王国の彼是

紗華

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穏やかでない日常

120:帰城

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叔父上の圧に耐えながらの帰路は永遠にも感じられる程に長く、野営地で解放されたと思っていたカインも、当然のごとく翌日も叔父上に同乗を命じられ、王都の街並みが目に入る頃には、俺達の神経は衰弱仕切っていた。

「陛下、ただいま戻りました」

謁見の間の御座所へと続く赤絨毯に片膝を着いて帰還の挨拶をする俺の後ろには、共に怪我をしたナシェルと、8年越しの愛を実らせたクローゼル夫妻が、片膝を着いて首を垂れている。

きざはしの最上段から俺達を見下ろす叔父上は、俺とナシェルを交互に見遣ると、目を伏せて玉座の肘置きにかけた手の上に顎を乗せ、諸々の文句を大きな溜め息と共に吐き出す事で気持ちを切り替えたのか、姿勢を正して、低く、ゆっくり声をかけてきた。

「……後ろの3人も、おもてを上げよ……先ずは此度のアズール遠征、ご苦労だーー」

「セシルッ!!…セシルよ……あゝ…夢ではないのだな?おじ様に、よく顔を見せておくれ…」

「……ユリウス…」

「義兄上…我慢して下さいとあれ程言ったのに…」

面を上げた俺達の中にセシルの姿を確認した宰相が、我慢し切れなかったのだろう、伯父上の言葉を遮って滂沱の涙を流しながらセシルの元へ駆け寄った。
その姿に伯父上は呆れた声で名前を呼び、父とセイド公爵は苦笑いを零し、デュバル公爵はそっと天を仰いだ。

「セシルよ、病み上がりの身で疲れたであろう?お腹は空いてないか?オクタヴィアも待っている。おじ様と一緒に帰ろう」

「いえ、あの…おじ様?私まだご挨拶がーー」

「?!何を言っているんだ、こんな青い顔をして…立っているのもやっとなのであろう?挨拶よりも休まなければ、いや、その前にポルタ医の診察を受けた方がいいだろうか…」

戸惑うセシルの顔を両手で包んで、しきりに体調を心配している宰相だが、セシルの青い顔の原因が自身の暴走のせいだとは気付いていない…顳顬に青筋を浮かべながら、今にも抜剣しそうな雰囲気を漂わせている叔父上と宰相を見比べた伯父上は、諦めた様に立ち上がった。

「……もうよい…余も其方達の顔を見てとりあえずは安心した。今日はゆっくり休め…セシル嬢…いや、もうクローゼル夫人だな。またゆっくり時間を取ろう。フランは、オレリア嬢が登城しておる。顔を見せてやれ…」


ーーー


帰還当日に訪れるのは病み上がりの身体にご負担になると思い、フラン様からの連絡を待つつもりでいたのだけど、騎士は体力があるから大丈夫だと言う、お父様とエイラの謎の言葉に後押しされ、会いたい気持ちも押さえ切れずに来てしまった私は、フラン様を迎える為に謁見の間へ向われるお父様と別れた後、エイラと共に何故かフラン様の自室に通された。

主の留守におじゃまするのは如何なものかとも思ったが、エイラから婚約者の特権だと言われると、罪悪感よりも浮き立つ心が勝ってしまう。

フラン様の自室に入ったのは夜会当日の朝以来二度目。
はしたないと思いながら、エイラに悟られない様にそっと見回したフラン様の部屋は、初めて訪れた時は内装を気にする余裕もなかったが、改めて見るとファブリックは青で統一されており、ナシェル様が使われていた物を引き継いで使っているという家具と、調度品も最低限でスッキリとしている。
フラン様の実直さを表している様な、無駄の省かれた部屋に身を置いていると、あの大きな腕の中にいる安心感を感じると同時に、落ち着かない…

「エイラ、テラスに出てもいいかしら?」

「どうぞ」

己の無表情に赤みが差しているのが分かる。
熱を冷まそうとテラスへ出たいと告げたのだが、私の落ち着かない心を見抜いているであろうエイラの微笑みに、更に羞恥を刺激されて居た堪れない。
暑い夏の空気を涼しく感じる程に、体温が上がってしまっている事に苦笑いしながら、手摺に手を置き、目を閉じて、温いけれど顔の火照りを冷ますのに丁度いい風に集中する。

フラン様が戻られる前に、この熱を冷ましたい…そんな願いを虚しく消し去ったのは、腰に回された腕と、背中に感じる体温、そして…

「リア…」

鼓膜の震えが脳髄にまで伝わる…

声を聞きたい、おそばに行きたい…フラン様を夢で見る度に、会いたい思いばかりが募って苦しかったけれど、名前を呼ぶ低く耳心地の良い声と、同時に力の入ったフラン様の腕が、私だけが募らせていたのではないと伝えくる。

「…フラン様…ご無事のご帰還、お慶びーー」

「…やっと、触れられた…」

頭頂部にキスを落とし、腰に回した右手を移動させて、二の腕を滑る様になぞると、オレリアがフルリと小さく震えた。
宥める様に肩を摩り、耳裏に指を差し込んで、小さな顔を上に向かせて唇を塞ぐ。

この柔らかさをもっと深く、頭が空になる程に堪能したい…だが、昼のテラスで舌を絡め合うなど、未婚の女性には刺激が強過ぎるだろう。
霧散寸前の理性をかき集めて唇を離し、正面を向かせて抱き締め直す。
己の理性が正常に働くまでは顔を見てはいけない、その代わりとばかりに、オレリアの首元に顔を埋めて甘い香りを鼻腔いっぱいに吸い込んだ…が、フェリクスが話していた練り香水と、オレリアの汗が混ざった香りが、更に要らぬ官能を呼び寄せる。
視覚と嗅覚を塞がれ、聴覚に集中しても、息を整えんとするオレリアの吐息に脳髄が痺れる。

無駄な抵抗で荒ぶってしまった心を鎮める術は、叔父上の顔を思い浮かべるのが一番…

「あの…フラン様、お怪我に触りますので…お、降ろして頂けないでしょうか…」

「却下」

荒ぶる心は鎮まっても、オレリアを渇望する心は鎮まらない。
俺の肋を心配するオレリアが少し身体をずらすのを、腰に手を回して引き寄せる。
オレリアを膝に乗せてソファに座し、紅茶を飲みながら繰り返すやり取りに、遠征出発の前日を思い出して笑いが込み上げる。

「…フッ…ククッ…」

「…フラン様…?」

「すまない、ただの思い出し笑いだ」

「…それは…私の事でございますね…フラン様が呆れられてると、レナ様にも言われました」

真っ赤な顔を俯けて縮こまるオレリアを抱き寄せると、肋を気にしながら寄りかかってきた。
この細い腕のどこに騎士を吹き飛ばす力があるのかとも思うが、ナシェルもオレリアとだけは手合わせをしたくないと言っていた。
ナシェルは王太子だった頃から、剣もマナの扱いは優秀だったが、ウィルの指導で更に剣に磨きがかかっている。
そのナシェルを唸らせるオレリアの強さとはどれ程のものなのだろうかと、少しの興味を持ちながら思い浮かべたのはアデラ島。

扇一本で、数多の敵を討ち取ったデュバルの女傑の魂もあのアデラ島に眠っているのだろうか…
その者の輝かしい部分のみ強調され、語り継がれる伝説だが、アデラ島に残された要塞を目にした時に感じたのは、戦いに身を投じなければならなかった者達の悲哀と苦悶だった。

「……んっ、んん゛…殿下、お茶のおかわりはいかがです?」

「?!エイラ…あ、ああ…頼む…」

エイラのわざとらしい台詞と圧のある笑顔が、思考の海に落ちた俺を呼び戻す。エイラの視線に倣って向けた胸元には、無言の俺を肯定と取ったのか、オレリアが下を向いて縮こまっていた。

「リア…確かに面白…いや、驚きはしたが呆れたりはしていない。ところで、騎士科の生徒達とはどうだ?」

「はい、とても仲良くさせて頂いております。今度の休日は、共に代表の仕事をしている皆さんとダリア農園へ行って参ります」

「………ダリア農園?」
































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