当世退魔抜刀伝

大澤伝兵衛

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第4章 ニクジン編

第94話「消えた死体」

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 道場破りをまたしても打ち破ってから数日経過した時の事である。

 修と千祝の空気銃回避訓練は、一定の成果を上げていた。道場破りが警察と防衛隊の精鋭を相手に、空気銃を回避しながら全滅させるという荒業を目の前で達成したからである。

 敵の成したことではあるが、これは二人にとって実に良い見取り稽古となった。なにせ目指していた事のお手本を見せられたのだ。これ以上のイメージアップはないだろう。

 以前、道場破りの青山の兄弟子にあたる者が、実銃を相手に回避しながら特殊部隊を撃破するという、更に高度な技を見せた事がある。本来参考にすべきなのはこちらの方なのであるが、あまりにレベルが違いすぎて参考にはならなかったのだ。

 また、道場破りの青山を撃破した、葉山の戦いも空気銃回避の参考になった。神速で襲い掛かる青山を葉山は、新陰流の転の極意で瞬殺したのだ。

 敵の攻撃を察知し、それに合わせて対応する。これは相手が引き金を引くのに合わせて対応するという、空気銃回避の訓練に応用が可能であった。

 青山の高度な縮地による神速の接近と攻撃、そして葉山の転、これらの組み合わせにより修と千祝の訓練は完成に近づいているのだ。

「おっと。電話が鳴っているようです。失礼」

 太刀花道場での稽古中に葉山が携帯電話を取りに中座した。

 本来は稽古中に電話で中断するのは、あまり褒められたことではないのだが、太刀花道場の門下には警察官や防衛官が多数所属しており、緊急事態の連絡が来る事も多いので許される文化があるのだ。

 葉山はそれらの特殊部隊ではないが、人間に敵対する怪物である外つ者との戦いを決意した武芸者である。何らかの緊急要件が入ってもおかしくはない。

 この日は正式な稽古日ではなく。特殊部隊の隊員達も道場主の太刀花則武も不在である。そのため、葉山を抜けたので修と千祝だけの稽古になる。

「は? 消えた? 先生のご遺体と刀がですか?」

 稽古を続ける修達の耳に、不穏な言葉が聞こえて来た。

「はい。はい。分かりました。どうも」

「何かあったのか?」

 通話を終了した葉山に修が怪訝な顔で問いかけた。プライベートな事に介入するのはしたくはないのだが、異常な事が生起していると考えたのだ。

「それが、先生のご遺体が火葬の前に消えてしまったと、ご家族から連絡があったのです。愛用の刀も……」

 葉山の剣の師匠である伊部鉄郎は心身新陰流の達人であり、その実力は年期の差があるため修達の師匠である太刀花則武を凌駕するほどであった。

 そして、かつては武芸者として数々の外つ者を成敗し、日本の平和を影から支えてきたのだ。五年前に武芸者が壊滅的な被害を受けた際も、その実力を発揮して何とか生き残っていた。

 それが寿命のため死んだのが最近の事で、一族の風習のためしばらく自宅で安置していたのだが、このような事態になるとは予想外である。

「一体何故、誰がこの様な事を……」

 剣の師匠の死体が行方不明という事態になってしまい、葉山は苦悩の表情だ。死体を盗んで得する者など、現代にいるとはにわかに信じがたい。

 ここであることに修と千祝は思い至る。

「ちょっといいですか? 俺達はこの前上のの博物館で外つ者と戦ったんですが、その時あることが起きました」

「そう言えば上野の博物館で事故があって休館になったとニュースでやっていましたが、外つ者の仕業だったのか」

「そうです。そして、そこで俺達はオトロシという強力な外つ者と戦いましたが、オトロシはハチ公の剥製を依り代にしていました」

「ハチ公って渋谷の?」

「そうです。あと、重要文化財の茶道具が外つ者になりました」

 不思議な出来事であるが事実である。後で警察庁の過去の資料を調べてもらったところ、過去にも同じような事態が起こっていたため、ごく少数の武芸者の間では認識されていたらしい。もっとも、再現実験はできないし、そうだっとしてどうしようも無いので、重視はされていなかったのだ。

 さらに言えば修と千祝は博物館で、新選組の斎藤一の魂が実体化した存在と、協力して戦ったという更に不可思議な体験をしているのだが、これは誰も信じてくれないので割愛することにした。

「そして、最近の外つ者の復活の多発の影では、何者かが暗躍しています」

 防衛隊の富士演習場におけるダイダラボッチ封印も、再封印した時に何者かが海兵隊を打ち破って解除してしまったし、上野の博物館においても外つ者の封印されている土偶から何者かが解き放ったのだ。

「これらの事からある一つの推論が浮かびます」

「先生のご遺体を外つ者化しようというのか?」

「ただの秋田犬であるハチ公の剥製があれだけ強い外つ者になったのですもの、剣豪として名を知られる伊部先生のご遺体ならどれだけ強くなるのか想像もつかないわね」

 三人は恐ろしい事態を予想し、暗い顔になった。突拍子もない発想だが、外つ者という存在自体が常識の範囲外なのだ。この位は今までの経験から十分あり得ると思っていた。

「抜刀隊に知らせよう。ご家族が地元の警察に通報しているだろうが、これは普通の事件じゃない。専門の機関に知らせないと大変な事になるかもしれない」

 警察庁抜刀隊などの対外つ者の特殊部隊は、過去において修の予知夢や土偶の密売などという普通なら門前払いになっても仕方のない内容でも対応してくれた。相談すれば力になってくれるだろう。

「じゃあちょっと携帯取って来る……これはっ?!」

 修が携帯電話を取りに行こうとしたその時、道場の空気が一気に重く、不穏なものに変わった。

 修と千祝はこの雰囲気を知っている。外つ者による異界化と同じものであった。
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