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10 すべてはニナの手のひらの上

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「はい! カット! お兄様! 魔術具で今の映像、ちゃんと撮りましたか?」
「ああ、バッチリだ」
「お父様、お兄様! これで納得してくださいましたよね?」


 気づけばあたりには、見知らぬ年配の男女と、ニナの兄であるエリックが立っていた。


「な、な、なん……」
「先生! すみません! 怒る前にお願いですから、私の話を聞いてください!」


 あせった顔をしたニナが、俺に抱きつくように胸に飛び込んできた。


「この前一緒に朝日を見てお話ししたのを覚えていますか? 実はその時、この元婚約者が国境を越えようとして、私の張った結界に引っかかったのがわかったんです」


 ニナが指差す場所を見ると、さっきまで彼女を拘束し、結婚を迫っていた元婚約者が縄でグルグル巻になっていた。


「無許可で国を出るのは違法ですから捕まえて引き渡したのですが、今度は私の家族に捕まっちゃって。私、先生のところにすぐ帰ろうとしたんですよ? でも両親や兄が、いい加減先生の迷惑を考えろって……」


 ちらりと横目で近くにいるニナの兄エリックを見ると、「うんうん」とうなづいていた。ということはあの年配のお二人はニナの両親か。二人とも心配そうに俺たちを見ている。



「先生は私のことを嫁にする気がないから、あきらめて別の人と結婚しろって。でも私、先生の本音が知りたくて! それでこのお芝居が最後の賭けだったんです。だましてごめんなさい!」


 ニナは強い力で俺のシャツを握っている。しかしその手はかすかに震え、彼女が緊張しているのが伝わってきた。



「じゃ、じゃあ、さっきあいつが言ってたことは」
「それは本当です。実は捕まえたあと『俺は女に騙された』だの『誓いの言葉は言ったからもう私と結婚してる』だのと、ほざいたので……。それで本当に結婚が成立してないか調べるのに手間取りました。まあ、その迷惑料として魔力を操作してお芝居させたんですけど」


 よく見ると男の目はうつろで、酔っ払っているみたいだ。ニナが本気を出すと、こんなこともできるのか。


「私もここまでやって先生が結婚してくれなかったら、諦めがつくというか……」


 ニナも自分で何を言っているのかわからなくなっているのだろう。俺から体を離し、手をモジモジとさわっている。


「だから……」


 胸の前で手を握りしめ、そっと俺をうかがうようなニナの瞳は、涙で濡れていた。


「だから先生、降参して?」


 だまされたとはいえ今のニナを見て、怒り出すほど俺は馬鹿ではない。いや違うな。俺は本物の馬鹿だったんだ。何がニナの幸せは王都にあるだ。自分がニナを幸せにする覚悟が足りなかっただけじゃないか。


 こんな俺じゃ、たとえ結婚しても、いつかニナに捨てられる。そう思ってニナを遠ざけ、一人で悲劇のヒロインのようになっていた、ただの臆病者だ。


(これからのことは、二人で決めればいいじゃないか……そんな簡単なことも思いつかなかったなんて)


 俺はふう、と息をつくと、ニナの腕を取り自分の胸に引き寄せた。


「まいりました」


 ニナの背中に手を回し、ぎゅっと強く抱きしめる。すると心の奥に欠けていたものがパチリとはまったような音がした。


「俺もごめん。ニナにこんな事までさせて」
「いいんです! 私は先生の押しかけ女房ですから!」


 そこからはあっという間だった。俺の代わりに薬局には王室御用達の薬師が置かれ、俺はニナの両親に引きづられるように連れて行かれた。王都に向かう馬車の中ですら、二人に両腕をつかまれている状態だ。


「逃げません! 逃げませんから……!」
「いや、まだわからん! あのニナを操縦できる男なんて、アンリくんを逃したら次はないぞ!」
「そうですわね! さっさと結婚の届だけでも出しておかないと、また逃げられたら大変ですわ!」


(ニナの暴走体質と囲い込みをする癖は、絶対にこの両親の影響だろ!)


 そんな戸惑う俺をニコニコとほほ笑みながら見ているニナは、ものすごく幸せそうだ。兄のエリックにすら「おまえ、そんな嬉しそうな顔できるんだな」とからかわれている。それでもニナは恥ずかしさなどないようで、赤くなった頬に手を当てうっとりと俺を見ていた。


「だって六年目にしてようやく、プロポーズを受けてもらえましたから!」
「六年目?」


 思わず間抜けな声が出た。ニナが俺の家に来て結婚しろと言ったのは、六ヵ月ほど前のことだ。六年前といえば、ニナが入学した年になると思うのだが。学園にいた時に結婚しろなんて、さすがに言われたことはなかった。


「なんで六年目なんだ? プロポーズしてきたのは、俺の家に来てからだろう?」


 その言葉に目をパチパチと瞬かせていたのは、ニナだけじゃなかった。家族全員が俺を見て、不思議そうに首をかしげている。


「え? でも先生、学園にいた時、ニナのプロポーズを毎回断ってましたよね?」
「プロポーズ……?」
「死ぬまで一緒にいてくださいってニナが言ったら、無理だろって」
「え? あれがプロポーズ?」
「魔術師ではそうやってプロポーズして婚約するんです。それが結婚の契約の言葉なので」
「ええ!」


(し、知らないよ! だいたいあの時意味がわかっても、生徒からのプロポーズは受けられないが……)


「薄々そうじゃないかと思ってたんです」


 どうやらニナは、卒業してからあの言葉の意味を俺が理解していないと気づいたらしい。しかしそれがわかったのは、婚約後。俺との結婚はもうできないだろうとあきらめていたが、男が逃げたことでもう一度チャレンジすることにしたらしい。


「頑張ったかいはありましたね!」
「本当に悪い……」


 しかしそこでふと、ニナとの結婚で確かめておきたいことを思い出した。
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