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第四章
クレトの正体
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一体何が起こったのかわからず、エステルはクレトに腕を回したまま固まった。賓客たちが頭を下げたほうを見ると、ソルの間の大扉が開き、玉冠に毛皮のマントを羽織った威風堂々とした男性が、扇子で半分顔を隠した女性をエスコートしながら広間にゆっくりと入って来た。
騒がしかったソルの間はしんと水を打ったように静まり、その姿が現れると一斉にざっとその場で皆が片膝をついた。
「え……?」
誰もが臣下の礼を取るこの男性と女性が何者なのか。エステルは体が固まったまま思考だけが目まぐるしく回転した。
ここはバラカルド帝国の宮殿だ。それも最も格式高いソルの間。各国の賓客を集め、そこで開かれる誕生パーティー。誰もがひれ伏し、戴く王冠……。
「まさか……」
導き出された答えにエステルは驚愕し、慌ててクレトから離れると膝を折って低頭した。
ベニタは未だ何が起こっているのか理解できずその場に突っ立ち、クレトやカミロは片腕を胸にあて軽く頭を下げている。
王冠を被った男性は、そのまま真っすぐエステルたちの方へと歩み寄ってきた。エステルはますます頭を低くしたが、傍らのクレトは顔を上げるとにこやかに話しかけた。
「ご機嫌麗しゅう、皇帝陛下。五十歳の御誕生日、おめでとうございます」
「うむ、久しいな、クレト。しかし皇帝陛下などと他人行儀な言い方はやめよと言ったのを忘れたのか?」
低音の良く通る声で王冠を被った男性、皇帝陛下は答えると、並み居る賓客たちへ向かって告げた。
「皆の者、今日は余のために大儀であった。大いに楽しんでいってくれ」
「皇帝陛下! おめでとうございます!」
「陛下! お祝い申し上げます!」
「陛下の御代が長からんことを!」
あちこちから一斉にお祝いの言葉が飛び交い、楽隊の音が祝いの曲を奏でる。ソルの間中がバラカルド帝国皇帝の誕生日を祝う声と音で溢れた。
その光景をエステルは呆然と見つめた。
クレトの知り合いの要人って……。
まさか皇帝陛下だったの?!
このソルの間を見た時からなんとなく予感はしていたけれど、まさか本当に皇帝陛下だったとは……。それはレウス王国の王太子妃選びにも口出しできるはずだ―――。
広間は束の間お祝いの言葉と歓声で満ちたが、皇帝陛下がすっと片手を挙げると音はピタリとやんだ。皇帝陛下はその中をゆっくりと歩み、上段に設えらえた玉座にまで進むと腰を下ろした。
それが合図だったようだ。
楽隊の音が再び始まり、広間は元のざわめきを取り戻した。
「行こう、エステル。きちんと紹介するよ」
クレトが促すままにエステルは玉座に向かった。傍らではまだ何が起こったのかわからないまま呆然と突っ立ったままのベニタがいたが、カミロが側にいた警備の騎士に指示を出す声が聞こえた。
「その女を連れていけ」
「はっ。カミロ皇太子殿下」
ベニタは騎士に引っ立てられ、どこかへ連れていかれた。ベニタの行方は気になるが、それよりも何よりも……。
「……ちょっと待って。カミロさんは、皇太子殿下なの……? え? それってまさか……」
混乱した思考がまとまりきらない内に、玉座の前についたクレトは臆することなく皇帝陛下に語りかけた。
「父上。私の恋人を紹介します」
「クレトって、バラカルド帝国皇帝の御子息だったのね……」
皇帝陛下と皇后、つまりクレトの父と母への挨拶を終えると疲労困憊したエステルは一旦支度部屋へと戻ってきた。心配してついてきたクレトに、要人っていう言い方はないと思うわと愚痴をこぼすと、クレトははははと笑った。
「笑い事ではないわよ。わたし、ほんとに心臓が飛び出すかと思ったのよ。どうしよう、たぶん上手く笑えていた気がしないの。陛下と皇后さまはわたしのこと、受け入れてくださったのかしら」
「もちろんだよ。エステルのことをとても気に入ったさ。あの人たちは、気に入らない相手だと話はしないからね」
その言葉にエステルはさぁっと血の気が引いた。
「ご両親は気さくな方だって言ったわよね……」
一歩間違えればとんでもないことになっていたかもしれない。今更ながら怖くなってきた。
「どうしよう、本当にわたし失礼はなかったのかしら」
「大丈夫さ。エステルのことなら必ず気に入ると確信していたからね。事実そうなっただろう?」
「そうなの……?」
全く自信はない。エステルは少々恨みがましい目でクレトを見上げた。
要人と、確かに要人で間違いはないけれど、この大陸の覇者、バラカルド帝国の皇帝陛下は要人などという言葉で括れる存在ではない。どうしてもっとちゃんと踏み込んで聞いておかなかったのか。なんとなく聞きずらく、要人と言う言葉で納得していた自分が愚かだった。
でも、先ほどのやり取りを思い返してみても、皇帝陛下と皇后との会話はなごやかで弾んでいたと思う。
失礼はなかったはずだし、最後にはまた遊びにおいでとおっしゃってもらった。
「及第点はいただけるかしら……」
まだ不安でクレトに聞くと、クレトは大丈夫だよとエステルをソファに座らせるとその足元に跪いた。
「足が疲れただろう? 少し脱いで寛ぐといい」
そうしてエステルの靴を脱がそうとする。エステルは慌ててそれを止めた。
「……クレトにそんなことしてもらえないわ」
皇帝陛下のご子息を足元に跪かせて靴を脱がせてもらうなんてとんでもない。
ぱっと立ち上がるとその肩をクレトはゆっくりと押し戻し、再びエステルをソファに座らせた。
「私は十五の時に国を出たと言ったろう? 身分のことは忘れていてほしい。今まで通り、私は君を拾った一介の商人だ」
「でも……」
そうは言っても真実を知った今となっては意識せずにいてほしいと言われてもどうしても考えてしまう。
「じゃあこれならどうだろう。私は君の恋人だ。疲れた足を癒すため靴を脱がせるくらい、恋人の当然の権利だとは思わないかい? エステルだってさっきベニタから私を全身で守ろうとしてくれた。それと同じだよ」
「それは……」
「さぁ足を出して。私に当然の権利を行使させてくれ。セブリアンとの食事では足を痛めていただろう。ヒールの高い靴は苦手なのだろう? 酷くなる前に少し休めたほうがいい」
確かにエステルの足は悲鳴を上げていた。
素直にじっとしていると、クレトはそっと靴を脱がせてくれた。
騒がしかったソルの間はしんと水を打ったように静まり、その姿が現れると一斉にざっとその場で皆が片膝をついた。
「え……?」
誰もが臣下の礼を取るこの男性と女性が何者なのか。エステルは体が固まったまま思考だけが目まぐるしく回転した。
ここはバラカルド帝国の宮殿だ。それも最も格式高いソルの間。各国の賓客を集め、そこで開かれる誕生パーティー。誰もがひれ伏し、戴く王冠……。
「まさか……」
導き出された答えにエステルは驚愕し、慌ててクレトから離れると膝を折って低頭した。
ベニタは未だ何が起こっているのか理解できずその場に突っ立ち、クレトやカミロは片腕を胸にあて軽く頭を下げている。
王冠を被った男性は、そのまま真っすぐエステルたちの方へと歩み寄ってきた。エステルはますます頭を低くしたが、傍らのクレトは顔を上げるとにこやかに話しかけた。
「ご機嫌麗しゅう、皇帝陛下。五十歳の御誕生日、おめでとうございます」
「うむ、久しいな、クレト。しかし皇帝陛下などと他人行儀な言い方はやめよと言ったのを忘れたのか?」
低音の良く通る声で王冠を被った男性、皇帝陛下は答えると、並み居る賓客たちへ向かって告げた。
「皆の者、今日は余のために大儀であった。大いに楽しんでいってくれ」
「皇帝陛下! おめでとうございます!」
「陛下! お祝い申し上げます!」
「陛下の御代が長からんことを!」
あちこちから一斉にお祝いの言葉が飛び交い、楽隊の音が祝いの曲を奏でる。ソルの間中がバラカルド帝国皇帝の誕生日を祝う声と音で溢れた。
その光景をエステルは呆然と見つめた。
クレトの知り合いの要人って……。
まさか皇帝陛下だったの?!
このソルの間を見た時からなんとなく予感はしていたけれど、まさか本当に皇帝陛下だったとは……。それはレウス王国の王太子妃選びにも口出しできるはずだ―――。
広間は束の間お祝いの言葉と歓声で満ちたが、皇帝陛下がすっと片手を挙げると音はピタリとやんだ。皇帝陛下はその中をゆっくりと歩み、上段に設えらえた玉座にまで進むと腰を下ろした。
それが合図だったようだ。
楽隊の音が再び始まり、広間は元のざわめきを取り戻した。
「行こう、エステル。きちんと紹介するよ」
クレトが促すままにエステルは玉座に向かった。傍らではまだ何が起こったのかわからないまま呆然と突っ立ったままのベニタがいたが、カミロが側にいた警備の騎士に指示を出す声が聞こえた。
「その女を連れていけ」
「はっ。カミロ皇太子殿下」
ベニタは騎士に引っ立てられ、どこかへ連れていかれた。ベニタの行方は気になるが、それよりも何よりも……。
「……ちょっと待って。カミロさんは、皇太子殿下なの……? え? それってまさか……」
混乱した思考がまとまりきらない内に、玉座の前についたクレトは臆することなく皇帝陛下に語りかけた。
「父上。私の恋人を紹介します」
「クレトって、バラカルド帝国皇帝の御子息だったのね……」
皇帝陛下と皇后、つまりクレトの父と母への挨拶を終えると疲労困憊したエステルは一旦支度部屋へと戻ってきた。心配してついてきたクレトに、要人っていう言い方はないと思うわと愚痴をこぼすと、クレトははははと笑った。
「笑い事ではないわよ。わたし、ほんとに心臓が飛び出すかと思ったのよ。どうしよう、たぶん上手く笑えていた気がしないの。陛下と皇后さまはわたしのこと、受け入れてくださったのかしら」
「もちろんだよ。エステルのことをとても気に入ったさ。あの人たちは、気に入らない相手だと話はしないからね」
その言葉にエステルはさぁっと血の気が引いた。
「ご両親は気さくな方だって言ったわよね……」
一歩間違えればとんでもないことになっていたかもしれない。今更ながら怖くなってきた。
「どうしよう、本当にわたし失礼はなかったのかしら」
「大丈夫さ。エステルのことなら必ず気に入ると確信していたからね。事実そうなっただろう?」
「そうなの……?」
全く自信はない。エステルは少々恨みがましい目でクレトを見上げた。
要人と、確かに要人で間違いはないけれど、この大陸の覇者、バラカルド帝国の皇帝陛下は要人などという言葉で括れる存在ではない。どうしてもっとちゃんと踏み込んで聞いておかなかったのか。なんとなく聞きずらく、要人と言う言葉で納得していた自分が愚かだった。
でも、先ほどのやり取りを思い返してみても、皇帝陛下と皇后との会話はなごやかで弾んでいたと思う。
失礼はなかったはずだし、最後にはまた遊びにおいでとおっしゃってもらった。
「及第点はいただけるかしら……」
まだ不安でクレトに聞くと、クレトは大丈夫だよとエステルをソファに座らせるとその足元に跪いた。
「足が疲れただろう? 少し脱いで寛ぐといい」
そうしてエステルの靴を脱がそうとする。エステルは慌ててそれを止めた。
「……クレトにそんなことしてもらえないわ」
皇帝陛下のご子息を足元に跪かせて靴を脱がせてもらうなんてとんでもない。
ぱっと立ち上がるとその肩をクレトはゆっくりと押し戻し、再びエステルをソファに座らせた。
「私は十五の時に国を出たと言ったろう? 身分のことは忘れていてほしい。今まで通り、私は君を拾った一介の商人だ」
「でも……」
そうは言っても真実を知った今となっては意識せずにいてほしいと言われてもどうしても考えてしまう。
「じゃあこれならどうだろう。私は君の恋人だ。疲れた足を癒すため靴を脱がせるくらい、恋人の当然の権利だとは思わないかい? エステルだってさっきベニタから私を全身で守ろうとしてくれた。それと同じだよ」
「それは……」
「さぁ足を出して。私に当然の権利を行使させてくれ。セブリアンとの食事では足を痛めていただろう。ヒールの高い靴は苦手なのだろう? 酷くなる前に少し休めたほうがいい」
確かにエステルの足は悲鳴を上げていた。
素直にじっとしていると、クレトはそっと靴を脱がせてくれた。
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