忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛

文字の大きさ
12 / 39
第二章「江戸城の象」

第四話「昇進」

しおりを挟む
 囃子の又左に関する捜査は遅々として進まなかった。そもそも一味の一員を捕縛したとはいえ、たった一人、しかも一味は大々的に活動していたのは十数年前の事だ。これでは捜査がはかどらないのも無理はない。そもそもあまりに昔の事件であるため、吟味与力達もそれほど熱心ではないのだ。

 それは同心達も同じである。事件は時間が経てば経つほど解決は困難になる。わざわざ過去の事件を掘り返して、余計な手間など取りたくは無いのだ。

「と言う訳さ。お前もあまり余計な事に嘴を挟まないのが処世術というものだぞ」

 先輩同心の一人、坂田が訳知り顔で言った。別に余計な事をするなと怒っている様子は無い。単に世間知らずの新入りに、要領の良い仕事のやり方を教えているという風情である。

「馬鹿野郎、余計な事を言ってんじゃねえぞ。若い奴に変な癖がつくだろうが。真面目にやれ。真面目に。ただでさえこいつには、忍者だとかなんだとか、そんな下らん話がついているだぞ」

 筆頭格の粟口が即座に坂田を叱責する。短い付き合いであるが、粟口は相当な堅物である事が文蔵にも分かってきている。

 粟口は立ち上がると、同心詰め所を立ち去ってしまった。おそらく与力の誰かに意見具申にでも行ったのだろう。

 粟口が居なくなると、叱責されたばかりの坂田が軽く手を顔の前で振った。気にするなとでも言いたいのだろう。坂田はもっと気にした方が良いのではないかと文蔵ですら思うのだが、どうやら定町廻りの同心では坂田の方が多数派の様だ。役人としては褒められたものではないが、下っ端役人などこんなものかもしれない。それに町奉行所の同心は三十俵二人扶持しか貰っていない軽輩であるし、役柄からして庶民と接する機会が多い。となれば自然に役人らしさ、武士らしさが抜けてしまう。

 下々の実情に通じていると言えば聞こえは良いが、厳しい言い方をすれば堕落していると言えばそうだ。

 だが、庶民と直接接する機会の多い町方同心が固いばかりでは息が詰まってしまう。それに、凶悪な犯罪者と立ち向かうには杓子定規ではいけない。

 その様な適切な感覚を身につけるのは、生半な事ではいかない。ここの詰め所にたむろしている連中が同心として適切な心構えを兼ね備えた素晴らしい同心であるかどうかは不明である。だが、少なくとも完全に堕落した者はいないと文蔵は踏んでいる。

 不浄役人と呼ばれる事もあり、役目柄役得が多いが、それに溺れる者は極僅かである。

「そう言えばお前、少々早いが見習いから正式な同心に昇格するらしいぞ?」

「左様でございますか?」

 先輩同心の一人、月野が粟口が遠ざかったのを見計らってそんな話題を口にした。

 文蔵はつい最近見習いとして採用されたばかりだ。しかも、当初配置された裏方の役職では読み書きに疎いため全く役に立たず、正直言って昇格するだけの功績を立てた気がしていない。

 そんな心情を月野に言ったところ、先日の黒雲の半兵衛捕縛がかなり評価されているのだと教えてくれた。

 黒雲の半兵衛が狙った日本橋一帯の大店は、大名や大身旗本とも付き合いがある。野放しにしておいてはまた襲撃を食らうとも限らない。それをたちどころに捕縛したのであるから、北町奉行である稲生の面目も保たれたというものだ。何せ、黒雲の半兵衛は長期にわたり関東一円を荒らし回っていたのだ。南町奉行所や火付盗賊改をはじめとする数多の治安を司る役所が成せなかった事を成したのである。稲生が採用を決めた同心見習いがだ。

「そんな訳で、お奉行様が大層お喜びだとさ」

「左様でございますか」

 文蔵は昇進には興味が無いが、活躍を認められたというのは嬉しい事である。それに、文蔵の手柄は協力してくれた朱音達の手柄でもある。それに、同心として不適格と言う事になり召し放ちになっては、また部屋住みの身に逆戻りだ。実家で父や家長である弟に邪険にされた事は無いが、それでもまた厄介になりたいとは思わない。

「ま、本当ならもう少しで黒雲の半兵衛を捕まえたのは粟口さんなんだけどな」

「え? そうなんですか?」

 黒雲の半兵衛に繋がる情報は、殆ど無かった。そのため、文蔵は相手をおびき寄せるために情報を流す様な真似までしたのだ。それなのにもう少しで粟口が捕らえたであろうとは如何なることなのか。

「ああそうだよ。これまでの奴らの犯行の手口や、地道な聞き込みで連中のねぐらは見つけ出したんだ」

「そうそう、ちょうどそれと同じ時に、黒雲の半兵衛一味が護送中の手下を取り戻そうと襲撃を仕掛けた様だな。そこにお前が運よく居合わせて、捕まえたって訳だ」

 運良くと坂田や月野は思っているが、実際のところは文蔵が裏で仕組んだことだ。その結果引き起こされた襲撃で火付盗賊改同心である百地が怪我をしている。

 文蔵は真相については黙っておくことにした。

 そして、自分達が奇策を弄して辿り着いた黒雲の半兵衛に、正攻法で迫った粟口達先輩同心の実力に、恐れ入る思いであった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

処理中です...