られて…思いが伝わってきて、これまで貰ったどんな物より嬉しかった…だが、エルデが気付いたという事は、オレリアにも、他の者にも気付かれるか…」

「その心配はないかと…オレリア様は皆さんに栞を作って贈られてますから。様にもそのうち贈られると思います」

「何故だろう…急に価値のない物に思えてきた」

「フフッ…でも、その栞はオレリア様が初めて作られた栞ですから特別ですよ。私は2番目で、殿下は何番目かな…?殿下には内緒にして下さいね」

あの頃のエルデは、オレリアの後ろで泣くのを堪えて立っていた。主を傷付けた俺を恨んでいる筈なのに…ナシェルだと分かった今も、レインの時と同じ様に接してくるのは何故だ…

いや、そんな事より…

「…エルデは俺が生きている理由を聞かないんだな…」

「私が知ってはならない事は聞きません。本当は、栞の事も知らない振りを通すつもりでした…私は、オレリア様を傷付ける貴方を許せないと思いながら、その栞を大切に使い続ける貴方を、憎むまでにもなれなかった……ナシェル様が生きていると知って嬉しかったと、どうしても伝えたかったんです。それに、栞の事も気になってましたし…これは私の我儘です。なので、この事は誰にも、殿下にも言いません」

「……フランは…知ってるよ…」

「それでも、言いません。

家の名に誓うとは、約束を違えた場合、一族の命を持って償うという事。 
エルデは我儘と言いながら、命掛けの告白をしてきた。
その意味を理解出来ない程の子供であったなら、素直に喜べたかもしれない。

「…エルデにも背負わせる事になってしまったんだな…」

目の前で、何でもない様に微笑んでいるが、これからの生涯、オレリアにも、ネイトにも嘘をつき続けなければならない。

それでも、俺が生きている事を嬉しいと言ってもらえた事が嬉しい。
色んな感情が複雑に絡み合って、泣きたい様な、笑いたい様な…今の俺はどんな顔をしているのだろうか…

「負い目を感じるのであれば、また小説のお話にお付き合い下さい。それと…この本は、うちの父が書いたオレンジ栽培の本です」

「オレンジの本?!」

「…食い付きいいですね…」

「すっ…すまない…」

「フフッ…父が喜びます。全然売れなくて、倉庫で埃を被っているので。その本は差し上げます。よかったら父に感想を伝えて上げて下さい」

「ああ、是非…ところで、畑は?」

「肩をお貸ししたら、少しは歩けますか?」

「補助なしでも歩ける」

「でしたら、こちらへ」

案内されたのは、テラス。そこから見えるのは、白い花が満開のオレンジ畑。その向こうにはアズールの街と海が広がっていた。

「オレンジ畑が見えるのは、この部屋だけなんです。父が、起き上がれる様になったら、畑の様子を見れるだろうって」

オレンジの花の甘い香りが、俺を包む。

優しさが痛い…愛してくれる人達を、優しくしてくれる人達を、俺は…裏切ったんだな…

「ここは、姉が静養していた部屋なんです。長い眠りから覚めた姉は、この部屋で誰とも会わずに過ごしていたそうです。その姉を、窓から入ってきたオレンジの花の香りが外に誘い出してくれた…も、直ぐに外へ出られる様になります」

「……っ…ありがとう…エルデ…」

「……背中は辛くないですか?そこのベンチにクッションを持って来ますから、座りましょうか。今日はオレンジのお話をしましょう?」

初めて、エルデと共にオレンジの話をした…残念な事にあまり詳しくはなかった…


ーーー


「で?エルデ殿にもと…」 

「………」

ではなくだったのか…ユーリの馬鹿が…」

「…ん?ユーリ?」

どんな輩かと身構えていたのに…何が純潔叢書シリーズだ、選りにも選って一番遠いところにいる人物じゃないか…

「……いえ、何でもありません。エルデ殿は心配いりませんから、これまで通りでお願いします」

「分かった…ところでウィル」

「何でしょう?」

「お前も栞を貰っているのか?」

「ええ、こちらに」

「……上手になってる…」

「13歳のオレリア様と17歳のオレリア様では技量に違いがあって当然でしょう」

「確かにな」

「それは?…オレンジの本ですか…ん?著者はアズール伯爵ですか?」

「ああ、エルデがくれたんだ。読み終えたら伯爵に感想を聞かせてやってくれってね」

オレンジの本を手に微笑む息子と、純潔叢書シリーズという本を、夜更けの執務室で隠れて読む父…ナシェル殿がこのまま、真っ直ぐ育つ事を願って止まない。


















 
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