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CAPVT I. 寂しがり屋のこぼれ雨
XXIV. 迷わぬ迷子
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図書館前の通りに戻る。
先程までの急流が嘘のように辺りの人影は疎《まば》らだ。探すにあたって邪魔が入らないのは良いのだが、困ったことに夜が来る。
十分な明かりがある今のうちにパティナさんを見つけられればいいのだが……。
「で、どこでぶつかったんだ?」
「確かこの辺だったと思うんですけど……」
先生の部屋へと赴く最中、男とぶつかった。時間にしてほんの僅かであったがパティナさんとはぐれるには十分だった。視界もかなり限定されており、唯一開けた場所といえば上しかない。半球状の天井が連なる回廊内はどこも似通っているため事件の正確な位置までは分からなかった。
真っ直ぐに伸びる長い通り。ざっと眺めてみても、あるのは無数の石畳だけ。
パティナさんがどこにも居ないのは明らかだった。
「仕方ねぇ。これでも使うか」
リベラさんは億劫そうにポケットから何かを取り出す。手にしたのは赤ちゃんの手にも収まるくらいの小さなガラス玉だった。
「なんです? これ」
「まぁ見てな」
リベラさんはガラス玉を軽く握り、少しだけ考え事をしたかと思うと、ガラス玉を地面へと落とす。
石畳と接触し硬質な音を鳴らしたガラス玉は、しばらく溝の間を転がり、やがて止まった。
「……あ?」
リベラさんはガラス玉を拾い上げると、もう一度同じ動作を繰り返す。けれどやはり結果は同じで、しばらく転がったあとに止まった。
「……コルダ。相手の顔は覚えてるか?」
「一瞬だったので何とも……でも人相は悪かったです」
「そりゃあそうだろ。泥棒の顔はそんなもんだ、本物の家族みてぇにな」
言葉が刺さる。
いくら自分の意志でパティナさんを持ち出したとはいえ、やってることはただの窃盗。それも絶禁本の窃盗だ。決して美化していい内容ではない。
加えて相手は国を破滅させた人物だという。
伝承がどこまで本当なのかは分からないけれど、この街に影響を与えかねない人物なのは間違いない。そんな危険人物を私はあろうことか、はぐれてしまったのだ。
これまでに起こしてしまった犯罪と、これから起こすかもしれない大罪。
二つの頑強な壁に挟まれ、今にも圧死してしまいそうだった。
「(私も悪い顔になってますか?)」
行き場を失った感情が漏れてしまう。
そのまま霧散して然るべき言葉のはずがリベラさんの耳には届いていたらしく、視線が合ってしまった。
「ガキの顔までは分からねぇ」
一瞥した後にまたどこかを向いてしまう。
「私はもう大人……」
……反射的に答えた口を噤《つぐ》む。単なる煽りとも取れる言葉なのに、何故か少し救われたような気がした。
「これじゃあどうしようもねぇ。いったん引き返すしか――」
「――コルダさ、ん?」
踵を返そうとした瞬間、聞きなれた声がした。
「ディーア。い、今帰りですか?」
大きな鞄を肩に掛けている。相当重量があるのか帯が深く食い込んでいる。
「う、うん。直後だと人が、多くて。それよりも、う平気?」
「えぇ。だいぶ楽になりました」
「なんだ学友がいたのか」
「しっ、失礼ですね……」
「はい。コルダさんと、は仲良くして頂い、てます」
「私の方こそ頭が上がりません」
「ふふっ、そうか。これからも仲良くしてやってくれ」
「はっは、いっ!」
微笑みかけるリベラさんに、ディーアは一段と背筋を伸ばす。二人の関係はさながら上官と下士官のようだった。
「あっ、あ、の!」
話題の区切りにディーアが切り出す。
背を屈め、胸の前で両手を組み、視線はリベラさんから離さずに真っ直ぐ見据えている。
「あっ、の。今朝の本! 救って頂きありがとうござい、ました!」
半ば悲鳴を上げるかのように感謝を述べたディーアは、そのままの勢いで走り去ってしまう。取り残された私達は顔を見合わせ、彼女の残した言葉を咀嚼した。
「あっ! そうだ、リベラさん。私、思い出しました。ぶつかった人、今朝の窃盗にいた人です。背が低い方の!」
「顔ならよく覚えてる。やってみるか」
さっきと同じ順序でガラス球を地面に落とす。すると今度は止まらずに、石畳の上をコロコロと転がっていく。
「成功したんですか?」
「ひとまずはな、あとは目を離さなければ良い。球の替えは無ぇからな」
「そういやぁよ。ォレも声を聞いたんだ。意識が途切れる間際でよ」
二人並んで球を追って歩いている最中、リベラさんはそう話を振ってきた。
「これまでに聞いたどの音よりも綺麗だった。もしかしてあれがパティナの声なのか?」
声色は普段よりも優しいのだけれど、話題は剣のように鋭い。どれが彼女の尾を踏むのか分からず、ただ黙って頷くしか出来なかった。
「アイツの声は美し過ぎる。だからな、余計に気掛かりなんだよ。もしかしたら魅了されちまったんじゃねぇかってな」
「そんな!」
「……理由があんだろ?」
思わず顔を窺うも、その表情は実に穏やかで怒る素振りも無い。彼女の視線はひたすらに転がる球へと注がれている。先生の部屋での詰問とは正反対の態度に困惑した。
「パティナさんは……」
再びチラリと顔を覗く。彼女は眉一つ変えず、黙々と歩いている。敵意が無いのを確認し、ようやく本題に入る決意を固めた。
「……パティナさんは、ずっとずっと、あの場所で待っていたんです。名前も知らない大切な人を。それでもその人はやって来なくて、代わりに私がやってきた。初めは返そうとしたんです! 本当です! でも、体の自由を奪われて、居るのかも分からないその人を、ただ……闇雲に探してました。
それから大切な人は先生だって、カエル先生だって分かったんです。でも同時に今までの罪状を知っちゃって……。『絶禁本の窃盗は除籍に加えて永久追放』なんですよね? それを聞いて、パティナさんは、私を解放してくれたんです。会える機会を犠牲にしてまで。あれだけ躍起になってたのに。あれだけ必死になっていたのに。だから……だから……」
「会わせてやろうと持ち出したのか」
またしても無言で何度も頷く。今度は視界がやけにぼやけていた。これまでの徒労によるものなのか、パティナさんに同情したのかは分からない。けれど心をここまで搔き乱されたのは確かだった。
「そうだな……パティナとはいつごろ出会った」
「今朝です。まだ玄関に幕があった頃」
「そんな早くからか!」
私の返答が意外だったのか、リベラさんは素で驚いたようで「そうか」と呟きながら一人考え込んでしまった。
カラリコロリと球が転がる音だけがする。
いつの間にか日は落ちてしまい、通りにはちらほらと照明石の薄ぼんやりとした明かりが灯る。回廊を吹く風は肌寒く、すっかり装いを変えてしまった。
もうすぐ知らない道に出る。
パティナさんは一体どこに居るのだろうか。
「信念ってのは持つよりも、貫く方が難しい」
通りの幅も、回廊の形も、石畳の大きさも変わってしまい、言い知れぬ不安に駆られた頃。リベラさんは口を開いた。
「困難で諦めちまう奴もいれば、脅されて捨てちまう奴もいる。それにパティナ。ァイツもお前を庇《かば》うために、結局は自分の信念を曲げちまった。だから信念は持つよりも、貫く方が難しいんだ。でもよ」
不自然に途切れる会話に釣られリベラさんの方を覗くと、お互い自然と目が合った。
「ォマエもまだ折れてねぇだろ?」
瑠璃《るり》色に輝く綺麗な瞳。その瞳から発せられる貫くような視線は、決して生まれ持った個性ではないのだとようやく気付いた。
「だがな、封印だけは解こうと思うな。それとこれとは別だからな、アイツに何を言われても……」
コロリと球が止まった。
視線を上げてみる。倉庫街というのだろうか。馬車が通れるほどの大きな玄関が備わった巨大な建物が通りに沿ってずらりと立ち並んでいる。既に終業しているのか、人影は全く無い。
「こっ、この近くに居るんですか?」
「たぶんな。だが普段はもっと近く、本人の目の前で止まるもんだ」
私以上に周囲を見回すリベラさん。その表情は非常に焦っていた。
「しかしどうする。一軒一軒回るにしたって倉庫じゃ鍵が――」
先程までの急流が嘘のように辺りの人影は疎《まば》らだ。探すにあたって邪魔が入らないのは良いのだが、困ったことに夜が来る。
十分な明かりがある今のうちにパティナさんを見つけられればいいのだが……。
「で、どこでぶつかったんだ?」
「確かこの辺だったと思うんですけど……」
先生の部屋へと赴く最中、男とぶつかった。時間にしてほんの僅かであったがパティナさんとはぐれるには十分だった。視界もかなり限定されており、唯一開けた場所といえば上しかない。半球状の天井が連なる回廊内はどこも似通っているため事件の正確な位置までは分からなかった。
真っ直ぐに伸びる長い通り。ざっと眺めてみても、あるのは無数の石畳だけ。
パティナさんがどこにも居ないのは明らかだった。
「仕方ねぇ。これでも使うか」
リベラさんは億劫そうにポケットから何かを取り出す。手にしたのは赤ちゃんの手にも収まるくらいの小さなガラス玉だった。
「なんです? これ」
「まぁ見てな」
リベラさんはガラス玉を軽く握り、少しだけ考え事をしたかと思うと、ガラス玉を地面へと落とす。
石畳と接触し硬質な音を鳴らしたガラス玉は、しばらく溝の間を転がり、やがて止まった。
「……あ?」
リベラさんはガラス玉を拾い上げると、もう一度同じ動作を繰り返す。けれどやはり結果は同じで、しばらく転がったあとに止まった。
「……コルダ。相手の顔は覚えてるか?」
「一瞬だったので何とも……でも人相は悪かったです」
「そりゃあそうだろ。泥棒の顔はそんなもんだ、本物の家族みてぇにな」
言葉が刺さる。
いくら自分の意志でパティナさんを持ち出したとはいえ、やってることはただの窃盗。それも絶禁本の窃盗だ。決して美化していい内容ではない。
加えて相手は国を破滅させた人物だという。
伝承がどこまで本当なのかは分からないけれど、この街に影響を与えかねない人物なのは間違いない。そんな危険人物を私はあろうことか、はぐれてしまったのだ。
これまでに起こしてしまった犯罪と、これから起こすかもしれない大罪。
二つの頑強な壁に挟まれ、今にも圧死してしまいそうだった。
「(私も悪い顔になってますか?)」
行き場を失った感情が漏れてしまう。
そのまま霧散して然るべき言葉のはずがリベラさんの耳には届いていたらしく、視線が合ってしまった。
「ガキの顔までは分からねぇ」
一瞥した後にまたどこかを向いてしまう。
「私はもう大人……」
……反射的に答えた口を噤《つぐ》む。単なる煽りとも取れる言葉なのに、何故か少し救われたような気がした。
「これじゃあどうしようもねぇ。いったん引き返すしか――」
「――コルダさ、ん?」
踵を返そうとした瞬間、聞きなれた声がした。
「ディーア。い、今帰りですか?」
大きな鞄を肩に掛けている。相当重量があるのか帯が深く食い込んでいる。
「う、うん。直後だと人が、多くて。それよりも、う平気?」
「えぇ。だいぶ楽になりました」
「なんだ学友がいたのか」
「しっ、失礼ですね……」
「はい。コルダさんと、は仲良くして頂い、てます」
「私の方こそ頭が上がりません」
「ふふっ、そうか。これからも仲良くしてやってくれ」
「はっは、いっ!」
微笑みかけるリベラさんに、ディーアは一段と背筋を伸ばす。二人の関係はさながら上官と下士官のようだった。
「あっ、あ、の!」
話題の区切りにディーアが切り出す。
背を屈め、胸の前で両手を組み、視線はリベラさんから離さずに真っ直ぐ見据えている。
「あっ、の。今朝の本! 救って頂きありがとうござい、ました!」
半ば悲鳴を上げるかのように感謝を述べたディーアは、そのままの勢いで走り去ってしまう。取り残された私達は顔を見合わせ、彼女の残した言葉を咀嚼した。
「あっ! そうだ、リベラさん。私、思い出しました。ぶつかった人、今朝の窃盗にいた人です。背が低い方の!」
「顔ならよく覚えてる。やってみるか」
さっきと同じ順序でガラス球を地面に落とす。すると今度は止まらずに、石畳の上をコロコロと転がっていく。
「成功したんですか?」
「ひとまずはな、あとは目を離さなければ良い。球の替えは無ぇからな」
「そういやぁよ。ォレも声を聞いたんだ。意識が途切れる間際でよ」
二人並んで球を追って歩いている最中、リベラさんはそう話を振ってきた。
「これまでに聞いたどの音よりも綺麗だった。もしかしてあれがパティナの声なのか?」
声色は普段よりも優しいのだけれど、話題は剣のように鋭い。どれが彼女の尾を踏むのか分からず、ただ黙って頷くしか出来なかった。
「アイツの声は美し過ぎる。だからな、余計に気掛かりなんだよ。もしかしたら魅了されちまったんじゃねぇかってな」
「そんな!」
「……理由があんだろ?」
思わず顔を窺うも、その表情は実に穏やかで怒る素振りも無い。彼女の視線はひたすらに転がる球へと注がれている。先生の部屋での詰問とは正反対の態度に困惑した。
「パティナさんは……」
再びチラリと顔を覗く。彼女は眉一つ変えず、黙々と歩いている。敵意が無いのを確認し、ようやく本題に入る決意を固めた。
「……パティナさんは、ずっとずっと、あの場所で待っていたんです。名前も知らない大切な人を。それでもその人はやって来なくて、代わりに私がやってきた。初めは返そうとしたんです! 本当です! でも、体の自由を奪われて、居るのかも分からないその人を、ただ……闇雲に探してました。
それから大切な人は先生だって、カエル先生だって分かったんです。でも同時に今までの罪状を知っちゃって……。『絶禁本の窃盗は除籍に加えて永久追放』なんですよね? それを聞いて、パティナさんは、私を解放してくれたんです。会える機会を犠牲にしてまで。あれだけ躍起になってたのに。あれだけ必死になっていたのに。だから……だから……」
「会わせてやろうと持ち出したのか」
またしても無言で何度も頷く。今度は視界がやけにぼやけていた。これまでの徒労によるものなのか、パティナさんに同情したのかは分からない。けれど心をここまで搔き乱されたのは確かだった。
「そうだな……パティナとはいつごろ出会った」
「今朝です。まだ玄関に幕があった頃」
「そんな早くからか!」
私の返答が意外だったのか、リベラさんは素で驚いたようで「そうか」と呟きながら一人考え込んでしまった。
カラリコロリと球が転がる音だけがする。
いつの間にか日は落ちてしまい、通りにはちらほらと照明石の薄ぼんやりとした明かりが灯る。回廊を吹く風は肌寒く、すっかり装いを変えてしまった。
もうすぐ知らない道に出る。
パティナさんは一体どこに居るのだろうか。
「信念ってのは持つよりも、貫く方が難しい」
通りの幅も、回廊の形も、石畳の大きさも変わってしまい、言い知れぬ不安に駆られた頃。リベラさんは口を開いた。
「困難で諦めちまう奴もいれば、脅されて捨てちまう奴もいる。それにパティナ。ァイツもお前を庇《かば》うために、結局は自分の信念を曲げちまった。だから信念は持つよりも、貫く方が難しいんだ。でもよ」
不自然に途切れる会話に釣られリベラさんの方を覗くと、お互い自然と目が合った。
「ォマエもまだ折れてねぇだろ?」
瑠璃《るり》色に輝く綺麗な瞳。その瞳から発せられる貫くような視線は、決して生まれ持った個性ではないのだとようやく気付いた。
「だがな、封印だけは解こうと思うな。それとこれとは別だからな、アイツに何を言われても……」
コロリと球が止まった。
視線を上げてみる。倉庫街というのだろうか。馬車が通れるほどの大きな玄関が備わった巨大な建物が通りに沿ってずらりと立ち並んでいる。既に終業しているのか、人影は全く無い。
「こっ、この近くに居るんですか?」
「たぶんな。だが普段はもっと近く、本人の目の前で止まるもんだ」
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