異世界の商人

たか

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創業記

1日の終わり

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食堂にはまだ疎らに人が残っていた。
円形テーブルが7つとカウンター席が10席程だ。
7つの円形テーブルの内2つにはまだ客がいる。四人組の冒険者風と三人組の冒険者風の男女が木のグラスに入ったビールのような物を呷っている。
カウンター席は全て空席となっている。その奥側には厨房がある様だ。
無言でカウンター席に腰かけると、厨房の奥には恰幅の良い女性が洗い物をしていた。
こちらに気づいて寄ってくる。
「お客さん、八の鐘が鳴ってしまったからね、もうあまり大した物は出来ないんだが、何か注文はあるかい?」
そう言って渡された木の板にはメニューが焼印されていた。
「すいません、字が読めないもので。何かオススメがあればそれで。」
「そうか、なら定番だけどホーボー鳥の煮込みとマッシュポテトでどうだい?」
「それでお願いします。あと、あちらのお客さんが飲んでいるのと同じものを貰えますか?」
「あぁ、エールだね?はいよ、ちょっと待ってね。」
そう言うとキビキビとした動作で彼女は木製のグラスを片手に樽に向かった。
「はい、お待たせ。」
礼を言ってエールを受け取ると、一口口を付けてみる。
冷えてはいないが味は悪くない。日本のラガービールと比べれば、物足りなさはあるが、仄かな苦味と炭酸が喉を癒してくれる。
気付けば一気に飲み干していた。
「良い飲みっぷりだね、おかわりいるかい?」
「お願いします。」
「はいよ」と言って、女性は同じグラスにエールを注いでくれた。
今度は味わって飲む。
酒に関しては、ザルとまでは行かないが結構飲める方だ。
二杯目のエールが半分ほどになる頃に、料理が出てきた。
器に盛られた鳥は、骨から身が崩れ落ちるほどに煮込まれている。
皿の半分にはマッシュポテトが盛られており、鳥のダシと合わせると美味しそうだ。
渡されたフォークとスプーンで食べる。
肉にフォークの腹の部分を当てて押すと、あっさりと身が繊維に沿って崩れた。
先ずは一口と、肉を口に放り込む。
肉の食感と共に肉汁が口の中に溢れる。しっかりとスープを吸った身は、香草か何かの香りがして鼻腔をくすぐる。
「……うん、うまい。」
ついつい口から漏れていた。
また、久しぶりに食べる温かい料理に涙が出そうになる。
「そんな美味しそうに食べてくれると作る方としても仕事冥利に尽きるね。」
そう言って女性は嬉しそうに洗い物に戻っていった。

しっかり味わって完食し、エールも更にもう一杯飲んで満腹になった。
そろそろ部屋に戻って明日からの事を考える必要があるだろう。
「ごちそうさまでした。」
立ち上がってそう言うと、女性は嬉しそうに近寄ってきた。
「綺麗に食べてくれて嬉しかったよ。
  それでエールだけど一杯銅貨八枚になるから、二十四枚だよ。」
ポケットの袋から銅貨をちょうど取り出して渡した。
「今日からとりあえず十日ほどお世話になりますので、宜しくお願いします。」
「こちらこそよろしくね。私はここの女将のミラだよ。」
「ヒデハルと言います。」
挨拶を交わして、部屋に入る事にした。

部屋に向かうため、カウンターの前を通ると、おじさんがまだそこにいた。
「ごはん美味しかったです。」
「そりゃ良かった。うちのカミさんの料理はなかなか有名でね。最近は飯目当てに来る客もいるくらいだ。」
予想はしていたが、ミラさんの旦那さんだったらしい。
「ヒデハルと言います。今後ともよろしくお願いします。」
「こりゃ、ご丁寧に。ここの店主のジョージだ。なんか入り用があったら言ってくれ。」
軽く握手を交わす。
「じゃあ早速ですが、体を拭きたいので、タオルと水を貰えないでしょうか?」
「タオルは一枚銅貨四十枚だ。水はサービスだよ。裏手に井戸があるから桶は貸すから自分で頼むね。」
「水の方は分かりましたけど、タオル随分高いんですね?」
「ん?…あぁ、そう言うことか。」
ジョージは意味深げに頷くと独りごちた。
「ヒデハルは、見た所アルトガ島国の出だろう?」
慣れたもので、曖昧に頷いておく。
「まぁあの辺りは綿が取れるからね。この辺りは綿織物は殆ど輸入品になるんだよ。
  牛や羊の放牧は盛んだから、革製品の方が安いくらいだよ。」
考えてみると、馬車が主なインフラであろうこの世界で、流通費は馬鹿にならないと予想がつく。
基本的には地産地消出来るものは安くなるという事か。
「成る程、分かりました。じゃあ、タオル二枚貰えますか?」
そう言って銀貨一枚を渡す。
「はいよ。じゃあ釣りの銅貨二十枚とタオル二枚だ。あと、桶は外に積んであるからそれを使ってくれ。
  使い終わったら部屋の外に出しといてくれたらいいよ。」
了承の旨を伝えると、荷物を置くべく先ずは部屋に向かう。
部屋の鍵を開けて中に入ると、中は真っ暗だった。もらった蝋燭に火をつけようとして気付く。
どうやって火をつけるんだ?
そんな当たり前の疑問が立ちはだかる。
結論が出ないため、取りあえず荷物を置いて部屋に鍵を掛けると、蝋燭を持ったまま部屋を出る。
階段を降りようとした所で、女性が下から蝋燭に火をつけたまま、上がってくる。 
「すいません、火を貰えますか?」
蝋燭の灯りに灯された女性の顔は、所々に傷があり、隙のない気配から冒険者だとあたりをつける。
黒髪に所々赤いメッシュが入っている。
この世界にも髪の染色があるのだろうか?
「…どうぞ?」
女性を観察していたため、ついつい固まっていたようだ。
「すいません。」
そう言って火をもらうと、女性は無言で頷いて更に上の階へ上がっていった。
独特の雰囲気を持っており、しばらくその後ろ姿を見ていたが、「これじゃあ不審者だ。」と独りごちると、部屋にとって返した。

蝋燭の灯りで部屋の中を照らすと、部屋はセミダブル程度のベッドとテーブルが置かれた簡素な部屋だった。
テーブルの上に蝋燭皿があったため、そこに蝋燭を据える。
特に見るものも無いため、部屋を出て鍵を掛けると、水を取りに階下へ向かった。

カウンターの奥側にある裏口を開けて、外に出る。
やはり辺りは随分暗い。
この街の気温は暑くもなく寒くもない。日中ならTシャツ一枚で過ごせる程度だったが、流石にこの時間になると少し肌寒さを感じる。

裏口から出たところに桶が積んであり、井戸もすぐ目の前だ。
鉄製のバケツにはロープが括られており、これで水を汲み上げるようだ。
井戸の中にバケツを投げ入れると、少しして水面にぶつかる音がした。結構な深さがあるようだ。
そこから水を引き上げると桶に水を移す。
桶に張った水でその場で顔を洗った。水の冷たさに仄かな酔いも完全に覚めてしまった。

7分目まで水を張った桶を持って階段を上がる。
水をこぼさない様に最新の注意を払う必要があった。
部屋に戻ると服を脱ぎ捨て、水に浸したタオルを軽く絞ると体を拭いた。
日本人の感覚からすると随分物足りないのだが、それでも幾分かサッパリした。
一通り拭き終わった後、タオルを洗ってきつく絞った後、窓際に取り付けられた棒にタオルを干す。
確証は無いがそのためのものだと思う。多分。
特にやることも無いので、ベッドに入って横になる。
眠気はまだ無いので、明日のことを考える必要がある。
取りあえずやるべき事を頭の中でリスト化してみた。

・質屋に行って日本貨幣を売る
・雑貨屋に行って鞄の打合せ
・冒険者ギルドと商業ギルドに行く
・生活雑貨を買う
・下着や服を買う
・イシュカと行く店の情報をジョージとミラから得る。

あとは、スマートフォンをいくらで売るかという問題くらいだった。
暫くゴロゴロと考え込んでいたのだが、圧倒的に情報が足りないため、段々面倒くさくなって来た。
せめてアーティファクトと呼ばれるものがどの程度の値段で売られているのかを知る必要がある。
ギルドで聞いてみれば何かわかるかもしれない。
そう結論を先延ばしにすると、いい加減蝋燭も勿体無いため、火を消して眠ることにした。



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