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第3章 第5日目
レカとヴィー
しおりを挟む「権力なんて…ただの一介の学生に、何かできるわけ無いじゃないか。」
イナギがため息をつきながら、小さくぼやいた。
レカはその瞬間に肩が跳ねた。
それもそのはず、イナギはレカの腰を抱くようにピッタリと身体を寄せており、今のセリフもレカの耳元で囁いたのと同義だったからだ。
レカはイナギのいる方の耳を押さえると、イナギから距離を取ろうと試みる。
「…長男…。」
レカはイナギの方を見上げる形で呼びかける。
(さっきはイナギって名前で呼んでくれたのに…)
そんなことが不満なイナギは、ちょっとムッとしながらレカを見下ろす。
「…なに?」
不満な気持ちが声に乗る。
レカは顔を前に戻してから、遠慮がちに告げる。
「もう…もう大丈夫だから…ちょっと離れて歩いてほしい…。」
よく見ると、レカの手の隙間から見える耳の先端が赤い。
目尻や頬も赤いように見える。
(あっ!)
自分がレカに近すぎたことに気付いたイナギは、慌ててレカから手を離す。
「ごっ…ごめんなさい!なんか…ちか…近すぎた…ね…。」
イナギは両手を上げて、降参のポーズを取る。
「…うん。…でも、嫌なわけじゃないから、大丈夫。」
レカのその言葉に、イナギはシュンとしていた気持ちが一気に急上昇する。
(嫌じゃないって…。嫌じゃないって!!)
心の中でガッツポーズをとってから、なんてことないフリをしつつ、イナギは声を発する。
「…そっ…か…。」
少し声が裏返っただろうか。
「うん…。」
20センチという不自然な間隔を開けながら歩く2人組が、保健室へと向かっていた。
※※※
保健室の前まで来ると、イナギはレカの抱えている猫を受け取ろうと手を差し出した。
「その猫は、ちゃんと獣医さんに診てもらったほうが良いと思う。」
イナギの言葉に、レカはハッとする。
保健室では、きっとレカの怪我の手当てが優先されるだろう。
しかも、小さい身体の彼女の方が、重傷かもしれないし、専門の獣医さんにしかわからないことがあるかもしれない。
「お願い…します…。」
レカは抱き締めていた彼女をイナギに渡す。彼女は、抵抗することもなく、イナギにおとなしく抱っこされた。もともとおとなしい猫ではあるが、今は特に抵抗する気力も無いようだった。
イナギは優しく彼女を抱き締める。
「レカは、ちゃんと診てもらってね。」
イナギは心配そうな声で告げた。
「うん。」
少しだけ笑って、レカは保健室の扉を開ける。
「後で!」
イナギがレカに呼びかける。
振り返ったレカに、イナギはもう一度念を推す。
「後で。あの場所で。」
コクリと頷いてから、保健室へ入っていくレカを見送り、イナギは近くの獣医さんを目指して歩き出した。
※※※
「レカっっ!!」
大慌てで保健室に入ってきたヴィーに、レカはゆっくりと目を向ける。
保健室の先生が、保護者として登録しているヴィーに連絡してくれたのだ。
その保健室の先生は、ヴィーが来るとわかると、安心して自分の用事へと出て行ってしまった。
なので、保健室には、治療用の椅子に、レカ1人が座っていた。
「けっ…怪我したってっっ…!」
息を切らせながら話すヴィーに、レカはそっと割れた眼鏡を見せる。
「眼鏡が割れちゃったけど、私は大丈夫だよ。」
眼鏡はもう使えないくらいに、レンズは割れ、フレームも少し欠けてしまっている。
だが、その眼鏡が衝撃を受けてくれたおかげか、レカの目の傷は、ちょっとした擦り傷が多く、打撲のような跡はなかった。
一通り、レカの目の周りをチェックしてから、ヴィーはへなへなとそこにしゃがみ込む。
「擦り傷で…良かったです…。」
どのくらい酷いものだと想像していたのだろう。心配をかけてしまったことに、申し訳なく思う。
「心配かけて、ごめんなさい。」
レカは素直に謝る。
ヴィーは、しゃがんだ体勢から、椅子に座っているレカを見上げると、優しく微笑んだ。
「うん。レカが大丈夫そうで安心しました。」
ヴィーの笑顔を見て、レカもホッとする。
「それはそうと、何があったのかな?」
ヴィーの質問に、レカは簡潔に説明する。猫の彼女のこと、石を投げていた先輩、庇った自分と、助けに入ってくれたイナギのこと。
黙って聞いていたヴィーが、『石を投げていた先輩』のあたりで、一瞬とても怖い顔をした。
「…その先輩たちって、名前はわかりますか?」
レカが話終わるとすぐに、ヴィーは訊ねる。
「名前まではわからなかったけど…、あ、イナギと一緒にいる男の子が、名前は控えたって言ってたかな。」
レカのその言葉に、ヴィーは何度か小さく頷くと、
「お仕置きが必要ですね…。」
と、小さく呟いた。
いつもは優しいヴィーは、たまに怒った時にものすごく怖いことを、レカはよく知っている。
うすら寒くなるくらい、物騒なオーラを醸し出しているヴィーを見て、レカはその先輩たちに同情しそうになる。
(まぁ、でも、今回は自業自得か。)
彼らが彼女にしたことを、レカは絶対に許せない。だから、今回、ヴィーがお仕置きをするつもりなら、それを止めたりする気は一切ない。
ちゃんと彼らが反省してくれると良い。
「そうだ!」
レカは、ちょうどヴィーと話したかったことを思い出して、話を切り替える。
「ヴィー、聴きたいんだけれど、私がこの国に配属される可能性って何%かな?」
レカがヴィーに乗り出すようにして言った。
ヴィーは、突然の話に驚くも、レカが真剣な表情をしていることに気がつくと、まず周りを見回して、誰も人がいないことを確認した。
「配属って…18歳以降のことですか?」
「そう!私、この国がどうなっていくのかを見続けていたいって思って。」
明るい声で返すレカに、ヴィーは立ち上がると、向かいの椅子を引き寄せてから座った。
「レカの配属の可能性についてはおいておいて…まずは、何でそう思ったのかを聞いても良いでしょうか?」
レカに対して、真剣に向き合おうとする姿勢を示したヴィーに、レカも背筋を伸ばして座り直してから、話を続ける。
「私、今まで3国のどこにも興味はなくて、この後どこに配属されても構わないって思ってたの。でも、さっき、イナギが『弱いものが安心して暮らせる国を作りたい』って言ってるのを聞いて、そういう国に住めたら良いなって。イナギが作る、そんな国を見てみたいって思って…。」
レカの目を見ながら、ヴィーは真摯に聞いてくれている。
「私のそういう希望は、通らないものなのかな…。」
レカは、そう言い終わると、縋るような目をして、ヴィーの返答を待つ。
ヴィーは、少し考えてから、レカの目を見つめて話し出した。
「レカの希望が通るかどうかについては、正直言うとわかりません。それに、僕とユウサが一緒に居たいと思っていても、叶っていない現状を見ているレカには、希望が簡単には叶わないことも理解していることでしょう。」
その前置きを聞いて、レカは離れて暮らすユウサ達夫婦を想い、気持ちが沈んだ。
たしかに、行きたいと思った国へ行けるのならば、ユウサ達のような想い合っている別居夫婦は存在しない。ユウサもヴィーも、いつかは一緒に暮らしたいと望みながらも、現状を受け入れて生きている。そのことをレカはよく知っていた。
途端にしょんぼりとしたレカに、ヴィーは続ける。
「でも、18歳までまだまだ時間のあるレカには、可能性がないわけではないと思います。」
ヴィーのその言葉に、落ちそうになっていた肩がふっと持ち上がる。
「僕も、どうやったらレカがこの国に居られるようになるのか、具体的なことはわかりません。でも、レカがこの国にとって必要な人材だと、周りの誰もが認めたならば、きっと君はここに居ることができるはずです。」
「この国にとって必要な人材…」
レカはその言葉を繰り返した。
「そう。
レカ、君は、ただの一般人ではないんです。君の持つ3国に関する知識と、なによりもその語学力は、逆に、ただの一般人として過ごすことは許されないほどです。
君は、3国のどこかの政治の中枢に関わっていくべき人材なのです。」
ヴィーの厳しい口調に、レカは身が引き締まる思いがする。
「つまり、君はどこの国の中枢にも入っていける力があります。」
自分の可能性の大きさに背中がゾワリとした。
「だから、もしも君がこの国に居たいと思うなら、この国についてよく学び、自分の力をどのような形で発揮したらベストなのかを見つけるといいでしょう。」
ヴィーの真剣な瞳を、レカは吸い寄せられたかのように見つめる。
そして、今言われたことを考える。
(そうか。私は、イナギの作る国にただ住むわけではなくて、イナギと共に作っていく側になれるってことなんだ。)
レカは、その考えに血が沸き立つような感覚を覚える。
しかし、突然目が煌めきだしたレカに、ヴィーはキツい一言を付け足した。
「ただし、レカ。今、15歳の君の状況を正直に言うと、君は3国のどれかを選べるような立場にはいません。このままでは、ミツカのお偉いさん達に言われるがまま、指定された国へ行くことになってしまいます。」
その一言に、レカは目を見張る。
「君の語学力は、ミツカのお偉いさん方も一目置いているのは事実だけど、残念ながら、君の大きなマイナス要素によって、その良さが評価されていません。レカには、何がマイナス要因かわかりますか?」
「…マイナス…要因…?」
なぞなぞのような問いかけに、レカはすぐには解答を思い浮かばない。
「そうです。政治の中枢にいる人間としては、致命的な弱点とも言えます。」
ヴィーの同情的な視線を感じて、レカはパッとある案が思い浮かんだ。
「コミュニケーション能力!!」
レカは、言わずと知れた『口なしちゃん』である。喋らないなど、せっかくの語学力が、全く活かせない存在の、最たるものではないだろうか。
ヴィーは、何も言わなかったが、それこそが正解だと言っているようなものだ。
「…そっか…。今までの自分の行動が仇になっているのね…。」
レカはガックリと肩を落とす。
「まぁ、先ほども言いましたが、レカにはまだ3年ありますから。」
ヴィーがそう言って慰める。
実際には、レカの『無口行動』は、ミツカのお偉方の中で問題にはなっているものの、それを補って有り余るほどの語学力の方が高く評価されている。3国全ての言葉を、レカほどに瞬時に聞き分け、理解し、通訳することができる人材は、そうはいないからだ。
そのうえ、真面目に努力してきた結果、それぞれの国の歴史にも詳しい。そんな人材は、どこへ行っても重宝される。
しかし、『口なしちゃん』のままでは、『レカの意見を優先する』ところまではいかない。
コミュニケーション能力が低い者は、使い道が限られてしまうため、お偉方にとって、レカの機嫌をとらなければいけないほどの価値があるとは思われていないのだ。
本来、レカほどの力があれば、『自分の未来を選択する』ことが可能である。
それだけの力を持っているのに、活かそうとしないレカに、家族やヴィーは、いつもヤキモキさせられてきた。
『3国のどこでも良い。レカの意思で選んだ国で幸せになって欲しい。』
というのが、ヴィーやユウサ、そしてレカの両親が常々思っていたことである。
しかし、その願いは、レカが意識し、行動に移さないことには、どうにもならない。
(やっと…やっとその時が来たんですね…)
目標を定めて、努力しようとし始めるレカを見て、今まで黙って見守っていたヴィーは、心の中で安堵する。
「…私…人と話すこと…頑張ってみる…。」
レカが、決意を込めたような瞳で、ヴィーを見た。
「それは、とても良いことですね。」
ヴィーはニコニコして返事をする。
そんなヴィーを見て、レカは何か言おうとして…でも、やっぱり言うのを辞めた。
そんな様子に、ヴィーは全く気が付かず、早くユウサに報告しなくっちゃ!と、そればかり考えていた。
ヴィーは知らなかったのだ。
その時のレカが、とても大きな決意を秘めていたことを。
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