王国の彼是

紗華

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デュバルの女傑

187:平和主義 カイン

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ペンを走らせる音、書類を捲る音、控え目な話し声、紅茶よりインクの匂いを強く感じる、馴染みのある光景に肩の力が抜けていく。
等間隔に設置された応接セットを占領しているのは、華やかな貴族達…ではなく、小難しい顔の文官達。
サロンの窓越しに、庭園を散策するドレス姿の令嬢達も眺められるのだが、誰も目をくれる事はない。

業務環境の改善化と、文官のお堅いイメージの払拭を目的に、社交シーズン後は閉じられていたサロンを文官達に解放する様提案したのは、自身の所属していた業務推進院なのだが、貴族家の次男や三男、貴族家に養子に入った者で構成されている文官達は、元より無駄な野心は持たず、政略結婚も業務の一環として受け入れる合理主義の為、お堅いイメージは変わらないまま。
文の家門と言われる家も、社交と領地経営を均等にこなし、職もそこそこの地位で満足という平和主義が多く、勢力図でいう中立を保ち堅実に家を繋いでいる。

本人達はイメージを払拭したい訳でも、名のある家と縁を繋ぎたい訳でもない為、其方の成果が出なかった事を気に病む必要はないだろう。

かく言うキリングも、文の家門として御多分に漏れず静かに歴史を繋いで来ていた筈が、その害のない佇まいと、領地が隣り合わせという理由で、叔母が王弟の後妻に入り、騎士になった叔父が近衛の副団長になり、一介の文官だった俺がフランの侍従になった事で、測らずも中枢に位置する事になってしまい、喧しい面々に囲まれている己の環境に至っては、改善どころか悪化している感が否めない。

「カイン殿、今日はお1人ですか?」

「カイン、書類は訂正しておいたよ」

和かに声を掛けてくる同僚達と軽く挨拶を交わしながら、サンドを片手に昼に届いた城内便を整理する。

大臣達からフランへの謁見の申込み、地理院に籍を置いている兄からの、キリング領の魔物出没地の報告書に、学園から届いた遠征の組分けは予想通り…

「令嬢3人は分かれたか…」

身分、美貌、そして並の騎士では敵わない戦力を持ち合わせた、全方位死角無しの無双を誇っている3人は、貴族科ではなく、魔術科の生徒として演習に参加してもらう事を、各家と学園長から承諾してもらった。

「デュバルの女傑、か…」

国内外で戦女神と崇められている一方で、国の要職に就き、社交を重んずる中央貴族からは、戦狂乙女と貶まれている王太子妃だが、文官にとっては、崇める者でも貶む者でもない、不遇の王太子妃という感想のみ。
その血を継ぐ令嬢が王太子の婚約者となった時も、城内では賛成と反対の声が飛び交い、社交界でも様々な噂が流れたが、文官達は淡々と受け入れるだけだった。

今が問題なければそれでいい、下手に評価して天秤を傾ける事はしない。
騎士となった叔父やエレノアからオレリア様の名を聞く様になり、フランの侍従になって接する機会が増えても、必要以上の情報は不要とーー

「『侍従、カイン・ファン・キリング。王太子フランが帰城次第、霊廊へ来りたし』……?何これ…」 

既視感しかない文面と、国王の署名に手が震える。
帰城とはどういう事だ?フランは霊廟へ行った筈では?ナシェル殿はどうした…?

顔色が悪いなと、声をかけてくる同僚達に返事をする余裕もなく戻った執務室で、書類を整理しながら思い出しては震えるを繰り返して迎えた夕方。
フワフワと花を散らして執務室に戻って来たフランを締め上げ、背中に背負った花をむしり取り、陛下からの城内便を眼前に突き出すと、忘れていたなと一言呟き、軽食と紅茶を籠に詰めて用意する様、カレン殿に謎の指示を出して微笑んだ。


ーーー


「お待たせ致しました……ネイトとユーリは…?」

「……そこに転がってるよ」

「ハハッ…予想通りだったな」

「…………」

もう一度言おう。
キリングは社交と領地経営を均等にこなし、要職に就くこともなく、そこそこの地位の文官として城に従事している、中央派でも、軍事派でも、旧貴族派でも、新興貴族派でもない事なかれ派。
家族が王族の域に片足を突っ込んでしまった事に、父と兄は領地へ引っ込みたいと嘆く程の平和主義。

マントルピースの前で小さく震えて蹲る2人に何があったのか、俺は一体どうなるのかと、不安と緊張で生きた心地のしない俺を他所に、目の前では和やかな会話が繰り広げられていく。

「軽食と紅茶をお持ちしました」

「フルーツもあるか、気が利くな」

「お紅茶を淹れ直しましょうか。殿、そこのティーポットに被せてある、ポットカバーを取ってもらえますか?」

嗚咽を漏らして蹲る騎士2人、卓の上にサンドやデザートを並べていく王家の面々、小花柄のポットカバーを片手に微笑む閣下…そんなカオスな状況の中で聞こえてきたナシェル殿の名前に、座り掛けた中腰の姿勢で固まる。

「?!………こ、公爵、閣下?」

「ん?」

「…い、いえ…」

緊張の余り幻聴が…

「フラン、甘い物は?」

「それはこっちの籠だ…って、!つまむなっ!」

「?!…フラン様…?」

一度ならず二度までも…?

「フラン、、あの2人を連れて参れ。あのままでは干涸びてしまうからな」

「?!三度までも?!」

「ハハッ…小腹を満たしてからと思ったが、カインは落ち着かんだろうな……」

「……い、いえ」

腹が満たされても落ち着く事はないと、心の中で答える俺の心境を読んだのか、陛下が眉を下げて口を開いた。

「…フーガと前妻は、あまり相性が良くなくてな…前妻の死後は、コーエンと2人でのんびりしたいと言っておったんだが、ダリアの花で染色した布を作りたいと、ダリア農園を訪れたディアンヌにフーガが惚れてしまってな…」

「…叔母からは、政略だと聞いておりますが…」

「なんやかんやと正論を並べて政略に持ち込んだが、フーガのゴリ押しだ。スナイデルと縁が結ばれ、ジークと其方も要職に就いて、測らずもといったところだろうが…其方には、両足を突っ込んでもらわねばなん」

妙に仕事真面目な叔母と、喪に服すという言葉を知らない叔父の馴れ初めなど、この際どうでもいい。

何度でも言おう。
この世の贅を全て詰め込んだ様な霊廟の地下室で、陛下とデュバル公爵閣下に迎えられるなんて状況は微塵も望んだ事はない、況してや家名の誓いを立てる事は生涯ないと思っていたキリング家次男の俺は、紛う事なき平和主義。


ーーー


『エルデには負担をかけたくないからね。必要に迫られない限りは話す事はないよ』


泣きじゃくるネイト殿に、エルデを幸せにしてやってくれと微笑んだ公爵閣下は、陛下と共に霊廟を後にした。
一刻前の自分だったら、その気遣いを此方にも向けてくれと恨めしく思っただろう。

公爵閣下が残していった時系列を握り締めて大きく溜め息を吐く。
不遇の一言で片付けてはならない真実が、己に重くのし掛かり感情を乱す。
其々の立場で評価が違うは当然の事だからだと、それを良しとも悪しともしないと笑った公爵閣下の顔を見れなかった。

どちらの評価も受けて流すだけの俺には、到底当て嵌まらない言葉じゃないか…

信念を持って突き進んだ平和主義者レイダ妃が、肖像画の中から慈愛の笑みを向けてきた。


















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