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29:チーム解散
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「異常なし」
……意識の遠くに、事務的な声が聞こえた。
うっすらと目を開いたハナコは、薄暗い視界のなか、ゆっくりと辺りを見回して、ここが物置小屋だったことを思い出す。
どうやら、気を失っているあいだに嫌な夢を見ていたようだ。きっと、神父のあの死に様が、その引き金になったのだろう。
「フタマルサンマル、交代の時間だ」
壁越しに声が聞こえ、扉の隙間を黒い影が横切った。
フタマルサンマル――夜の八時半か。
すっかり夜になってしまったらしいが、拘束された椅子の真向かいにある扉からかすかに差し込む光――おそらく携行照明灯――のお陰で、完全な暗闇というわけではなかった――
◆◆◆
――十時間以上も前。
神父の案内によってとおされた隠し通路――《晦日の夜明け》が滞在していたころ、彼らによって作られたというもの――を目指して、村から離れた丘に隠れるようにして作られた出口へ向かいながら、ハナコは「本当にこれでいいのか?」と責めさいなむようにして、自問自答を繰り返していた。
答えはどう考えても、否、だった。
「……先に行ってて。あたしは戻る」
立ち止まって言うと、
「おれも戻りますよ」
と、その言葉を待っていたかのようにトキオが応えた。
「おいおい、バカ言うんじゃねえ」
マクブライトが顔をしかめて二人を窘めた。
「戻ったところで、誰も助けられやしないぞ」
「それでも戻らなきゃ、あたしは絶対にすごく後悔する」
マクブライトに言うと、ため息を吐かれた。
「いつもの無鉄砲か。そいつはお前の魅力のひとつだが、今はそのカードを切る時じゃねえ。おれは反対だ」
「でも――」
「わたしも戻ります」
アリスが、唐突に口を開いた。
その言葉に三人とも虚を突かれ、一瞬なにもしゃべれなくなる。
「……いや、ダメだ。あんたは、二人と先へ行くんだ」
「戻らないと、わたしも後悔します。わたしはあの人たちのことが好きです」
意外にも頑として逆らうアリスに、苛立つハナコ。
「……分かった。じゃあ、あんたも――」
「それはさせねえ、絶対にだ!」
マクブライトが拳銃を引き抜いて、ハナコに銃口を向けた。
トキオが慌て、二人のあいだに割ってはいる。
「お、落ちついてくださいよ、ダンナ」
「バカだバカだと思っていたが、まさかここまでとはな」
トキオの肩越しにハナコを睨みつけたまま、マクブライトが言う。
「行きたいんなら一人で行くんだな。アリスは、おれひとりで運ぶ」
「チーム解散だね。あたしはひとりでも戻るよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい、落ち着いて」
トキオがハナコを宥めるように言う。
「ダンナひとりにアリスを任せることは依頼の放棄になるから、おれたちにとってそれは非常にマズイ。だが、アリスとネエさんが村に戻るのは、ダンナにとってマズイってことですよね?」
「ああ、そうだ。あくまでおれは《アリスをムラト・ヒエダのもとまで連れていく》という仕事のためにここにいる。ガキはひとりで充分だ、お前らのお守りまで引き受けた覚えはないぜ。戻るんなら、お前ひとりだけで戻れ」
「だから、そのつもりだって、さっきから言ってるだろ?」
「分かりました」
トキオが言い、ハナコに振り向いた。
「ネエさん、ひとりで戻って下さい」
トキオの言葉に、一瞬、耳を疑う。
「神父さんたちを助けたいと思わないの?」
「ちがいますよ。ネエさんが戻ってくるのをアリスと出口で待つってことです。そのあいだ、ダンナには絶対にアリスを連れて行かせない」
「正気かお前、こいつのバカが伝染ったんじゃねえか?」
マクブライトが呆れ顔で言う。
「信じてるだけです。ネエさんも、そしてダンナのことも」
「……くそ」
自嘲し、かぶりを振るマクブライト。
「いま何時だ?」
懐中時計を取りだして見ると、すでに十一時を少しばかり過ぎていた。ここをもう一時間ちかく歩き続けたことになる。
「十一時過ぎだよ」
「そうか。これから出口まで行って、そこで三時間だけ待つ」
言ってトキオに視線をうつすマクブライト。
「これでいいな?」
トキオがうなずき、そしてハナコもうなずくと、拳銃をしまったマクブライトは、地べたに下ろしたバックパックから黒い帯のような物を取りだし、それをハナコに放り投げてよこした。
「これを首に巻きつけとけ。なにも無いよりは幾分かマシだろうよ」
「……頼りない防具だね」
「仕事のときは、いつもこんななのか?」
マクブライトが訊くと、
「いつもよりはマシですよ」
と応えて、病み上がりの相棒が笑う。
防具を首に巻き付け、お互いにうなずきあい、三人が出口へと歩き出すのを確認したハナコは、ひとつ息を吐いて、踵を返した――
……意識の遠くに、事務的な声が聞こえた。
うっすらと目を開いたハナコは、薄暗い視界のなか、ゆっくりと辺りを見回して、ここが物置小屋だったことを思い出す。
どうやら、気を失っているあいだに嫌な夢を見ていたようだ。きっと、神父のあの死に様が、その引き金になったのだろう。
「フタマルサンマル、交代の時間だ」
壁越しに声が聞こえ、扉の隙間を黒い影が横切った。
フタマルサンマル――夜の八時半か。
すっかり夜になってしまったらしいが、拘束された椅子の真向かいにある扉からかすかに差し込む光――おそらく携行照明灯――のお陰で、完全な暗闇というわけではなかった――
◆◆◆
――十時間以上も前。
神父の案内によってとおされた隠し通路――《晦日の夜明け》が滞在していたころ、彼らによって作られたというもの――を目指して、村から離れた丘に隠れるようにして作られた出口へ向かいながら、ハナコは「本当にこれでいいのか?」と責めさいなむようにして、自問自答を繰り返していた。
答えはどう考えても、否、だった。
「……先に行ってて。あたしは戻る」
立ち止まって言うと、
「おれも戻りますよ」
と、その言葉を待っていたかのようにトキオが応えた。
「おいおい、バカ言うんじゃねえ」
マクブライトが顔をしかめて二人を窘めた。
「戻ったところで、誰も助けられやしないぞ」
「それでも戻らなきゃ、あたしは絶対にすごく後悔する」
マクブライトに言うと、ため息を吐かれた。
「いつもの無鉄砲か。そいつはお前の魅力のひとつだが、今はそのカードを切る時じゃねえ。おれは反対だ」
「でも――」
「わたしも戻ります」
アリスが、唐突に口を開いた。
その言葉に三人とも虚を突かれ、一瞬なにもしゃべれなくなる。
「……いや、ダメだ。あんたは、二人と先へ行くんだ」
「戻らないと、わたしも後悔します。わたしはあの人たちのことが好きです」
意外にも頑として逆らうアリスに、苛立つハナコ。
「……分かった。じゃあ、あんたも――」
「それはさせねえ、絶対にだ!」
マクブライトが拳銃を引き抜いて、ハナコに銃口を向けた。
トキオが慌て、二人のあいだに割ってはいる。
「お、落ちついてくださいよ、ダンナ」
「バカだバカだと思っていたが、まさかここまでとはな」
トキオの肩越しにハナコを睨みつけたまま、マクブライトが言う。
「行きたいんなら一人で行くんだな。アリスは、おれひとりで運ぶ」
「チーム解散だね。あたしはひとりでも戻るよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい、落ち着いて」
トキオがハナコを宥めるように言う。
「ダンナひとりにアリスを任せることは依頼の放棄になるから、おれたちにとってそれは非常にマズイ。だが、アリスとネエさんが村に戻るのは、ダンナにとってマズイってことですよね?」
「ああ、そうだ。あくまでおれは《アリスをムラト・ヒエダのもとまで連れていく》という仕事のためにここにいる。ガキはひとりで充分だ、お前らのお守りまで引き受けた覚えはないぜ。戻るんなら、お前ひとりだけで戻れ」
「だから、そのつもりだって、さっきから言ってるだろ?」
「分かりました」
トキオが言い、ハナコに振り向いた。
「ネエさん、ひとりで戻って下さい」
トキオの言葉に、一瞬、耳を疑う。
「神父さんたちを助けたいと思わないの?」
「ちがいますよ。ネエさんが戻ってくるのをアリスと出口で待つってことです。そのあいだ、ダンナには絶対にアリスを連れて行かせない」
「正気かお前、こいつのバカが伝染ったんじゃねえか?」
マクブライトが呆れ顔で言う。
「信じてるだけです。ネエさんも、そしてダンナのことも」
「……くそ」
自嘲し、かぶりを振るマクブライト。
「いま何時だ?」
懐中時計を取りだして見ると、すでに十一時を少しばかり過ぎていた。ここをもう一時間ちかく歩き続けたことになる。
「十一時過ぎだよ」
「そうか。これから出口まで行って、そこで三時間だけ待つ」
言ってトキオに視線をうつすマクブライト。
「これでいいな?」
トキオがうなずき、そしてハナコもうなずくと、拳銃をしまったマクブライトは、地べたに下ろしたバックパックから黒い帯のような物を取りだし、それをハナコに放り投げてよこした。
「これを首に巻きつけとけ。なにも無いよりは幾分かマシだろうよ」
「……頼りない防具だね」
「仕事のときは、いつもこんななのか?」
マクブライトが訊くと、
「いつもよりはマシですよ」
と応えて、病み上がりの相棒が笑う。
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