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第二章 それぞれの誤解

4 藤木家での夕食会

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 結論から言うと、その日まみはマンゴーの店内には入らなかった。「入れなかった」というべきか。

 エディさんの回してくれた車に乗ってから数分後、気付けば瑛斗がお昼寝に入ってしまっていた。いつも、給食の後はお昼寝タイムの瑛斗には、車の振動も手伝って、眠るのに最適な環境だったのだろう。初めての場所に興奮したり、たくさん歩いたり、その他にも眠くなる条件は揃っていたのかもしれない。
 
 眠ってしまったのは瑛斗だけではなく、実は晴斗も眠っていた。
 では、瑛斗や晴斗のために、まみがマンゴーに入れなかったのかというと、実はそうではなく、なんとまみ本人も眠ってしまったのである。
 瑛斗のお昼寝条件に当てはまる『お昼ご飯の後』『初めての場所に興奮』『たくさん歩いた』はまみにも正しく当てはまり、そのうえいつもより晴斗を抱っこしている分、疲れもあったのだと推測される。

 マンゴーの駐車場に着いて、さて降りようと、シートベルトを外しながら後ろを見た将生は、後部座席で寝ている瑛斗にはすぐ気が付いた。あゆみも困ったような笑顔で笑い、小さな声で

「寝ちゃったみたい。」

 と言った。そしてその後自分の後ろの座席に目をやり、

「こっちも。」

 とまみ達のことも付け加えた。

 将生はまさかまみまで寝ているとは思わず、後ろをよくよく見てみると、座席の隙間から、晴斗を抱っこ紐に入れたまま、眠ってしまっているまみが見えた。

「…矢野さん、よく寝る方なんですね」

 将生があゆみを見ながら率直な感想を述べる。

「そうなんですよ。昔から気付くと寝てる子で…。布団に入るとすぐにスイッチ切れたみたいに寝てること多くて。寝つきがいいって言うんですかね。」

 あゆみが小さい頃を思い出したのか、優しい笑顔をしながら返す。
 そんなあゆみの話にほっこりしながら、

「瑛斗くんも寝てしまっているなら、僕1人で買い出し行ってきましょうか。何か欲しいものがあれば、買ってきますよ。」

 と、将生があゆみに提案すると

「いえ!どんな商品があるのか見てみたいですし、家に何も食べる物がない状態なので、パパッと買いに行きたいです。瑛斗も、起きた時にまみが近くにいれば大丈夫だと思います。」

 と、すぐに車から出る準備をし始めた。
 それなら、と将生も助手席から降り、周りを起こさないようにしながら、2人でマンゴーに早足で向かった。



「…まみ!起きて!まみ!」

 あゆみの声で、まみはハッとする。

「あっ!あれっ?」

 まみは自分がどこにいるのかわからないような顔をした。

「瑛斗も寝ちゃってて、こっちは私が抱っこして降りるから、晴斗くんよろしくね。」

 あゆみはなんの説明もしないままに、要件だけ伝えてくる。そして宣言通り、瑛斗を抱っこすると、よいしょっと掛け声をかけながら車を降りる。

「あ、食料品は藤木さんが持ってくれるって。夕飯もうちで一緒に食べることになってるから。」

 やっぱり要件しか言わないあゆみは、そのままレセプションへ入って行く。

「えっ⁉︎ちょっと待って?」

 まみが降りるには、2列目のシートを倒してもらわないといけない。それをせずに居なくなってしまったあゆみに、まみは少しばかり焦る。
 すると、食料品の入った袋をたくさん持った将生がひょっこり車内に顔を出した。

「矢野さん、シートを倒したら、晴斗ごと矢野さんのお宅にお願いして良いですか?買った物を運ぶの、一回じゃ厳しくて…」

 エディさんもカンダリアデパートで買った物を、レセプション内のソファまで運ぶ手伝いをしている。一度子どもや持てる荷物をまみ達の家まで運んだら、将生がもう一度レセプションまで降りてきて、荷物を持って上がることになっているようだ。
 そんな説明を聞きながら、2列目のシートが倒されると、まみは晴斗の頭を押さえながら、ゆっくり車を降りる。晴斗はまだ寝ているが、たまに親指をチュッチュと吸っている。

「…またまた寝ちゃいまして…。すみません。」

 まみが少し顔を赤らめながら、将生に謝る。

「いえいえ!晴斗をずっと抱っこしてたら疲れますもんね。こちらこそ、この後もお邪魔しちゃうことになって、申し訳ありません」

 将生の事情を知っているあゆみとしては、この後の晴斗の夕飯や、その他諸々の赤ちゃんの世話を、将生1人に任せるのは忍びなかったはずだ。しかし、まみとしては、いつの間にか2人が距離を縮めていたことに非常に不安を感じていた。
 しかし、もう決まってしまっていることを、ひっくり返せるような言い訳を思いつけるわけでもなく、まみはそれを受け入れるしかなかった。


 そうして、みんながまみ達の部屋に集合したのは、まみが車から降りて30分後である。
 将生の荷物の運搬がなかなかに手間取り、将生の自宅に荷物を置いたりなんだりしていたら、かなり時間がかかってしまったのだ。
 将生がもう当たり前のように(玄関からではなく)裏口から入ってきた時には、瑛斗も晴斗もお昼寝から目覚めていて、それぞれに活動していた。
 特に晴斗は、お出かけ中はなかなか自分の思う通りに動けなかった分、キャアキャア言いながら喜んでハイハイで動き回っている。瑛斗は、お気に入りの電車の絵本に夢中だ。

「それでは、おねーちゃんは夕飯を作ってください。私と伊藤さんで、子ども達をみています。」

 まみの毅然とした指示に、あゆみは

「いえっさー!」

 と返して、さっそく今日の夕飯作りに入る。
 キッチンの使い方はまだ慣れないが、日本人専用スーパーのマンゴーで、思いのほか日本食がたくさん手に入り、ご満悦だ。味噌も醤油も米も手に入った。

 イスラム教徒の多いインドネシアでは、豚肉はなかなか手に入らない。日本からの冷凍輸入があるので、マンゴーで手に入りはするが、現地で取れる鶏肉の方が鮮度が良く、安く手に入る。あとは、日本でも食べているような葉物野菜や、根菜も、現地で作ってくれているので、それも鮮度良く手に入れることができる。

 今日の夕飯の献立は、ご飯、味噌汁、鳥の唐揚げ、きゅうりの酢の物、キャベツの千切りだ。
 千切りのキャベツは、水道水ではなく、ミネラルウォーターであらかじめ洗う必要がありそうだ。あゆみはもともと料理好きなので、自然と鼻歌を歌ってしまう。ここでも、日本食が毎日食べられそうで、そのことに安心していた。


 まみとしては、将生とあゆみをこれ以上近付けない作戦として、あゆみ1人に料理をお願いしたのだが、『一緒に子どもをみる』というタスクの2人も、けっして一緒にはいられなかった。
 晴斗と瑛斗が一緒にいないからだ。瑛斗はまみに絵本を読んで欲しがるし、晴斗はとりあえず動き回りたい。動き回る晴斗には、将生がくっついていたのだが、

(これ、大人1人しかいなかったら、子どもをどうするんだろう)

 と将生は素朴な疑問をもった。
 やはり、世の母親達は偉大である。

 今は、子ども1人に1人ずつ大人がついているし、料理も1人で取り掛かれているし、これは本当に贅沢なことだな、と将生は思った。



 そうして、ご飯が出来上がると、まず瑛斗に食べさせることにした。リビングには高いテーブルと、テレビの前のローテーブルの2つがあり、ローテーブルは子ども用に使おう、と決めた。
 そこで、お盆の上に瑛斗分の配膳をして置き、ちょうど良い高さの段ボールを椅子にして、食べるように促した。瑛斗は、こぼしこそすれ、自分でスプーンやフォークを使って食べることができる。もちろん手掴みも入るが…。

 そして、その瑛斗の様子を見て、興味深く近づいて来た晴斗も、捕獲され(まみに抱っこされ)る。テーブルの反対側に用意されたお盆の上に、晴斗用のご飯が用意される。

 意外にも、日本の離乳食キットがマンゴーに売られていたので、それをたくさん購入して来たのだが、それらはかなり高額である。なので、今日の夕飯で味付けを薄くした物など、食べられそうなものは、率先してそこからあげることにした。晴斗としても、みんなと同じものを食べられた方が嬉しいだろう。

 そして、瑛斗と晴斗が食べてる間に、少し離れた高いテーブルであゆみが先に夕飯を食べる。料理を担った者として、お味見を…なんて言ってるけど、単にお腹が空いて、早く食べたかっただけである。小さな子がいる場合、大人全員で一斉に『いただきます!』は難しい。手の空いた大人が順番に食べ、交代しながら子どもの食事をみないといけないからだ。

 将生にとっては、3歳児である瑛斗の食事介助も、慣れないから難しかった。しかし、瑛斗はしっかり食べ、満足そうだ。
 一方の晴斗だが、食べることがもともと好きらしい。食べず嫌いもなさそうだし、柔らかくしたご飯や、味の薄いスープも、スプーンに乗せて口の前に持っていくと、パクっと食べてくれる。まみは、スプーンを晴斗の上唇にこすりつけるようにして、スプーンの中身をしっかり晴斗の口内に落とした。
 こうして、子ども2人になんとか夕飯を食べさせた。

 ちょうどその頃、あゆみも食べ終わり、パンっと手を合わせて

「ごちそうさまでした!替わるよ!」

 と勢いよく言い、ニコッと笑う。

 そして、晴斗をまみから受け取り、抱っこする。瑛斗は瑛斗でローテーブルから離れて、好きな絵本のところへ行ってしまう。

 こうしてやっとまみと将生の夕飯タイムが訪れた。あゆみが2人の分も盛り付けておいてくれたので、すぐ食べられるようになっている。

「やーっとご飯にありつけましたね」

 まみが『いただきます』のための合掌をしながら、将生の方を向き、笑顔で言った。

「ほんとに!今日は特に、食べられるってことがありがたく感じます。」

 将生が、ご飯を前に、しばし感動する。

「伊藤さん、そんなのんびりしてられないですよ!早く食べちゃって、晴斗くんの担当に戻ってくださいね。」

 怒涛の勢いで、ご飯をかき込みながら、まみが注意する。そんなまみを見て、将生もはっとし、箸を握り直す。

「いいよ、いいよ。大人がいっぱい居る今日くらいは、ゆっくり食べてて良いよ~」

 と、そんな2人のやりとりを聞きながら、あゆみが苦笑して話に入ってくる。
 実際、育児体験が皆無だった将生にしては、よくやっている方だと思う。今日は余裕もあるし、ご飯をゆっくり食べるくらいのご褒美があっても良いだろう。

「あ、ありがとうございます!」

 あゆみの言葉に、将生はじんわりと感動し、感謝の言葉を述べる。

「矢野さんも、少しゆっくり食べても良いのでは…」
 
 と、提案する。飛行機内から始まって、まみがゆっくりご飯を食べているところを、将生は一度も見たことがない。きっと毎日忙しく食べているまみは、早食いが染み付いてしまっているのだろう。

「そう?じゃあ、私もゆっくり食べようかな」

 まみがそう呟いて、食事スピードを落とす。うどんを食べ損ね、お昼ご飯が物足りなかったまみとしては、ガツガツ食べたい気もする。でも、のんびり食べられる時間は貴重なので、満喫することにする。食べながら、将生となんてことない会話をし、楽しんだ。



「明日、朝にちょっと会社に顔を出して、引き継ぎやらなんやら…あと携帯電話も受け取ってくる。午前中で終わると思うから、うちでお留守番していてくれるかな?」

 あゆみが晴斗を抱っこしながら、浴槽にお湯をはり始めたまみに話しかける。将生は食器洗いを申し出て、台所にいる。

「OKだよ。早く携帯手に入れないと、ヒロくんに連絡できないもんね。」

 まみが返すと

「あ、LINEじたいはすぐできるよ~。ここWi-Fi通ってるから、日本から持ってきたiPhone使えば、この家の中でならLINEできる。部屋から出ちゃうと繋がらなくなっちゃうけど。」

とあゆみが教えてくれる。

「そうなの?それならさっそく伊藤さんと連絡取れるようにしておかなくちゃ!晴斗くんのベビーシッター頼まれてるもんね。」

 そう言いながら、まみが、自分のiPhoneを探しに行く。そして、この家のWi-Fiのパスワードを登録し、携帯を持ちながら将生の元へ行く。

「伊藤さん、LINEを教えていただいても良いでしょうか?」

 食器洗いが終わった将生は、備え付けのタオルで手を拭いてから、後ろポケットに手を入れ、携帯を取り出す。

「あぁ、Wi-Fi通ってるんですね!」

 はからずも、まみの方から連絡先の交換を申し出てもらえて、将生はニヤニヤしてしまう。

 まみが新しく現地の携帯を手に入れるまでは、場所は限定されるが、連絡手段が全くないよりはありがたい。ついでに、将生の家のWi-Fiもパスワードなどを伝えて、繋がるようにしておく。

「今後、新しい携帯が手に入っても、家の中で使えますから、iPhoneその物は捨てずに持っていた方が良いですよ。」

 将生のその助言に従って、まみはiPhoneを常に充電できるようにしておこう、と思った。
 

 そして将生は、この時LINE交換しておいてほんっとうに良かったと、心底感謝することになる。しかも今からそう遠くない未来に…。

 
 その後、子ども2人と女性2人はお風呂Timeをなんとかこなす。4人がお風呂から上がった後には、将生も自宅でシャワーを浴びに行く時間をもらい、身支度できてから晴斗を受け取りにやってくる。

 晴斗のはえかけの前歯2本を、ガーゼで歯磨きしてから、晴斗を将生に手渡す。少し、緊張気味の将生も、この1日、大した癇癪を起こすこともなく、晴斗はのんびりと過ごしていたので、今夜もきっと大丈夫だと信じたいところだ。

「もし、何かあった時は、矢野さん、助けてください。そして、何もなかったとしても、明日の土曜日、朝からこちらにお邪魔させていただいて良いでしょうか。ベビーシッターの契約についてもお話ししたいです。」

 将生は裏口から帰って行く時、まみに念をおしていくことを忘れなかった。2人を見送りに来ながら、

「もちろんです。いつでも連絡してもらって良いですし、明日も一緒に過ごしましょう。」

 まみは緊張気味な将生をリラックスさせるためにも、優しく言い返す。将生の真剣さに、少し笑ってしまいそうだ。

「では…おやすみなさい。」

 将生は自信なさげにドアを閉めて、廊下へ出て行く。その後ろ姿に

「おやすみなさい。」

 少し笑い出しそうなまみの声が追いかけた。

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