6 / 53
5:依頼
しおりを挟む
「街の空気が重いな」
オヤジが、しかめ面で窓外を眺めながら言った。
「そう? あたしには分からないけど」
「お前は鋭いが、少し鈍感なところがあるぞ」
外の景色から目をはなし、引きずる左足をかばうように杖をつきながら、ドン・イェンロンが振り向いた。
ドン・イェンロンはハナコたちの飼い主で、以前は九番に五つあるギャングのひとつ、〈イェンロンファミリー〉の頭目だった男である。
五年前の〈血の八月〉で負傷したために左足を不自由にしたドンは、嫡子である長男ではなく妾腹である次男に跡目を譲ったのちにファミリーを引退し、〈ツラブセ〉の部屋を引き払って、九番の南の外れにある〈バラック団地〉の一角に建てた、少しだけ大きなバラック小屋で悠々自適な隠居生活を送っている。
ドンいわく、「おれはここで生まれた。だからここで死ぬのは当然」なのだそうで、そのあとには決まって「高いところは空気が薄い。あそこにいると奴らのように頭が悪くなる」とほくそ笑む。
「ここに来て何年になる? 運び屋稼業をはじめたのは?」
「五年。運び屋になったのは四年前」
ドンは、ハナコが名前を呼ばれるのを許している数少ない人間の一人であり、そして唯一あたまの上がらない男でもある。
左足を難儀そうにさすりながら、ドンはため息をついた。
「それがなんなの?」
「体は成長しているようだが、中身はまだまだ子どもだな。もうすこし慎重にならなければいずれ死ぬぞ。ここでは特に、だ」
「トキオとおなじ説教しないでよ」
「……十日も前の話だから、今さら蒸し返したくもないが、ガンズへ依頼のブツを届ける際にコブシ一家の縄張りをとおったろう。安全な迂回路なんていくらでもあるだろうに、わざわざあそこをとおる理由が、おれには分からん」
「あそこがいちばんの近道だったんだからしょうがないだろ。それに、ブツはちゃんとガンズに届けたし」
「馬鹿者。結果ではなく、過程の話だ」
「……」
ドンの鋭い目に射竦められ、さすがに言い返せない。
「お前はトラマツをナメすぎだ。今はすこし鈍っているが、奴も五年前に右腕を失うまでは恐ろしく強い男だった。奴をナメていると、そのうち足元をすくわれるぞ。胸に刻み込んでおけ」
「はい、いま胸に刻み込みました」
「ハッハッハ、怒られてやんの」
後方の茶色い革張りのソファに座る、顔中にピアスをつけた、上下とも黒ジャージのモヒカン男が笑う。
「うるさいな、黙れ」
「おれにやらせてくれりゃよかったんですよ。おれならあんな道は通らない。なあ、チャコちゃん」
「そうね、あんた腰抜けだから」
爪ヤスリで爪をととのえながらモヒカン頭に素っ気なく返し、風船ガムを膨らますチャコ。
「ひでえなあ」
言って、モヒカン頭はチャコへ媚びるように卑屈な笑みを浮かべた。
男の名はケンジ・オクザキ。
ハナコたちとおなじく、ドンに飼われている四組の〈運び屋〉チームのひとつ、〈ケンジ・チャコペア〉の片割れで、普段は〈探偵〉をやっているが、そっちではほとんど稼ぎを上げていないらしい。一度そのことをからかってからというもの、ハナコのことを親の仇かのように憎んでいる、粘着質の男だ。
「チャコちゃん、頼むからさあ、たまには優しくしてくれよ」
「……」
チャコのあからさまなシカトに肩を落としたケンジは、八つ当たりでハナコを睨みつけた。
「お前のせいだからな」
「あんたが腰抜けだからだろ」
「テメエ――」
「二人ともやめろ」
ドンの静かな一喝に、室内がしんと静まりかえる。
「喧嘩は許さんぞ」
言い返そうと口を開くと、ドンにまた睨めつけられた。
加勢をたのむべく、となりで直立不動になっているトキオを横目で見やると、額には玉のような汗をかき、口を閉じたままドンの背後の窓をじっと見つめていた。
心の底からドンを崇め、そしておそ畏れている証拠だ。
どうやらトキオには加勢を頼めそうにもない。
「……すいませんでした。色々と反省しています」
「座れ」
表面上、殊勝な態度であやまったハナコは、ケンジを睨みつけながら、その隣のソファへトキオとともに座った。
「そんなことより、早く仕事の話をしてくれます? ここは蒸し暑いからはやく帰ってシャワーを浴びたいんです」
蜜の香る声で言って、ひとり冷静なチャコが爪ヤスリについた削りカスを息で吹き飛ばした。五日前の〈ショットガン・コヨーテ〉での狂宴でよっぽど疲れたのか、目の下にはうっすらとクマが浮き出ている。
この、全ての毛穴から色香が湧く女にご執心な男は、石を投げればぶつかるほど九番に溢れかえっている。マクブライトもその一人で、ハナコはことあるごとに「お前にはチャコちゃんのような色気がまったくない」とバカにされている。
「今回の依頼は、『ある地点まである人物を護送する』というものだ」
「いつもどおり、今回も詳しくは教えてもらえないんだね」
「詳細は知らなくていい。メインの護送は双子に任せる。ある人物の引き渡し場所は〈ツラブセ〉なんだが、双子は今、べつの任務中でな。それでお前らのどちらかに、その人物をここまで連れてきてもらいたい」
「んじゃ、おれたちが」
ケンジが、さも当然のように言う。
「待ちな。こっちはもう五日も仕事をしてないんだ。あたしらがやるよ」
「チャコちゃーん、このバカになんか言ってやってよ」
「わたしはどっちでもいい。運び屋は、小遣い稼ぎだから」
「お、おれは小遣い稼ぎじゃねえよ」
「夢に溺れて、儲かりもしない探偵なんかやってるのが悪いんじゃない? 何度も言ってるけど、憧れで飯が食えるほど、九番は甘くないのよ、名探偵さん」
チャコに身も蓋もないことを言われ、涙目のケンジ。
「……そうだな、ハナコ、お前らが行ってくれ」
ドンに頷いてケンジを見やると、その決定に抗弁する気力すら残っていないようにうなだれていた。心なしか、そのモヒカンまでもが萎れているように見える。
ケンジに少しだけ同情したが、それでも仕事はべつだ。
「今夜の八時には、受け取りが可能なよう手配しておく。頼んだぞ」
言って、ドンは煙草に火をつけた。
オヤジが、しかめ面で窓外を眺めながら言った。
「そう? あたしには分からないけど」
「お前は鋭いが、少し鈍感なところがあるぞ」
外の景色から目をはなし、引きずる左足をかばうように杖をつきながら、ドン・イェンロンが振り向いた。
ドン・イェンロンはハナコたちの飼い主で、以前は九番に五つあるギャングのひとつ、〈イェンロンファミリー〉の頭目だった男である。
五年前の〈血の八月〉で負傷したために左足を不自由にしたドンは、嫡子である長男ではなく妾腹である次男に跡目を譲ったのちにファミリーを引退し、〈ツラブセ〉の部屋を引き払って、九番の南の外れにある〈バラック団地〉の一角に建てた、少しだけ大きなバラック小屋で悠々自適な隠居生活を送っている。
ドンいわく、「おれはここで生まれた。だからここで死ぬのは当然」なのだそうで、そのあとには決まって「高いところは空気が薄い。あそこにいると奴らのように頭が悪くなる」とほくそ笑む。
「ここに来て何年になる? 運び屋稼業をはじめたのは?」
「五年。運び屋になったのは四年前」
ドンは、ハナコが名前を呼ばれるのを許している数少ない人間の一人であり、そして唯一あたまの上がらない男でもある。
左足を難儀そうにさすりながら、ドンはため息をついた。
「それがなんなの?」
「体は成長しているようだが、中身はまだまだ子どもだな。もうすこし慎重にならなければいずれ死ぬぞ。ここでは特に、だ」
「トキオとおなじ説教しないでよ」
「……十日も前の話だから、今さら蒸し返したくもないが、ガンズへ依頼のブツを届ける際にコブシ一家の縄張りをとおったろう。安全な迂回路なんていくらでもあるだろうに、わざわざあそこをとおる理由が、おれには分からん」
「あそこがいちばんの近道だったんだからしょうがないだろ。それに、ブツはちゃんとガンズに届けたし」
「馬鹿者。結果ではなく、過程の話だ」
「……」
ドンの鋭い目に射竦められ、さすがに言い返せない。
「お前はトラマツをナメすぎだ。今はすこし鈍っているが、奴も五年前に右腕を失うまでは恐ろしく強い男だった。奴をナメていると、そのうち足元をすくわれるぞ。胸に刻み込んでおけ」
「はい、いま胸に刻み込みました」
「ハッハッハ、怒られてやんの」
後方の茶色い革張りのソファに座る、顔中にピアスをつけた、上下とも黒ジャージのモヒカン男が笑う。
「うるさいな、黙れ」
「おれにやらせてくれりゃよかったんですよ。おれならあんな道は通らない。なあ、チャコちゃん」
「そうね、あんた腰抜けだから」
爪ヤスリで爪をととのえながらモヒカン頭に素っ気なく返し、風船ガムを膨らますチャコ。
「ひでえなあ」
言って、モヒカン頭はチャコへ媚びるように卑屈な笑みを浮かべた。
男の名はケンジ・オクザキ。
ハナコたちとおなじく、ドンに飼われている四組の〈運び屋〉チームのひとつ、〈ケンジ・チャコペア〉の片割れで、普段は〈探偵〉をやっているが、そっちではほとんど稼ぎを上げていないらしい。一度そのことをからかってからというもの、ハナコのことを親の仇かのように憎んでいる、粘着質の男だ。
「チャコちゃん、頼むからさあ、たまには優しくしてくれよ」
「……」
チャコのあからさまなシカトに肩を落としたケンジは、八つ当たりでハナコを睨みつけた。
「お前のせいだからな」
「あんたが腰抜けだからだろ」
「テメエ――」
「二人ともやめろ」
ドンの静かな一喝に、室内がしんと静まりかえる。
「喧嘩は許さんぞ」
言い返そうと口を開くと、ドンにまた睨めつけられた。
加勢をたのむべく、となりで直立不動になっているトキオを横目で見やると、額には玉のような汗をかき、口を閉じたままドンの背後の窓をじっと見つめていた。
心の底からドンを崇め、そしておそ畏れている証拠だ。
どうやらトキオには加勢を頼めそうにもない。
「……すいませんでした。色々と反省しています」
「座れ」
表面上、殊勝な態度であやまったハナコは、ケンジを睨みつけながら、その隣のソファへトキオとともに座った。
「そんなことより、早く仕事の話をしてくれます? ここは蒸し暑いからはやく帰ってシャワーを浴びたいんです」
蜜の香る声で言って、ひとり冷静なチャコが爪ヤスリについた削りカスを息で吹き飛ばした。五日前の〈ショットガン・コヨーテ〉での狂宴でよっぽど疲れたのか、目の下にはうっすらとクマが浮き出ている。
この、全ての毛穴から色香が湧く女にご執心な男は、石を投げればぶつかるほど九番に溢れかえっている。マクブライトもその一人で、ハナコはことあるごとに「お前にはチャコちゃんのような色気がまったくない」とバカにされている。
「今回の依頼は、『ある地点まである人物を護送する』というものだ」
「いつもどおり、今回も詳しくは教えてもらえないんだね」
「詳細は知らなくていい。メインの護送は双子に任せる。ある人物の引き渡し場所は〈ツラブセ〉なんだが、双子は今、べつの任務中でな。それでお前らのどちらかに、その人物をここまで連れてきてもらいたい」
「んじゃ、おれたちが」
ケンジが、さも当然のように言う。
「待ちな。こっちはもう五日も仕事をしてないんだ。あたしらがやるよ」
「チャコちゃーん、このバカになんか言ってやってよ」
「わたしはどっちでもいい。運び屋は、小遣い稼ぎだから」
「お、おれは小遣い稼ぎじゃねえよ」
「夢に溺れて、儲かりもしない探偵なんかやってるのが悪いんじゃない? 何度も言ってるけど、憧れで飯が食えるほど、九番は甘くないのよ、名探偵さん」
チャコに身も蓋もないことを言われ、涙目のケンジ。
「……そうだな、ハナコ、お前らが行ってくれ」
ドンに頷いてケンジを見やると、その決定に抗弁する気力すら残っていないようにうなだれていた。心なしか、そのモヒカンまでもが萎れているように見える。
ケンジに少しだけ同情したが、それでも仕事はべつだ。
「今夜の八時には、受け取りが可能なよう手配しておく。頼んだぞ」
言って、ドンは煙草に火をつけた。
0
あなたにおすすめの小説
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる