籠の中の鳥

海土竜

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江口の戦い 4

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 霧が完全に晴れた訳ではなかった。天高く立ち上っていた霧は、薄く広がって地面にしがみつき消えまいと足搔いている。霧の中から走り出た六角義賢が盛り上がった土の山の上に跳び乗ったため膝を隠す程度になっていたが、泥の沼の上には、濃い霧が残り日の光を強く反射して、目が眩む。薄くなった霧を通して水面で反射した光が下から照らし出して、何倍も白く輝かせているようにも見えた。

「いたぞ! あそこだ!」

 義賢の姿を見つけた追手の兵士の怒号が上がった。霧から突き出した馬の首が白いたてがみのように霧を巻きつかせ駆け寄ってくる。背に乗った鎧武者は、雲の上を滑るそりを駆っているようだったが、追手が思っていたよりずっと近くに居た事に戦慄を覚えた。弓矢と言わず、馬上から槍を投げても十分に届く距離ではないか。

「ちゃんと、ついて来ているな」

 まるで他人事のように呟いた義賢の言葉に驚いた。顔を見ようと背を仰け反らせたが、抱えられたままでは大した違いはなかった。義賢の顔は見えなかったが、代わりに霧の中からひょっこりと若い男の顔が出てきた。

「鬼十河まで連れて来たんですか?」

「派手な方が良いだろう?」

「まぁ、そうですけど……」

 へらっと崩した顔は、童のように幼くも見え、義藤と変わらないほど泥にまみれていた。軽く擦って取ろうとしていたが、手の方が泥まみれらしく、鼻の頭に黒い横線が入っただけだった。視線の先に何かを捕らえると、言葉を続けようとした口が急に引き締まった。

「逃がさんぞ! ロッカクー、ヨシタカー!」

 戦場に響き渡るほどの怒号だった。左腕に刺さった矢もそのままに、激高し顔を真っ赤にして馬を駆っている十河一存が霧の中から仁王のような姿を現した。

「鬼十河とは良く言ったものだな。とても、この世の者とは思えん」

「のん気に構えている場合じゃないですよ。行ってください、先で定武殿が待ってます」

「任せる」

 十河一存の騎馬隊は、闇雲に追ってきたわけではない。霧の中でも相手を逃さぬように横に広がって、包囲するように連携した隊列を組んでいた。それが範囲を狭めて、獲物を狩りたて始めた。
 六角義賢が霧の中へ飛び込むのを見送ると、男は水面蹴りで自分の周りの地面すれすれの空を蹴って、周囲の霧を巻き上げ、白い半円形の壁として舞台を作ると、迫ってくる騎馬隊を真っすぐに睨み返して、十河一存に負けぬ声を上げた。

「将軍に手向かう不忠者どもめ! 甲賀六宿が一人、三雲成持が成敗してくれる!」

 当然と言えば当然か。十河一存の騎馬隊は声に向かって一斉に速度を上げた。最も勢い良く迫って来た騎馬が三雲成持の立っている高台に駆け上がろうとした瞬間、馬の足元で泥沼が間欠泉のように吹きあがった。悲鳴のように嘶いた馬は棹立ちになり、背に乗った武者を振り落とすと霧の中へ倒れた。三雲成持に殺到しようとしていた騎馬は、一斉に手綱を引いて馬を止めたが、その目の前で、もう一度泥が吹きあがった。

「甲賀忍法、天変地砕雨!」

 三雲成持が手のひらを吹き上げた泥に向けていた。

「妖術か?」

 どこからか怯えた声が上がった。
 手のひらを向けられた箇所から泥を吹き上げる爆発が起こったように見え、次は自分が、自分の足元が吹き飛ばされるのではないかと、騎馬武者たちは恐怖にすくみ上った。
 しかし、妖術等ではない。泥の沼地には様々な物が沈んでいる。足を取られた動物や乾期に芽吹いた植物が緩くなった泥に根を支えきれなくなって、底に沈み腐敗して可燃性のガスを発生させるが、泥の中では拡散せずに溜まり続ける。それに長い棒等で穴を開けて泥の表面に出し火をつければ、地中のガスと共に一気に爆発する。
 簡単な仕組みだが、その結果、熱い泥の塊りが降り注ぐ。耐えられぬほどの熱さでは無いが、重量感のある泥の塊りを頭から浴びせられた馬は、背に乗った主人を振り落としただけでは足らず、恐怖に荒れ狂って霧の中を走り回った。

「うろたえるな! 弓を使え!」

 十河一存の怒号が馬をなだめるどころか自分から先に逃げ出そうとしかねなかった兵士たちに正気を取り戻させた。小石ひとつで四方へ飛び去る烏合の衆が、一声で精鋭の騎馬隊に戻った。
 だが、それこそ、三雲成持の術中だった。
 十河一存が腕に矢を受けていなければ、自分で弓を使い部下に追わせる事も出来たであろうが、部下が一斉に矢を放てば、それ以上先へ進む事も出来ない。地面に突き刺さった矢は、深い霧の中では馬の行く手を阻む罠となり、沼に突き刺されば、泥をかき混ぜて腐敗したガスを湧き立たせる。
 そう、三雲成持が霧に身を潜めて姿を消すには十分だった。
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