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第二章 

しばし付き合え

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「お早く!」

 女官に小声で促されたが未令とてこのように強制的に連れて行かれるのは本意ではない。
 早く還りたいと気持ちも急いている。
 腕を掴まれながら、戸惑ったように未令は焔将と女官と、後ろに立つ男とを見比べた。

 この女官たちが焔将の意図のもと動いているのはわかる。
 けれどそれに従う気は未令にはない。
 このまま振り切って逃げてしまおうか。まずは女官の腕を振り払い、振り払いざま体を回転させて後ろの男の脇腹に蹴りをいれる。
 体の動きをイメージし、女官の腕を振り払おうとした時だ。
 
 焔将が回廊の手すりに手をかけ、ひらりと乗り越え飛び降りた。

 二階ほどの高さがあったが、焔将は何ほどのこともなく着地する。
 その身のこなしに、やっぱりこの男には敵いそうにないと確信し、焔将がこちらに来るまでに女官と後ろの男を蹴倒して逃げなければと行動に移したが、女官の手を振り払った腕はそのまま近づいてきた焔将の手に捕らえられた。

「え……?」
 
 一瞬のことで目が点になる。
 飛び降りた地点からここまでは少し距離があったし、未令だって瞬時に判断して動いたはずだった。
 けれど呆気ないほどあっさりと腕を掴まれた。

 焔将が側に来るとし、女官はすぐに頭を深く垂れ、数歩も後ずさった。
 もう一人の女官も、その後ろの男も同じように後ろへと下がり低頭する。
 
 相手は絶対的な支配者、帝の弟だ。

 女官のように振舞わなければならなかったと気づいたが、咄嗟に信じられないスピードで間合いを詰められた衝撃に体の反応が遅れた。
 慌てて頭を下げようとすると

「よいよい。そちの国ではこのようなことはしないのであろう?」

 そして有明は元気だったかと聞いてくる。
 さきほどまで不穏な空気に包まれていたのがうそのようだ。
 自分を連行しようとしていた三人の動向を気にしながら未令は答えた。

「元気だとはいいがたい様子でしたが生きていてほっとしました」

 水の牢獄に一年も幽閉されているのだ。以前の生き生きとした父の姿からは程遠い。
 次にまたいつ会えるのかわからないのが寂しいと思わず零した。

「また会えるよう、兄上には私から便宜を図ってやろうぞ」
「ほんとですか」

 未令はばっと顔を上げた。
 すぐ間近で観察するように焔将の瞳がこちらを見下ろしている。
 未令はまたやってしまったと思った。
 きっとこの国では帝の実弟に対し、こんな態度は許されないはずだ。
 しかし焔将は寛容な性質なのか。
 未令のくるくる変わる表情をおもしろそうに見下ろし、

「日本へ還りたかろうがしばし付き合え」

 後ろに控える女官に目配せし、焔将は衣を翻し先の棟へと戻っていく。
 お早くと再び女官に促され、未令は渋々従った。
 また父に会えるように便宜を図ってくれるという焔将の意に背いてご機嫌を損なえば、それこそ本当に二度と父には会えなくなるかもしれない。

 屋敷に入ると同じお仕着せを着たたくさんの女官たちが立ち働いていた。
 女官によるとこの棟は、祥文帝が住まい、政務を執る宮殿とは別の棟であり、焔将の私邸であるらしい。
 棟で立ち働く人たちはみな同じ紺青の衣をまとっている。
 年かさの女官に、なぜか風呂に入るようにといわれ湯殿に案内される。

 確かに焔将にまみえるにはさきほどの緑香との死闘であちこち泥だらけだ。
 驚くほど大きなお風呂には絶えず湯が注がれ、湯船から溢れていた。
 すっかり汚れを落とし湯殿から上がるとさきほどの女官が待ち構えており、未令に白い着物を着付けていく。

「これすごく薄くないですか」

 人前に出るには心もとない格好だ。
 そういうと女官たちはくすくすと顔を見合わせて笑い出した。

「わたし、何かおかしなこといいましたか?」

 訊いても誰も答えてくれない。

「焔将さまから未令さまには何もいうなといわれております」

 準備が終わると女官たちは未令を燭台の明かりが寂しげに灯った部屋に案内し、中で待つようにと告げ、未令を残して退出していった。

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