7 / 53
6:ツラブセ
しおりを挟む
その夜。
何ごともなくツラブセまで辿り着き、
「奴ら、今回も来なかったね」
と、ハナコはため息をついた。
「コブシ一家ですか?」
トキオが訊く。
「そう。ちょっとやりすぎたかな?」
「来ないなら来ないでいいんじゃないっすかねえ」
「適度な運動は身体に良いし、それにダイエットにもなるんだよ。最近、ちょっとお腹に贅肉がついてきたからね」
「へえ、意外ですね。ネエさん、男の目を気にするタイプじゃないと思ってました。ああ、それに一つ教えてあげますけど、男は少しポッチャリくらいの女が好きなんですよ」
「あんた、ホントに女心が分かってないね。一つ教えといてあげる。もし男がこの世からぜんぶいなくなっても、女はダイエットをやめないよ、絶対に」
「どういう意味ですか?」
「分からないならいいよ」
興を削がれた顔で、ハナコは淡い月明かりに照らされたツラブセを見上げた。そのまま天国まで行けるのじゃないか、と思うほどの威容を湛えてそびえ立っている。
「あ、ネエさん、気球が浮いてますよ」
呑気に言うトキオの視線のさき、はるか上空に、暗くて見えにくいが、たしかに気球のような黒い影が浮いているのが見えた。
「新しい住人でもやってきたんだろ」
「わざわざ屋上から入るんすか?」
「そのほうが安全だろ、入り口から入るより」
トキオは納得がいかぬとばかりに首を傾げたが、ハナコにはそんなことはどうでもよかった。
――早く帰りたい。
そう思いながら視線を落とした大きな玄関口には、数人の警備員の姿。
九番を根城にする五つの組織と、〈ツラブセ〉の英雄たちの代表であるムゲン・モチダによって作られた組織同盟――《朔日の六傑会》――には、各組織から任意に集められた者たちによって、民間警察が作られている。
主に九番の治安維持のために作られた民警ではあるが、その重要な任務のひとつにツラブセの警備がある。そのため四六時中、シフトを組んで出向してきた民警が、ツラブセの警備にあたっているが、いつ来ても、どの警備員もが、見るからに重そうな機関銃を肩からぶら下げている。
〈クニオ共和国〉では一般人による銃器の所持は極端に制限されていて、ましてや九番の下々まで回ってくるのはほとんど稀だ。
それだけでも、ここにはとてつもない権力を持った人間が住んでいることが分かる。
「いつ来ても、なんか緊張しますね」
「ふん、べつに取って食われるわけじゃないだろ」
言って、ハナコは玄関口に向かった。
「止まれ」
くわえ煙草の、アゴヒゲをたくわえた警備員が銃口を向ける。
「ブツを受け取りに来ました」
手を上げたまま目で促すと、トキオが鞄から依頼書を取りだして、アゴヒゲにうやうやしく差し出した。
「検める」
アゴヒゲはトキオから受け取った依頼書へなおざりに目をとおしてから、脇の木製テーブルにそれをぞんざいに放り投げ、両手をあげたままのハナコの体をくまなく検めだした。明らかに度を超えて触りすぎだが、下手にあらがってアゴヒゲの不興を買うのは得策ではないので、じっとガマンをしていると、
「よし、オーケーだ」
と、勢いよく尻を叩かれた。
「来い。余計なまねはするなよ」
「はいはい、分かってますよ」
アゴヒゲの先導にしたがって、ロココ調の大きなシャンデリアが垂れ下がる、瀟洒な玄関ホールを抜けてエレベーターに乗り込む。アゴヒゲは、おびただしくならぶボタンの中の“60”と書かれたボタンを押し、エレベーターのドアが閉まると、うしろに並んで立つハナコたちに銃を向け、手を上げるよう命じた。
「今日はいつにもまして厳戒態勢ね。なにかあったの?」
手を上げながら訊くと、
「二日前から、全フロアの監視カメラがまったく使い物にならないんだ。今夜でようやく直るらしいんだが、そのせいで、こっちはシフトがめちゃくちゃよ」
と、不機嫌に返された。
ツラブセにブツを運ぶ仕事は多く、そのためにアゴヒゲとも顔見知りだったが、目の下にクマができているのは初めて見る。きっと、睡眠時間をけずって警備に当たらされているのだろう。
「ただの故障でも、ここじゃ一大事ってわけですねえ」
トキオがのんきに言うと、
「いや、噂じゃ、あの〈レーダーマッキー〉の野郎に監視カメラのシステム系統をハッキングされてぶっ壊されたとかなんとか、みんなして言ってる。そうだとしても、さっぱり目的が分からんから、おれは信じちゃいないがな」
と、アゴヒゲが応えた。
「でも〈レーダーマッキー〉って、都市伝説みたいなもんでしょう」
トキオが言う。
「何年か前に、清純派アイドルの、かなりエグめの流出ハメ撮り動画を、電波ジャックでテレビに流したことがありましたけど、結局、ヤツが捕まったっていう話は聞きませんしね。巷では、天才的な才能をすべてイタズラに費やしている、かなり悪質な電脳犯罪者とか言われているらしいですけど、おれはその顔写真すら、未だに見たことがないっすよ」
「おれもだよ」
アゴヒゲがニヤリと口の端を上げた。
「まあ九番のほとんどの連中は、不可解な事象にたいして、真剣に考えることを放棄しちまってるんだな。だから〈レーダーマッキー〉やら〈笛吹き男〉だなんていう、愚にもつかないバケモノが、そこらじゅうで望まれない産声を上げるのさ」
わけしり顔のアゴヒゲに視線を向けられたが、ハナコはその手の話にはまったく興味がなかったから、適当にうなずいて返した。
到着を告げるベルが鳴りドアが開くと、その先に伸びる、赤絨毯が敷かれた長い廊下にも警備員がウジャウジャとしていた。アゴヒゲは、モミアゲのたくましい警備員に二人を引き渡すと、任務完了とばかりに、さっさとエレベーターに戻っていった。
「こんなときだってのに、外からの訪問者を歓迎するなんてな。モチダ様も、ずいぶんと太平楽な御仁だよ」
モミアゲがこぼした愚痴に、トキオが追従の笑みを浮かべる。
「依頼の人物はどこにいるんですか?」
トキオが訊くと、
「いちばん奥の部屋だ」
モミアゲが廊下の先を指さした――
――次の刹那、
最奥の部屋の壁が轟音とともに崩れ、そこから黒ずくめの男が吹き飛ばされて反対側の壁に勢いよく叩きつけられた。
よほどの衝撃だったのか、ぶち当たった壁がえぐれ、突っ伏す黒ずくめに、砕けた破片が粉雪のごとく降りかかった。
青天の霹靂に、廊下にいたすべての者が呆気にとられていると、間髪を入れず、最奥の部屋のドアから二人の黒い軍服があらわれ、体勢を整えようとしている黒ずくめに機関銃を向けた。
「伏せていろ!」
モミアゲの怒鳴り声で、ハナコたちは廊下の端に身を伏せた。
「侵入者だ!」
モミアゲの声に、金縛りになったかのように動けなくなっていた警備員たちが、我に返って、一斉に侵入者たちへ銃口を向けた。
「なんなんですか、アレは?」
トキオが言う。
「あたしに分かるわけないだろ」
ハナコは必死に冷静さを保ちながら、黒ずくめを観察した。
不気味なソレはいつのまにか立ち上がっていて、二人の軍服と対峙していた。
その両手には、鈍色に光る鉤手のようなナイフを持っている。
「き、貴様ら動くな!」
モミアゲの怒声に二人の軍服が反応し、警備員たちのほうへ銃を向け、なんの躊躇いもなく発砲した。
銃弾を浴びた数人の警備員が、血色の肉片をまき散らしながらくずれおち、興奮状態に陥った警備員たちが応戦をはじめた。
おびただしい銃弾によって蜂の巣にされた二人の軍服が、のけ反りながら廊下に倒れたが、黒ずくめは、その銃弾の雨をものともせずに、人とはとうてい思えぬ動きで、次々と警備員たちの首から血色の花を咲かせていく。
「そんな……」
ハナコが声を漏らしたときには、伏せる二人の眼前に立つ黒ずくめの他に、立っている者はただの一人もいなくなっていた。
目の前に、カッと目を見開いたままのモミアゲが崩れ落ちている。
不条理な恐怖に体が震えそうになるのを必死に抑えつけながら視線を上げると、黒ずくめは顔をスッポリと覆うガスマスクのようなものの、その口の部分から背中に伸びる黒いチューブから、くぐもった呼吸音を漏らしていた。赤く光る目の部分はカメラレンズになっていて、そのファインダーが機械音を上げながら、ハナコたちを不気味に捉えている。
「なんだ、おま――」
言いかけると、右手で喉元を掴まれ、ハナコはそのまま黒ずくめに軽々と持ち上げられた。
喉がきつく絞まり、呼吸がまるでできない。
「は、離せ!」
飛びかかるトキオを、黒ずくめが左手で払いのけた。
その膂力は凄まじく、トキオは壁にしこたま打ちつけられて、そのまま悶えた。
「動くな、賊!」
意識の飛びかけたハナコの耳に、聞き覚えのある声が響く。
朦朧としながら、声のした、奥から二番目の部屋に目を向けると、ブリーフ一丁で拳銃をかまえたムゲン・モチダの、威風堂々たる姿がそこにあった。
ハナコと視線が合うと、ムゲンは下卑た笑みを浮かべ、
「また会ったな、お姉さん」
と言って、黒ずくめに向かって発砲した。
しかし背中に銃弾を受けたにもかかわらず、黒ずくめは微動だにしなかった――
――バケモノ
死を感じ、ハナコはついに体の震えを抑えきれなくなった。
「こっちを向け、成敗してやる!」
銃撃が効いていないのを知ってか知らずか、ムゲンが啖呵を切って滅多矢鱈に発砲すると、そのうちの一発が黒ずくめの背中のチューブに当たり、白い液体が吹き上がった。
一瞬、黒ずくめがひるむ。
その隙をついて、ハナコは黒ずくめの鳩尾に渾身の力を込めて警棒を突き当てた。右手がゆるみ、解放されたハナコは、へたり込んで胃液を廊下にぶちまけた。
「ガハハ、どうだバケモノめ!」
ムゲンの高笑いが廊下に響き渡る。
よろめきながら、ムゲンに顔を向ける黒ずくめ。
そのマスクに覆われた顔を見たムゲンの表情が、見る見る間に青ざめていった。
「バ、バカな、なぜお前が――」
次の瞬間、ムゲンの首から血色の花が咲いていた。
黒ずくめにすがりつくようにして廊下へ突っ伏すムゲン。
黒ずくめは少しよろけながら、未だ息のある英雄を一顧だにせず、開いたドアへ向かった。
「ま、待て……」
ハナコは声を振りしぼって呼び止めたが、黒ずくめは、まるで意に介さずそのままムゲンの部屋に消えた。部屋からは銃声が聞こえたがすぐに止み、間もなく窓ガラスの割れる音が聞こえ、廊下は静寂に包まれた。
ハナコはよろめきながらも立ち上がり、胃液のついた口元をぬぐって、転がる死体のあいだを縫いながらムゲンに近寄った。
「おい、大丈夫か?」
血走る目を見開いたムゲンは、ハナコに視線を移し、
「ピ、ピクシー……」
と、かすれ声で呟いて、血を噴水のように吐き出しながら息絶えた。
「くそ、なんだっていうんだよ」
ハナコは痛む喉をさすって、開いたドアからムゲンの部屋をのぞき見た。
警護の黒スーツたちの死体が転がり、その先に見える割れた窓からは風が吹き込んで、カーテンを揺らしている。
そこに、もう黒ずくめの姿は見当たらなかった。
「ネエさん!」
トキオが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかね。それより――」
最奥の部屋へ向かうハナコ。
ドアの横に立って、警棒をかまえると、
「は、入る気ですか?」
となりに立った頼りない相棒が、声を震わせる。
「ああ」
言って、ハナコは開いたドアから室内へと足を踏み入れた。
その廊下にはみっつの黒服の死体が転がり、あたりは血の海と化していた。
ハナコは警棒を強く握りなおし、死体をまたぎながら部屋の奥へと向かった。
天井で三枚羽の循環ファンが回る大きな居間に出ると、そこに黒服の死体が三体と、いくつかの軍服の死体が転がり、それらに囲まれるようにして――
――青いワンピースの少女が佇んでいた。
少女が虚ろな表情で、空よりも青い瞳をハナコに向けた。
一瞬、あの絵本を思い出す。
「やっと、来てくれた……」
少女が破顔した――ように見えた。
言葉の意味するところが分からないまま、場違いなほど清廉な少女に目を奪われていると、不意に何者かにくるぶしを弱々しく掴まれた。見ると、側頭部に古い手術痕が残る中年の女が、うつぶせで倒れていた。喉元を裂き切られている女は、虫の息でハナコを見上げながら、なにか言いたげに口をパクパクと動かした。
耳を近づけると、
「その子を頼みます……」
と、苦しそうにささやき、女は、目を見開いたまま動かなくなった。
「……」
ワケも分からずにいると、ふと力が抜けたかのように少女がくずおれた。
すんでのところで、ハナコは少女を抱きとめた。
間近で見る少女は、やはりここには場違いだった。
「ピクシー……」
ハナコは独りごち、廊下から向かってくるトキオを見た。
「こ、この娘が例の……?」
トキオに頷くと、廊下から、エレベーターの到着ベルが聞こえた。
すぐに大勢の足音が聞こえ、
「お前ら、そこを動くな!」
と、入り口で銃をかまえた警備員に、怒声を浴びせかけられた。
「ど、どうします?」
「……やっと使うときがきたみたいね」
「は、はい?」
「煙玉だ」
「え、あ…… マジですか?」
ハナコは少女を肩に担ぐと、立ち上がってそのままトキオにおぶらせ、ゆっくりと深呼吸をして、警棒を強く握り直し、
「ああ、マジだ」
と、言った。
何ごともなくツラブセまで辿り着き、
「奴ら、今回も来なかったね」
と、ハナコはため息をついた。
「コブシ一家ですか?」
トキオが訊く。
「そう。ちょっとやりすぎたかな?」
「来ないなら来ないでいいんじゃないっすかねえ」
「適度な運動は身体に良いし、それにダイエットにもなるんだよ。最近、ちょっとお腹に贅肉がついてきたからね」
「へえ、意外ですね。ネエさん、男の目を気にするタイプじゃないと思ってました。ああ、それに一つ教えてあげますけど、男は少しポッチャリくらいの女が好きなんですよ」
「あんた、ホントに女心が分かってないね。一つ教えといてあげる。もし男がこの世からぜんぶいなくなっても、女はダイエットをやめないよ、絶対に」
「どういう意味ですか?」
「分からないならいいよ」
興を削がれた顔で、ハナコは淡い月明かりに照らされたツラブセを見上げた。そのまま天国まで行けるのじゃないか、と思うほどの威容を湛えてそびえ立っている。
「あ、ネエさん、気球が浮いてますよ」
呑気に言うトキオの視線のさき、はるか上空に、暗くて見えにくいが、たしかに気球のような黒い影が浮いているのが見えた。
「新しい住人でもやってきたんだろ」
「わざわざ屋上から入るんすか?」
「そのほうが安全だろ、入り口から入るより」
トキオは納得がいかぬとばかりに首を傾げたが、ハナコにはそんなことはどうでもよかった。
――早く帰りたい。
そう思いながら視線を落とした大きな玄関口には、数人の警備員の姿。
九番を根城にする五つの組織と、〈ツラブセ〉の英雄たちの代表であるムゲン・モチダによって作られた組織同盟――《朔日の六傑会》――には、各組織から任意に集められた者たちによって、民間警察が作られている。
主に九番の治安維持のために作られた民警ではあるが、その重要な任務のひとつにツラブセの警備がある。そのため四六時中、シフトを組んで出向してきた民警が、ツラブセの警備にあたっているが、いつ来ても、どの警備員もが、見るからに重そうな機関銃を肩からぶら下げている。
〈クニオ共和国〉では一般人による銃器の所持は極端に制限されていて、ましてや九番の下々まで回ってくるのはほとんど稀だ。
それだけでも、ここにはとてつもない権力を持った人間が住んでいることが分かる。
「いつ来ても、なんか緊張しますね」
「ふん、べつに取って食われるわけじゃないだろ」
言って、ハナコは玄関口に向かった。
「止まれ」
くわえ煙草の、アゴヒゲをたくわえた警備員が銃口を向ける。
「ブツを受け取りに来ました」
手を上げたまま目で促すと、トキオが鞄から依頼書を取りだして、アゴヒゲにうやうやしく差し出した。
「検める」
アゴヒゲはトキオから受け取った依頼書へなおざりに目をとおしてから、脇の木製テーブルにそれをぞんざいに放り投げ、両手をあげたままのハナコの体をくまなく検めだした。明らかに度を超えて触りすぎだが、下手にあらがってアゴヒゲの不興を買うのは得策ではないので、じっとガマンをしていると、
「よし、オーケーだ」
と、勢いよく尻を叩かれた。
「来い。余計なまねはするなよ」
「はいはい、分かってますよ」
アゴヒゲの先導にしたがって、ロココ調の大きなシャンデリアが垂れ下がる、瀟洒な玄関ホールを抜けてエレベーターに乗り込む。アゴヒゲは、おびただしくならぶボタンの中の“60”と書かれたボタンを押し、エレベーターのドアが閉まると、うしろに並んで立つハナコたちに銃を向け、手を上げるよう命じた。
「今日はいつにもまして厳戒態勢ね。なにかあったの?」
手を上げながら訊くと、
「二日前から、全フロアの監視カメラがまったく使い物にならないんだ。今夜でようやく直るらしいんだが、そのせいで、こっちはシフトがめちゃくちゃよ」
と、不機嫌に返された。
ツラブセにブツを運ぶ仕事は多く、そのためにアゴヒゲとも顔見知りだったが、目の下にクマができているのは初めて見る。きっと、睡眠時間をけずって警備に当たらされているのだろう。
「ただの故障でも、ここじゃ一大事ってわけですねえ」
トキオがのんきに言うと、
「いや、噂じゃ、あの〈レーダーマッキー〉の野郎に監視カメラのシステム系統をハッキングされてぶっ壊されたとかなんとか、みんなして言ってる。そうだとしても、さっぱり目的が分からんから、おれは信じちゃいないがな」
と、アゴヒゲが応えた。
「でも〈レーダーマッキー〉って、都市伝説みたいなもんでしょう」
トキオが言う。
「何年か前に、清純派アイドルの、かなりエグめの流出ハメ撮り動画を、電波ジャックでテレビに流したことがありましたけど、結局、ヤツが捕まったっていう話は聞きませんしね。巷では、天才的な才能をすべてイタズラに費やしている、かなり悪質な電脳犯罪者とか言われているらしいですけど、おれはその顔写真すら、未だに見たことがないっすよ」
「おれもだよ」
アゴヒゲがニヤリと口の端を上げた。
「まあ九番のほとんどの連中は、不可解な事象にたいして、真剣に考えることを放棄しちまってるんだな。だから〈レーダーマッキー〉やら〈笛吹き男〉だなんていう、愚にもつかないバケモノが、そこらじゅうで望まれない産声を上げるのさ」
わけしり顔のアゴヒゲに視線を向けられたが、ハナコはその手の話にはまったく興味がなかったから、適当にうなずいて返した。
到着を告げるベルが鳴りドアが開くと、その先に伸びる、赤絨毯が敷かれた長い廊下にも警備員がウジャウジャとしていた。アゴヒゲは、モミアゲのたくましい警備員に二人を引き渡すと、任務完了とばかりに、さっさとエレベーターに戻っていった。
「こんなときだってのに、外からの訪問者を歓迎するなんてな。モチダ様も、ずいぶんと太平楽な御仁だよ」
モミアゲがこぼした愚痴に、トキオが追従の笑みを浮かべる。
「依頼の人物はどこにいるんですか?」
トキオが訊くと、
「いちばん奥の部屋だ」
モミアゲが廊下の先を指さした――
――次の刹那、
最奥の部屋の壁が轟音とともに崩れ、そこから黒ずくめの男が吹き飛ばされて反対側の壁に勢いよく叩きつけられた。
よほどの衝撃だったのか、ぶち当たった壁がえぐれ、突っ伏す黒ずくめに、砕けた破片が粉雪のごとく降りかかった。
青天の霹靂に、廊下にいたすべての者が呆気にとられていると、間髪を入れず、最奥の部屋のドアから二人の黒い軍服があらわれ、体勢を整えようとしている黒ずくめに機関銃を向けた。
「伏せていろ!」
モミアゲの怒鳴り声で、ハナコたちは廊下の端に身を伏せた。
「侵入者だ!」
モミアゲの声に、金縛りになったかのように動けなくなっていた警備員たちが、我に返って、一斉に侵入者たちへ銃口を向けた。
「なんなんですか、アレは?」
トキオが言う。
「あたしに分かるわけないだろ」
ハナコは必死に冷静さを保ちながら、黒ずくめを観察した。
不気味なソレはいつのまにか立ち上がっていて、二人の軍服と対峙していた。
その両手には、鈍色に光る鉤手のようなナイフを持っている。
「き、貴様ら動くな!」
モミアゲの怒声に二人の軍服が反応し、警備員たちのほうへ銃を向け、なんの躊躇いもなく発砲した。
銃弾を浴びた数人の警備員が、血色の肉片をまき散らしながらくずれおち、興奮状態に陥った警備員たちが応戦をはじめた。
おびただしい銃弾によって蜂の巣にされた二人の軍服が、のけ反りながら廊下に倒れたが、黒ずくめは、その銃弾の雨をものともせずに、人とはとうてい思えぬ動きで、次々と警備員たちの首から血色の花を咲かせていく。
「そんな……」
ハナコが声を漏らしたときには、伏せる二人の眼前に立つ黒ずくめの他に、立っている者はただの一人もいなくなっていた。
目の前に、カッと目を見開いたままのモミアゲが崩れ落ちている。
不条理な恐怖に体が震えそうになるのを必死に抑えつけながら視線を上げると、黒ずくめは顔をスッポリと覆うガスマスクのようなものの、その口の部分から背中に伸びる黒いチューブから、くぐもった呼吸音を漏らしていた。赤く光る目の部分はカメラレンズになっていて、そのファインダーが機械音を上げながら、ハナコたちを不気味に捉えている。
「なんだ、おま――」
言いかけると、右手で喉元を掴まれ、ハナコはそのまま黒ずくめに軽々と持ち上げられた。
喉がきつく絞まり、呼吸がまるでできない。
「は、離せ!」
飛びかかるトキオを、黒ずくめが左手で払いのけた。
その膂力は凄まじく、トキオは壁にしこたま打ちつけられて、そのまま悶えた。
「動くな、賊!」
意識の飛びかけたハナコの耳に、聞き覚えのある声が響く。
朦朧としながら、声のした、奥から二番目の部屋に目を向けると、ブリーフ一丁で拳銃をかまえたムゲン・モチダの、威風堂々たる姿がそこにあった。
ハナコと視線が合うと、ムゲンは下卑た笑みを浮かべ、
「また会ったな、お姉さん」
と言って、黒ずくめに向かって発砲した。
しかし背中に銃弾を受けたにもかかわらず、黒ずくめは微動だにしなかった――
――バケモノ
死を感じ、ハナコはついに体の震えを抑えきれなくなった。
「こっちを向け、成敗してやる!」
銃撃が効いていないのを知ってか知らずか、ムゲンが啖呵を切って滅多矢鱈に発砲すると、そのうちの一発が黒ずくめの背中のチューブに当たり、白い液体が吹き上がった。
一瞬、黒ずくめがひるむ。
その隙をついて、ハナコは黒ずくめの鳩尾に渾身の力を込めて警棒を突き当てた。右手がゆるみ、解放されたハナコは、へたり込んで胃液を廊下にぶちまけた。
「ガハハ、どうだバケモノめ!」
ムゲンの高笑いが廊下に響き渡る。
よろめきながら、ムゲンに顔を向ける黒ずくめ。
そのマスクに覆われた顔を見たムゲンの表情が、見る見る間に青ざめていった。
「バ、バカな、なぜお前が――」
次の瞬間、ムゲンの首から血色の花が咲いていた。
黒ずくめにすがりつくようにして廊下へ突っ伏すムゲン。
黒ずくめは少しよろけながら、未だ息のある英雄を一顧だにせず、開いたドアへ向かった。
「ま、待て……」
ハナコは声を振りしぼって呼び止めたが、黒ずくめは、まるで意に介さずそのままムゲンの部屋に消えた。部屋からは銃声が聞こえたがすぐに止み、間もなく窓ガラスの割れる音が聞こえ、廊下は静寂に包まれた。
ハナコはよろめきながらも立ち上がり、胃液のついた口元をぬぐって、転がる死体のあいだを縫いながらムゲンに近寄った。
「おい、大丈夫か?」
血走る目を見開いたムゲンは、ハナコに視線を移し、
「ピ、ピクシー……」
と、かすれ声で呟いて、血を噴水のように吐き出しながら息絶えた。
「くそ、なんだっていうんだよ」
ハナコは痛む喉をさすって、開いたドアからムゲンの部屋をのぞき見た。
警護の黒スーツたちの死体が転がり、その先に見える割れた窓からは風が吹き込んで、カーテンを揺らしている。
そこに、もう黒ずくめの姿は見当たらなかった。
「ネエさん!」
トキオが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかね。それより――」
最奥の部屋へ向かうハナコ。
ドアの横に立って、警棒をかまえると、
「は、入る気ですか?」
となりに立った頼りない相棒が、声を震わせる。
「ああ」
言って、ハナコは開いたドアから室内へと足を踏み入れた。
その廊下にはみっつの黒服の死体が転がり、あたりは血の海と化していた。
ハナコは警棒を強く握りなおし、死体をまたぎながら部屋の奥へと向かった。
天井で三枚羽の循環ファンが回る大きな居間に出ると、そこに黒服の死体が三体と、いくつかの軍服の死体が転がり、それらに囲まれるようにして――
――青いワンピースの少女が佇んでいた。
少女が虚ろな表情で、空よりも青い瞳をハナコに向けた。
一瞬、あの絵本を思い出す。
「やっと、来てくれた……」
少女が破顔した――ように見えた。
言葉の意味するところが分からないまま、場違いなほど清廉な少女に目を奪われていると、不意に何者かにくるぶしを弱々しく掴まれた。見ると、側頭部に古い手術痕が残る中年の女が、うつぶせで倒れていた。喉元を裂き切られている女は、虫の息でハナコを見上げながら、なにか言いたげに口をパクパクと動かした。
耳を近づけると、
「その子を頼みます……」
と、苦しそうにささやき、女は、目を見開いたまま動かなくなった。
「……」
ワケも分からずにいると、ふと力が抜けたかのように少女がくずおれた。
すんでのところで、ハナコは少女を抱きとめた。
間近で見る少女は、やはりここには場違いだった。
「ピクシー……」
ハナコは独りごち、廊下から向かってくるトキオを見た。
「こ、この娘が例の……?」
トキオに頷くと、廊下から、エレベーターの到着ベルが聞こえた。
すぐに大勢の足音が聞こえ、
「お前ら、そこを動くな!」
と、入り口で銃をかまえた警備員に、怒声を浴びせかけられた。
「ど、どうします?」
「……やっと使うときがきたみたいね」
「は、はい?」
「煙玉だ」
「え、あ…… マジですか?」
ハナコは少女を肩に担ぐと、立ち上がってそのままトキオにおぶらせ、ゆっくりと深呼吸をして、警棒を強く握り直し、
「ああ、マジだ」
と、言った。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
追放聖女だってお茶したい!─セカンドライフはティーサロン経営を志望中─
石田空
ファンタジー
「ミーナ今までありがとう。聖女の座を降りてもらおう」
貴族の利権関係が原因でいきなり聖女をクビになった庶民出身のミーナ。その上あてがわれた婚約者のルカは甘味嫌いで食の趣味が合わない。
「嫌! 人の横暴に付き合うのはもうこりごり! 私は逃げます!」
かくしてミーナは神殿から脱走し、ティーサロン経営のために奔走しはじめた。
ときどき舞い込んでくるトラブル。
慌ててミーナを探しているルカ。
果たしてミーナは理想のセカンドライフを歩めるのか。
甘いお菓子とお茶。そしてちょっとの恋模様。
*サイトより転載になります。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる