天保戯作者備忘録 ~大江戸ラノベ作家夢野枕辺~

大澤伝兵衛

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第三章「都落ち侍のゆとりぐらし」

第六話「意外な客人」

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 夢野は綾女と一緒に虚屋に向かった。町奉行所や大名の家臣団にすら探しきれない者達も、系統が違う伝手を持つ虚屋なら役に立つかもしれない。もちろん無駄かもしれないが、何もしないよりはましである。

「はあはあ、そう言う事ですか。よござんしょう。知り合いに声をかけてみましょう」

 夢野の頼みを虚屋は二つ返事で引き受けた。

「大名家の御家事情に関わる事だから、口の固い人だけにお願いしますよ。妙な尾鰭がついて噂話が流れたりしたら、それこそ町奉行に打ち首になったり、逆恨みした取手藩の家臣が襲撃に来るかもしれませんからね」

「ええ、それは承知しています。私も命が惜しいですからね。……それで、この件に協力すれば『都落ち侍のゆとりぐらし』の一件は不問に付させるのですね?」

「らしいな。鳥居がそう言ってたよ」

「それなら私も気張らないといけませんね。家財没収をされたとしてもまた再起して見せる気概はありますが、そう何度も何度も罰を受けるのはあまり気分が良くないですからね。それに、モリソン号事件を持ち出されるのは怖いですね。遠島や永牢は流石に困ります」

 お上に睨まれる事くらい、娯楽的な書物を多く出版する版元としては最初から覚悟の上であったのだろう。普段から態度は柔らかい人物だが、虚屋は中々に骨があるようだ。夢野は少し見直した。だが、いくら覚悟を決めて出版を生業にしているといっても再起不能な罰を受けるのは遠慮したいらしい。夢野の書いた『都落ち侍のゆとり』モリソン号事件の様に政治的に幕府が本格的に警戒している件に触れてしまったので、このままではこれまで以上の罰を受けかねないのだ。

「ん?」

「おや、どうなさいました? 夢野先生」

「いや、何でもない」

 虚屋と話していて夢野はふと思い出したのだが、そのそも鳥居が約束したのは事件解決に協力すれば、夢野の罰を軽くしてやろうと言う事である。

 虚屋について何の言及も無かったような気がする。

 普通に考えれば夢野と虚屋の罪状は同じなのであるから、片方が不問に付されていればもう片方も同様だろう。普通の御裁きならそれぞれの罪の重さで罰を変える事もあるだろうが、この件は見返りに罪を無かったことにしてやろうという話である。もしも夢野の罪だけが無かったことにされたりしたら、お白州で鳥居は虚屋にどの様な咎で判決を読み上げるのか。

 ならば虚屋の罪も無かったことにされるというのが自然な発想であろう。

 だが、鳥居は並の人物ではない。町奉行に出世するまで、多くの人々を排除してきたと専らの噂だが、その中の罪状は牽強付会だったり根拠があやふやだったりと、矛盾点が多いものもあったそうである。そういう人物を町奉行になど任命して欲しくないのだが、今の老中である水野忠邦の懐刀として鳥居はその辣腕を振るってきたのだ。おそらく鳥居が町奉行になるまでにでっち上げた数々の罪状も、上司の意図に沿うものであったはずだ。

 となれば、上の者が認めてしまえばどれだけ怪しげな御裁きを下したとしても、それがまかり通ると言う事である。そうやって鳥居は出世してきたのである。

 そもそも、先日鳥居は呪詛の疑いで修験者を捕縛していた。そして、その呪詛によって江戸で流行っていた連続殺人を引き起こしたとしたのである。

 修験者が呪詛をしていたのは本当の事であるが、当然呪いで人は死なない。殺人事件には色々と関係があったのは事実であるが、そちらは夢野が裏で解決したので鳥居はその事を知らない。

 考えてみれば、鳥居は一部冤罪で修験者を裁いているのである。

 もっとも、そんな事を夢野は虚屋に言ったりしない。どうにもならない事なので、余計な不安を惹起させても仕方がないのである。

 なお、綾女はそんな事を考えている夢野の事をジト目で見ている。夢野が何を考えているか大体理解しているのである。長い付き合いであるから、そこに合理的な判断や少々の自己保身が混じっている事などお見通しなのである。

 まあ余計な事を虚屋に明かしたりしないのは、夢野とどっこいどっこいである。

「すみません。面会を求めている人が来ていますが、どうしましょう」

「おや? 一体どなたかな? 今は夢野枕辺先生と、猫やな……いや、妖星光先生と話しているのだが」

 虚屋の丁稚が急な来客を主人に報告しに来た。約束なしで急に訪れたのは夢野達も同じだが、虚屋としては売れっ子作家と絵師である夢野と綾女の方が重要である。

 それにしても、変わったばかりの綾女の画号を把握しているのは流石である。長屋で隣り合って暮らしている夢野ですら、先ほど知ったばかりだというのに。

「それが、久恵様という方なのですが、夢野先生と妖星光先生にも用事があるとの事でして……」

「あれ? 久恵さん、まだ江戸に居たのね。という事はまだ探しものをしているのかしら」

「かもしれんな。何にせよ会わないと事情は分からないだろうけど」

 久恵は以前夢野達が解決した事件で知り合った女性である。江戸に何やら探索の使命を帯びて訪れていたのだが、その探索に必要な簪を岡っ引きに没収されて難義していたのだ。

 結果的に大事件になり、夢野の策略もあり解決したのだが、解決したのは岡っ引き達が没収した金品を横領していた件に関してだけである。

 そのため久恵は、自分の探索を続けていたのである。

「そうですか。ならばここに通しなさい」

 事件解決には虚屋も関わっていた。そのため虚屋と久恵も知らぬ仲ではない。

 揃って面会する事になった。

 
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