ハナコ・プランバーゴ

ノコギリマン

文字の大きさ
19 / 53

18:ゆとり特区

しおりを挟む
 カーチェイスから一時間が過ぎようとしているが、窓の外には未だ、雲が作り出す薄墨色うすずみいろと、荒野の赤色のほかに色がない。

 とりあえずの応急処置をしたトキオはあれからずっと無言のままだ。憔悴しているのだろう、顔面が幽鬼のように青ざめている。そのとなりのアリスも、依然として口を真一文字まいちもんじにかたく引き結んでなにも話そうとせず、たまに思い出したようにして、笑い袋を笑わせている。

 感情を伴わない笑い声というものが、これほどまで苛立ちに拍車をかけるものだとは思わなかった。それだけならまだしも、お喋りのマクブライトですらも押し黙っているせいで、車内は信じられないくらいの気まずさに包みこまれている。

 こういう時、なにか気でも紛れるようなことが言えればいいのだろうが、あいにくとハナコにはそういった機知が絶望的に足らなかった。

 もう何度もした、いくつかある仕事中のマヌケな失敗談でも話そうかと逡巡していると、

「すいません、おれのせいで……」

 と、項垂うなだれていたトキオが顔を上げて、力なく言った。

「まあ、おれたちの仕事には、こういうトラブルはつきものだ。そんなことより、ケガのほうはどうだ?」

 マクブライトに言おうとしていたことを二つとも言われてしまったハナコは、無言のままうしろを振り返り、目を合わせながら小さくうなずいてみせた。トキオは、赤く染まる包帯ごしに傷口のあたりをそっと撫でて、ハナコにうなずき返してきた。

「思ったよりも深い傷ではなかったから、この痛みにさえ慣れれば大丈夫ですよ。それにまあ、傷口はいちおう止めましたからね」

 言って、ホッチキスで傷口を留めるジェスチャーをしたトキオが、明らかに空元気ではあるが、ようやく笑顔を見せた。

「まあ、アイツのことはもういい。あんたとのあいだに何があったかも、べつに訊きたくないしな。残念だけど、不幸話は間に合ってる」
「……ええ、そうですね。もう過去のことです」

 トキオがなんとか大丈夫そうだと分かりホッとしたが、よく考えるまでもなく、最短ルートを逸れてしまった事実は覆らない。

「で、どうするんだ?」

 気を取り直して、マクブライトに訊くハナコ。

「そうだな、この〈ゆとり特区〉にはいくつもの小さなコミュニティーがあるから、今日はそのうちのひとつにでも泊めてもらおう」
「そんなことができるの?」
「ああ、お前もテレビで耳にタコができるほど聴いているだろうが、この地区にはもともと、かつての隣国〈リオ・ロホ〉から大勢の難民が流れてきていてな。事後処理として、政府はここを〈ゆとり特区〉なんてバカげたものにしちまったが、はっきり言って完全には、ここに散らばるコミュニティーの数を把握しきれちゃいない」
「かなり杜撰ずさんな対応ですね。知らなかった」

 トキオが言う。

「そんなことじゃあ、〈ゆとり特区〉は反乱軍にとって、おあつらえむきの隠れ家になってしまったりしないんですか?」
「まあ、その側面もあるが、もともと流浪民だった連中と〈移住希望申請〉が運良くとおった奴らには、ひとつの大きな相違点があってな。その有無で政府の巡回部隊が対象者を『管理下にある者か否か』って判断しているっつう寸法さ。その対応をするようになって二十年ちかく経つが、そのお陰で〈異分子組〉のほとんどは駆逐されつつあるらしい。後発の〈申請組〉のタレコミなんかも、今じゃあだいぶ上手く機能しているようだからな。それで〈申請組〉の通報によって発見されたコミュニティーにも、もちろん政府の巡回部隊が出向く。そして〈帰化〉か〈連行〉かのどちらかを選ばされるんだ。〈連行〉なら、この〈ゆとり特区〉のどこかにあるという〈強制収容施設ヘブンン〉に収監されるが、〈帰化〉を選択すれば〈申請組〉と同じく、毎月のノルマの農作物や工芸品を収めることを義務づけられて、一応なんのお咎めも無しってかたちになるんだ。だから、ここには今、〈異分子組〉と〈帰化組〉、それに〈申請組〉の三種類のコミュニティーがあることになる」
「つまり〈申請組〉ってのは、実質的に政府のスパイとしてここに送られてくるようなもんなの?」
「ようなもん、じゃなくて、移住者を募っているのさ」
「おおきな相違点ってのはなんなんだよ?」
「簡単に言うと、〈申請組〉と〈帰化組〉は政府軍に監視されているんだ。知らないだろうから教えといてやるが、ここの連中、特に〈申請組〉は、この〈ゆとり特区〉のことを〈開かれた監獄オープンド・プリズン〉って皮肉めいて呼んでる。まあ、そんなことを言っても後の祭りなんだがな。だからおれたちは、できれば〈異分子組〉、最悪でも〈帰化組〉のコミュニティーを目指す。そのほとんどが〈リオ・ロホ〉で信仰されていた旧宗教の信者たちだ。その教義の一つに『汝、何者にも分け隔て無く施し、見返りを求めるなかれ』ってのがあるから、まあ、なんとかなるだろ」
「そんなことまで知ってるのか」
「おれは九番へ前は、ここにしばらく厄介になっていたんだよ。まあ、そうは言っても半年くらいのもんだがな。おれが以前、住んでいたコミュニティーは〈連行〉を選択したせいで潰されちまったから、べつのところを探さなきゃならんが、まあ大丈夫だ、いくつか心当たりがある」

 恬然てんぜんとして口の端を上げるマクブライト。

 その無精髭がまばらに生えた野性的な笑顔を見て、今さらながらに「一体、この男は何者なのだろうか?」とハナコは思う。わざわざ九番に堕ちてきたことを考えると、きっとマクブライトもまた、トキオとおなじく人には言えない過去を持っているのだろう。

 九番で生まれ育ったハナコにとっては、あの黒い雨の降る地獄だけが世界のすべてで、本当に最悪で最低な場所にしか思えなかったが、もしかすると、外の世界もそう大差ないのかもしれない。

 あのアルビン・ゲイとかいうイカレた男が、ハナコが夢見るで生まれるなんていうことも、とてもじゃないが信じられない。

 ひょっとすると、選択をまちがえたのかもしれない……

 ふと過ぎる懸念を振り払うようにかぶりを振って、ふたたび後部座席を覗き込むと、頑として喋らないままのアリスと目がかち合った。

「怖くなかったか?」

 なんとはなしに訊ねると、

「……たぶん、わたしはという感情を、よく理解できていないんだと思います」

 アリスは淡々と言った。

 久しぶりに聞いた、感情のこもらない静かな声に呼応して――

 ――雨が、そぼ降り始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

処理中です...