天保戯作者備忘録 ~大江戸ラノベ作家夢野枕辺~

大澤伝兵衛

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第一章「異世界転生侍」

第十三話「本所七不思議」

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 弁天の六郎はその夜、本所の隠れ家を出発し、江戸を立ち去ろうとしていた。

 これまでお上の御用という名目で江戸の町民から没収し続けた贅沢品は莫大な量に及んでおり、換金したとすれば数万両にも及ぶであろう。一介の無頼漢が本来目にしたり出来ない代物であった。

 もちろん、これが全部六郎の懐に入る訳ではない。六郎の配下に分配せねば、不満をもった奴がどこで密告するか分かったものではない。もちろん不満の無いだけの量を分配したとしても、根本的に損得勘定の出来ない愚かな連中である。変に欲をかいて六郎に反抗したり、更に庶民から財産を没収しようとしてへまをしたりしてお上に捕まり六郎の事まで暴露してしまったり、この先ずっと安全であるとは限らない。

 だが、ある程度時間を稼げば名前を変え、新たな地で過去を捨てて安全に暮らす事も可能だろう。

 そのために、これから金品をある程度しかるべきところに分け与えねばならない。六郎がお上の名を騙って金品を強奪出来たのも、全ては本当にその様な職権を与えられたからである。それを与えてくれた幕府の役人にはしかるべき分け前を提出しなければならないのである。そうでなければ、用済みとして処分される恐れがあるのだ。

「六郎よ、ご苦労であるな。よくぞこれだけ集めたものだ」

「ははっ、これも網野様のお引き立ての賜物でございます」

 頭巾で顔を隠した旗本風の男に対して、六郎はこの男にしては珍しい恭しい声で返答した。

「ふふふ、お主、おだてても何も出ぬぞ。まあそれなら拙者は、老中の水野忠邦様と鳥居の阿呆のおかげだとでも言っておこうかな?」

「ははは、阿呆と言っては鳥居様も浮かばれますまい。それに、老中様も本気で贅沢品を没収する事が世直しだと信じているのだから、これはもう網野様のお知恵が一枚上だったという事でしょう」

「ははは、だからおだてても何も出ぬぞ? まあ、この先また何かがあったらまた仕事を頼みたい。その時には頼むぞ」

「はい、その折には是非」

 この応答で、六郎はしてやったりと心の中で快哉を叫んだ。上手く上機嫌にさせてやったし、網野の思惑を理解してそのための行動が出来る使いでのある男だと認識させる事に成功した。これなら用済みとして処分されたりしないだろう。

 六郎としては数万両の儲けの内、半分以上上納してやっても安全が確保出来るなら問題が無いと考えていた。しかもこの分なら、網野が次の策謀を企んだ時も六郎に仕事を回すであろう。つまり、更なる儲けが期待できると言う事だ。

「くっくっく、これだけの財産があれば、幕府の高官どもにばら撒いてまだまだ出世できるぞ。このまま勘定吟味薬では終わらぬ。勘定奉行、町奉行、いや、大名にまで成り上がってみせるわ」

 ほくそ笑む網野を見て、六郎はその強欲さを蔑むとともに、これならば今回の不正で終わる事なくずっとうまい汁を吸い続けられるだろうと自分でも貪欲な事を考えていた。

 もちろん、その時に犠牲になるのは庶民であるが、その痛みなどこの二人には知った事ではない。

「うわあ!」

「出た~!」

 そんな後ろ暗い話を明るくかわす二人の耳に、何やら叫び声が飛び込んで来る。六郎達が隠れ家にする屋敷の外からである。

「何事だ? まさか、見つかったのではあるまいな」

「いえいえご安心を、逆にあれはここが見つからないための策です」

「策?」

 慌てた様子の網野であったが、六郎は落ち着いた様子だ。

「網野様は、本所七不思議という話をご存じですかな?」

「おお、聞いた事が有るぞ。確か堀で釣りをすると『置いていけ』と声がするとか、どこからとなく狸の腹鼓が聞こえて来るとか、天井から巨大な足が降ってくるとかであろう?」

「その通り、よくご存じで。そしてこの屋敷こそが網野様がおっしゃった足が降って来る『足洗邸』なのですよ。それに他の七不思議も手下の流した噂でなのです」

「ほう? 何故その様な事を……なるほど、近づけさせないためか」

「ご明察。網野様に用意してもらったこの屋敷、確かに空いている武家屋敷と言うのは隠れ家に好都合ですが、何ぶん長らく手入れされていないので塀や門が破れていて侵入が容易です。誰かが入って来てもおかしくはありません。そこで」

「近づかれない様に噂を流したと言う事か、やりおるな」

 そう、本所七不思議は、全て弁天の六郎一味の作り話であったのだ。いや、全てが作り話というよりも、元から一部のみで噂されていた怪異話を針小棒大にあちこちで吹聴し、しかも七不思議の内容に従って近くを通る人を脅かしていたのが、六郎の手下達であったのだ。

 効果は覿面であり、料亭が多く建ち並ぶび賑わいを見せる本所にあって、この「足洗邸」の周囲だけ人通りが少ないのであった。

 これならば、人目を避けて出入りするのも容易である。

「ぎゃ~!」

「ひえええぇぇっ!」

「おい、馬鹿に騒がしいな。いつもはこんなに頻繁に叫び声なんかしないだろう」

 余りにも多くの叫び声が聞こえて来るので、六郎は気になって近くにいた手下に尋ねた。怪異話が成功したので、最近この辺りを夜に通る者は極僅かだった。これだけ頻繁に叫び声が聞こえると言う事は、それだけ多くの人が近くを通っているという事である。

 何かがおかしい。

「親分、それが妙な連中が近づいてきているらしくて、提灯をつけたり消したりしても、拍子木を打っても叫ぶばかりで一向に逃げないらしくて」

「何なんだよそりゃあ。何なんだよその連中」

「はい到着しました。こちらがかの有名な『足洗邸』でございます。空き家ですから、気にせず中に行きましょうね」

 困惑する六郎の耳に、一際大きな声が届いた。大きさと方向からすると、敷地内に侵入された様だ。

「おい! すぐに帰らせろ。ここで騒ぎを起こしたら厄介だから、空いた武家屋敷を管理している中間のふりをしてお引き取り願うんだ」

「もう無理だ。連中、真っすぐこっちに来る。止められねえ」

「おや、そこにいるのは岡っ引きであらせられます弁天の六郎親分じゃあございませんか。なんでこんな所にいるんでございましょうねえ」

「て、てめえはこの前の」

 六郎の目の前に姿を現した、確実に数十人はいる集団の先頭には、昨日没収品の輸送を目撃した男――戯作者夢野枕辺の姿があった。
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