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第三章「都落ち侍のゆとりぐらし」
第七話「尋ね人」
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夢野と綾女が虚屋と話していた部屋に、久恵が丁稚に案内されて通されてきた。しばらくぶりであるが、元気そうに見える。
「やあ、久恵さん。お久しぶり」
「どうしたの? 確か前に会った時は江戸で探し物をしてたけど、それがまだ見つかっていないの?」
以前会った時は、さる大名に関係する何かを探し出そうとしていた。そしてそのために必要な手掛かりである簪を奪われたのを夢野が目撃し、助け出そうとしたのが出会いのきっかけである。
最終的に簪は取り戻したのだが、探し物は大名家に関わる重大事と言う事であり、そちらには夢野達は関わる事はなかった。だから、しばらく会っていなかったのである。
「綾女さん、その通りです。前回協力を断っておいて厚かましいのですが、やはり協力して欲しいのです。それでお願いしようとして長屋に行きましたら、虚屋さんを尋ねてきていると聞いたので、追いかけてきました」
「やっぱりそうか。良いよ、協力しようじゃないか」
夢野は二つ返事で聞き入れた。夢野自身も人探しをしなければならないのだが、頼まれたら断れない性格である。綾女は一瞬夢野の方を鋭い目で見たが、すぐに諦めた様子だ。付き合いが長い分、夢野の人と成りを誰よりも理解している。
「まあいいでしょ。ちょうど私達も江戸中で人を探さなくちゃならないんだから、ついでに探せば効率がいいわね」
綾女は自分を納得させるように言うと、久恵に何を探しているのか問いただした。
「探しているのは、ある人物なのです。実は私は常陸国取手藩の出身でして……」
「ん?」
取手藩とは最近夢野達が良く聞く名である。
「取手藩を治めているのは毛野様ですが、その跡取りに関してとある問題が発生したのです」
「んんん?」
これまたどこかで聞いたような話である。夢野と綾女は顔を見合わせた。
久恵の語るところによると、取手藩主毛野因幡守には養子と実子がいるのだが、それぞれお互いこそが跡取りに相応しいと主張し、ついには出奔してしまったのである。大名の跡取りは江戸の藩邸に住まうのが規則である。勝手に飛び出した事は問題である。
今のところそれを知る者は限られているし、幕閣でそれを知る者も即座に取手藩を処分しようという者はいない。
だが、この状態が続けばいつ難癖をつけられて取り潰されるか分かったものではない。だからこそ、何とか探し出そうと取手藩の家臣一同は必死なのである。
久恵は武家の生まれではないが、取手藩でも有数の商人の娘である。毛野家の御用商人でもあり、毛野一族や家老たちとも繋がりがある。鬼怒川などを利用した流通を抑えており、江戸の商人達とも繋がりが強い。親類も江戸やその他の大都市で店を構えている。それを買われて探索に加わる事になったのだ。
「でも、それなら久恵さんじゃなく、他の人でもいいじゃないか」
「そうですね。実際、他にも何人か探しに出ています。ですが、私は元々江戸育ちで、失踪された正之進様とも利左衛門様とも顔見知りなのです。それで私も独自に探す様に言われて来たのです」
正之進が養子の方で、利左衛門が実子の方だ。二人は頑なに藩主の地位を辞退しており、見つけた所で素直に戻ってくれるか分からない。もし無理に連れ戻したところでまた出奔するやもしれぬ。そう考えると、顔見知り女性に説得させるのは良い策かもしれない。
「それに正之進の祖母は、私の縁者なのです。そう言った意味でも繋がりが強いのです」
養子の方である正之進の祖母と言う事は、正之進の父を生んだ先代藩主の妾である。藩主の血を引く者として生まれた我が子を他家に養子に出す事に反対もせず、自らは出家してお家騒動の危険性を断った思慮深い女性である。もし彼女が我が子可愛さに口出しをしていたら、先代藩主の実子派と弟派に分かれてお家騒動が起きたかもしれない。
「いえ、それは無いと思います。先代に男児が生まれた時点で、今の殿は跡取りになる事を辞退しようとしたらしいので」
「こっちも譲り合いか。これはもう家にかけられた呪いじゃないのか?」
当代の兄弟も藩主の地位を譲り合っているが、先代の藩主も跡継ぎを譲り合った様だ。違うのは、先代の場合片方が赤子であり、先代藩主が即座に実施を養子に出してしまったため、お家騒動には発展しようが無かったことである。
だが、そのせいで不毛かつ美しい争いは現在に引き継がれてしまったのであるが。
夢野からしてみると、謙譲の精神は良いのだが、少々度が過ぎている様に見えて来る。何事も現実的な線引きをしなければならない。特に、現実的な視点を忘れてはならない為政者にとってそれが重要な事だ。
「お二人はどちらも素晴らしい方なのです。これからの取手藩を背負っていただかなくてはなりません。出来ればどちらにも帰ってきて欲しいのです。夢野さんは色々と顔が広いと聞きました。是非協力してください」
「良いよ。実はこちらもわらび兄弟……おっと、取手藩の跡取りの事を探すつもりだったんだ。ちょうど渡りに船ってやつだよ」
「わらび……? 何だかよく分かりませんが、ありがとうございます」
うっかり毛野兄弟の事を皮肉る様な事を夢野は言ってしまい、隣に座った綾女に尻をつねられる。取手藩の領民にとっては誇らしく思う殿様達であり、その目の前で滅多な事を口にするものではない。
何にせよ、これから探索するためには、対象者の知り合いである久恵と協力できるのはありがたい事だ。一同は、細かい情報の交換を始めた。
「やあ、久恵さん。お久しぶり」
「どうしたの? 確か前に会った時は江戸で探し物をしてたけど、それがまだ見つかっていないの?」
以前会った時は、さる大名に関係する何かを探し出そうとしていた。そしてそのために必要な手掛かりである簪を奪われたのを夢野が目撃し、助け出そうとしたのが出会いのきっかけである。
最終的に簪は取り戻したのだが、探し物は大名家に関わる重大事と言う事であり、そちらには夢野達は関わる事はなかった。だから、しばらく会っていなかったのである。
「綾女さん、その通りです。前回協力を断っておいて厚かましいのですが、やはり協力して欲しいのです。それでお願いしようとして長屋に行きましたら、虚屋さんを尋ねてきていると聞いたので、追いかけてきました」
「やっぱりそうか。良いよ、協力しようじゃないか」
夢野は二つ返事で聞き入れた。夢野自身も人探しをしなければならないのだが、頼まれたら断れない性格である。綾女は一瞬夢野の方を鋭い目で見たが、すぐに諦めた様子だ。付き合いが長い分、夢野の人と成りを誰よりも理解している。
「まあいいでしょ。ちょうど私達も江戸中で人を探さなくちゃならないんだから、ついでに探せば効率がいいわね」
綾女は自分を納得させるように言うと、久恵に何を探しているのか問いただした。
「探しているのは、ある人物なのです。実は私は常陸国取手藩の出身でして……」
「ん?」
取手藩とは最近夢野達が良く聞く名である。
「取手藩を治めているのは毛野様ですが、その跡取りに関してとある問題が発生したのです」
「んんん?」
これまたどこかで聞いたような話である。夢野と綾女は顔を見合わせた。
久恵の語るところによると、取手藩主毛野因幡守には養子と実子がいるのだが、それぞれお互いこそが跡取りに相応しいと主張し、ついには出奔してしまったのである。大名の跡取りは江戸の藩邸に住まうのが規則である。勝手に飛び出した事は問題である。
今のところそれを知る者は限られているし、幕閣でそれを知る者も即座に取手藩を処分しようという者はいない。
だが、この状態が続けばいつ難癖をつけられて取り潰されるか分かったものではない。だからこそ、何とか探し出そうと取手藩の家臣一同は必死なのである。
久恵は武家の生まれではないが、取手藩でも有数の商人の娘である。毛野家の御用商人でもあり、毛野一族や家老たちとも繋がりがある。鬼怒川などを利用した流通を抑えており、江戸の商人達とも繋がりが強い。親類も江戸やその他の大都市で店を構えている。それを買われて探索に加わる事になったのだ。
「でも、それなら久恵さんじゃなく、他の人でもいいじゃないか」
「そうですね。実際、他にも何人か探しに出ています。ですが、私は元々江戸育ちで、失踪された正之進様とも利左衛門様とも顔見知りなのです。それで私も独自に探す様に言われて来たのです」
正之進が養子の方で、利左衛門が実子の方だ。二人は頑なに藩主の地位を辞退しており、見つけた所で素直に戻ってくれるか分からない。もし無理に連れ戻したところでまた出奔するやもしれぬ。そう考えると、顔見知り女性に説得させるのは良い策かもしれない。
「それに正之進の祖母は、私の縁者なのです。そう言った意味でも繋がりが強いのです」
養子の方である正之進の祖母と言う事は、正之進の父を生んだ先代藩主の妾である。藩主の血を引く者として生まれた我が子を他家に養子に出す事に反対もせず、自らは出家してお家騒動の危険性を断った思慮深い女性である。もし彼女が我が子可愛さに口出しをしていたら、先代藩主の実子派と弟派に分かれてお家騒動が起きたかもしれない。
「いえ、それは無いと思います。先代に男児が生まれた時点で、今の殿は跡取りになる事を辞退しようとしたらしいので」
「こっちも譲り合いか。これはもう家にかけられた呪いじゃないのか?」
当代の兄弟も藩主の地位を譲り合っているが、先代の藩主も跡継ぎを譲り合った様だ。違うのは、先代の場合片方が赤子であり、先代藩主が即座に実施を養子に出してしまったため、お家騒動には発展しようが無かったことである。
だが、そのせいで不毛かつ美しい争いは現在に引き継がれてしまったのであるが。
夢野からしてみると、謙譲の精神は良いのだが、少々度が過ぎている様に見えて来る。何事も現実的な線引きをしなければならない。特に、現実的な視点を忘れてはならない為政者にとってそれが重要な事だ。
「お二人はどちらも素晴らしい方なのです。これからの取手藩を背負っていただかなくてはなりません。出来ればどちらにも帰ってきて欲しいのです。夢野さんは色々と顔が広いと聞きました。是非協力してください」
「良いよ。実はこちらもわらび兄弟……おっと、取手藩の跡取りの事を探すつもりだったんだ。ちょうど渡りに船ってやつだよ」
「わらび……? 何だかよく分かりませんが、ありがとうございます」
うっかり毛野兄弟の事を皮肉る様な事を夢野は言ってしまい、隣に座った綾女に尻をつねられる。取手藩の領民にとっては誇らしく思う殿様達であり、その目の前で滅多な事を口にするものではない。
何にせよ、これから探索するためには、対象者の知り合いである久恵と協力できるのはありがたい事だ。一同は、細かい情報の交換を始めた。
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