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第3章 第5日目
レカと彼女
しおりを挟むレカは、お昼ご飯をほとんど裏庭で食べている。
それは、人が来ないことも理由の一つだが、そこにはレカにとって数少ないお友達がいるからでもある。
お友達と言っても、もちろん人間ではない。
お友達は、れっきとした猫であり、しかも、とてもではないが可愛いとは言い難い顔で、容姿も太めのジャパニーズボブテイル…つまりそのあたりによくいる三毛猫だ。
彼女は、しかし、後ろの左脚が極端に短く、他の脚と比べると明らかに小さい。生まれつきのものなのか、産まれた後に何らかの原因があったのか、それは全くわからない。
それでも、のんびりゆっくりと歩き、レカを見つけると近寄ってくる。愛嬌だけはたっぷりあって、レカが食べ物を分け与えると、嬉しそうに擦り寄ってきたり、指を舐めたりする。
脚のせいで、素早く動くことはできないだろうが、レカの他にも餌をくれる者を見つけているのは間違いない。
なぜなら、学校のある平日の昼にしかレカは会っていないし、餌だってほんの少ししか分け与えていないのに、ぽってりとしたその体格は、食に困っていない様子を如実に表しているのだ。
レカにとって、彼女との時間は、ストレスフルな寮生活を送る上で、貴重なリラックスタイムである。彼女に会えるお昼の時間が、レカは大好きだ。
今日も、いつものように売店でサンドイッチとジュースを購入してから、裏庭に向かう。
この塀を曲がれば、裏庭…というところで、普段は聞こえない人間の声が聞こえて来た。
その声はとても楽しそうで、1人ではなく、3人くらいの笑い声が聞こえる。
それと共に、ヒュッという何かが風を切る音と、カツッと物に当たる音。
レカは何をしているのか気になって、そっと塀から頭を出してみる。
すると、そこには、不自由な脚を引き摺り、重たい身体を精一杯持ち上げながら、彼女が逃げ回っている姿があったのである。
笑い転げているのは、レカより高学年とみられる少年3人で、代わる代わる石を見つけては、彼女に向かって容赦なく投げつけている。
レカは予想外の出来事に、一瞬身体が固まった。しかし、その時に運悪く、石の礫が彼女の肩にぶつかった。
「ヒギャァッ!」
彼女のそんな声は初めて聞いた。
「ナイスヒット!」
当てた少年はガッツポーズをし、それ以外の少年はさも可笑そうに笑う。
そして、次こそは自分が当ててやる、とばかりにすぐに石を探して掴み取る。
レカは次の瞬間、持っていた物を放り出し、彼女のところまで走っていくと、その身体を抱き締める。
「ガツっ!!」
「っっ痛!!」
少年の投げた石が、レカの肩甲骨のあたりに当たった。
あまりの痛さに、レカはぎゅっと目を瞑る。
(これが、同じようにこの子に当たったのね…)
自分の肩甲骨がジンジンと痛むが、それよりも、こんな小さな身体で、痛みと恐怖を味わったのかと思うと、レカは同情を通り越して怒りを感じた。
少年たちは、人に当てるつもりは無かったのだろう。急に飛び出て来た少女に当ててしまったことに、驚き、そして狼狽していた。
しかし、怒りに燃えた瞳で少年達を振り向いたレカに、少年たちは逆にホッとした顔をする。
そして、意地悪そうな顔でこう告げた。
「おまえのこと、俺知ってるよ。3年の、喋れないって奴。そうそう。口無しちゃんだろ。」
もう1人も、便乗して告げる。
「なーんだ。どうせ喋れないんだから、これが誰かに伝わることはないなぁ。」
当ててしまって、1番驚いていた最後の1人も続ける。
「へぇ。そりゃ良かった。ここで今、何やったって、全部無かったことにできるってわけだ。」
そうして3人はニヤニヤ笑いながら、新しく投げやすい石を拾い上げ、レカを見る。
「おまえにこれからどれだけの石をぶつけても、何も無かったってことになるな。」
言った少年はわざと大きく振りかぶる。
本音を言えば、少女に石を投げるつもりは無かった。
だが、こう言えば、この小さな少女は逃げ出すだろうと思っていたのだ。
しかし、3人の予想に反して、レカは、その3人を睨みつけたままだった。
その視線に、少年たちはたじろぐ。
レカは彼らを睨みつけながら、強く憤っていた。
弱い者をみれば、いたわるわけではなく、逆に石を投げつけるこの少年たちが憎かったし、
今回ばかりでなく、弱い者が痛みを負ってばかりいるこの世界の仕組みも許せなかった。
そして、このまま自分が何も行動を起こさないということは、絶対に赦せることではなかった。
今まで、目立たないことが、生きていく上で大事なことだと思っていた。問題を起こさず、多少の理不尽は飲み込んで、誰に何を言われても、気にしないように生きてきた。
(でも、それじゃあ、いざという時に『大切なもの』が護れないんじゃない?)
いろんなことを我慢して、言いたいことも言わないで、そうしてこの先も舐められたまま生きていくのか。
自分のことは仕方がない。諦めることに慣れている。でも、こうして自分の大切なものに手を出された時も、仕方がないって諦めるのか。
(我慢の限界。)
レカはそう悟った。
今までは、物分かりの良いふりをしていただけで、もともとは頑固で負けず嫌いな性格である。この状況を我慢して、黙って見過ごすということは、できるわけがなかった。
「……ざけるな…。」
レカが小さく呟く。
少年たちは、レカが何かを口にしたことに驚く。
レカは彼女を抱き抱えながら立ち上がると、少年たちを真っ直ぐに見据える。
そして大きく息を吸うと、
「ふざっっけんなっ!!」
と叫んだ。
少年たちは、レカの方を向いたまま固まる。
『口なしちゃん』が喋ったのだ!!
「これが、この痛みがなかったことにできる?ふざけるなっ!そんなわけないでしょう?」
レカは彼女を護るようにぎゅっと抱きしめてから、もう一度言う。
「あんたたちがしたこと、例えこの口から報告できなかったとしても、手紙でも筆話でもなんでも使って、必ず上に報告してみせる。他人に痛みを与えたこと、必ず後悔させてやるから!」
レカの勢いに、少年たちは先ほどまでの態度が嘘のように縮こまる。
それでも、こんな小さな少女に馬鹿にされるわけにはいかないと、1人が悔しそうに言い出した。
「はんっ!お前の言うことなんか、誰が信じるんだ!」
「…そーだ、そーだ。」
「…い…今まで喋らなかったやつのことなんか、誰も信じねーんだよ。」
こうして、少し勢いを取り戻した少年は、ついでとばかりに、持っていた石を軽く握りなおすと、レカに向かって投げつけた。
レカはとっさに彼女だけは守ろうと、身体を小さくして蹲る。
「ガシャっ」
「キャアっっ!」
今度はレカの眼鏡に当たった。
レンズが割れて、小さな破片がキラキラと飛び散る。
少女への威嚇のために、足元を狙った石は、思いもよらずにレカがしゃがんだことにより、眼鏡を壊してしまったようだ。
「…や…やべ…。」
投げた少年が後ずさる。
他の2人も、さすがにこの展開はまずいと、逃げ出そうとしていた。
その時だ。
「どちらへ行かれるんですか?」
レカがさきほど飛び込んできた塀の向こうから、目に炎を宿したイナギがやって来た。
その姿を見た少年3人は、逃げ出そうとしていた動きを止める。
イナギは、ゆっくりと一歩一歩踏みしめながら優雅に歩いているのだが、よく見ると、両手を痛いほどに握り締めていた。
「おまえっ!宰相家の…!」
イナギに1番近い場所にいた少年が、息を呑む。
「あれ。僕のことをご存知なんですね。」
イナギはそちらをチラリと見るが、歩みは止めない。
「それなら話が早いです。お顔は覚えましたので、今後、この国での出世は諦めて下さいね。」
そう静かに話すと、そのままレカのそばまで行き、しゃがみ込む。
「…レカ!大丈夫?」
先ほどまでの怒りはどこへやら、心からレカを心配している様子だ。
「…イナギ?」
次に来る石の礫を警戒して、俯いていたレカが顔を上げる。
そして、予想外のイナギの登場に驚き、つい続柄ではなく、名前呼びしてしまった。
レカからの名前呼びに、少し浮かれたイナギだったが、顔を上げたレカの左目の下に、いくつかの小さな傷が見えたとたん、目を見開く。
「!!」
イナギは再び瞳に怒りを宿す。
一方のレカは、まだ、突然のイナギの登場を飲み込めておらず、疑問符を顔に貼り付けている。
「…どうして…。」
「うん。それはまた後で。とりあえず、保健室で怪我の処置をしようか。」
イナギはレカを彼女ごと抱えて立たせた後、そのままレカの隣にまわりこみ、腰を支えて、歩くように促す。
いつものレカなら距離の近さに過剰に反応して、ジタバタしそうなものなのだが、さすがにそこを気にする余裕もなく、素直に手助けを感謝している。
少年3人は、その様子を呆然としながら見ていたのだが、ハッとして、我先にと塀の方へ駆け出した。
3人が塀から廊下へ出て、更に逃げようとしていると、
「…逃げられませんよ。」
と声がした。
揃って声のする方を見ると、腕組みをしながら塀にもたれて立っている少年がいた。鋭く少年たちを睨んでいるその人は、イナギと共に行動することが多いクロハだ。
「先輩方の顔と名前は控えさせていただきました。今から逃げると、余計に罪が重くなります。いかがいたしますか?」
「……っっっっ!!」
3人は言葉もなく、その場に立ち尽くす。
ゆっくり歩きながらも、3人に追いついたイナギが、レカの腰を抱きつつ3人を見る。
「…力の弱い者、体の不自由なものは、虐めても、もしくは存在しなくても良いとお考えですか?」
3人に向かって静かに問う。
「…………。」
誰1人として答えない中、イナギは続ける。
「僕は、弱いものが、安心して暮らせるような国を作りたいんです。だから、今、一生懸命に学んでいます。」
その言葉に、身体をびくつかせるほど驚いたのは、他でもないレカだった。
(弱いものが、安心して暮らせる…)
その言葉は、レカの心の奥底を揺さぶった。
この人は、私の大切なものを同じように大切にしようとしてくれている。
彼女は、この世界の弱者だ。人間より力が弱い上に、脚が不自由でもある。そんな弱者である彼女が、安心して生きていける国、というのは、レカにとってとても大事なことである。
先程、イナギは『そんな国を作りたい』と言った。
彼は、自分のことだけでなく、そういう人たちが幸せに暮らせる国を作るために、自分の力を日々磨いているのだろう。
(そんな…そんなイナギが作る国に住んでみたい。)
レカは心の奥から熱い気持ちが湧き上がってくるのを感じた。
レカがそんな風に思っているとは全く知らないイナギは、レカを保健室へ連れて行こうと、廊下を歩き出す。
そして、3歩ほど進んだ後、突然止まると、レカの肩をぎゅっと自分に押さえつけながら、3人にも聴こえるように続けた。
「…この考えに賛同してもらえない方々には、残念ながら我が家の権力なるものを使って…。」
わざと最後まで告げなかったイナギの言葉に、どうなるのかを勝手に予想した3人は、身を寄せ合いながら震え上がった。
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