籠の中の鳥

海土竜

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逃走 1

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 荷物のように抱えられて揺さぶられていたが、目の前をふさいでいた霧が急に晴れた。真っ青な空を縁取る葦の林と、その隙間から強く差し込む光。途方もない広さの川が進む道を塞いでいた。走っている途中も脇に抱えられたまま何度か頭を引っ張り上げられていたが、どこへ向かって進んでいるのか確認する余裕はなかった。
 脇に抱えたままだと、どうしても頭が地面に近くなる。沼地やくぼ地で地面に顔を向けていると、溜まっている有毒ガスなどで窒息する可能性もある。だから時折、無理に引き起こされていたのだ。背負ってしまえば、地面から離れるため問題ない様に思えるが、戦場で背中に背負うなど矢の的にしかならない。馬より速く走れなければ、戦場を走り抜けた頃には、矢の数本も刺さっているだろう。
 目の前に現れた川に足を止めた六角義賢が、どんな顔をしているのか。進路を塞がれ立往生しているのかと思うと、見上げるのが不安になった。今にも後ろから騎馬が追いついてくると、抱えられたまま振り返ろうとしていたが、葦の林の影から小舟が音もなく漕ぎ出されてきた。

「若、御無事で」

 薄汚れた着物に手ぬぐいで頬被りをした渡し船の船頭は、幅の広い川ならどこにでもいそうな農民のように見えたが、鎧武者相手に落ち着いた低い声で尋ね、返事も待たずに船を岸に寄せると、櫓を突き立てて揺れないように固定した。
 義賢は船の縁を軽くまたいで飛び乗る。しっかりと押さえられていた船は、少し揺れただけだった。運ばれていた義藤は、詰めて座れば5人ほどは座れる細長い船の上に下ろされた。即座に、手をついている船底がぎぃと小さく軋んで水面を進みだした。首を回して見上げると、船頭は随分と背が高く顔は見えなかったが、みすぼらしい着物から覗く櫓を操る腕は、一介の船頭には似つかわしくないほど鍛えられていた。

「首尾はどうだ?」

 義賢は船頭に尋ねたようだったが、視線は離れたばかりの岸に向けられていた。その意をくみ取ってか、

「三雲は別の船を用意しております。向こうの方が、先に進藤の用意した計画の通り合流地点に着いているでしょう」

 三雲成持もそうだが進藤賢豊も甲賀六宿老の一人だ。それを知っている船頭の声も聞き覚えがあった。身なりに厳しく、普段のきっちりした姿とかけ離れていたため気がつかなかったが、船頭も甲賀六宿老の一人、平井定武だった。

「義藤様は、鎧を脱いだ方がよろしいですな」

 鎧飾りと大きな兜の前立てで、狭い船の上で身動きが取れなくなっていると言う理由だけでもない。遮る物の無い水面の上では、とにかくその恰好は目立つのだった。義賢に手伝ってもらいながら鎧を外し、船の縁から乗り出して顔を洗うと、垂れた髪の毛まで乾いた泥が付いていた。それを爪でそぎ落とそうとしていて、急に胸が締め付けられるような痛みに襲われた。初めての戦場で、刀を抜く事はおろか自分の足で歩く事さえままならず、泥にまみれて逃げ出してきたのだ。部下も見捨てて。込み上げてきた口惜しさと情けなさで、言葉にもならない痛みに押しつぶされそうだった。そして、その後悔を抱えたまま、船で運ばれて行くだけなのだろうか。その心の内を見透かしたように、

「お気になさいますな。戦場から持ち帰るのは、自分の命ひとつで十分なのですよ」

 六角義賢と平井定武のどちらがその言葉を口にしたのだろうか。どちらにしても、義藤には驚きだった。彼らのような戦場でいくつも手柄を上げた百戦錬磨の武将が、そのような言葉を口にするとは。

「このまま近江の坂本まで、船を進められるか?」

「そう、上手くは行きますまい。京に近づく頃には、知らせが届いて警戒も厳しくなっているでしょう。水上の関所を抜けるのに、行きのように勢いに任せる訳にもいきませんし」

「進藤の読み通りと言う訳か」

「父の居る東山御城へは、戻れないのですか?」

 東山御城は、義藤の父・足利義晴が将軍職を辞したのち改修した城だった。京都と近江の間を繋ぐ重要な戦略拠点であり、それにふさわしく何重もの曲輪が張り巡らされた城で、細川元晴側の本拠地と言えた。それは、勝ちに乗じて追撃する三好長慶の軍の目指す場所にもなる。真っすぐに目指せば戦闘は避けられないだろう。

「大丈夫です。ただ、南に下って、大きく迂回する事になりますが」

 それも彼らの予測の内だった。 
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