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第一章 運命的な出会い

2 機内での会話

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 その後も晴斗を中心に、まみと将生は協力しながら機内を過ごしていく。

 機内食は、客室乗務員の機転により、赤ちゃん用という離乳食のご飯が出た。
 晴斗にまみが食べさせている間に、大人のご飯も運ばれてきて、将生は肉の洋食を、まみは魚の和食を選んだ。 コップに入ったお茶が、晴斗によってひっくり返されないかに気を付けながら、大人二人も食べ始める。


 将生が食べ終わったことを確認したまみは、ちょうどバナナに気を取られている晴斗を、バナナごと将生に渡すことに成功すると、急いでご飯をかきこみ始めた。将生は、一心不乱にご飯を食べるまみにビックリしつつ、世のお母さんはすごいなぁ、と感心していた。


 その時、晴斗が持っていたと思われるバナナが将生の膝の上に落ちてくる感触がした。他人のことを気にしている場合では無かった!と慌てて晴斗に意識を戻すと、意外にも晴斗はウトウトと船を漕いでいた。このままそっとしておけば、眠ってくれるかもしれない。そう思った将生は、バナナを拾うこともせず、辛抱強く同じ姿勢のまま晴斗が寝てくれるのを待った。そのかいあってか、晴斗はそのまま目をつむって眠ってくれたようだ。

「矢野さん!矢野さん!」

 将生は精いっぱいのひそひそ声でまみを呼び、晴斗が眠ったことを伝えようとした。
 まみは口いっぱいにご飯を頬張っていたおかげで、大きな声を出さずに将生の方を向き、将生が目で晴斗の眠りを指しているのを見て、ごくりとご飯を飲み込んだ後言った。

「寝てくれましたね~!」

 こちらもひそひそ声である。将生と目を合わせてにっこり笑うと、そのままバナナが将生の膝の上に落ちていることに気づく。
 あら!という顔をして、まみはバナナを将生の膝から拾うと、自分のカバンからタオルを出してスーツをぬぐい始めた。将生は突然自分の太ももを他人にさわられ、こすられることになったものだから、

「うわっ!」

 と声を出し、びくりと反応してしまった。それに対して、バナナの跡しか見ていないまみは、一度顔を上げて将生に

「しーっ!」

 と注意した後、またしても将生の股近くにあるバナナの跡と格闘し始めた。将生はこくこくと頷いて、静かにすることを約束したものの、これまた自分の意志と反したところが反応しそうで怖い・・・。

「も、もう良いです。だ、大丈夫ですから・・・」

 情けないひそひそ声で将生はまみの行動を止め、もぞもぞと座りなおした。晴斗を上手に抱えなおして、『あそこ』がまみから見えないように調整する。


 たしか、ある友人が飲んでいた拍子に、「マッサージ屋に行ったときに、太もも付近をマッサージされると、『あそこ』が無条件に反応してしまう」という話をしていたな、と思い出す。

 まさにそうだ!と将生は、あの時は全然関心のなかった事柄に、心の底から同意した。
 これは、ただの生理現象だ、恥ずかしいことじゃない!と自分を正当化しようとした。

 そして、軽く深呼吸をして、心を落ち着かせる。


 なんだか・・・振り回されている気がする・・・。

 でも、それは全く悪い気はしないのだった。




「せっかく晴斗が寝てくれているので、矢野さんは少し好きなことをして休んでください。空港からここまで、重たい思いをさせて申し訳ありませんでした。」

 将生が、まみを気遣ってそう言ってくれた。

 まみにとっては、瑛斗よりずっと軽いのに、という感覚ではあったが、確かにこのところ瑛斗をずっと長時間抱っこし続けることがなかったからか、久しぶりの長時間抱っこに少し腕が疲れているようにも感じた。

「そうですね、少しだけ休ませていただこうかな。晴斗君起きたら、また抱っこできるように、体力を回復させますね!」

 そう言って、頭を座席の後ろにあてると、ゆっくり目を閉じた。もともと乗り物内で本を読むと酔ってしまうまみは、映画やゲームといったものよりも、ただ目を閉じて休むことを選んだのだ。

長いフライト時間中、ゆっくりできる時間はどれくらいとれるだろう・・・。



 隣で突然目を閉じて、この呼吸音からするに眠っているのではないかと思えるまみの行動に、将生は驚きながらも、興味を感じずにはいられなかった。そして、まみが寝ているのを良いことに、その顔をじっくり観察させてもらうことにした。

 顔は卵型で、肌がみずみずしいところから、きっとまだ20代前半だろう、化粧もあまり濃い感じはせず、ナチュラルな感じがする。髪は黒いまま肩までの長さで、染めてもいないようだ。前髪がアシンメトリーで、左眉の上だけ少し短くなっており、きれいなアーチを描いている眉が両方とも出ている。目を開けているときは、元気いっぱいな様子なのに、寝ているととてもおとなしい印象を受ける。一般的に言って・・・というか、将生の基準でいくと、間違いなく可愛い子だ。

 ここのところ、辛いことが続いていたが、やっぱりどこかで神様がみていてくれるのだろうか。まみと空港で出会えたことは、将生にとっては久しぶりの幸運と呼べるものだった。




 この後、スカルノハッタに着いたら、いつもの運転手さんが待っていてくれることになっている。

 家にも、普段は夜には来ないけれど、今日だけはお手伝いさんが待機してくれるように手配した。

 前任者からそのまま引き継いだお手伝いさんは、週に3日(月・水・金)、午前中に将生の家に来て、洗濯と掃除をしてくれている。この国では、未だにお手伝いさんや運転手さんが職業として根付いているのだ。

 単身でこの国に来た将生としては、ありがたく感じる一方、家に他人が入ることに多少の戸惑いがあった。だが、少しでも多くこの国の経済に貢献するためには、お手伝いさんを雇うのは必須だと前任の先輩に言われ、言われたとおりにしている。

 とは言え、これまでは鍵を渡して午前中に来てもらっているため、日中に仕事をしている将生とお手伝いさんは、あまり鉢合わせしたことがない。家事はしっかりしてくれているし、物を盗られたこともないので、将生は今のお手伝いさんに不満はない。

 ただ、今回晴斗を受け入れるに当たって、ベビーシッターを新たに雇わなくてはならない状況に、少してこずってもいる。

 今までのお手伝いさんに、週5日、午前中だけでなく毎日通ってきてもらいたい、と伝えたところ、

「自分は他の日(火・木・土)には違う家の仕事をかけもちしていて、週5日通うことはできない」

 と断られてしまったのだ。しかも、

「自分は家事は得意だが、ベビーシッターは難しい」

とも言われている。

 インドネシアにいる日本人の上司に聞いてみたところ、(上司は家族連れでジャカルタに暮らしている)、彼の奥さんに言わせると、ベビーシッターと家事全般をこなすお手伝いさんは別である、ということだ。

 もちろん兼ねている人もいるけれど、シッターとして英語ができたり、日本語ができたりする人は少なく、雇用費用も高くなるそうだ。

 良さそうな人を探しておいてくれる、とその奥さんは言ってくれているのだが、こんな急に、日本語のできるシッターさんが手配できるとは限らない。せめて英語は使える人でお願いしたい、とだけ要望は伝えてみたが・・・。

 シッターさんと面接したり、信頼関係を築いたりするのには、時間がかかりそうで、正直うんざりしている。今の自分の生活に、赤ちゃんが一人増えるということは、どれだけ大変なことなのか・・・。

 将生は想像するだけで肩が落ちそうだが、大事な兄の子どもだと思うと、頑張らねば、とも思えてくる。彼は彼で闘っている。彼が勝ち上がってくるまでは、晴斗を守るのが自分の役目だ。


 そんな将生の左の肩に突然重みを感じた。ビックリしてそちらを見てみると、まみが、いつの間にか自分の肩の近くまできていたらしく、ついに力尽きて将生の肩におりてきたようだ。

子どものような寝顔に、自然と笑みが浮かんでくる。

 それまで自分はどうやら険しい顔をしていたようで、今微笑んだことで、顔の筋肉がすごくゆるんだ感じがする。肩にもたれてくれるなんて、自分が男として頼られているようで、なんだかくすぐったい。腕には赤ちゃんの温かさ、肩には可愛い女の子の重み。27歳、独り身の男にはなかなか味わえない貴重な体験に、将生は少し幸福を感じていた。



 ふと目覚めると、誰かの肩を借りていた。はっと体を起こし、相手の顔を見上げると、将生が笑顔で振り向いてくれた。

 「おはようございます。」

 まみは、自分がどのくらい眠っていて、いつから肩を借りてしまっていたのかを全然思い出せずに慌てて言った。

 「す・・・すみませんっ!重たかったですよねっ!」


 見ると、将生の腕の中では、まだ晴斗が眠っている。声が大きすぎなかったか、すぐに自分の口に手を当てて、まみは今度は小声で

「・・・どのくらいご迷惑おかけしちゃってましたか・・・?」

 と聞いてみた。すると、将生は

「えーっと・・・5分くらいですかね。大丈夫です。矢野さんが少しでもゆっくり休む時間のお手伝いになったのなら、良かったです。」

 と答えた。本当は5分なんてものではなく、30分は軽く超えていたけれど、将生としては幸福な時間だったし、まみに気を使わせるのは悪いし・・・何より気にして今までの様に接してもらえないのはいやだな、と思ったのだ。

「そうですか・・・。」

 将生のことばをそのまま信じて、まみは5分くらいなら・・・と少し安堵した。素直な性格なようだ。

「・・よだれとか・・・大丈夫でしょうか?」

 まみは恥を忍んで聞いてみた。自分の目で将生の肩の様子を確認する。濡れている様子もなく、どうやら大丈夫そうだ。将生としては、例え濡れていたとしても、まみのよだれくらい気にならなかったが、そういう言い方は軽く変態かな、と考えて、

「大丈夫ですよ。それよりも、晴斗のよだれの方がすごいですからね。」

 と話の対象をそらしてみた。すると、まみは素直に晴斗へ意識を向けて、

「よく寝てくれていますね。」

 とふわりと笑いながら返した。

「このまま良く寝てくれていたら良いんですけど。」

 と将生が言うと、

「そうですね。でも、変な時間に寝てしまうと、夜に起きてしまったり、眠りのリズムが崩れて、ちょっと大変かもしれませんよ。まぁ、こういう移動の時は総じて夜泣きがひどかったり、夜にゆっくり眠れなくなること多いんですけど。」

 と、まみが答えた。そういうものか、と将生は学ぶばかりである。

「働いていると、子どもの夜泣きで自分が眠れなくても、そんなの理由にならなくて、やらなきゃいけないお仕事が待っているじゃないですか。だから、瑛斗が夜泣きした時は、よく私が抱っこして夜を過ごしていましたよ。学生の私の方が、融通きくこと多かったですからね。」

 まみが懐かしむように、瑛斗の赤ちゃんの時の話をし始めた。

「そういえば…立ち入ったことを聞いて申し訳ないのですが・・・もし嫌なら答えなくても良いですので・・・。瑛斗君のお父さんは・・・。」

 将生がまみに質問した。

「ああ!大丈夫です。元気ですよ!死別したわけでも、離婚したわけでも無いんです。」

 まみがにっこり笑いながら答えた。

 その答えに、将生はほっと息をついた。

「ただ、姉のうちは、共働きも共働き、二人ともバリッバリに働いているので、姉が里帰り出産した時、ほとんど毎日瑛斗と私と姉と母との四人でいて。そのうえ姉は産後二ヶ月で復帰したんですけど、その後も保育園のお迎えは母か私が行っていまして。姉の仕事が遅くなる時には、うちで預かったうえ、姉も一緒に泊まっていったり。平日は矢野家、休日は藤木家みたいな感じで瑛斗は暮らしてきたんです。だから、私は瑛斗にとって第二のお母さんみたいな存在になっちゃってるんですよね。」

 なるほど、その延長で、まみは姉の海外転勤に帯同してきたのか。と将生は思う。

「矢野さん自身はお仕事されてないんですか?」

 その問いは、軽く「まだ学生なんです」とでも返されるかと思っての質問だったのだが、まみは将生の想像していたような反応をしてこなかった。

「・・・・・・。」

 それまで、瑛斗君のことを優しい気持ちで思い返していただろうまみの表情が、一回抜け落ちたみたいになった後、将生の目を一回見上げ、かすかに微笑んだ。

「だめだったんです。」

 将生は、言わせてはいけないことを言わせてしまったようだと気づき、しまった!とは思ったものの、もう聞いてしまったことはもとに戻せない。
 何が全部だめだったのか、そこは想像でしかないけれど、このくらいの年の子ので「仕事」「だめ」と言われたら、きっと就職活動のことだろう。そう推測して、こう言った。

「そうですか。でも、そのおかげで、僕は矢野さんに空港で出会えて、泣き止まない瑛斗を抱っこしてもらえました。とても助かりましたよ。」

 まみは、少し驚いたような顔をした。その後、将生は

「今の僕はとても幸福なので、神様ありがとう、と思っています。矢野さんと出会わせてくれましたからね。」

と続けた。そして、

「こんな可愛い子と育児話ができたり、僕の肩を借りて寝てくれたり、僕は本当に幸せ者ですよ。」

 と、茶目っ気たっぷりに言ってみた。

 すると、まみがふふっと笑ってくれ、

「そうですか。誰かを幸せにすることができたのなら、私の人生も間違ってなかったのかもしれませんね。」

 と言った。

 将生は

(微笑んでくれて良かった。最後のセリフは、聞く人が聞けば、ちょっとセクハラっ入ってるもんなぁ)

 と内心ひやひやしていたのだが、まみが笑ってくれたので、ひとまず安心する。ちょっと捨て身の戦法だったが、なんとかうまくいって良かった。

 将生はまみに気づかれないように息を吐いた。

 こうして、将生とまみの二人は、他愛のない話をしながら、その後は特に悪い空気になることもなく、育児話を中心にしながら、(起きた晴斗のオムツを換えたのはまみだったから、特に問題もなく)おおむね滞りなく、空の旅が続けられた。


 事件が起こったのは、無事に空港に着き、みんなでイミグレを通過しようとたときだった。

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