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憎むべき出会い

シアン

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春とはいえ城内はまだまだ寒い。レオンはカイにもらった毛布を握り締めた。
昼間の城は誰もが慌しく走り回っている。多くの使用人が仕事を持ってくるくると動き、貴族たちの話し声があちこちで響き渡り、少し離れた騎士舎では剣がぶつかり合う音が一日中聞こえてくる。様々な音で満ちていて、何も聞こえない間がない。
だが夜の城は、反対に音がほとんど聞こえない。誰もが言葉をひそめ、ゆったりと時間が過ぎる。使用人たちも寝静まり、貴族たちは邸宅へと帰っていく者たちが多い。

レオンは誰もいない廊下を歩いていた。
「そうだ。休む前に少しだけ、北塔に寄っていこう。」
北塔はシュタルクの城の中でも最も高い場所。塔の一番上は見晴台になっていて、城下をよく見渡すことが出来た。城の中でもレオンの気に入りの場所だ。仕事をして疲れたときには毎回行くようにしている。
部屋とは反対の方向にあるので、少し面倒ではあるけど。あの高い塔から見ることのできる星空がレオンは好きだった。
向きを変えて塔へと向かう。

道中、廊下の先で貴族の一人が歩いているのを見つけた。長い薄紫のローブを引きずりながら歩く特徴的な貴族はレオンの知る限り一人しかいない。
こんな時間に何をしているのだろうか。

「シアン!」
「おう。陛下じゃねぇか。どうしたぁこんな夜に。いつもの忠犬はいねぇのか?」

振り向いたのはシアン・オラージュ。公爵の身分を持つ貴族である。きっちりと後ろに撫で付けた髪は、一日の終わりだからかわずかに崩れていた。だが彫りの深い、精悍な顔つきは楽しそうで、くたびれているとは言いがたい。
「お前、これまた変わったローブだな。また取り寄せたのか」
「いいだろう?これ。今日新しく買ったんだ。選りすぐりの商人からね」

外交に精通しているシアンは貴族の中でも変わった服装をよくしている。今日新しく取り寄せたというローブは遠い国の民族のものだろう、幾何学模様をあしらっていて、華やかだ。厚手の薄紫の生地が高身長のシアンの身体をより大柄に見せていた。パッと見は貴族ではなく、貿易商のようだ。
シアンは先王――父親のころからの付き合いで、物心ついたときにはよく会話をしていた。腐れ縁のようなものである。

「その毛布をみると、お前は勤務を終えたところか?」
「ああ。これから。少し休むところだ。お前もまた珍しい時間に城にいるな。……まさか、貴様…!」
言いかけてレオンは嫌な理由に思い当たり、シアンを睨んだ。しかし当のシアンはどこ吹く風。茶目っ気たっぷりに笑う。
「はっはっは。気づいたか?俺、この後部屋で使用人の子と待ち合わせなんだよなぁ」
「…………そういう話題を、俺の前でするんじゃない」

シアン・オラージュは貿易好きの他にもう一つ、タブーを犯す危険な男として政界では有名だ。自身の領地からその外交手段まで、一歩間違えれば犯罪に当たるようなことを平気でやってのける。強烈な悪運と政治手腕で、結果として国にとって利益とはなっているものの、毎度肝を冷やしている貴族も少なくない。
そんなシアンは性にも奔放。いかんせん見目と地位がいいものだから、男女問わずどんどんシアンに寄ってくるし、シアンもシアンで片っ端から食っていっている。それも場所を問わず、シュタルクの城内だろうと町の酒場だろうとだ。さすがに人目につかないようにはしているらしいものの、レオンにとっては吐き気がする以外の何物でもない。
だからレオンはこのシアン・オラージュという男が苦手だった。
レオンがそういうことを嫌っているのは、何となくシアンも知っている。それでわざとちらつかせてはレオンが不快にしているのを面白がっていた。

「おやぁ?もしかして俺は『純潔の王』の機嫌を損ねちまったかな?」
「くだらん。俺はもう行く」

これ以上、この男の汚い話を聞いていられない。
にやにやと笑うシアンの隣を、すり抜けようと足を進めた。
しかし、その腕をシアンが掴んで止めた。

「だが陛下はもう十九。そのくだらんことを考えなきゃいけねぇ年だぜ? 世継ぎのこともあるだろうしな。」
距離を詰めると、レオンの腰に手を当てて、下から上へゆっくりなぞった。
「王との逢引は法律に触れないだろう。 俺が陛下に快楽を教えてやろうか?」
耳元で誘惑するように一段低い声でささやく。
途端、ぞわりと全身に鳥肌がたった。

「――――俺に触るな! 下衆が!」
「おっと」
レオンが強い口調で拒絶すると、掴まれていた手が放される。シアンの拘束から逃れると、レオンは振り向いて息を整えた。
そしてシアンを睨みつける。何年経っても得体が知れない。理解する気も起きないが。

「…法を犯すなよ」
シアンはその言葉に、目を細めると楽しそうに口角を上げた。まるで愚かな羊を見る狼のようだった。

「犯すかよ。俺が好きなのは法を犯すことじゃあないんでね。陛下が縛り上げた法をかいくぐって擦れ擦れのスリルを楽しむお前と俺のお遊びだ。ま、俺個人としては陛下自身のスリルも味わってみたいけどな」
シアンは葉巻の煙をはく。くらくらする甘く強い香りが今のレオンには毒だった。せき込むレオンの頭をなでると、手を振って去っていった。
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